書籍「ゲームの歴史」について(12/終)
このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による、先日絶版・返本になると発表があった『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。
(12)は3巻の第22-24章とあとがきを扱ったものになり、今回で最後になる。
いつもの2倍ぐらいの長さがあるので、覚悟して読んでいただきたい。
該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで本文と若干ずれたり、誤植がある場合があるかも知れないが、そこは指摘いただければ謹んで修正させていただく。
シリーズは以下のリンクを読んでいただきたい。
- 『ちょっとは正しいゲームの歴史』を国会図書館に納本しました
- ゲームレジェンド新刊『ちょっとは正しいゲームの歴史』できました
- 書籍「ゲームの歴史」について(12/終)
- 書籍「ゲームの歴史」について(11)
- 書籍「ゲームの歴史」について(10)
- 書籍「ゲームの歴史」について(9)
- 書籍「ゲームの歴史」について(8)
- 書籍「ゲームの歴史」について(7)
- 書籍「ゲームの歴史」について(6)
- サンクリの新刊
- 書籍「ゲームの歴史」について(5)
- 書籍「ゲームの歴史」について(4)
- 書籍「ゲームの歴史」について(3)
- 書籍「ゲームの歴史」について(2)
- 書籍「ゲームの歴史」について(1)
また、このテキストの引用元になった本は2023/2/6 に購入したkindle版である。
後、今回のポストは若干特殊で、ゲームキャストのトシ君が追加で情報をくれたので、共著の形になっている。
主に追加してくれたのは『ゲーム・オブ・ウォー』周辺とコンプガチャ規制に関係するあたりで、特にコンプガチャ規制の周辺は僕は日本にいなかったのもあり、とても助かった。
なお、文章内容のチェックと文体の統一は岩崎がやった。何か間違いがあったら、ひとえに僕の責任である。
第22章 スマホとガチャ
これだけ世の中に普及し、「ひとり1台」となった生活必需品としてのスマホでも、そもそも「スマホとは何か」ということーースマホの定義ーーを知らない人が多いのではないでしょうか。みなさんは、スマホとは何かをちゃんと説明できますか?
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p140) 講談社.Kindle版.
ガラケーとの本質的な違いとはなんでしようか?
それは、「ボタンがない」ことです。
スマートフォンの定義は難しいが、とりあえずこの定義は見たことのない定義だ。
というわけで、まず日本の総務省の定義をまず見てみよう。
スマートフォンとは、従来の携帯電話に比べてパソコンに近い性質を持った情報機器です。大きな画面でパソコン向けのWebサイトや動画を閲覧できたり、アプリケーションを追加することによって機能を自由に追加したりすることができます。また、タッチパネルを使い、画面の拡大やスクロールなど直感的な操作が可能です。
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/security/basic/service/14.html
最初の一文でわかるとおり「アプリが追加可能なPCに近い性質の電話」で、タッチパネルが使われることが多いということになる。
そして「ボタンがない」というのは、あくまでタッチパネルの機能だから、例えば2000年代初頭のスマートフォンの覇者だったブラックベリーはキーボードで操作する形式だし、Androidではずっと物理キーボード付きのスマートフォンが発売され続けている(最近では”Titan Slim”あたりだろうか)。
またその逆でいわゆるガラケーでタッチパネルのみのモデルも普通に存在する(そしてガラケーもスマートフォンの1ジャンルではないか? という議論もある)。
例えば1999年発売のパイオニアの液晶携帯なんて、形はともかく機能的にはスマホ同然だ。
というわけで、困ったことに筆者はスマホの定義をまるで間違っている。
そして間違ったまま、この章は先に進んでいく。
ゲーム開発者はみな、スマホ用のゲーム開発に舵を切るだろうし、今まで携帯型ゲーム機で発売されていたタイトルは、どんどんスマホに移植され、新作もスマホで出るだろう。かつて任天堂の牙城をプレイステーションが崩し、以降有力タイトルが次々とプレイステーションで発売されたようにーーそんなことをーーいう人が、当時はたくさんいたのです。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p142) 講談社.Kindle版.
