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1988-90年前半、ハドソンの風景(2)
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

前回の続きで今回も88-89年に、自分がハドソンでデバッグしたり、バランス調整に関わったり、ちょっと制作を手伝ったりしたゲームについて書いていくけど、どうしてハドソンのゲームのデバッグ(と場合によっては企画内容)に関わっていたのかというと、当時はハドソンに勤めてる同然の状態で、技術部のメンバーと仲が良かったことが大きな理由だけど、加えて、企画と仲が良かったことも大きかった。ハドソンの企画の仕事は
・もちろんゲームデザイン(当時は企画と呼ばれていた)
・外注の持ち込んだ企画をチェックして、営業会議などに出す仕事
・外注の作っているゲームのスケジュール&内容管理
だいたいこんな仕事をしていた。
2つめと3つめがミソで、結局、当時の企画は外注が作っているゲームが集まるところで、仲が良かった僕は、企画部に来るゲームを片っ端からプレイさせてもらっていたわけだ。

当たり前だが、僕はゲームをプレイするのが大好きだ。そしてゲームの会社といえどヒマさえあれば、新しいゲームがあるなら必ず遊びたがるほどのゲーム好きはそうそういない。だから、企画としては、何も言わなくても毎日のように一度ぐらいは来て、新しいROMが来たと言えば、絶対に遊ぶ人間はとても貴重だったのだろう。
また上と少し関わるが加えてゲームがうまかったのも大きな理由だろう。
ずっとゲーマーだったのに加え、Beep! でライター業をやっていたのもあって、ゲーマーとしての腕がピークの時代で、アクションとシューティングはアーケードで一周出来るのが当たり前の感覚だった。
そしてデバッグするときには下手なヤツも必要だが、うまいヤツも必要で、そしてうまいヤツは初期から必要なことが多く、アクションとシューティングは多分当時のハドソンの技術部の中では上から数えて3本の指に入ったのはほぼ間違いないし、シューティングに至っては僕より上手かったヤツは1人だけだったと思う。
(このやたらめったらうまかったのがサウンドにいた岩淵というやつ。こいつは完全に僕よりうまかった。ブッチーと呼ばれていた)
そして最後に「このゲームはこうした方がいい」とクリアするなり、なんなり、ともかくシビアにプレイしてしてレポートとして書けたことだろう。これまたライター業のおかげだ。実際はレポートとして書いたことはあまりなくて、たいていは担当者に口頭でプレイを見せながら伝えたが、それをやれる人間はそうそういなかったということだろう。


と、こんな理由で、88-89年にハドソン社内で制作された作品と社外で制作され、北海道でデバッグが行われた作品をの大半を遊び、デバッグ、さらに場合によってはゲーム内容について提案したりしたのが前回の最後に書いたリストだったわけだ。
前回を見るのが面倒な人のためにリストを圧縮して再掲。

■1988年
魔神英雄伝ワタル、エイリアンクラッシュ(ナグザット)、魔境伝説(ビクター音楽産業)、定吉七番 秀吉の黄金、ファイティング・ストリート、No・Ri・Ko、あっぱれゲートボール、ビックリマン大事界
■1989年
ネクタリス、ダンジョンエクスプローラー、コブラ 黒竜王の伝説、パワーゴルフ、天外魔境 ZIRIA、ガンヘッド、ブレイクイン(ナグザット)、ワンダーボーイIII モンスター・レアー、スーパー桃太郎電鉄、鏡の国のレジェンド(ビクター音楽産業)、ドラえもん 迷宮大作戦、ニュートピア、ぎゅわんぶらあ自己中心派 激闘36雀士、バトルエース、PC原人
■1990年
うる星やつら Stay with you、大魔界村(NECアベニュー)、スーパースターソルジャー

さて、リストの中で、ハドソンのタイトルになっていないものが
エイリアンクラッシュ(ナグザット)
魔境伝説(ビクター音楽産業)
ブレイクイン(ナグザット)
鏡の国のレジェンド(ビクター音楽産業)
大魔界村(NECアベニュー)

