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マントー2と足下兄弟の覚え書き
twitterで書いたことをもう少しまとめてメモ書きして残しておこうと思った。

天外Ⅱには、天外1からのゲスト的な扱いでマントーってサルが出てくる。
これはとんでもないバカって設定なんだけど、多分一番最初の天外1の広井さんの設定ではなくて、あとで桝田さんが作り直したときに作った設定だと思う。

マントーがどうして天外1から引き続き登場したのかというと、桝田さんが「世界の繋がりを見せるために1のなんかを出したい」っていったから。
これが広井さんのオーダーだったのか、それとも桝田さんからのオーダーだったのかは知らないけれど「大門教13人衆はマントー以外は全部死んでるんだから、マントーしかないっしょ。それに僕、マントー好きだし、それでいいんじゃね?」といったのはよく覚えている。

※ 追記。これは記憶がいい加減かも。「マントーがバカで面白くて扱いやすい」って理由だったかもしれない。さすがに25年以上の月日は長いw

あと足下兄弟が出てくるんだけど、これは僕が出してほしいと要望したのは間違いない。
足下兄弟こそ、桝田RPGシナリオの核の一つ、すなわち「ユーザーが我慢できるギリギリのイジワルをする」って原則の精髄みたいなキャラだから、ぜひ研究するべき。1でよくこんだけギリギリのイジワルするもんだと感心してたら、2ではアレだもんなあ。呆れちゃうよ。


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イースからエメドラまで使ったmakeの話(2)
前の記事リンク。
その1

前の記事の反応を見て、当時のmakeは「UNIXのSVR4またはBSDに載っていたmakeを、当時の環境ではフルセットでは実装できず見よう見まねで、サブセットとして実装されていた、俺が村makeだった」ということが理解されていないことがわかったので、今回はそのあたりから話を始めたい。

どうしてサブセットだったのか?
第一にマシン性能が全然足りなかったからだ。

当時のUNIXが走るマシンは実際に使うときのプロセスの制限はともかくとして、CPUが32ビットになり、仮想記憶を持って、メモリ保護があり、プログラムで使える空間が普通に1メガバイトぐらいはあるのが普通になりつつあった。
そして、そういったUNIXマシンで動いているツールをわれらがヘッポコMS-DOSで動かすのは至難の業だった。


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イースからエメドラまで使ったmakeの話(1)
イースの制作日記で自分がやったことの中で経験値繋いで一本にしたとか、シナリオの修正をしたことは大事だけど、技術的なことは、過去の遺物の話なのでワリとどうでもいいと思っていたのだけど、去年の年末にあったイースの同窓会みたいな飲み会で進藤が「そんなこと知ってるのはHahi君と岩崎さんしかいないから、後世の人のために残しておけ」というので書いておくことにした。
ところで、これが天外2のセクションに入っているのには若干の理由がある。
このシステムは『イースⅠ・Ⅱ』を作っているときに、どえらい目にあって作り上げ、それをivに対応させて、なおかつイースの時よりも改善してシステマチックに完成させたのが『天外Ⅱ』だった。
特に『天外Ⅱ』では多人数で作るのが前提になっていたので、以下のようになっていた。

・1国1人のivプログラマ。
・一国単位で完全に独立して制作可能。インターフェースは全て構造化されている。
・基本の移動・戦闘システムなどは必要なファイルだけを回覧(フロッピーで回覧であるw)
・全体のファイルはテープで回覧し、ビルドは一日一度夜だけ行う。


フルビルドすると8時間かかるために、システムが完全に分離されていて、独立してビルド出来ることがとても大事でそこらへんの整合性まで取ったバージョンとして完成し、以後、PCエンジンで仕事をしている間ずっと使い、PS1でも実は使い、PS2時代になって初めてIDEに全部切り替えたりするぐらい長く付き合ったのが、このmakefileなので『天外Ⅱ』 のセクションに入っているわけである。
(なお天外2では、最終的には1国を1人のプログラマが担当+システム+バトル3人+ビジュアル+ivを使ったイベントみたいな感じの構成で、総計は20名を超える制作者を管理できるようにシステム化したけれど『イースⅠ・Ⅱ』の時ほどツラくはなかった)