ところが、そうはなりませんでした。
理由は、まさにインターフェースの問題でした。タッチパネルは物理ボタンに比べて、圧倒的に”操作性が悪かった″のです。
タッチパネルは「即応性」が低く、しかもゲームの「長時間プレイ」にも向いていませんでした。
基本的にはスマホはゲームボーイ以来の携帯用ゲームマシンを滅ぼしたといっていいだろう(少なくとも僕はそう思っている)。
滅びるまで10年ほどかかったことなり、それが早いか遅いかはともかく、少なくともゲームボーイ以来のコンソールゲームの専用携帯マシンが消滅したのは間違いないだろう。
なおSwitchは複合型で「持ち運ぶことも出来る」ゲームマシンだ(liteも含むと考えている)。また最近はSwitchにフォームファクターが近いゲーミングPCという存在もあるけれど、あくまでマニア向けのニッチなジャンルなのは間違いないだろう(追記。レトロゲームを遊べる液晶の携帯ゲームマシンや、さらにいろいろな携帯ゲームマシンはあるが、これらは例えば3DSと比較して「ニッチ」なのは言うまでもない。まあスマホと比較すればほとんどなんでもニッチだが…)。
また操作性の話は、次の引用部に繋がるのであえて置いてある。
なお、筆者のいう「当時」がいつなのかはよくわからないのだけど、2011年にゲームロフトに入った時には、ゲームロフトの上層部は携帯ゲームマシンも据え置きゲームマシンも全部スマホが滅ぼすと主張していた。残るのはPCゲームだけだというのが彼らの意見だったが現実はそうはならなかった。
これについては電撃クロニクル3に「どうしてうまくいかなかったのか?」について、結構長いテキストを書いたのだけど、収録すると大変なので雑に「コンソールがスマホの強みをコピーしたことで、スマホのゲームが持っていない特性をコンソールやPCの追い風に出来たと考えている」と簡単に書いておきたい。
このことの弊害(マイナス面)は、実際にスマホでアクションゲームや格闘ゲームやシューティングゲーム、あるいはレースゲームといった、素早い反応と繊細な操作を必要とするゲームをやったことがある方なら、お分かりでしょう。頻繁な移動や強弱をつけたジャンプ、格闘ゲームの複雑なコマンド人力、微妙なアクセルワークやブレーキ操作などは、スマホだととてもやりにくいのです。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p144) 講談社.Kindle版.
(中略)
結果、複雑で素早い人力を必要とするゲームは、スマホではほとんど普及しませんでした。その代わりに、操作をスマホ側が”助ける″という手法が編み出されました。繊細な操作をしなくとも、アクションゲームでは派手なアクションや必殺技が出せ、レースゲームではスムーズに運転ができるようになったのです。
(中略)
以上の理由から、家庭用ゲーム機や携帯型ゲーム機で大きなジャンルを担っていた反射神経系のゲームは、スマホには全く向いていないことが判明していきました。
まず最初の一文に関して書くと、確かに2011-2012年頃は筆者の書いていることは事実だったと思う(初期の『R-TYPE』の移植なんか僕もキレた)。
でもアクションゲームによく使われるバーチャルスティック(仮想スティック)の作りは、みるみるうちに改善されていき(有名な『白猫』のぷにコンも仮想スティックの1つだ)、技術的には2014-16年頃にはかなりちゃんとプレイできるものになっていて、今では普通にアクションゲームやシューティングゲームもプレイ可能なものになっていると書いていいだろう。
筆者は『PUBG』や『荒野行動』を見たことはないんですか? 最近は『Call of Duty』のスマホ版があるのを知らないんですか? と思わず聞きたくなってしまう。
次に、最初の1文は、あくまでコンソールゲームのコントローラと似た操作系を持つゲームの場合の話で、タッチパネルの方が有利なゲームも山のようにある。
例えば「答えを直接タッチするクイズゲーム」はタッチパネルの方が扱いやすいし、3マッチパズルの系列もマウスやコントローラよりプレイしやすいし、『パズドラ』や『ツムツム』はタッチパネルだからこそ成り立っているといって間違いではない(『パズドラ』はまだなんとかなるが、『ツムツム』はマウスでもコントローラでもやりづらいタイプのゲームだ)。
音ゲーも直接ノードをタッチできるという点で、かなり優れているし、日本ではあまり流行していないのだけど、海外ではメインジャンルの1つとしてずっとある、絵の中に隠されているアイテムを見つける”Hidden Object”系のゲームもタッチパネルが圧倒的に有利だし、カードゲームもそうだ。
要は「オブジェクトを直接タッチしたり、それとも、何かを移動させるようなタイプのゲーム」はタッチパネルの方が遥かに操作しやすいゲームになりやすいのだ(あと画面上の複数の物を操作するときもタッチパネルの方が有利)。
つまり第一の文は、あくまでコンソールでコントローラを使うゲームをスマートフォンに移植して、コントローラに似た操作を使う時の話でしかなく、しかも2016年頃には普通に操作できるようになっていた。
ところで引用部の最初の1文は2012年頃の話に限るという筆者に好意的な読み方をするとギリギリ成り立たないこともないのだけど、困ったことに筆者は時期を限定することなく、スマホゲームはこうなっていきましたと書いているうえに、最初の文で「やりにくいですよね」と書いていることから、今でもそうだという主張としか思えない文章になっている。
これがスマホゲームに向いていないゲームはこんな風になっていきました、スマホに合っている操作のゲームが考えられるようになりました、ならまだしも反射神経系が全く向いていないと書き、そしてその後どうなったと書かないのでは、間違っていると書かざるを得ない。
そして第一の文に問題があるので、第二の文も自動的に問題だらけなのだけど、まず『デレマス』や『プロセカ』などの音ゲーの入力は複雑だし素早いし、『荒野行動』はいうまでもなく複雑で素早い入力をするゲームだし、MOBA系のゲームも言うまでもなく複雑で素早い入力をするゲームだ。
また仮に2012年頃としても、『パズドラ』はものすごく速く正確に指を動かすことが要求されるし、音ゲーの『ラブライブ スクールアイドルフェスティバル』は2013年春に登場しているし、ランゲームの名作とされる『Jetpack Joyride』は2011年秋に登場している。
つまり当時としてもかなり怪しいし、今のゲームで見れば明らかにおかしいという話なのだけど、実はこの文章はそれだけはない問題を孕んでいる。
