CALENDAR
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30     
<<  2024 - 04  >>

PROFILE
同人誌 電子書籍版
Re:ゼロから始める
ゲームシナリオ


ライトニング伝説


さよならハドソン


ドラクエとFFと
ToHeart


誰得ゲームライフ


ときめきメモリアル
の時代

イースI・II製作メモ

頒布ページ
LINKS
NEW ENTRIES
CATEGORIES
COMMENTS
    イースⅠ・Ⅱ通史(3):『リグラス』から『ロマンシア』
  • タムロ (02/03)
    イースⅠ・Ⅱ通史(1):PC88MkⅡSRの発売
  • tamuro (01/05)
  • おお! (01/03)
TRACBACKS
OTHERS
SEARCH BOX
POWERED BY
POWERED BY
ぶろぐん
DESIGN BY
ブログンサポート

僕とBeepのちょっとした思い出
今日(3/8)、鶴見六百、つまり清水芋吉からツイッターで伝えられて、思わず少しつぶやいたけど、やっぱこういうことはブログとかに書いておこうと思ったので、日記がてらに、Beepから始まった、歴史としては日本最古と言っていいゲーム専門誌が休刊するということで、ちょっと思い出話などを書いておきたい。

僕が実質的にライターデビューしたのはBeepだった。
そして、Beepは僕の人生に決定的な影響を与えている。

どうして…という話を始めると複雑怪奇なのだけど、面倒くさい話をはしょって簡単にまとめると、僕が入社したベンチャー企業は漫画家の御厨さと美先生が関係していた。

そして御厨先生のプロダクションは当時ちょうどBeepの読者コーナーの仕事を請ける話になっていた。
これがYATATA WARS
今で言う読者参加型ゲームの走りみたいなものだけど、当時はそこらへんをうまくシステム化できなくて、イマイチ盛り上がらなかったのは残念なところだ(読者コーナーとしては結構盛り上がった)。
僕はログインでゲームを出したことなどもあり「YATATA WARSの1コーナーとしてゲームプログラムを載せないか?」と言われたのが、ライター経歴の本格的なスタートだった。

そして僕のコーナーは、毎号プログラムを載せ、その解説を書くスタイルで始まったのだけど、これが結構人気があったらしく「ヤタタウォーズが終わった後も、コーナーは続けない?」といわれて、ヤタタウォーズが終了してからあとも、独立した連載コーナーとしてBeepの中で生き延びることになった。

こうして独立したコーナーになったのだけど、しばらくして「プログラムだけじゃなくて、ゲームのレビュー書いていいですかね?」と聞いたところ「どうぞ、どうぞ」というので、ちょっとゲームをレビューした。
そしたら、これがアンケートがよかったらしく、当時の担当から「ゲームのレビューの人気があるから、そっちを中心にしませんか」といわれ、ゲームのレビュー&評論コーナーになっていった。
それで、Beep!メガドライブになるまで、僕はBeepに書いていくことになったわけだ。

ところでBeepはライターがほとんど遊び感覚だったから、本当に面白くて、撮影するためにみんなで暗室でMSXのグラディウス2を一晩中攻略してたり、ロックマンやってハマりまくったり、芋吉が「1日一回、ファンタジーゾーン!」とか言いながら、クリアしてたり、誰だったか忘れたけど「ジェニージェニー」ってわめきながらプレイしてたり、全くどうかしてる編集部だった。

この偶然の積み重ねは続いていく。
1986年、ヤタタウォーズ(と、あと攻略本なんか)で知り合いの編集だったSKさんが、角川メディアオフィス(KMO)でマル勝ファミコンの立ち上げに関係することになった。そして、この関係で、86年の後半ぐらいからKMOで仕事をするようになる。
1987年に、そのSKさんから「ハドソンがゲーム作れるやつ探してるんだけど、企画しない?」といわれ、ハドソンに行って中本さんと会い、会社を辞めてゲーム屋になることを決める。
1988年に、ハドソンに行って、僕はゲームを作るプロの方に立つことになり、今にいたる筋道の決定的な線が引かれることになった。

もちろん1984年のBeepよりもずっと前から、この偶然の積み重ねは続いてる。
そして、88年よりあとにもやっぱりたくさんあって、そんな偶然の積み重ねばかりで僕の人生は出来上がっているけれど、それでも84年のBeepと88年のハドソンは、自分の人生を決定的に変えた大きなポイントに挙げる場所なのは間違いない。

