ハドソン伝説0.1

『ハドソン伝説ゼロ』に以下の一節がある。

ハドソン伝説0 / 岩崎啓眞|BEEP ゲームグッズ通販■ BEEP限定 オリジナルペーパー付き■ 発売日:1月13日(土)ハドソンの初期の歴史をまとめた本です。無線ショップ「CQハドソン」2階のマイコンコーナー設置にはじまり、MZ-80Kのプログラムテープ販売での飛躍やシャープX1の開発参加、史上初のファミコンのサードパーティーになるまでの経緯などを描いています。表紙は日本最古のアダルトゲームといわれる『野球拳』のめぐみちゃん!
ハドソン伝説0 / 岩崎啓眞|BEEP ゲームグッズ通販 www.beep-shop.com
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—- 引用開始

最初期のX1で発売されたゲームは、純粋にアセンブラで書かれていたわけではなく、コンパイラが使用されていたというのだ。
コンパイラは高級言語で書かれたプログラムをマシン語(アセンブラ)に翻訳するアプリケーション。
当時はBASICが主流だったのでそれのコンパイラが書かれたわけだ。

■ハドソン関係者
思い出したけどX1のゲーム開発初期はBASICをマシン語にコンパイルしてたよ(本迫さん開発のコンパイラ)。それだと多機種に移植できないからフルアセンブラで書くようになった。そこからICEを使い始めたね。

これが本当かどうかフェイスブックで本迫さんに確認できたので、確認したのだけど…

■本迫さん
X1のコンパイラ?そんなのあったかな?

さらに確認していくと…

■飛田さん
BASICのコンパイラは本迫さんじゃなくて野沢さんだったような気がします。
野沢さんはコンパイラ作るの好きでしたから。
コンパイラを使っていたのは札幌開発だけで、東京では最初からアセンブラでしたね

あれれれ?
…というわけで、今度は野沢さんに確認をしてみたところ…

■野沢さん
X1のBASICコンパイラ? その前のHu-BASICコンパイラは中本がらみだったけど…
ただ、X1のころは本迫が活躍していた時期ですね。
本迫に聞いてくれ。

なんとループしてしまった。真相は藪の中である…

—- 引用終わり

と書いたのだけど、名前は伏せるレジェンドの1人が、なんとこの頃のコンパイラの事を覚えていたのである!

■名前は伏せるレジェンド
X1コンパイラは、本迫さんだと思う。忘れたんじゃないかな。ぼくが入社したのがまさにコンパイラでゲーム開発はじまったタイミングでした。
コンパイラ上でX1のゲーム一本、書きましたよ。
丁度、田中君がX1のコンパイラ上で爆弾男を開発中でしたね。

と、証言を頂いたのである!
さらに証言は続いた。

■名前は伏せるレジェンド
札幌開発のツール群はほとんど本迫さんがまとめていたので、記憶にないのも仕方ないかも。
マシン語開発に移行するときも、CP/Mとかwordmaster、アセンブラのインプリメントは本迫さんがやってたと思う。X1のハードディスク対応も本迫さんやってくれてたと思う。

要は忘れていた、という話だ。
さらにコンパイラについても結構詳しく覚えられていた。以下はその最初に使ったX1用のHu-BASICコンパイラについての話である。

■名前は伏せるレジェンド
コンパイラは、コマンド体系に癖があって、できる事できない事も詳細は本迫さんに教わったよ。僕が入社した時点では存在してたのでオリジナル作者じゃないのかもだけど、メンテナンス担当だったのは間違いないと思う。
コンパイラは開発スピード上がらなくて限界あったね。アクションゲームには全く向いてなかった。

というわけで、本迫さんが作ったのか、メンテナンスしていただけなのか、それともMZからX1への移植で、それを本迫さんがやってかつメンテナンスもしていたのかは全く不明だが、1982-83年頃のハドソンでは札幌でコンパイラを使ってゲームが開発されていたのは明らかということになる。

