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初期開発史についての追加イロイロ
コメントやらなにやらに、出来るだけお答えしておきます+書き忘れをさらに追加。

イースI・IIですごいなと思ったのは、Iの廃坑のボス・ヴァジュリオンの奥の部屋が、IIの最後の最後で登場することですね。
確かにPC-88のIの時点で台座はありましたけど、あれで気付けた人はいないんじゃないかなあー?
PCエンジン版のあれは山根さんがこだわりで入れた部分なんでしょうか?

Ⅰ・Ⅱは端的に書けば、当時のファルコムの人間が考えていた1と2のストーリーを出来るだけわかりやすく、誤解なく、ゴージャスに伝えるのが目的です。
そして全体の設定を聞いて「そんなのわかるわけないだろう」というわけで、わかるようにするのは絶対の前提でした。
で、あれを入れようというのは一致していたのですが、あとはスケジュールの問題でした。
具体的なあたりは 電子書籍版の同人誌では書いていたのですが、こんな感じでした。




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|| 23:12 | comments (2) | trackback (0) | ||

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イース初期開発史の書き忘れ
小峯君と山根はどこに接点があったのか?

『イースⅠ・Ⅱ』をスタートするとき、山根は小峯君に紹介されたわけだが、実はここにナゾが一つあった。
なんせ山根はファルコムの社員としていて、小峯君は僕と知り合いだった時代は、アーケードメーカーの今でいうプランナーで、そのあとマル勝のライターだ。

どこに山根と小峯君の接点があったのか、さっぱりわからなかったのだ。

それで、前の飲み会で聞いたところ、山根も良く覚えていなかったのだけど、当時流行していた、パソコン通信経由でコンプティークが主催していたコンプネットか、それともアスキーが主催していたアスキーネットのどちらかで知り合ったはずだということだった。
今でいうなら、ツイッターかfacebookで知り合ったようなものだと考えると、そう遠くはない感覚だと思う。

ところでコメントで聞かれたことに、もうちょっと詳しく書いておく。
まず30年も昔の話であり、さらに僕が書いた文章は、今より前に書かれた文章なので、僕の記憶が書き間違いで、アーカイブスの方が正しい可能性があるのは事実だと書いたうえで、この話は僕は意図的に脚色して書いていると思う。

というのもだ。

1)山根に小峯君が電話をしたら、山根が現れたのは間違いない。
2)そして、山根は徒歩でやってきた。

ここまでは間違いない(実際にアーカイブスにある文章でも、小峯君と僕が一緒にいたという話はともかく、同じ流れになっている)。
ところが、当時、山根が住んでいたのは荻窪で、高円寺ではない。
つまり、そもそもアーカイブスの記述は場所が変えてある。
だから、少なくとも最低その点では脚色しているのは確かというわけだ。


|| 21:10 | comments (0) | trackback (0) | ||

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PC88版イースの初期開発史:アステカ2からイースに至るまで
某所で飲み会があった。

これがまあ山根に招待された飲み会だったのだけど、ヤツ曰く「岩崎さんのブログの俺についての行状はデタラメで、ホラだらけであり、俺が真っ当な社会人だったことを証明する飲み会」というのだから笑わせる。
これが証明できたかどうかは、飲み会に参加したメンバーの感想でも聞いて欲しいのだけど、ここに元ファルコムのメンバーがいて、さらに山根もいて、イースの初期開発史を聞くチャンスだ! と思って、イロイロと聞いてみたのが、この記事だ。

まず、なぜ山根は木屋さんと仕事をしていたのに橋本さんとのコンビに変わったのか?
なぜか?
『イース』を作る前に、橋本君は『アステカ2』を作っているのだけど、この時、山根は『ロマンシア』をやっているというのが歴史で、接点がわからなかったのだ。
で、これを聞いたところ、そもそもは山根が『アステカ2』の仕事をするはずで、実際に作業をしていた。
ところが、途中でいろいろあって、山根は『ロマンシア』をやることになった。そこで『アステカ2』を終わらせてくれたのが大浦君で、山根は大いに大浦君には感謝しているとのことだった。
そして『ロマンシア』も終わって、やることがなくなっていた山根はまた橋本君のところに戻っていた。
山根曰く「俺達はぐれものでしたから」
そして『アステカ2』が終わった直後、山根が橋本さんのところに戻ったぐらいの時、橋本さんが88用のフルカラーの全画面スクロールを作れると豪語して、実際に作り出し、確かに動かすところまでいった。

これについて説明しておくと、当時はスクロールすること自体が難事業で、色数を減らして(8色>4色とか)、プログラムの負荷を下げてスクロールを軽くするのが常識的だった。だから枠をつけていても、かなりの領域を自由スクロール出来るというだけで『イース』はかなりスゴかったのだ。

