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イースⅠ・Ⅱ通史(1):PC88MkⅡSRの発売
このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版のイース1から、PCエンジン版のイースⅠ・Ⅱまでの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。
イースを作ったころと重なるのもあって、一度イースを作ったころの記事は削除しようか迷ったのだけど、比較することで「何がわかったのか」がわかるようになるなと思ったので残すことにした。

ものすごく長くなると思うのだけど、まとめて夏コミで最終的に新刊としてリリースされることが目標だ。まあ問題はとんでもないページ数になりそうな予感がすることだけど…

また、このシリーズは、山根のバカ、五十嵐さん、古代祐三さん、進藤、長山君、百田のバカ、飯淳、その他名前を少し書きづらい沢山の方々から得た情報で書かれている。僕に情報をくださった方々に感謝したい。

ということで本編。

世がファミコンブームに沸き立ちつつある1985年1月、PC-8801MkⅡSRが発売される。
こいつは実は日本のPCゲームシーンには恐ろしく重要なマシンだった。

なぜか?



■ハードとして音源が標準で搭載された
今までのPC88ではBEEPで音を鳴らすしかなかったのが、SRはFM音源+PSGなのだからそりゃ比較にならないわけで、ゲームにとっては恐ろしく重要だった。これがなかったら日本のゲーム音楽の歴史は変わったのではないか(古代祐三さんがデビューしていない世界線を想像してみればいい)と思うほどの大きなポイントだ。

■ALUがついたこと
ALUというのはRGBに分かれたVRAMに(当時のPCの大半はpacked-pixelではないのだよ)3プレーン同時に論理演算出来るユニットで、これを使うことでVRAMへのアクセスの負荷を大きく下げることが出来た。要はグラフィックの操作を高速にすることが出来るようになったのだ。

■テキストVRAMを表示していても遅くならなくなった
これは最近気がついたことだったのだけど、実はフルカラーでスクロールするゲームのために恐ろしく重要な要素だった。
なぜならフルカラーでそれなりにスムーズにスクロールするためには、ALUを使わないとまあムリなのだけど、これはVRAM…つまり表示画面を直接操作しなければならない(今のようにダブルバッファするメモリはない。余り領域の384バイトを使う手もあるが、4ライン分しか用意できないので厳しい)。
その操作する場所をテキスト面を使って隠すのが基本なのだけど、テキスト表示すると処理速度が落ちてしまうのでは、ALUを使っても意味がない。
ところが初代88/88MkⅡ(つまりV1S/H)ではテキスト表示するとDMAでCPUが止まりまくって、すんげえCPUが遅くなるって問題があり、だから非表示するのが定石だった。そして非表示にしてはマスクすることが出来ない。
つまり実はこれはALUを使ったキャラの重ね合わせが行われるフルスクロールゲームを作る上ではほぼ必須要素だったのだ、

他にもアナログRGBがついたので、フェードインアウトぐらいならキレイに出来るようになったとか、第一水準の漢字ROMが標準で搭載された(『イースⅡ』ではフル活用されることになる)とかいろいろあるのだけど、ことゲームについては上の3つは本当に大きかったと考えていい。

さて、上の3つの機能のうち、一つ、音源をフルに使ったゲームが85年4月に発売される。それが『テグザー』。
全方向に滑らかに(縦8ドット単位・横16ドット単位で)スクロールし、ロボットが変形して迷路の中で戦っていくゲームだ。
全く衝撃的なゲームで、当時のゲーマーの間で「まるでアーケードやファミコンみたいなアクションゲームがPCで出来ている!」と話題になる。

ここで「え?」と思う人もいるだろうから、ちゃんと書いておくと、当時のPCはグラフィックの構造からスクロールも苦手だし、もちろんスプライトがないので、アクションゲームを作るのに向いておらず、ぶっちゃけアクションゲームやシューティングを作ろうとすると、四苦八苦する上に、出来あがる物は値段が1/10以下のファミコンにも勝てない…というのが事実だったのだ。
だからゲームをする上でのPCの優位点は大量のテキストが表示できる、高精細なグラフィックが使える、セーブにFDDが使える、またFDDを使えるのでファミコンと比べて圧倒的に大容量(85年当時のファミコンは16-32キロ程度なので、ディスク1枚でも10倍以上、ディスク2枚なら20倍以上の容量を得られた)といったことで、間違ってもアーケードライクなゲームを作る上での優位点はなかった。

でも、逆の書き方をすれば滑らかにスクロールするとか、デッカイボスが出るというのは、それだけで技術力の証明になった上に、みんなアクションを作るのが大好きだったので、スクロールだのなんだのにやたらチャレンジしていた。

ところで『テグザー』は(僕が知る限りでは)SRの固有の機能と言えるのはFM音源ぐらいのはずで、スクロールは書き換え領域を制御することで行われていた。
グラフィックのライン数を数えても200ライン使っているのでALUはまず間違いなく使っていない。実際『テグザー』は背景が真っ黒なので、後のPCゲームで常識の「キャラクタの重ね合わせ処理」はなく、それで十分なのだ。
キャラクタを背景にマスクして重ね合わせして表示すると処理が一気に重くなる。そしてハードウェアスプライトはこのキャラクタの重ね合わせが簡単に出来るので、ファミコンやアーケードはPCに対して絶対的なアドバンテージを持っていた

いずれにしてもPCでも、88でも(それなりに滑らかに)スクロールするアクションゲームが出来るというのは衝撃的で、これを皮切りに画面切り替えではない、つまりスクロールするタイプのゲームへのチャレンジを作り手が、一生懸命はじめる。

そして1986年1月に『リグラス 魂の回帰』というゲームが発売される。

というところで続く。
|| 13:12 | comments (3) | trackback (0) | ||

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コメント
テグザーは確か旧機種版(PC-8801MkⅡSRより前)が出てて 実用的な速度で動いていたはず(Wikiによると出たのMkⅡSR用わずか1か月後らしい)
元々旧機種用に作っていたのをMkⅡSRに転用したのか 出たばっかのMkⅡSRの機能まだうまく使えないから使わないでいたので旧機種に簡単に移植できたのか どちらかは分かりませんけど
| tamuro | EMAIL | URL | 19/01/05 07:30 | 1tGvdQ.U |
SeeNaとか出るかしら?ワクワク
| おお! | EMAIL | URL | 19/01/03 09:15 | vt1Ws.RQ |
ついに始まりました。楽しみです。
| Deep Ones | EMAIL | URL | 19/01/02 20:49 | bBnh1r.s |
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