この5作品がある。この5作品のうち、2作品、「エイリアンクラッシュ」と「魔境伝説」はハドソンでデバッグしていたけれど、チームは北海道に来なかった作品。

エイリアンクラッシュ
知らない外注が作り、ハドソンでバランス取りとデバッグをし、ナグザットが売ったデジタルピンボール。えらい売れて、このあとデビルクラッシュって作品も作られた(出来はデビルクラッシュの方がいいと思う)。
バランス取りには全く参加していないけれど、デバッグは延々やった。結構、本物のピンボールをプレイするので、テレビゲームピンボールのボールの挙動が余り好きではないので(今でも好きではない)、ぶつくさ言いながらデバッグをしていた。
ちなみにピンボールとかカーレースのようなゲームはバグが全部なくなったという保証がないので、ともかく延々デバッグするしかない、きついタイプのゲームだ。
PS2とPSPの海外で発売されたカーレースに2007-8年に参加したのだがデバッグで20年ぶりにそれを思い知らされた。

そういや、往年のピンボールファンなら涙を流すスーパーゲーム。
Pinball Hall of Fame The Williams Collection (PS3 輸入版 北米版)日本語版PS3動作可
Pinball Hall of Fame The Williams Collection (PS3 輸入版 北米版)日本語版PS3動作可

昔、ピンボールをやりまくっていた人限定で超お勧め。
日本に移植される可能性はほぼゼロだと思うので輸入盤を買うしかないと思う。少なくとも PinBot とか FirePower とか black knight なんて単語にワクワク出来る人にはお勧めできる。そして今書いたタイトルが分からない人は、全く意味がない作品なので気にしないように(笑)

魔境伝説
知らない外注が作り、ハドソンでバランス取り&デバッグを行って、ビクター音産から発売された作品。
音楽がよくてテンポがよくて、ものすごく好きなアクションゲームだったけど、最初のうちは難易度がメチャクチャで結構文句を言ってた。
いきなりクモが糸ばらまきまくってくるとか、ボスのクマを35発ぶん殴っても死なないとか、ザコの癖に10発殴っても死ななかったりとか、全体に馬鹿らしいほど硬い敵が多くて大変だった。
デバッグの最後の方は完璧に覚えていて、楽勝で何周でも出来た(笑)

残りの3作品はハドソンに長期滞在した外注が作った作品。

ブレイクイン
ブレイクインは、ハドソンで作っていたチームの作品が最終的にナグザットに売られた。とは言っても、作っていたメンバーでプログラムを書いていたのは外注でグラフィックをハドソンのメンバーが書いていたパターン(サウンドを誰がやったのか知らないが、多分ハドソンのメンバーではないかと思う)。
これ、デバッグしてたんだけど、僕がさっぱり見ないうちに完成して終わっていた。外注のプログラマもものすごく静かなヤツで、いつの間にかいなくなっていたような不思議な外注だった。

鏡の国のレジェンド(ビクター音楽産業)
今をときめく(笑)酒井法子のアイドル時代の作品。アドベンチャゲーム。
これは制作していた会社はともかく、実は作った人間が知り合いのゲームだ。
最初に努めて辞めた会社が僕が辞めたあと、1年ほどで3つに分裂し、そのうちの一つがゲーム会社になりハドソンと契約をして作ったゲーム。
そして、これを作ったプログラマは、このあと結局、会社を辞めてハドソンに就職したはず。そのあとどうなったのかは知らない。

大魔界村(NECアベニュー)
「も」さんに驚かれた大魔界村。移植ハードウェアはスーパーグラフィックス。
もっと驚く話を書く。
移植したのはアルファシステムで、移植したメンバーはプログラマ二人。どっちもハドソン北海道に来て仕事していた。サウンドとグラフィックはハドソン。二人とも88年~89年初頭のずっと北海道にいた組とは違ったので、89年の冬に雪がドサドサ降るのを見て完動していたのをよく覚えている。
ものすごい凝った移植でバグで間違ったデータをアクセスしても、それが暴走しないなら該当箇所に68Kと同じコードを埋め込んで同じ動きをするなんてことまでしているパーフェクトぶり。
二人とも移植のためにめちゃくちゃ大魔界村をやっていたせいで、まるで難易度が分からなくなっているのが面白かった。
以下は、彼らが一度アルファに帰ったあと、僕に言った台詞。

