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電ファミの記事のコト
チョコっとブログで書いておこうと思ったので。
電ファミニコゲーマーで連載をしている。
タイトルは『ゲームの話を言語化したい』

まあタイトルの中身通りの内容のテキスト。
「いわゆる暗黙知」形式知にするために

1)ゲームメカニクスの構造を定義
2)要素の一個一個に名前を付ける
3)全体のプロセスを解説

と、こうすれば誰でも同じように考えられますよって、ゲームの構造をともかく細かく言語化するってコトを延々書いてる。

よくこんなPVが取れそうにないメンドクサイ内容を編集部がOKしたと思うのだけど、それはさておき、どうして言語化するのかというと、暗黙知、すなわち明示的ではない知識を言語化することがゲームデザインというか、ゲームを作るうえで、ものすごく大事だと思っているからだ。

ところで、実はこの暗黙知って単語の使い方は正しくないのだけど、あえて一般的な意味での「暗黙知」、すなわち言語化されていない知識として扱っている。



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Roe R. Adams III がやったこと(5)
Roe Adamsがやったことの続き

その(1)
その(2)
その(3)
その(4)

上で全部読んでほしいのだけど、まあ自分の経験的にはこれをちゃんと読み直してくれる人は10%もいないので、ここでもう一度、ここまでの話を簡単にまとめておく。

Roe Adamsとは誰なのか?

"Ultima IV Quest for Avatar (1985)"で、コンピュータゲームのシナリオ構造を決定的な形でプレゼンテーションした人物だ。
"Ultima IV"があまりに決定的だったので、以降32年、若干の調整があったことを除けば、シナリオの書き方は変わったことがないと言っていいほど完璧に近い形で「ゲームのシナリオはこうあるべき」とプレゼンテーションされた、という意味で、余りにスゴい仕事をしたと言って間違いない。

実際、"Ultima IV"のシナリオはグラフィックとメカニクスを今風にアップデートして移植すれば、問題なく通じるのは間違いないレベルだ。ただあまりにシナリオのパーツがコピーされているため、今の人がプレイすると「何もかも、どこかで見たことがある」気がすると思う(もちろん話は逆だが)。

というわけで本題。
前回の話まで戻ると、"Ultima IV"以前の"Ultima"は世界を探索できるゲームなのに、世界を探索するゲームになっておらず、Roeがいかにして『世界をめぐる必然性』を作り出したのかを説明したが、今回はRoeが生み出したもう一つの決定的なアイディアについて説明したい。

これまた実質的に"Ultima IV"以前にはなく、そして"Ultima IV"があまりに衝撃的かつ高い完成度でプレゼンテーションしたため、以降、あまりに当たり前になってしまい、CRPGの常識になってしまっていて、全く誰も気にすらしていない、当たり前…どころか、そうなっていないことすら考えられないアイディアだ。

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|| 20:44 | comments (0) | trackback (0) | ||

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Roe R. Adams III がやったこと(4)
どえらく間が空いたのだけど、Roe Adamsがやったことの続き。

その(1)
その(2)
その(3)


上で全部読んでほしいのだけど、まあ自分の経験的にはこれをちゃんと読み直してくれる人は10%もいないので、ここでもう一度、ここまでの話を簡単にまとめておく。

Roe Adamsとは誰なのか?
"Ultima Ⅳ Quest for Avatar (1985)"で、コンピュータゲームのシナリオ構造を決定的な形でプレゼンテーションした人物だ。
"Ultima Ⅳ"があまりに決定的だったので、以降32年、若干の調整があったことを除けば、シナリオの書き方は変わったことがないと言っていいほど完璧に近い形で「ゲームのシナリオはこうあるべき」とプレゼンテーションされた、という意味で、余りにスゴい仕事をしたと言って間違いない。

実際"Ultima Ⅳ"のシナリオに関して言えば 今風にグラフィックをアップデートして移植すれば、問題なく通じるのは間違いないレベルだ。ただあまりにシナリオのパーツがコピーされているため、今の人たちがプレイすると「何もかも、どこかで見たことがある」気がすると思う(もちろん話は逆だが)。

というわけで、前回の話まで戻ると、"Ultima Ⅳ"以前のゲーム(特にCRPG)は「借り物競争のような雑なシナリオの体をなしていないシナリオやダンジョンがばらまかれているゲームでしかなかった(がそれでもとんでもなく面白かった)」と書いた。
そのためUltimaではせっかく世界を探索できるゲームであるにもかかわらず、実際には世界を探索するようなゲームにはさっぱりなっていなかった。

そこでローは世界を探索させるための仕掛けを考えた。それが以下。

1)聖者になるためには徳を積まなければならない。
2)徳は8つあり、それぞれに徳の積み方は違う。
3)世界にある8つの街の一つずつが、その徳を代表している。

世界にある街の1つずつが、その徳を代表していて、そこで徳のことがわかるというアイディアだった。
これは聖者になるために世界中を巡るって、動機と目的が一致するあまりに決定的なアイディアだった。

というところまで話を書いたわけなのだけど、これがどんだけスゴいアイディアだったのかというところから、今回の話は始まる。

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Roe Adamsがやったこと(3)
Roe Adamsがやったこと(1) / (2)

前回の最後で

最初に考えたことはなんだったのかというと、それは、どのようにして聖者になるのはではなく、どのようにして世界の隅々まで旅させるのか? だった。

と書いたが、なぜローはそんなことを考えたのか?

