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山根はどうしてイースⅡのオープニングをアニメにしたのか?
この前、山下章さん主催の楽しい飲み会があって、そこで山根と会ったのだけど、その時、ずっと聞きたかったことを聞けたので、メモとして残しておきたい。

聞きたかったことは簡単だ。
山根はPC88版の『イースⅡ』のオープニングアニメを作って、間違いなく日本のゲームの歴史を変えた男なのだけど「なぜアニメのオープニングを作ろうと思ったのか?」を聞きたかったのだ。
と書いても、なぜこれが疑問になるのかが、今の人にはわからないと思うので、簡単に説明をしておきたい。

80年代後半のPCの世界では、そろそろフロッピーディスクでゲームが供給されるのが当たり前になり、640x200の解像度でタイリングで、それなりにちゃんとした絵が表示できるようになり、頑張れば目パチ口パクで「アニメだ!」とウリに出来るようになっていた。
でも一枚絵がゲームの主役の一端を担うアドベンチャならともかくRPGにオープニングがつくなんて発想はまるでなかった。
そこに、とんでもない衝撃的なアニメーションのオープニングをつけて登場したのがPC88版『イースⅡ』で、それをつけたのが山根だ。
これによってゲームにアニメのオープニングがつくのが当たり前(ついていないとカッコワルイ)の時代がやってきて、このオープニングにアニメがついている構造は、以後連綿と、今でもフォーマットの一つとして残っているほど、大きな影響を与えている。
だから「なぜ付けたようと思ったのか?」は、とても大事な問いだったわけだ。

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|| 19:13 | comments (6) | trackback (0) | ||

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CDのアクセスタイムを演出に使ったコト
うーぱーぐらふぃっくすって同人ハードのデモに『イースⅠ・Ⅱ』が使われていた。
たまたまRTで流れてきて、それを見てエミュレータでプレイされると実機とタイミングが違い、結果として演出が壊れていて
( ゚∀゚)・∵. グハッ!!
となったので、チョロっと書いておきたい。

さて、話は(信じられないことに)28年前に北海道ハドソンで『イースⅠ・Ⅱ』を作っていたときになる。
『イースⅠ・Ⅱ』 のビジュアル、今でいうムービーのようなものはだいたいゲームの中で出てくる順に作っていた。

・タイトルパート(3-6月頃)
・オープニング(6-8月ごろ)
・インターミッション(7-9月頃・これは1と2の間に入るデモ。パソコンのイース2のオープニング)
・エンディング(9-10月頃)
・スタッフロール(10月頭)

と、まあこんな順だ。
全部最後でコマゴマと修正したりいじったりはしていたけれど、基本的な作業はこんな感じだった。

ところで当時はサンプリングされた圧縮音源を鳴らしながら、データを読み込む、今でいうストリーミングのようなものはカケラもない
だからCDDA(CD Digital Audioの略。いわゆるCD音源)を鳴らしてアニメやったりゲームやったりするのはメモリの端から端までデータを乗っけて、音に合わせてプログラムされた紙芝居をやったり、それともゲームを遊んでもらう息止め競争のようなもので、どう考えてもマトモとは思えない作り方だった。
だけど、CDROMの絶対的な強みはCDDAと掃いて捨てるほどある容量で、弱点はクソ遅いアクセスだ。
そしてアクセスは出来るだけない方がいいのだから、この作り方は絶対に間違ってないと思っていた。

まあ、そんな方針を立てて作っていたタイトルパートは、64KB(メインメモリ)+64KB(ADPCM)のメモリに全データを目いっぱいに載せてヒイヒイ言いながら作っていたのだけど、これが6月末ぐらいに出来(6/28版ではほぼ出来ている)、まあいろいろ工夫するとなんとかなった。
そして、次にオープニングを作り始めたとき、結構メモリきついと(いやずっとキツいと思ってたけど)思い、キレいだったはずのメインコードを縮めまくって、ヒイヒイ言いっていた。
最後にはあまりにメモリがなくて、ほとんど一個一個のアニメーションに専用のコードになっていったので、なんのために最初キレイいなシステムを作ったんだよと思ってしまうが、それはともかく、オープニングですでに不吉な予感がしていたけど、インターミッションは最初の二つとはケタの違う難易度で「もうムリ!」な代物だった。