それはコンピュータが人間のアシストをするのはコンソールやPCでも当たり前だということだ。
まず今のカーレースでオートブレーキやコースガイドが出るのも普通だし、FPSやTPSで照準に補正があるのも当たり前。格闘ゲームやアクションゲームにオートガードがあったり、それともモノによってはオートエイムや、1ボタンでコンボが出せる設定があるのが普通なのは、ちょっとゲームをやる人なら誰でも知っているだろう。だいたい筆者の大好きな『マリオカート8DX』にだって、ハンドルアシストといってコースアウトしないように制御する仕掛けがついている(そして上級者はそれを必ずオフにする)。
でも、これは今に限った話ではない。
ゲームが人のアシストをする機能の原初がどこかは曖昧だが、意識的に導入された機能で自分が知る限りでは一番古いものは1988年のPCゲーム『イースⅡ』に遡る。そのアシストは「移動の時、角にぶつかった時、半キャラずれていたら引っかからないようにしてくれる」という単純極まりないものだったが、少なくともコンピュータが人の操作をアシストしてくれる機能なのは間違いない(作者がそれを明言している)。
こんな風に連綿と様々な形でゲームがプレイヤーをアシストしているのは、スマホだけでなくコンソールでも全く当たり前の話なのだけど、筆者はそれをスマホだけだと思っているので、全く困ってしまう。
そして最後に第三の文章は今までの話から、仮に2012年頃だけだと限ったとしても、間違っているのは明らかだ。
つまり、筆者はスマホのゲームの入力系に関して「ほぼ、最初から最後まで間違ったことを書いてしまっている」わけだ。
では、即応性が必要ないRPGはどうかというと、これもダメでした。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p146) 講談社.Kindle版.
なぜなら、スマホは「携帯のしやすさ」を重視した「薄く、凹凸のない」デザインのため、長時間手で握り続けるのには向いていないのです。
(中略)
ですから、いざゲームを始めたら2時間、3時間ぶっ通しで取り組むような(家庭用ゲーム機用に開発された)重厚なRPGは、スマホにそのまま移植しても快適なプレイはできません。
持ちづらいのは筆者の感想なので別にいいのだけど、スマホ用のゲームのデザインをするとき、1日にどれぐらいプレイしてもらうのを前提にするかは、ゲームデザインの上でとても大事な部分だ。
ではどれぐらいを設定するのか? ゲームジャンルによって違うというのは前提にしても、だいたい1日のプレイ時間に30~1時間以上を設定するのは当たり前だ。
ちなみに1日2時間以上プレイしても半年ぐらいはレベル上限に到達できないような設計にしても、2か月ぐらいでレベル上限に到達されて唖然とすることがあるのもよくある話だ(こういうが一部のプロの間では「廃人3倍の法則」なんて言われていたりする)。
つまり、筆者が書いている2時間・3時間ぶっ通しでプレイするなんてのは、実はスマホのゲームでも当たり前にあることだし、そういうプレイをされてもいいように作るものだ。
スマホになると、明らかに今でも有効なNDAがあるので具体的な例を挙げるのは許していただきたいが、例えば自分がゲームデザインを行ったあるスマホRPGのエンドコンテンツ(なおエンドコンテンツは和製英語)は1プレイが1時間以上で、加えて準備まで含めれば数日かけて、毎日準備するのが前提になっている。
言い換えるとゲームを気に入ってくれているやりこんだ人なら毎日1-2時間はプレイするのが当たり前の設計だ。
というわけで、筆者のプレイ時間に対する話はまるで間違っているわけだ。
ところで、当時スマホゲームでヒットを飛ばしていたメーカーに旧来の大手ゲーム会社は少なく、ガラケー時代におけるDeNAやGREEのような、いわゆるネットベンチャーが台頭してきました。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p148) 講談社.Kindle版.
例えば、スマホゲームのヒット作として知られる『パズル&ドラゴンズ(パズドラ)』(ガンホー・オンライン・エンターテイメント、2012年サービス開始)、『モンスターストライク(モンスト)』(ミクシイ、2013年)、『LINE【ディズニーツムツム(ツムツム)』(LINE、2014年)、『グランブルーファンタジー』(2014年、サイバーエージェント)(中略)
これらの開発元は、全て日本のネットベンチャーです。
日本の旧来のゲームメーカーがオンラインに乗り遅れ、携帯電話の市場でネットベンチャーに先を越されたのは、それまでのゲームユーザーと携帯ゲームのユーザーがあまりにも異なっていたにもかかわらず、彼らが新しい顧客を「無視」していたからです。
そんな彼らの隙を突いたDeNAやGREEと同じく、ガンホーやミクシイやサイバーエージェントのようなネットベンチャーは、スマホゲーム市場で一気に存在感を見せ始めました。
まず、前回、ほとんどのソフトメーカーは携帯ゲームに積極的に参加していたことは説明したので、後半部の携帯の話は間違っている。
次にこの時、DeNAやGREEはいわゆるガラケーでまさにケータイゲームが爆発している瞬間だ。そりゃあ儲かっている市場の方に力を入れるに決まっている。
あと、この文には他にもまずい間違いが含まれている。
サイバーエージェントではなく、その100%子会社のサイゲームス(ズではないと指摘されて修正)なのだけど、サイゲームスの処女作にして大出世作『神撃のバハムート』は2011年秋にガラケー向けのゲームとしてリリースされているし、2カ月後にはバンダイナムコと組んで『アイドルマスターシンデレラガールズ』をやはりガラケー向けにリリース。
つまり、まるでスマートフォンで登場したメーカーではない。
前回書いたけれど、2012年でもまだガラケーの方が圧倒的な大勢力で、そこにガンホーが『パズドラ』を出して、初めてスマホでも大ヒットが出てきたというようなイメージを持っておくとわかりやすいだろう。
ところで、間違いという気はないけれど、少し「エー?」と言いたくなったのがガンホーを「ネットベンチャー」に入れていること。
ガンホーは創業時はともかく、そのあと『ラグナロクオンライン』を2002年から運営している会社で、オンラインゲームの老舗と呼んでいいだろう。それを「ネットベンチャー」と呼ぶのには個人的にはかなり違和感があった。
しかし、この考え方が行きすぎた結果、日本のスマホゲーム業界は大きな過ちを犯しました。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p150) 講談社.Kindle版.