どうしてそうさせようと思ったのかを、直接ローに聞いたわけではないが、ローが何をやったのかやどのようなプレイや問題解決をする人間だったのかをよく知ってはいるので、理由はとてもよくわかる。

そもそも、Ultima1-3は、世界をウロウロ出来るゲームなのに、世界を探索させる/するゲームに全くなっていなかった
ファミコン~SFC時代のドラクエ・FFといったゲームをプレイしている人は「ゲームのマップは(海を除いて、また意図的にスペースを開けているところを除いて)だいたい隅々まで使われる」のは当たり前の感覚だと思うけれど、当時のultimaはぶっちゃけそんなことは全然なかった。
あちこちにあるダンジョンは極論するとたいてい無意味で入るだけムダ。街すらヘタするとアイテム補給と休憩以外の意味がほぼ無い(情報がないという意味)なんてこともあった。
つまりゲームを解く上で必要な場所はとても少なくて、探索損…とまでは言わないが、少なくとも目的があって探索することはあまりなかったと考えていい(2時間ぐらいダンジョン歩き回った挙句に何もないのでは探索損と言われてもしょうがないが)。
これはUltimaに限ったことではなくて、当時のゲームはたいていそんなもんで、3Dダンジョンゲームでもその傾向ははっきりあって比較的ストーリーがあるとされているウィザードリィでも、ブルーリボンを手に入れる4Fまではそれなりにパズルも探索もあるが、5-8Fなんてぶっちゃけなんの意味もない(まあマッピングするのは楽しいけれど)。

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|| 21:21 | comments (0) | trackback (0) | ||

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『ドラゴンクエスト』30周年、おめでとうございます
『ドラゴンクエスト』30周年、本当におめでとうございます。

30年前、ファミコンブームのド真ん中で『ドラゴンクエストI』(Iはついていなかったけれど、便宜上つけておく)は発売された。
このときには、まだRPGはとても新しいジャンルで、日本で「アメリカでRPGが流行っているらしい!(ADV+2年程度だった)」というのが81~82年ごろに雑誌(最初はログインだったと記憶している)に掲載されるようになり、84年に『ザ・ブラックオニキス』が発売され、RPGがパソコンでメインジャンルになったなんて時代に、そのパソコンと同じような複雑なゲームを発売したのだから、いくらファミコンブームでなおかつ当時人気絶頂の鳥山明さんがキャラデザしているからといって、そしてジャンプで宣伝できるといっても度胸があったと思う。

すぎやまこういちさんは有名ではあったけれど知る人知るってイメージだったし、堀井雄二さんと中村光一さんはPCマニアの間では知られていても、一般に知られている人ではなかったと思う。

その複雑さから、当時のゲーム雑誌では、面白いは面白いのだけどヒットするのだろうか? という懐疑的な見方がかなりあって、懇意にしていた編集のSさんが市ヶ谷にあった四谷にあった最初のマル勝ファミコンの編集部(市ヶ谷時代が長かったので、そっちと勘違いしてました…)で
「このドラゴンクエストってゲーム、岩崎くんが遊んでいるパソコンのRPGみたいなゲームで、本当に面白くてよく出来ているんだけどさ、こんな難しいゲームを、今のウチの読者の中心の小学生とか中学生が遊べるのか分からないんだよなあ。でもヒットしてほしいなあ」
と言っていたのを昨日のことのように思い出せる。僕は眺めてて、当時の雑誌の読者は小学校高学年~中学生だったのだから、そりゃ心配するのも無理はないと思った。

ちなみにSさんはテトリスもとんでもなく面白いよねって話をしていた、かなりゲームを見る目があった方で、なおかつもともとは小学館の編集さんで、小学X年生の編集部を歴任していた、子供向けの雑誌のノウハウをものすごく持っている方でした。

では結果はどうだったのかというと、確かに『ドラゴンクエストI』は、ヒットはしたのだけど爆発的か…といわれるとそうではなかった…と思う。少なくとも、僕は簡単に買えた。
やはり当時のファミコンの中では非常に複雑なゲームで、どうしてもとっつきが悪かったかなあとも思うし、だいたい86年の当時は任天堂自体がディスクシステムを推進していて『ゼルダの伝説』が登場して…という時代にROMカセットでディスクじゃなかった…なんてのも関係したのかなと思う。

これが大ヒットタイトルになったのはどこか?
間違いなく『ドラゴンクエストⅡ』。
僕は『Ⅰ』の時、どってことなく買えたので『Ⅱ』も全くそのつもりでいたら、一瞬で売り切れて、本当に東京中を探し回った。もちろん当時は携帯電話もインターネットもなく、ネットショッピングもなく、そもそもそんなに人が買うなんて情報もなかったので、売り切れるなんて想像もしていなかったのだ。
そして『Ⅱ』の大ヒットで、一気にファミコンにRPGブームがやってきて、シリーズの1つの頂点を迎える『Ⅲ』が88年に登場。
以降、ほぼ30年の間、一線級のシリーズとして君臨し続けているのだから、素晴らしいという以外なにもないと思う。
そして、様々な展開がなされているシリーズだけど、このまま40周年、50周年と名作シリーズとして続いていって欲しいと思う。

最後にもう一度、『ドラゴンクエスト』30周年、本当におめでとうございます。

|| 15:22 | comments (2) | trackback (0) | ||

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