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|| 19:09 | comments (2) | trackback (0) | ||

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把握している限りのパソコン版イースの初期開発史
通販している同人誌の内容にコメントをもらったので、ちょっとそれについて知る限りのことを整理して書いておきたい。

ところで、イース2のダーム戦の舞台の形状は、ダームの塔最上階(ダルク戦の舞台の外側部分)の形状と良く似ていて、真ん中に穴があったり、画面下方に紋章があったりします。このためパソコン版をプレイしたときは、イース中枢からダームの塔最上階へワープして最終決戦という演出なのかと思っていました。
PCE版ではイース中枢から橋でつながっていたので、そういう意図はなさそうですが、もし当時この点も検討されていたようでしたら、ぜひ今後の更新の折に触れていただけると嬉しいです。


僕が聞いている限りでは、この発想はなかったと思います。ファクトはダームの塔の最上階にいて、あのバトルフィールドは最上階以外の何物でもないです。少なくとも山根がそう考えてないと、『Ⅰ・Ⅱ』のインターミッションで、屋上からぶっ飛ぶアニメーションは出てきません。

また、自分が覚えている(同人誌にも書いた)イースの開発の歴史に、のちに分かった若干の付け加えをして書いておきます。

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|| 21:42 | comments (2) | trackback (0) | ||

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ゲーム開発しくじり先生 in イースⅠ・Ⅱ
ゲーム開発しくじり先生ってまとめを読んで大笑いしつつもあるあるすぎて苦笑いしたりイロイロだったんだけど、それで思い出したこと。
書き忘れていたことなので、忘れないうちにメモっておく。

『イースⅠ・Ⅱ』の『Ⅰ』のボスで、ダームの塔に『コンスクラード』(スタッフの間での通称は「岩」だった)という大変に影が薄いボスがいる。
実際、パソコン版をプレイした人間にボスの話をさせると 「最初のボス」 、「ムカデ」、 「コウモリ」、「カマキリ」、「顔」、は出てくるが「岩」はたいてい出てこない。それどころか「岩」を忘れて「ダルク・ファクト」を入れてボスは6体だとか言っちゃう人もいるぐらいだ。
ビックリ難易度のカマキリと顔の間に挟まれて、直後が鏡の間で迷うし、攻略がスゴく簡単で、たいてい初めての攻略、運が悪くても2回目ぐらいで攻略できてしまうので印象が薄いのも仕方ないかな…と思えるボスなのだけど、実はPCエンジン版の『イースⅠ・Ⅱ』では、こいつで思い切りしくじっていたのである。

何がしくじり先生だったのか?

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|| 20:22 | comments (0) | trackback (0) | ||

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イースの裏設定ってブログ記事に驚いた
この記事のシリーズでは、オリジナルスタッフがPC-88版を作った時のイースの設定について、オリジナルでは「誰が何を作ったらしい」というところまで含めて、自分が覚えていたり、あとで判明したりしたことを、できるだけ残すつもりで書き留めてきた。

オリジナルスタッフのイースの設定(ゲーム以前)
オリジナルスタッフのイースの設定(アドルがつくまで)
1989年9月 - どっちがヒロインなのよ?
リリアは誰が創りだしたのか?

だいたい上が、そのオリジナル&オリジナルスタッフに関係する記事なのだけど、ここらへんを書いていたおかげで、五十嵐哲也君がPC版のイース1のマニュアルの小説を書いて、アドル・クリスティンの名付けの親だったなんて驚くコトも知れたのだけど、まるで違うことで調べ物をしていたとき見つけてビックリしたのが…

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|| 22:29 | comments (0) | trackback (0) | ||

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