「ガチャ」と呼ばれる有料アイテムの抽選システムが、スマホゲームに次々と搭載され始めたのです。
過ちは筆者の感想だからいいとして、筆者はガチャの登場をスマホが普及しだしたあたりと思っているようだが、ガチャの登場は日本では2004年の『メイプルストーリー』から。
そして以降のパソコンのアイテム課金型のいわゆる基本プレイ無料のゲームには必ず入っていたと考えていい。その初期はアバターアイテムが中心で、次の節で筆者が主張するような「1枚のグラフィックとパラメータ」ではまるでないのが困ったもの。
そして、これに重なり対策などが行われた近代的なガチャになったのが2007年あたりで、代表的な作品にハンゲームの『ファミスタオンライン』が挙げられる。
またブラウザゲームなどでも普通にガチャは使われていて、例えば有名な『ブラウザ三国志』などはもちろんガチャは課金の主力の1つだった。
リンクは2016年の4gamerの記事だが、とてもいい記事だ。
つまり筆者はガチャの歴史をまるで間違っている。
そして、この間違った歴史のままガチャのことを語っていくのである…
しかしながら、スマホゲームが台頭してきた時期、メーカー各社はガチャに飛びつきました。なせなら、ガチャは”経済合理性”が”高い”からです。知恵を絞って「面白いゲームシステム」「素晴らしいシナリオ」を考え出すより、1枚のグラフィックとパラメータ設定(注〕そのアイテムがゲーム内でどれくらい強いか、価値があるかを数値で定めたもの)さえ作れば、それを欲しがる中毒ユーザーが、追加でどんどんお金を払ってくれる。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p154) 講談社.Kindle版.
間が飛んでいるのは《それは、ガチャが”ゲーム″という部分をすっ飛ばして、直接”脳″に作用するからです(p150)》という主張から始まる荒唐無稽な疑似医学論が語られていて、これは筆者の感想で僕が何かを書くべきことではないからだ。ただ、明らか医学的な根拠がない疑似医学でしかなく、それを「ゲームの歴史」と銘打った本に入れることについては大いに疑問を呈したい。
と、書いたところで、筆者の主張をそのまま解釈すると、ガチャさえ入れればガチャが脳に直接作用して、中毒ユーザーが次々とお金を払ってくれるはずだ。言い換えるなら3か月でサービス終了するゲームなんてないはずで、その段階で既に論理破綻している。
つまり、筆者のロジックは筆者の主張する、ガチャは脳に作用するまで含めて間違っているのは明らかだ。
興味深いことに、ガチャを採用したスマホゲームが一大市場を築いた時期と、パチンコ・パチスロ業界の売リ上げが落ちた時期が、ぴったりと重なっています。また、その下がった規模と上がった規模も、だいたい同じくらいなのです。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p156) 講談社.Kindle版.
つまり「パチンコ・パチスロの客がスマホのガチャに流れた」とも推測できるのです。
ソーシャルゲームの売り上げが最も爆発的に膨らんだのは2009-2012年。
2009年が229憶、2010年が1000億、2011年が2000億、2012年が3200憶円と、途方もない勢いでケータイソーシャルゲームはガチャで売り上げを拡大していった。
では同じ時期のパチンコ・パチスロ業界の売り上げはというと、2009=24.6(兆円)、2010=22.5、2011=19.3、2012=18.8と落ち方は約6兆円(リンクがベースにしているレジャー白書の数値を使った)。
全く一致していない。
ではスマホゲームの時代に入ったら?