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辻野さんの画集のこと
辻野さんの画集が発売されて、もちろん購入させていただいて読んで、懐かしく思うと同時に、書きたくなったことがあるので、メモ代わりに。

まず辻野さんはそもそもはテレコムってアニメーションの会社の出身で、そこはどんなアニメを作っていたのかと言えば、わかりやすいあたりを書くと『ルパン三世カリオストロの城』なんてあたり。ぶっちゃけた書き方をするなら、宮崎・高畑監督あたりの直系に近い弟子ってことになる。
それで『天外Ⅱ』を作っていた当時、テレコムでの教育みたいなものに興味津々で聞いたところ、辻野さんの答えがスゴかった。

「仕事がないときはさー上野の動物園とかいって、一日中、動物のデッサンとかさせられてさー動物の動画描かされてさースゴい勉強だったよ」

ビックリするような贅沢な勉強方法に感心してしまう。

で、テレコムのそういったスゴいアニメーションを作る方々の直系の弟子なうえに、辻野さん自身の実力がスゴいのもあって、もちろん絵もスゴイのだけど、本当にスゴいのは、僕はコンテだと思っている。

初めて見たのは、進藤に『天外1』のコンテを見せてもらったときで、あまりのうまさにビックリしたのを良く覚えている。

だから、辻野さんのコンテはもうほんと全部大好きなのだけど、中でも好きなのが、絹が激怒して吹雪御前を叩き殺すシーン、オープニングタイトル、4人それぞれのデモ、玉のアニメーション、初めて根の一族が登場するあたり。
だから、『天外Ⅱ』を作っているとき、毎日コンテを読みながらプログラムで動かしていくことに携われたのは、一番誇らしい事の一つだと思っていたりする。

なので、僕としては、辻野さんのコンテ集もぜひ出していただく思うのであります。

あと、みなさま、辻野さんの絵は素晴らしいので、ぜひ画集を買っていただきたく思う。



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天外ⅡのCDROMはなぜ60分だったのか?
Twitterでつぶやいた話をちょっとまとめて置いておく。
このカテゴリ、書いたの久しぶりだ。
『天外Ⅱ』の容量は60分で出来上がっているのだけど、どうして60分になったのかについては書いたことがなかったので、忘れないうちにメモしておく次第。

『イースⅠ・Ⅱ』を作ったころ、すなわち1989年ごろのCDROM黎明期には、容量は時間換算で60分までしか使ってはいけないことになっていた。

当時雑誌などで良く書かれていた540メガバイトの容量は60分換算。
CDは1秒に75セクターのデータがやってくる。1セクタは音楽CDでは2352バイト、CDROMでは2キロバイト(2048バイト)。
なのでCDROMでは2*75=150だから、1秒150キロバイト。
150*3600(3600秒=60秒*60分=1時間)=540000キロバイト。
1000キロバイト=1メガバイト。
540000/1000=540メガバイトというわけだ。

本来、RED BOOK、つまり音楽用のCDでは74分入るわけで、どうして14分も短かったのか?
当時はCDの生産技術そのものも黎明期だったので、60分を超えて、トラック間が縮まるとディスクの読み取り精度が保証できないなんて理由だったと聞いていた。要はエラーが怖いからフルに使えないって話だ。

実際に『イースⅠ・Ⅱ』を作る時、72分のディスクを作ってくれと言ったら、最初は65分以上の量産経験がほぼなくダメだと拒否されて、交渉した結果70分でまとまったという経緯があるし、そもそも僕のプロのキャリアのほとんど最初のCD-iでもシカゴやデモインズで常にリードエラーと読み取り精度は問題とされて議論の対象になっていたので、リードエラーを恐れたって話は間違いないと思う。

と、ここまでは話の枕。



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