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イースⅠ・Ⅱ通史(2):『アルフォス』から『リグラス』まで
このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版の『イース1』から、海外版PCエンジン版(TurboGrafx 16)の『イースⅠ・Ⅱ』までの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。
だから85年あたりから話は始まり、90年5月で終わることになる。

あと『イースⅣ』をハドソンが作ったとき、実は何があったのかを様々な所から知れたので書きたいのだけど、これについては25年経っても書いていいか、少々わかりかねる「エーッ!?」なところが多いので…まあオプションとしておきたい。

内容的に『イースを作ったころ』と重なるのもあって、一度『イースを作ったころ』は記事は削除しようか迷ったのだけど、比較することで、何がわかったのかがわかるようになるなと思ったので残すことにした。
あと、出来るだけいろんな資料で補足はしていて「大枠は間違っていない」のには自信があるが、30年以上も前の話で 細かな間違いは結構あると思うし、もちろん僕が知らず、まあこうだろうと推測して埋めているところもあるので、知っておられる方は遠慮なく教えてくれるととても嬉しい。
それからコメント欄は承認制なので「表にするな」と書いてくれれば、表にしません。

と、少し長い前書きを書いたところで、まず前回のエラッタ。
・漢字ROMの搭載は88MkⅡからだった。
FRだったかで第二水準まで搭載するようになったのと頭の中で混ざっていたのだと思う。
・GVRAMがサイクルスチール化
これでそもそもGVRAMのアクセスが速くなってますよ、忘れてませんか? という指摘がありました。忘れてました、ゴメンナサイw

というわけで、本編に入る前に1983-86年ごろのPCゲームでの常識と後にイースに関係する歴史を書いておきたい。

83-86年ごろのPCは基本的にハードウェアスクロールの機能を持っておらず、スプライトも持っていなかった。だから画面をスクロールさせるためには全画面の書き換えが必要なので、恐ろしく難易度が高かった(例外中の例外がMSXとMSX2と思っていい)。
つまり、みんなのあこがれのアーケードゲーム、例えば『ゼビウス』の完全移植なんて夢のまた夢だったのに、これがPCよりはるかに安いファミコンで実現されているのだから、そりゃあイロイロ辛い。

当時のゲームの王様はアーケードゲームで、コンソールではない。アーケードこそが最もリッチなゲームを遊べる究極の環境だった。これがファミコンブームでアーケードがなくなるとまで言われ、危機感から、ご家庭では不可能な大型筐体に加えてハードウェアの進歩が進むのだけど、これはまた別の話。
またファミコンは当時、任天堂がアーケードメーカーだったからこその設計で、当時のアーケードマシンの縮小型になっている。それがゆえにグラフィックスはPCより制約は遥かに多かったのだけど、そんなものはゲームのためにあるスムーススクロールとカラーのスプライトの前には粉みじんだったわけである。


そして、ここからが本編と関わるのだけど、スクロールゲームはほとんど不可能とされていたPC88で曲がりなりにもスクロールシューティングを成立させたのが、故・森田和郎さんの『アルフォス(1983/PC88)』だった。
これは画面にナムコが入っているのでわかる通り『ゼビウス』リスペクトのゲーム。
森田さんは『アルフォス』で、1プレーンだけを使ってスクロールする、1プレーンだけに敵を書き込み、重なっても色が変わらないようにパレットを制御する技法を思いつき、これで高速化に成功し、もっと書くなら「88でスクロールアクションゲームを作りうる」ということを証明する。

この説明が雑過ぎることは百も承知だが、説明を始めるとコレだけで終わってしまうので、雑な説明で了承していただきたい。


正直、右の3つの画面を贔屓なしで見たとき、かなりきっつい実力差と思うだろうが、そしてさらに『アルフォス』は1プレーンでもスクロールは波打ったし、もちろんキャラもファミコンほど滑らかに動くわけではないしと、いろいろ厳しかったのだけど、それでも当時「アーケードみたいなスクロールゲームなんて88で作れるわけないじゃん」とみんなが思っていたとき『アルフォス』が曲がりなりにもそれを成立させたことはとても衝撃的だった。

