ゲームレビューについて(4)
あと1回で終わるはずなのだけど、途中ながら、自分が読んだTwitterやはてブに出ていた感想などについて、ちょっと意見を加えていきたい。
■ 減点法がなぜマズいのか? ■
ゲームに点数云々を除いて、減点法がなぜまずいのか?
ファミ通のレビューなどで顕著な問題になっているけれど、どうしようもなく質の低いソフトが大量に発売されていた時代ならいざ知らず、長く時間が経って、どこも経験を積んでいるので、発売されるゲームは、一定以上のクオリティを持っていることがとても多い。
そして一定以上のクオリティというのは、普通は5-7あたり、という話になる。
そして、これが実は第一の問題だ。実は、減点法だと、質が一定以上が当たり前になると、一定以下の点、具体的には50点以下を非常につけづらくなってしまう。当たり前だがテストの失格のイメージが出てくるからだ。
だから、10段階評価として、実段階数は広めにとっても6段階しかなく、しかも若干つけにくい10を考えれば5段階。
また、いまどきのまともなゲームに5も厳しいので、たいていは6ぐらい。となると、実質4段階ぐらいしか点数をつけられなくなってしまう。
つまり点数バリエーションが質が一定以上になると、極めて狭くなってしまう。
次に、当たり前だが満点をつけづらい。
そして、一度満点をつけると「アレが満点でこれが満点でないのか」という問題が発生する。結果、どうなるのかというと、時間が経つにしたがって満点連発になっていく。
これは当たり前で、ゲームには技術的な側面があり、グラフィックやオーディオの質は基本向上していく。そこが絶対に評価軸にある以上、点数の底上げはされてしまう。
実際に僕も電撃でレビューしていたときPS1の後期には苦労していた。
といったようなことで、減点法はとてもよろしくないのだ。
■ レビューには客観性が必要だろ? ■
客観性とはなんだろうか?
客観性としか書いておらず、全くその定義がつまびらかでないのだけど、科学の実験のような再現性をイメージしているのだと思う。つまり誰がやっても同じことが出来る=誰でも同じように感じるのようなイメージだろうと想像する。
さて「レビューは主観だ、客観性などない」と書いたのは、第一に客観であるために必要な様々な条件が担保できないからだ。
まずなにより客観的であるためには客観的な指標が必要だ。
具体的には、ゲームのレビューの世界では、操作性・サウンド・グラフィックといった、一見客観性がありそうに見える要素が客観的指標としてまかり通ってきたが、その指標が役立たずなことは、このシリーズで詳細に解説した。
納得行かないなら、この3回でゲームが複雑化し、客観指標を置くのもレビューをするのも難しくなっていったプロセスを、読み直してから、客観について書いていただきたい。
次に、文章(やビデオ)のレビュー部分について。
当たり前だがゲームのような感覚に訴えるものが、誰でも同じように感じるわけがない。
だからこそ短文レビューは「複数の見方の違うレビュワーを並べ、比較的あなたの感覚と近い人を選べるようにしてますよ」というシステムを取るのだ。
つまり、もともと雑誌はレビューに客観性などないことがわかっているから、このようなシステムをとっているのだ。
そして一人のシステムでは長文を与えることが多いのは、レビューに長さ、すなわち表現を入れる余地を与えてゲームの中身を理解してもらう手がかりを用意するためだ。
それにちょっと考えれば分かる。
レビュワーでなくとも、Cityvilleが大好きのカジュアルゲーマーとCOD:MW2こそ神だと崇めているハードコアゲーマーが同じに感じるわけがないだろう。
そしてこれを「客観であれ」といって人間が客観になれるか? なれるわけがない。だいたい客観ってなんだよって話になるのがオチだ。
つまり客観性なんてことを言っている人は、客観であることの意味を突き詰めて考えていないのだ。
ただし、レビュワーを長くやると「そのゲームを誰が好きなのか? どんな層に受けやすいか?」を、比較的自分の好みとは別の話で考えるようにはなる。
また、ものすごい数のゲームを見るので幅広いジャンルにわたる知識を持つ結果、そのゲームが平均的に見てどれぐらいの出来なのかについても、感覚としてはつかめるようになる。
