CALENDAR
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<<  2024 - 03  >>

PROFILE
同人誌 電子書籍版
Re:ゼロから始める
ゲームシナリオ


ライトニング伝説


さよならハドソン


ドラクエとFFと
ToHeart


誰得ゲームライフ


ときめきメモリアル
の時代

イースI・II製作メモ

頒布ページ
LINKS
NEW ENTRIES
CATEGORIES
COMMENTS
    イースⅠ・Ⅱ通史(3):『リグラス』から『ロマンシア』
  • タムロ (02/03)
    イースⅠ・Ⅱ通史(1):PC88MkⅡSRの発売
  • tamuro (01/05)
  • おお! (01/03)
TRACBACKS
OTHERS
SEARCH BOX
POWERED BY
POWERED BY
ぶろぐん
DESIGN BY
ブログンサポート

ファミコン版FFⅡ、座談会で聞いた30年前のエピソード
ファミコン版FFⅡのアルテマはなぜ弱かったのか?…これ4年も前のブログ記事なんだけど、バズるとか、全く馬鹿らしいなあと思いつつ、4年前に書こうか迷って書かなかった、このマルカツの座談会であった『FFⅡ』のエピソードを残しておきたい。

どうして書こうか迷ったかというと、歪んだ読み方をすれば、Disっているようにも見える話だったからだけど、こんなこと覚えている人はもうほとんど残っていないだろうから、ここにこうして残しておくことにした。

さて。
『FFⅡ』のシナリオは、寺田憲史さんが関わっているのも有名なのだけど、その座談会で寺田さんのシナリオについて坂口さんがしゃべり始めた。

「寺田さんのシナリオ、かっこはいいんですけど、あの人、ゲームのことなんか、な~んにもわかっていませんからね」
と坂口さん、断言。
全員「エエエエッ!」
「シナリオあがってきて、みんなで『うわーかっこいいんだけどさあ、これどうするんだよ…』の嵐で「もう、全然ゲームにならないんですよ! 本当に困りましたよ!」

もちろん、僕ら(黒田さん、ポニーキャニオンのプロデューサーの方、そして僕)は大爆笑したわけだけど、今から考えれば、坂口さんが寺田さんのシナリオの何に困って、どのように解決したのかとても良くわかるので、少し書いておきたい。

実はFFⅡはゲームの歴史的にシナリオから見るとかなり重要なゲームなのだけど、その重要さのかなりの部分は、前述した「うわーゲームにならないよ、どうすんだよ」から来ていたのだ。

この「うわーゲームにならないよ」とはなんだったのか?
今ではわかるのだけど、端的に書けば「当時のゲームのルールから逸脱している」ということに尽きる。
では、何が当時のゲームのルールから逸脱していたのか?
大きく3つの要素があった。

1つ目が「必敗バトル」(イベント戦闘などとも表記される)があること。
2つがプレイヤーキャラクタがしゃべること。
3つ目がパーティに新しい人間が入ったり、勝手に抜けたり、それとも死んだりする」ってこと。

このそれぞれについて、なぜ当時大騒ぎになり、そしてそれがゲームの特に歴史的に見て大事だったのか、説明していきたい。

続きを読む▽
|| 20:58 | comments (10) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
PCエンジン版『R-TYPE』30周年記念
PCエンジン版の『R-TYPE』が30周年だとtwitterで知ったので、PCエンジン版の『R-TYPE』について自分が覚えていて、まあどこにも残っていないような話を少し残しておきたい。
あとPCエンジン版の『R-TYPE』については、今まで以下の記事で取り上げているので、興味がある方はまあドウゾ。

PCエンジン版R-TYPEのコト
続・PCエンジン版R-TYPEの話

というわけで、本文。

自分が30年ほど前の1988年の2月(と記憶している)に、デビュー作であり、ぼくのさいきょーRPGでもある『凄ノ王伝説』を作るために、ハドソン北海道に行ったとき、R-TYPEチームは『R-TYPEⅡ』(アーケードの5-8面)が完成したところで、みんな毎日ファミコンゲームとかして遊んでいた。
そして置かれていたデバッグ用マシンでは『R-TYPEⅡ』のアドバタイズデモが延々流れていた。

88年2月は『R-TYPE Ⅰ』もまだ発売されてなかったわけで、そこに『R-TYPE Ⅱ』があるんだから、やっぱ開発!って感じなんだけど、当時の自分はもうゲーム雑誌のライターをやっていて、発売前のゲームがあるのが当たり前の環境だったので、なんとも思っていなかった。



続きを読む▽
|| 18:57 | comments (2) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
続・PCエンジン版『ダーウィン4078』の数奇な運命
facebookでの展開からいろいろわかったPCエンジン版ダーウィン4078の話の続き。

「ショーでCDROM版として参考出品されていた」って話の続報…というか、自分の記憶は「ダーウィン4078のCDROM版がハドソンから参考出品されたことがある」で、そうしゃべったのが実はこの話のはじまりだった。
これがtwitterでちょっと情報が増えたので、続きとして書いておきたい。

続きを読む▽
|| 18:35 | comments (0) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
PCエンジン版『ダーウィン4078』の数奇な運命
facebookである方が質問を投げてきた。