少なくとも2013、2014年はスマホゲームの売り上げが大いに伸びているのは間違いなく、スマホとガラケーを総計してみると2013年が7100憶円、2014年が8200億円ほど。ではパチンコ・パチスロ業界はと言うと2013=19.6兆円、2014=23.3 と、3兆5000憶円も売り上げが伸びている。
やはり主張と全く合っていない。
つまり筆者はまるで間違っていると判断できる。
そして、この間違った議論をベースに、以降3ページほど「いかにスマホがパチンコからお客を奪ったか」を論じるわけなのだけど、前提が間違っているのだから、全て間違っていることになる。
ところで、このパチンコ・パチスロ業界の売り上げはかなりイロイロあるところらしく、僕の調べた中には2009=16兆円、2010=17、2011=18、2012=18.5と3兆円ほど売り上げを伸ばしているというデータもあったのだけど、レジャー白書が精度が一番高いだろうという事でレジャー白書を採用している。
当時よく言われていたのが、「月に10万円程度使ってくれるプレイヤーが200人もいれば、そのオンラインゲームの運営利益は十分に出る」といった話でした。つまり、何万人、何十万人というプレイヤー全体のうち、無料、もしくはときどきしか課金しない人が大半たったとしても、たった200人の「お得意様」さえいればいい、というわけです。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p161) 講談社.Kindle版.
当時、というのがいつかはわからないのだけど、この項目はコンプガチャの話、つまり2012年ごろのスマホゲームの話だと思われるので、そのころのスマホゲームの開発を具体例は書かずに説明したい。
まず売り上げを考えると10万円が200人、すなわち月2000万の売り上げということになる。
プラットフォームの取り分はどこいった? と聞きたくなるが、とりあえずそれはナシで全部が会社に入ってくるとして、まず話を進めたい。
会社員の1人当たりのコストの計算は単純なものではないけれど、雑に計算するときは1人頭=月100万円と考えればいい。
そんなに給料もらってねえよという人が大半だろうが、給料・福利厚生費・会社の自分が使っているスペースの価格、その他イロイロ全て含めると、だいたいこれぐらいになるということだ。
言い換えると、会社員は個人単位で毎月100万以上の売り上げを出さないと赤字という事になる。シビアな世界なのだ。
と、余談はさておき、2000万円で維持できるチームは20人が上限値。
日本は運営と開発が一体となっている形のチームを組み立てるのが基本なので、この中でクライアントプログラマが3名ぐらいは最低必要、サーバーが2名ぐらいは必要。これで5人。さらに日々のイベントを運営するプランナーが最低でも4名ぐらいはいないと成り立たない。加えてそれとは別にメインのコンテンツを拡張していくためのプランナーも必要だ。これを2名にしておこう。これで11人。
加えてイベントごとに生み出される様々なアイテムやカードなどを描くアーティストが必要だ。
2012年頃なら、まだありがたいことに2D絵でなんとかなるけれど、2週に一度イベントをやるとして、一度毎にキャラクタを4体ずつ投入して、イベントのタイトルやらなにやらと考えると、最低でも10名ぐらいは欲しい。
となると、現在、21名。
なんと2000万の売り上げでは赤字だ。
全員を専属でないとして、人件費を按分して15名ぐらいで回っていると見なしても、加えて開発費も回収しなければならないし、サーバーコストなどのランニングコストもあるし、プラットフォームが取っていく分も入っていないのだから「2000万円ではようやくトントン、開発費の回収がかなり厳しい」で、会社的には「失敗」の烙印を押されてしまうゲームだ。
2012年ごろはスマホのゲームに急速に3Dが入ってくる時代だが、僕がゲームロフトで手掛けたゲームは2つが2D+3Dで、1つが完全2Dだったので、まだ2Dで行けることにしておきたい。これを3Dにすると、本当にフルで20名はスタッフがいないと話にならなくなる。
また、NDAに触れない範囲で書くと、2011年当時のスマホゲームの超大手だったゲームロフトの体制は1本のゲームを20-30人ぐらいで10カ月ぐらいで作るというのが基本形式だった(そしてもちろん作った後、運営がある)。ゲームロフトは欧米のメーカーで、日本とはかなり運営の形式は違うけれど、2011年頃にはゲームを作ったり運営したりするには、すでにそれぐらい人数がかかるようになっていたのはわかるだろう(60名ほどいるスタジオで同時に作っていたゲームが3本なのだから1本あたり約20名なのは明らかだ)。
そしてそうである以上2000万円の売り上げでは「まあムリ」なのは明らかだ。
それから見ても、筆者の主張はどこからやってきたんだ? と言いたくなってしまう。
実はこの筆者の知識は、ガラケーのウェブゲームだった時代の知識なのではないか? という疑問はある。ガラケーのwebゲームの時代はクライアントプログラマの必要がなくて、なおかつグラフィックの制限も厳しいので遥かにゲームが小さかった。だからその時代なら2000万円という話も十分あり得る。
2012年5月、コンプガチャならびに類似サービスは景品表示法という法律に抵触(違反)するという理由で、運用の見直しを発表。各社はそれに従い、一気に自粛モードになりました(中略)こうして、射幸性の高すぎる仕組みは法律によって押さえつけられましたが、それをきっかけとして、国内のスマホゲームは徐々に一時の勢いを失っていきます。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p161) 講談社.Kindle版.