そして、この証言と、前の飛田さんの証言から2つのことがわかる。

まずコンパイラを使っていたのは札幌の開発だけだったということ。
当時(1982-83)は東京の麹町に東京支社が、北海道の札幌平岸に本社があり、そのどちらにも開発があって、麹町は主にゲームを、平岸はビジネスソフトとゲームを開発する体制になっていたのだけど、コンパイラを使っていたのは札幌だけだったわけだ。
次に、コンパイラは制約があり、しかも開発速度も実行速度もイマイチだったのは間違いないこと。
まず開発速度の話をすると、当たり前だが、当時のマシンでコンパイルするのが速いわけもない。
機能についても、当時のハドソンのカタログに使えるステートメントに制約があり、かつ整数しか使えないといった制約があると書かれていて、そして社内で使ってたものにも同じ制約があったのは、証言から明らかだ。
加えて当時のコンパイラが吐くコードは人間のコードと比較して勝負になるものではなく、まともな最適化など施されていたわけもなく、BASICよりは速かったろうがアクションゲームを書くのは全然向かないのは間違いなく、コンパイラに都合が悪いコードを書くとBASICの数倍程度まで落ちることもあっただろうと他のソフトから想像がつく。
つまり、コンパイラによる開発は楽ではあったかもしれないが、効率のいいものではなかったわけだ。

では、このあとはどうなったのか?
結局、制約の多いコンパイラでは開発速度が上がらないということで、東京にいた中本さんが「アセンブラでゲームを開発する、コンパイラは止める」と決めて、TRANSパッケージというアセンブラで移植を簡単にするためのパッケージを作る。
そして、それを使って『キャノンボール』(と『カエルシューター』)を一晩で書き上げて、ハドソンはアセンブラのゲームに大きく舵を切るのである。
それについての飛田さんの証言が以下。

■飛田さんの証言
中本さんが一晩で作ったというのはキャノンボールとカエルシューターだったと思います(ターゲットはX1)
その時にtransパッケージというのを作ったような気がします。
PCE(PCエンジン)で言う所のBATを1フレーム前と現在の2枚持って差分で変化分だけキャラクタ単位に書きなおすという方法です。
X1のPCGがベースのソフトだから移植は楽でした。
トランスパッケージとキー入力ルーチンさえあればそのまま移植できました。
Z80のアセンブラを6809や8086のアセンブラコードに変換するようなフィルタを使って移植してました。
あの当時はひと月に2タイトル作って各X1,PC-88,FM-7,L3他に移植していたから移植込で10本位は作っていたことになる。

そして、このTRANSパッケージの開発に伴って、ゲームの開発を東京に集めることになり、札幌には野沢さん(当時はゲームを作っていなかった)、菊田さんとあとビジネス部隊が残ることになる。

この当時は、ビジネスはHuWord、HuCalcといった今でいうオフィス系のソフト以外にシステムソフト、例えばHu-BASICやH-DOSといった、野沢さんが得意とする領域があることを忘れてはいけない。

翌83年にファミコンが登場し、84年、ハドソンは史上初のサードパーティとして参入するのだけど、実はここから先に面白い話が出てくる。
なんとファミコンの開発で札幌が急速に大きくなるのだ。
当時はバブルで東京より札幌の方が人を集めやすかったとか、そんな理由だとは思うのだけど、85-86年になると急速に札幌が大きくなる。

例えば86年の入社組の中心は札幌で、後に桃太郎シリーズのメインを三上君や、スターソルジャーのMSX版を作った小坂君、さらにサウンドのドライバ環境を整えた岩淵君など、後のメインメンバーがゴロゴロしている。

そして、これを86年の春に一旦東京に開発を集めるのだけど『ドラえもん』の炎上で、中本さんがキレて、全員がまた札幌に集まることになる。
そして最終的に、このまま札幌にゲーム開発は落ち着いて、PCエンジンに向かっていくことになるのである。

ハドソン伝説既刊。BEEPさん・とらのあなさん・メロンブックスさんで委託しています。BEEPさんでは描き下ろしのイラスト+コラムの特典ペーパーがつきます。

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