そして、この森田さんの『アルフォス』のスクロールでスクロールゲームを88で作ることが可能になったのを見て、作られたアクションRPGが木屋さんの大ヒットゲーム『ドラゴンスレイヤー』(1984)とその子孫の『ザナドゥ』(1985)。

『ザナドゥ』は『イース』における超重要人物の一人、山根ともおがドット屋として参加するし、ファルコムをナンバーワンソフトハウスに押し上げる決定的な理由になるので、もちろん超大事だ。

ところで「見て作った」と書いたけれど、実際『ドラゴンスレイヤー』や『ザナドゥ』の画面処理は『アルフォス』ベースなのは間違いないのだから、そりゃ見て「なるほど!」となったのだろうなあと思う。
この頃、故・森田和郎さんは『森田オセロ』、『モリタンのバトルフィールド』(ゲームデザインは少々微妙だったけどw)などで天才プログラマとして称賛されており、当時のマイコンゲームを作っている人間ならば、堀井雄二さん、中村光一さん、芸夢狂人さんなどと並んで作品に名前が出れば、ともかくゲームはチェックするレベルの人物なので、そりゃあ木屋さんも間違いなく見たと思うし、見れば「なるほど!」と膝を打っただろうと思う。

と、非常に雑だが、ここまで85年初頭あたりまでのPC-8801MkⅡSRがリリースされたころのパソコンゲーム事情と理解しておいてもらいたい。
そして、前回書いた『テグザー』が発売されて「1プレーンでなくてもスクロールしている!」+「FM音源で曲が鳴っている!」という衝撃があって、そして86年初頭の『リグラス』の話になる。
ようやく前回の続きだ…このあたりは同人誌版では整理したいものだ…

さて『リグラス 魂の回帰』はゲームとしてはそれほど評価されていたのか…というと疑問なのだけど、技術的には明らかにとても大きな物だった。
横スクロールのみとはいえ、なんと一応フルカラーでスクロールすることに成功しているのだから、そりゃあインパクトがある。『テグザー』などの背景真っ黒と比べれば衝撃的だ。

問題はこれに後の88のスクロールゲームでは常識になるALUを使ってたキャラ合成が行われていたのか?
現時点では「?」でわかっていないが、そして多分使っていたのではないかと思うのだけど、ただ使っていたとしても限定的なものだったのは確かだ。
というのも『リグラス』は88MkⅡ、つまりALUのないハードでも動作するゲームなので、ALUに頼った作りになっているとは思えない。
また使っていたとしても『リグラス』のスクロールはプレーン数に重大な制限があり、加えて書くと『リグラス』は、キャラクタとキャラクタが重なったときの重ね合わせ処理が入っておらず、後の橋本スクロールと比較すると、まだ発展途上のものであるのは間違いない。

具体的な表現をするなら上のように『リグラス』ではNPCとBGの重ね合わせ、PCとBGは行われるがBGと重なったNPCと重なったPCを合成する処理になっておらず、合成されたところが四角く消えてしまうのだ。
とは言っても、86年当時88でフル画面に近いサイズでカラーの背景でスクロール出来るようになったのは驚異的だったと考えていい。

と、これが1986年初頭の話になる。
あまりに長いので今回はここで終わり。
|| 23:42 | comments (2) | trackback (0) | ||

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コメント
1985/10発売のMZ-2500はハードウェアスクロール持ってたんですけど、その頃前線でゲーム作ってた人たちには相手にされないくらいマイナーだったってことですかね。
| 絵夢絶途 | EMAIL | URL | 19/01/14 16:45 | bbPNw/p. |
「敵の書き込み」はアルフォスは2プレーンです。
| Hiroaki GOTO as GORR | EMAIL | URL | 19/01/14 07:48 | LAANYURc |
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