確かに2012年の大きなトピックは「コンプガチャの法規制」だった。しかし、これで日本のゲームが勢いを失ったかというとそんなことはなく、スマホゲームの市場規模は2012年で4448億円、2013年で6069億円、2014年には7154億円と大きくなっていき(数字はファミ通白書のもの)、2017年には1兆を超える。
また、筆者は2012年ごろのガチャ収益事情について大きな勘違いをしている。
現代でこそガチャを主力としたアプリオンラインゲームにおいて収益のほとんどをガチャが稼いでいるものはあるが、当時のゲームはガチャ、スタミナ、アバター、ゲームを有利に進める便利アイテム(そのうちのいずれか複数)に売上が分かれていることが多く、ガチャ収益はソシャゲのある程度大きな部分を占めていても、すべてではなかった。
それは、コンプガチャ規制時のKlab社のIRニュースでも触れられている。
・弊社のソーシャルゲームの「ガチャ」への依存度は低く、他にアバター装飾品、行動力回復剤、コスト回復剤などのアイテム売上があります。
Klab弊社業績に関する一部報道についてより
・「通常のガチャ」の売上と「コンプガチャ」に依る売上は区分出来ませんが、「コンプガチャ」導入前と導入後の「ガチャ売上」を月次で比較したところ 15%程度の向上が認められました。
(中略)
ソーシャル事業全体の単月売上の下落影響は5%以下であ ると考えます。
つまり、コンプガチャによるガチャ売上は全体の15%に過ぎず、諸々の要素を考えると影響は売上5%ダウン程度と言われている。しかもコンプガチャ規制後は「ステップアップガチャ」「リトライガチャ」その他諸々の新しいガチャが考案され、コンプガチャ規制が売上に与えた影響は短期にとどまった。
また、2012年4月時の『パズドラ』プロデューサー山本さんのインタビューでは「課金のほとんどはコンテニュー」とされている。翌年のインタビューでは構成が変化しているとされているが、それでも「コンティニューだけじゃなく、ガチャ、スタミナ、あとボックス拡張とか、その辺がそれぞれ同じぐらいのバランスになっています。」とされる。
下はAppBankによる2012年インタビュー
同、2013年インタビュー
つまり、ガチャは収益性の高いものではあったが、当時は唯一の解決手段ではなかった。ガチャの比率が高まるのは、むしろコンプガチャ規制以降なので、筆者の考える「収益構造が不健全な日本のソシャゲはコンプガチャ規制で衰退した」というようなことはまったくないわけだ。
2010年代後半に差しかかり、あれほど大ヒットした『パズドラ』や『モンスト』にもみんなが飽きてくると、今度は海外のスマホゲームが日本市場でも存在感を強めてきます。例えば『クラッシュ・オブ・クラン』『ゲーム・オブ・ウォー』といった作品で、それぞれフィンランド、アメリカが開発元です。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p162) 講談社.Kindle版.
これは上引用部のp161にそのまま繋がる文章で『パズドラ』や『モンスト』が飽きられると『クラッシュ・オブ・クラン』や『ゲーム・オブ・ウォー』が流行するようになった、家庭用ゲームマシンのように、海外製のリッチなゲームが同じように勝ったというのが筆者の主張になる。
さて、ここで『クラッシュ・オブ・クラン』のリリースを調べると2012年8月。『パズドラ』のリリースからわずか半年の話で『モンスト』はリリースすらされていない。
では『ゲーム・オブ・ウォー』は?
2013年7月で、まだ『モンスト』もリリースされていない。
つまり、そもそも2010年代後半なんて全く間違っていることになる。
また、筆者が挙げている『ゲーム・オブ・ウォー』だが、当時PR記事が回ってきたトシ君の証言によると2014年5月に日本語に対応したがPR記事などは控えめで、2015年に本腰を入れて大規模に盛り上げてセールスを押し上げていったのが事実だと教えてもらった。
以下は『ゲーム・オブ・ウォー』2014年のPR記事
なお、『モンスト』は2022年10月1日~10月10日でセールス1位を10日間連続で記録するなど飽きられているとは程遠い(社会現象ではなくなったと思うが)し、『パズドラ』もいまだ根強い。
(モンストの売上などは上のSensor Towerのデータより)
というわけで「飽きられた」という、まるで根拠のない話をベースに、この章は最後まで進むのである。
つまり、この章に書かれていることは、ほとんど間違っているわけだ。
第23章 ナイアンテックのゲームチェンジ
そこで、会社に辞めたいと伝えたのですが、天才的なエンジニアでありクリエイターであるハンケを、Googleは手放したくありません。ですので、ハンケに「辞めて何をしたいのか」と聞いたところ、「ゲームを作りたい」という答えが返ってきます。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p169) 講談社.Kindle版.
そこでGoogleは、「Googleが出資するから、社内に新たな会社を作り(これを社内ベンチャーといいます)、そこで好きなことをやってくれないか」とお願いし、ハンケは承諾しました。
例によって例のごとく、いくら探してもソースが見つからない。
ジョン・ハンケのインタビューをかなり調べたのだけど、少なくとも僕はこういうエピソードは見つけられなかった。ちなみに下はザ・ガーディアンのジョン・ハンケのインタビュー。
とても面白い内容なのでお勧めしておきたい。
ところがあるとき、そのサーバーやノウハウが「余っている」ということに気づきました。というのも、Amazonの売り上げが過密になるのは年2回の買い物シーズンのときだけで、それ以外のときは多くのサーバーか稼働していなかったのです。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p174) 講談社.Kindle版.