MSX2にしか移植されていない不遇のDECOの名作シューティング『ダーウィン4078』。
たまたまググったら、こちらのサイト
「ハドソンによるPCエンジンへの移植版が制作されており、完成までこぎつけたものの諸事情でお蔵入りになってしまった。」
との気になる記述を見つけてしまったのですが、ホント!?
完成してたのに!? DECOが止めるの!? 『モンスター・レアー』も発売していたハドソンなのに?
ということでハドソンの裏話と言えば 岩崎 啓眞 (Hiromasa Iwasaki)さん、ご存じありませんか(笑)。

で、まず最初に自分の記憶を書いたのだけど、書いてからいろいろとワケがわからないところだらけなことに気が付いた。
で、不思議になって元ハドソンのみなさんに確認したところ、わかったことを以下に書いておきたい。

なお、今回の話は大枠は正しいと思われるが、まだわからないところがあるので、修正するところが出てくるかもしれない。

また、名前については書いていいかわからないところは、30年以上前の古い話なので出してもいいと思うのだけど、いろいろ驚くような話が出てきたので、ちょっと伏せさせていただく。

続きを読む▽
|| 13:45 | comments (0) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
大魔界村、移植エピソード(3)・クリア不可能になるオーム
突然思い出したので、メモとして残しておきたい、大魔界村移植時のエピソード、第三弾。

その1その2のリンク。

ある日、アーケード版のソースを読んでいたS君が言い出した。
「岩崎さん、知ってますか? オウム面、宝箱から剣が出ないんですよ!」
「あーもしかしてクリアできないからかな?」
「だと思いますね」
言われて思ったのがソレだった。
オウム面のラスボス、オウムはでっかい台みたいなものに埋まっている5つの心臓を上と横から攻撃して倒すって、当時、流行していた地形がボスになっているタイプだった。そして剣は魔法がその場の爆発で下に攻撃できないし、ものすごく射程が短いので、下突きでは一部の弱点に届かないんじゃないかと思った。
だからクリアできないんじゃないか? と思ったわけだ。

当時、地形そのものがボスになるR-TYPEの3面の巨大戦艦が強烈なインパクトをアーケードゲームに与えていて、こういった地形がボスになるスタイルが流行していた。

「ホントに出来ないかな?」
言いながら、S君はスーパーグラフィックス版でデバッグモードでサクサクと剣をつけ、オウムと戦ってみた。全く届かずクリア不可能なことが判明した。

ここまでなら「ああ」で終わりなのだけど、当時の大魔界村移植チームの本当にヤバい話はここから始まる。
S君はソースを読んで、オウム面の手前で強制的に剣を捨てさせるといった処理がないことを確認すると剣をオウム面に持ち込めないか?の確認を始めたのだ。
大魔界村をプレイした人ならわかるだろうが、剣でオウム面まで行くとか全く狂気の沙汰なのだけど(検索してみたところ、剣縛りがサジェストされるぐらい狂気の沙汰扱いされている)、何度も途中で事故で宝箱から別の武器をとってしまったりといった失敗を繰り返しながら、S君は延々とプレイして、ついにオウムにまで剣を持ち込んだ。

いい感じで進んでいるときに、間違って短剣を取ってしまい「うわーこんなクソ武器取っちゃった!」って叫んでいたS君を今でも覚えている(もちろん短剣はほぼ最強の武器で通常なら間違っても切り替えないw)。

そして、ついにオウムに剣を持ち込んだとき、本当に大喜びし、クリアできないのを確認すると、もちろんSG版の大魔界村でもそのままの仕様を残すことを決めたわけである。

ここらへんは当時のアーケードだなあと思う。S君のように本当に剣を持ち込んでしまう人間に対して、今なら剣を強制的にデフォルトの槍に持ち替えさせるぐらいの方法を取るところだろうと思う。


と、こんなエピソードを僕の横で繰り広げながら、大魔界村は作られていたわけである。

ところでこの二人のエピソードを1988-90年前半、ハドソンの風景(2)にもちょっと書いてあるのだけど、同じ内容を少し状況を追加した上で残しておきたい。

1990年の頭に、僕は海外版イース1・2を作るために北海道に戻ってきたのだけど、このとき、大魔界村のチームはまだ移植を続けていた。
でも、年末なので一度熊本に戻っていて、それからまた北海道にやってきていたわけだ。
以下は、彼らが一度アルファに帰ったあと、僕に言った台詞。

「岩崎さん、みんなに遊んでもらったら、みんな、大魔界村やって難しい難しいっていうんですよ。こんなゲームのどこが難しいんですか、誰でも簡単にクリア出来ますよ!」

知っている人ならあり得ないと思うだろうが、本当にY君とS君は恐ろしいほどうまくて、タイムアタックをしたり、それともレバー右縛りプレイ(ボスと一部の面以外はレバーを右に入れっぱなしでプレイしる)なんかをしていた遊んでいたほどだった。
ついでに書くと、アートのメンバーもみんなめちゃくちゃにうまくなっていて、普通に2周クリアしていた。

またエピソードを思い出したら追加しておきたい。

|| 19:03 | comments (1) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加