そして人生の大きなポイントになったBeepとハドソンが、同じ年に似たタイミングでなくなることに、信じがたい不思議な運命を感じてしまうとともに、一時代の終わりをしみじみと感じているのだった。

|| 18:24 | comments (5) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント
おお!大滝みやびさんが!Beep(初代)は今でも全巻保存してるほど好きな雑誌でした。一番と言ってもいいです。だみおさんやみやびさんの記事、よくわからなかったYATATA(笑)、Beメガの再開争い、セゲいちなど、思い出はたくさんあります。最近は買ってなかったけど、最終号は買うつもりです。こんな素晴らしい雑誌に関わった皆さん、本当にありがとう!
| SOW | EMAIL | URL | 12/03/11 19:56 | lG6Kf2Ng |
>>みやび
うわーーー! 久しぶり!!
さすがに言ってたかいってなかったかは記憶にはなかったんだけど、編集部で熱く語っていたのは覚えてて、そんとき「ジェニージェニー」と言っていたような気がした…んだよw さすがに古過ぎてw

>>atsu様
さすがにライターさんがその後どうなったのか、については僕はほぼ知らないんです。芋吉みたいに知ってるヤツもいますけどw

>>ihsotih 様
あー当時はですね、ゲームの自由度や「レベルに頼らないゲームデザイン」みたいな考え方に凝り固まっていた(特にトラベラーとクトゥルーにかぶれていたのが大きい)、とても狭量な人間だったのです。
なので、そういうことを偉そうに書いてしまったわけですね。今では、その考え方が間違っていることは簡単に指摘できるのですが。

その青臭い生意気なガキから、プロになるのに2年、狭量さがなくなるまでは10年かかりましたねw
| 岩崎 | EMAIL | URL | 12/03/09 17:47 | 2Lu8snyg |
お〜!ネタにされてる!ちょっと嬉しい!
「ジェニー、ジェニー」はオレがファミコンの「ロストワードオブジェニー」をプレイしてレビュー書いた時のネタで、実際には言ってなかった…と思うけど、もう覚えてないくらい懐かしい話ですね。
当時は本当に楽しかったですよ、まだ高校生だったし。

自分もBEEPがなかったら、今の自分はいないでしょうね。
| 大滝みやび | EMAIL | URL | 12/03/08 23:09 | Ix4TGQxs |
当時の僕にとって、Beepはお兄さんの雑誌でしたねぇ。
ベーマガ以上、だったのかな。周りの同年代でも読んでる奴はあまりいませんでした。

唯一の接点が「新明解ナム語辞典」ですね。(Beep連載でしたよね、たしか)
当時、盲目的なナムコファンだったので、結構高価だった筈ですが
迷いなく予約して購入した記憶があります。

現在、企画関連の仕事や、たまーに物書きっぽい仕事もしておりますが
あの書籍の影響はかなり大きいと思いますね。今でも本棚のレギュラー本です。
「座右の書」ですね。(NGは復刻総編集版を出してほしいなぁ…)

西島さんってライターの方は、今どうされてるんでしょうか。
ゲームライターとしては続けてはいないようなのですが。
| atsu | EMAIL | URL | 12/03/08 19:31 | jB3nOvqE |
こんにちは。
僕はドクトルだみおさんの記事ではウルティマvsウィザードリィーでウィザードリィー批判の挙句、テーブルトークRPGをやってる者から見ればどっちも失格って評論がいまだに心に残っています。
僕はテーブルトークはいまだにほぼ未プレイ(ちょっとだけ試しにRPG幻想事典のおまけをやってみた程度)なので、あの評論の真意が心の底から判っているのかと問われると自信ありませんが、あれはBeep!誌に残る名評論だと思っています。
これらの評論があって信用出きる人だなと勝手に思って、PCEの凄ノ王伝説は発売日に買いました。
ただ、内容の記憶が殆ど無いんです(つまらなかったか面白かったかも含め)。
なんで忘れたのか自分でも良く解りません。
失礼に聞こえたらすみません。
あと、事実誤認とかあったら申し訳ないです。
| ihsotih | EMAIL | URL | 12/03/08 18:51 | NmO8HM3Q |
この記事のトラックバックURL :
トラックバック