そこでAmazonは、その余ったサーバーやノウハウを有料で「貸す」ことにしました。そうしてスタートしたのが、(Amazon Web Service)というクラウドコンピューティングサービスです。
以下のリンクを読めばわかるが、全く間違っていて、どこから現れたのかすらわからない謎の歴史でしかない。
https://techcrunch.com/2016/07/02/andy-jassys-brief-history-of-the-genesis-of-aws/
内容をかいつまんで簡単に書くと、2000年頃にアマゾンがMerchant.comというEコマースサービスを立ち上げ、サードパーティがAmazonのEコマースエンジンの上にオンラインショッピングサイトを構築できるようにしようとしたのがAWSの始まりだ。
では、これがなぜ出来たのかというと、94年からずっと外部にサービスを解放しようとしていたのだけど、要件定義などで何度も失敗してうまくいかなかった。で、これをしっかりドキュメント化されたAPIとして、ようやく出来るようになったのが2000年頃だったわけだ。
そしてこれは社内サービスにも使われるようになり、様々な会社が使うようになりと進んでいって、AWSというサービスが成立していくのだ。
つまり引用部は本当にまるで間違った歴史でしかない。
そして困ったことにこの間違った歴史をベースにテスラも同じ手法だなんて話を始めてしまうのだが、もちろんいうまでもなく、これまた間違いだらけという事になるわけだ。
そうして、コンプガチャ規制で一時の勢いを失って以降は、スマホゲーム業界は停滞します。しかし、そこから新たに「アニメやキャラクタービジネスと連動する」という方策が打ち出され、いくつかのスマッシュヒットが出ました。『刀剣乱舞』『艦隊これくしょん -艦これ-』『ウマ娘プリティーダービー』などがその代表格です。これらの作品は、日本人が得意とするアニメ制作やキャラクタービジネスと連動することによって、世界市場における競争優位性を保ちながら、巨大な開発費を確保することに成功しました。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p178) 講談社.Kindle版.
『ウマ娘』が猛烈に予算がかかったリッチな作品で、アニメや様々なものと連動するメディアミックスが前提だったのは間違いないが、『刀剣乱舞』と『艦これ』は全くアニメは前提にしていない。
つまり引用部で代表格といえるのは『ウマ娘』だけで、あとは「ゲームがヒットしたから、アニメや他に展開されていった作品」だ。
特に『艦これ』は2013年にブラウザゲームとして提供された、とてもこじんまりとしたゲームで、巨大な開発費など全くかかっていない。
これが様々な偶然から大ヒットになり、メディアミックスされていくという、文字通りのゲームのシンデレラストーリーで、全くアニメなどと連動する予定はなかった。
さらに書くと『艦これ』はフラッシュを使ったPC用のブラウザゲームで、スマホ(Androiodのみ)で遊べるようになったのは2016年だ。だから、最初の3年は事実上PCゲームなのだけど、筆者はそれも間違っている。
またアニメ制作やキャラクタービジネスと連動することで世界市場でうまく戦うという話をするなら『ワンピース』や『ドラゴンボール』、それとも『NARUTO』などの作品の方が遥かに戦えているわけで、どうしてここでこれらのラインアップなんだとは思ってしまう。
ところで「コンプガチャ規制」は2012年5月発表。そして『艦これ』は2013年4月開始。つまりスマホ業界が停滞したのは1年弱という話になってしまう。
正直、筆者はもう少し考えて書いて欲しい。
第2巻15章でも述べましたが、ゲームのマルチプラットフォーム化は、「このゲームは、このハードを持っていなければプレイできない」というハード間の境界線を事実上なくしました。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p184) 講談社.Kindle版.