このスクロールルーチンを使ってゲームを作ろうという話になった。
つまり『イース』になるゲームは、最初は単なるスクロールルーチンから始まったわけだ。


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|| 21:11 | comments (6) | trackback (0) | ||

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山根はどうしてイースⅡのオープニングをアニメにしたのか?
この前、山下章さん主催の楽しい飲み会があって、そこで山根と会ったのだけど、その時、ずっと聞きたかったことを聞けたので、メモとして残しておきたい。

聞きたかったことは簡単だ。
山根はPC88版の『イースⅡ』のオープニングアニメを作って、間違いなく日本のゲームの歴史を変えた男なのだけど「なぜアニメのオープニングを作ろうと思ったのか?」を聞きたかったのだ。
と書いても、なぜこれが疑問になるのかが、今の人にはわからないと思うので、簡単に説明をしておきたい。

80年代後半のPCの世界では、そろそろフロッピーディスクでゲームが供給されるのが当たり前になり、640x200の解像度でタイリングで、それなりにちゃんとした絵が表示できるようになり、頑張れば目パチ口パクで「アニメだ!」とウリに出来るようになっていた。
でも一枚絵がゲームの主役の一端を担うアドベンチャならともかくRPGにオープニングがつくなんて発想はまるでなかった。
そこに、とんでもない衝撃的なアニメーションのオープニングをつけて登場したのがPC88版『イースⅡ』で、それをつけたのが山根だ。
これによってゲームにアニメのオープニングがつくのが当たり前(ついていないとカッコワルイ)の時代がやってきて、このオープニングにアニメがついている構造は、以後連綿と、今でもフォーマットの一つとして残っているほど、大きな影響を与えている。
だから「なぜ付けたようと思ったのか?」は、とても大事な問いだったわけだ。

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|| 19:13 | comments (6) | trackback (0) | ||

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CDのアクセスタイムを演出に使ったコト
うーぱーぐらふぃっくすって同人ハードのデモに『イースⅠ・Ⅱ』が使われていた。
たまたまRTで流れてきて、それを見てエミュレータでプレイされると実機とタイミングが違い、結果として演出が壊れていて
( ゚∀゚)・∵. グハッ!!
となったので、チョロっと書いておきたい。

さて、話は(信じられないことに)28年前に北海道ハドソンで『イースⅠ・Ⅱ』を作っていたときになる。
『イースⅠ・Ⅱ』 のビジュアル、今でいうムービーのようなものはだいたいゲームの中で出てくる順に作っていた。

・タイトルパート(3-6月頃)
・オープニング(6-8月ごろ)
・インターミッション(7-9月頃・これは1と2の間に入るデモ。パソコンのイース2のオープニング)
・エンディング(9-10月頃)
・スタッフロール(10月頭)

と、まあこんな順だ。
全部最後でコマゴマと修正したりいじったりはしていたけれど、基本的な作業はこんな感じだった。

ところで当時はサンプリングされた圧縮音源を鳴らしながら、データを読み込む、今でいうストリーミングのようなものはカケラもない
だからCDDA(CD Digital Audioの略。いわゆるCD音源)を鳴らしてアニメやったりゲームやったりするのはメモリの端から端までデータを乗っけて、音に合わせてプログラムされた紙芝居をやったり、それともゲームを遊んでもらう息止め競争のようなもので、どう考えてもマトモとは思えない作り方だった。
だけど、CDROMの絶対的な強みはCDDAと掃いて捨てるほどある容量で、弱点はクソ遅いアクセスだ。
そしてアクセスは出来るだけない方がいいのだから、この作り方は絶対に間違ってないと思っていた。

まあ、そんな方針を立てて作っていたタイトルパートは、64KB(メインメモリ)+64KB(ADPCM)のメモリに全データを目いっぱいに載せてヒイヒイ言いながら作っていたのだけど、これが6月末ぐらいに出来(6/28版ではほぼ出来ている)、まあいろいろ工夫するとなんとかなった。
そして、次にオープニングを作り始めたとき、結構メモリきついと(いやずっとキツいと思ってたけど)思い、キレいだったはずのメインコードを縮めまくって、ヒイヒイ言いっていた。
最後にはあまりにメモリがなくて、ほとんど一個一個のアニメーションに専用のコードになっていったので、なんのために最初キレイいなシステムを作ったんだよと思ってしまうが、それはともかく、オープニングですでに不吉な予感がしていたけど、インターミッションは最初の二つとはケタの違う難易度で「もうムリ!」な代物だった。

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|| 19:09 | comments (0) | trackback (0) | ||

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