ハドソンがなくなった日、Beepがなくなった月

キャッチに貼ったツイートが流れてきて、ああと思ったので、2012年の3月の電撃プレイステーションに掲載されたものをブログに出しておくことにした。

2012年の今日がハドソンがなくなった日で、そして同じ年の同じ3月にBeepから始まった雑誌がなくなった、ということで書いた文章だ。

僕がプロになった会社と雑誌がなくなる

 今回は、いつもとは全然違うことを書きたい。
 僕がプロのライターとして最初に連載で原稿を書き始めたのは1984年末に発刊された「Beep」という雑誌だった。
 この雑誌は日本の雑誌史上初のテレビゲーム専門誌なのだけど、当時はどちらかというとパソコンもファミコンも扱う総合ゲーム雑誌みたいなものだったのだけど、とんでもないファミコンブームで後から発刊したファミコン専門誌に勝てず、「Beep」は、まずセガハードのソフトを記事の中心におくようになり(当時はセガはハードを販売していた)、そして「Beep!メガドライブ」という雑誌になる。
 僕の連載は、1989年に「Beep!メガドライブ」になったところで終わったのだけど、それまでの約3年間、ずっと連載していた思い出深い雑誌だ。
 で、この「Beep!メガドライブ」は、そののちも誌名を変更しながらも、長く続いていき、2006年からあとは、ずっと「ゲーマガ」という名前で続いていたのだけれど、今回、休刊ということになった。
 つまり、僕がライターデビューした雑誌が27年たった今年の春、なくなることになったわけだ。
 そしてライターからゲームを作る側にどうしてなったのかというと、僕は、当時、知り合いだった編集のSさんという方が、角川メディアオフィスに勤めておられた。そしてSさんから「ハドソンって会社が、今、ゲームを作れる人を探しているのだけど、興味はあるか?」と1987年に聞かれ、もちろんゲームを作ることに興味があったので、当時勤めていた会社を辞めて、はるばる北海道まで行ってゲームを作ることにした。
 これが1988年の話。PCエンジンという、まあ一時期結構売れたのだけど、微妙にマイナーなハードだ。PSNにPCエンジンアーカイブスがあるので、興味がある人はプレイしてみて欲しい。
 このハドソンという会社、ほとんど日本初のパソコンソフトハウスで、史上初のファミコンのサードパーティで、史上初のCDROMゲームマシンを手がけて…と、テレビゲームの歴史と恐ろしく深く関わっているのだけど、1990年代半ばからヒットが出せなくなって、2000年を過ぎてからはコナミの資本提供を受け、コナミの子会社になり、そしてとうとう、今年の春、解散することになった。
 つまり、僕がゲームを作る側になった会社が24年経った今年の春、なくなることになったわけだ。
 この2つの出来事、ほぼ最古のソフトハウスがなくなることと、最古のゲーム専門誌がなくなることには直接の関係はない。あえていうなら、やはり、日本のテレビゲームは絶好調とは言いがたいよなあ、程度のことでしかないとは思う。
 ただ、それでも日本最古のゲーム専門誌と、ほぼ最古の、そして歴史を作ってきたソフトハウスがなくなるということに、一時代の終わりを感じてしまうのは事実だ。
 さよなら、ハドソン、そしてさよならBeep。

 
で、下の2つは、2012年のその時に書いたテキスト。
興味があったらどんぞってことで。


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