だから「このゲームは自分の好みではないが、このジャンルとしては良く出来ている」といった評価が出来るようになるが、これは客観ではない。
普通の人よりも圧倒的にたくさんのゲームをプレイした結果、比較的ライターやレビュワーの間では共通化される、たくさんのゲームをプレイし見てきた人間の間では比較的共通の価値観、でしかない。
また、とんでもない数を知ってるがために、ゲームをプレイしたとき、反射的にほとんどを分類してパターンの中にいれる癖がつく。そして、そこから外れたゲームをプレイしたとき、本当に驚くことになる。そして、たいていそういう驚くゲームは「途方もない名作」として、ゲーム史に名前を残すのだけど、たまに残らないw
例えば『ワールドネバーランド』とか。
■ たくさん集めた平均には意味があるのでは? ■
正しく読み取れるだけのデータが用意されていれば、意味はある。
そして、正しく読み取るためのデータが提供されていることは基本的にはないので、意味などないも同然だ。
せいぜい「高得点のものは、たまたまレビューを書いた人間が高得点をつけた」程度の意味しかないと考えるべきだ。
例で説明していこう。
分かりやすく、Amazonのレビューだとする。そして購入者はなぜか全員がレビューで点数をつけたと仮定しよう(この仮定は極めてありえないが)。
ここで文章が入ると、文章から入るデータがあるので、文章はないとしよう。
さて”wiifit”と”COD:MW2″があって、どちらも4.73がレビュースコアだったとする。
アマゾンならさらに点数分布もわかる。
これになんの意味があるのか?
「たくさんの人が高得点をつけました、買った人にとって満足度が高い商品です」以上の意味は全く取ることが出来ない。
なぜなら、点数をつけた人間は何歳で、どんなゲームが好きで、といった、そのゲームを選定するために必要な決定的な情報が欠けているからだ。
だからどちらのゲームも買った人は満足しました以上のデータはどこにもない。だから、それ以外に情報を持たない人間が、何かの目安にすることは全く出来ない。
それ以外で情報を集め、レビューの点数を見たなら意味が出てくる可能性は高いが、少なくとも点数それ自体に大きな意味はない。
また、もちろんこの点数をもって「”Wiifit”と”COD:MW2″は同じぐらい優れたゲームだ」といえるわけもない。
今まで書いたが、ゲームは極めて複雑なバリエーションにあふれる製品で、水と油ほども違うものを同じゲームだというだけで、ひとつの評価軸で並べようとすることなど、愚の骨頂だ。
顧客満足度は高い以外の意味を持たせるのは有害でしかない、というのが僕の意見だ。
だからメタスコアにはせいぜい人気度程度の意味しかない、と書いた。
他にも一度とことん書いてみたいコトがあるのだけど、書くと下品な内容になるので、今回のこの文では控えておきたい。
というわけで、次で終わる予定である。
4件のコメント
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本筋からずれますが、ワールドネバーランドは凄いゲームでしたね。1の衝撃も凄かったですが、2にぐっと完成度が上がってたのもよかったです。PS2で出る話が結局流れてしまったのが残念。(今でもPSPで新作が出ているようですが。)
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むかし現象学の本を読んで”客観は存在しない”という話に触れて驚いたことを思い出しました。
どんなに客観的であろうと言葉を重ねても主観からは逃れられないので、他の方が書かれているように担当者の趣味などが記載された方が判断しやすいです。
自分も電撃PCエンジン末期の方式が一番参考になる気がしますが、総合誌のように扱う本数が多いと、とてもこなせないだろうし悩ましいところですね。
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話はそれますがゲーマガ休刊についてコメントをお願いします。
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>> makira 様
ゲーマガの件については、もう書いたんですw
http://www.highriskrevolution.com/gamelife/index.php?e=199