「岩崎さん、みんなに遊んでもらったら、みんな、大魔界村やって難しい難しいっていうんですよ。こんなゲームのどこが難しいんですか、誰でも簡単にクリア出来ますよ!」

知っている人ならあり得ないと思うだろうが、本当に彼らは恐ろしいほどうまくて、大魔界村でタイムアタックをして遊んでいたほどだった。

…と書いたところで、いい加減長くなったので、また続く。
|| 21:17 | comments (6) | trackback (0) | ||

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コメント
なるほど、解りました。ありがとうございます。

余談ですが、本文の「スーパーグラフィックス」の名前を見て、スパグラ発表当時の衝撃(的なデザイン(笑))を思い出しました。白エンジンとCD-ROM2ユーザの私としては先々不安だったのを憶えています。PCエンジンのファンとしてはスパグラにも奮闘してもらいたかったという想いもあります。

今後もブログの更新を楽しみにしております。
| はちすけ | EMAIL | URL | 10/05/03 18:03 | 4blsl4uc |
移動を同じにするのはバグがなくて、画面の解像度が同じなら簡単ですよ。ソースを読んで、ソースに書いてある通りに作ればいいのです。
大魔界村で難易度が高かったのは、オリジナルにあったバグがゲームの攻略に関係したためにバグも再現しなければならなかったことです(実はR-TYPEでも和泉さんが同じようなことをしています)。

イースの場合、ボスを除けばザコはアルゴリズムが6種類ぐらいしかないので、移動の移植は簡単でしたが、PCエンジンでは1ドット単位でキャラクタが動き、パソコンでは8ドット単位でキャラクタが動くので、当たり判定の処理を似た感じにするのには結構苦労しています。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 10/05/03 12:17 | kdP8zjdQ |
はじめまして。いつも楽しく拝読しています。

大魔界村の移植で、「暴走しないなら該当箇所に68Kと同じコードを埋め込んで同じ動きをするなんてことまでしている」ということは、ゲームの移植において動き(キャラなどの動き?)を忠実に再現するというのは、やはり難しいものなんですね。
イースのPCエンジンへの移植においても、動きなどの再現で上記のような手法などが用いられたのでしょうか?
| はちすけ | EMAIL | URL | 10/05/03 05:31 | RmmRoep6 |
>も さん
|イースについて書き終わったあとで、気が向きましたら天外2やリンダなどについての思い出もお願いします。

また考えておきます~

>あ さん
高橋名人はゲームうまかったですよ。

まず縦シューに関しては普通の人よりは圧倒的にうまかったです。当時のアーケードの現役ゲーマークラスの実力はありました。
それから他のゲームも普通の人よりはうまかったですね。

あとハドソンから発売されるゲームは、普通の人より圧倒的にうまかったと思っていいです。当たり前ですが、名人、やっぱり仕事でいろいろなところでいろいろなゲームを見せないといけませんから、当時発売されていたハドソンのゲームはデバッグも兼ねて一通り、カッチリ・しっかりプレイしていましたから。
ただしファイティングストリート(ストリートファイターの移植版)だけは性に合わなかったのか、あまり得意じゃなかったらしいです(これ伝聞)。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 10/05/02 14:44 | kdP8zjdQ |
高橋名人ってどれくらい上手かったんですか?
| あ | EMAIL | URL | 10/05/02 12:52 | Ms7J2QpE |
自分だけに向けられたものではないとは分かっていますが、詳しい解説ありがとうございました。

イースについて書き終わったあとで、気が向きましたら天外2やリンダなどについての思い出もお願いします。
| も | EMAIL | URL | 10/05/02 01:45 | arlvUf2E |
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