それはつまり、「プレイステーション4であることの優位性」が失われてしまったことを意味します。
これは、プレイステーションの発売元であるソニー・インタラクテイブ・エンタティンメント(2016年にソニー・コンピュータ・エンタティンメントから社名変更)にとっては、ある意味で緊急事態でした。なせなら、同社が自社開発した『グランツーリスモSPORT』をどうしてもやりたい、とかではない限り、プレイステーション4を買う必要がないからです。
これは、筆者がゲームの大半がマルチプラットフォームになったので「プレイステーションを買う必要がなくなった」という主張している部分なのだけど、筆者は「プレイステーション4エクスクルーシブ」、つまりPS4でしか遊べない(アメリカのCMでは”Only on PlayStation”と表現されている)ソフトがGT以外にも、『ゴッド・オブ・ウォー』、『ゴースト・オブ・ツシマ』、『ラチェット&クランク』、『デトロイト』、『スパイダーマン』、『Horizon Zero Dawn』、『デス・ストランディング』などなど沢山あることを知らないらしい(これらのソフトのうちかなりが後にPCに展開される形になっているが、初期はPSのみで展開され、それがPSにユーザーを引き付ける力の一つになったのは間違いない)。
マルチプラットフォーム化が進んだからこそ、ライバルに差をつける専用ソフトが大事になるのは当たり前ではないか(そしてその優先権を手に入れるために有力なスタジオを買う戦争をやるわけだが…)。
『ゴッド・オブ・ウォー』はGOTY作品だし、『デス・ストランディング』は筆者はこれの前で小島監督について触れているにも関わらず、この引用では全く出てこない。さすがに呆れてしまう。
なお、このあと「スマホから距離を取った任天堂」という節で、課金を好きじゃなかったとか、スマホに物理ボタンがないから任天堂は嫌ったとか、もう根拠不明な文章が並べ立てられるのだけど、詳しく取り上げるほどの内容ではないので、パスにしておきたい。
第24章 Nintendo Switchという置き土産
Switchを絶賛して、任天堂スゴイとだけ書いている章で、ほぼ筆者の感想のみで出来上がっている内容なのでパスとさせていただきたいが、3つ書いておきたいことがある。
筆者は『ゼルダの伝説BotW』を絶賛しているのだけど、どうも元はWii Uのために作られていたソフトだということを知らないらしく、Wii U版の話が一切出てこない。
「いや、これはもともとはWii U用のゲームでWii Uのタブレットが前提になっているから、UIにかみ合わせが悪い所があるじゃないか、それぐらいは調べろよ」と読んでいて思わず突っ込んでしまった。
あとゲーム内容を絶賛する、失笑してしまう技術的な間違いの含まれた文章を並べ立てるのだけど、その最後に《開発メンバーの人数は大変な数にのぼると想像されますが》と書いていて「ラストのスタッフクレジットを見れば、どれぐらいの人数がいるかわかりますよね?」と、やっぱり思わず突っ込んでしまった。
次に、これは本当に唖然としたのだけど、これほどSwitchを絶賛しながら『あつまれ どうぶつの森』について一言も出てこない(実況のところでminecraftより視聴数が多かったと1文出るだけ)。
それが筆者の史観だというなら、それはそれでアリかも知れないが、『あつまれ どうぶつの森』は初代『スーパーマリオブラザーズ』を越える700万以上の売り上げを叩き出し、日本国内で今までで一番売れたコンソールゲームソフトで、世界的に見てもSwitchで2番目の売り上げのソフトだ(なお1位は『マリオカート8デラックス』)。
しかもSwitchのソフトを取りあげているところが《「ゲーム弱者」を救済し続けた任天堂》という節で、筆者の主張によれば「任天堂はゲーマーではない人を救済し続けた」だ。
どう考えても『あつまれ どうぶつの森』はその最右翼に位置するソフトなわけで、それを全く無視するというのは、僕としては、全く納得いかないことだった。
正直、この本は筆者の好きな、もしくは貶したいゲーム以外は事実上ない扱いで、筆者の大好きなはずの任天堂ですら『マリオパーティ』、『どうぶつの森』、『ピクミン』、『スターフォックス』、『メトロイド』といったラインは事実上取り上げられておらず(『押忍!闘え!応援団』とかは言うまでもなくない)、これで「ゲームの歴史」を名乗るのは史観にしてもいただけないだろうと思ってしまう。
そして最後に、なんと、この本が「ここで終わっている」のが信じられない。
今は2023年であり、この本は2022年に執筆されている。つまりPSもXboxも最新のハードウェアが発売されているにも関わらず、一言も触れられることなく、最後にスイッチの話をして終わりでは、いったい筆者は「ゲームの歴史」というタイトルをなんだと思っているのかと言われても仕方あるまい。
あとがき
この本は、以下のような疑問を出発点にしています
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p204) 講談社.Kindle版.
「ほとんどのゲームは、いまだに一部のクリエイターによる勘や経験則によって作られ、その法則や方法が解明・体糸化されたり、共有されたりしていないのではないか?」
「しかしそれは、ゲームの歴史を丁寧にひもとき、過去の名作がどのように作られ、またどのようにヒットしたかを分析することによって、見つけ出し、まとめられるのではないか?」
「ゲームの作り方を法則化し、体糸化でき、それを上手に伝えることができたら、未来のゲームクリエイターをはじめ、多くの人に貢献ができるのではないだろうか?」
本書を書き上げた今、その試みはかなりの部分で上手くいったのではないかと自負しています。
以下はあとがきに対する僕の「感想」だ。
勘や経験則をなくすために、今ではゲームから様々なデータを取るし、様々なリサーチも行う。つまり実際のプレイヤーのプレイを見て次に活かそうとするのは当たり前だ。
さらに様々なゲームデザインやシナリオやプログラミングなどの教科書がある。教科書があるということは法則や方法が解明・体系化されているということだ(少なくともそうしようと努力をしている証拠だ)。
『ゲームメカニクス』、『レベルアップのゲームデザイン』、『面白くなるのゲームデザイン』、『中ヒットに導くゲームデザイン』、『ゲームデザインバイブル』、『ルールズオブプレイ』、『組み立て×分解ゲームデザイン』、『おもしろいゲームシナリオの作り方』、『レベルデザイン』、『物語の法則』、『SAVE THE CATの法則』などなど、挙げ始めるときりがないと言っていい数の名著があり、それら先人たちの肩の上に乗って、遠くを見ているのが今のクリエイターだ。
次にGDC(アメリカで開催される世界最大のゲーム開発者たちが集まる会議)やCEDEC(毎年8月に横浜で行われる日本のゲーム開発者が集まる会議)は、ゲーム開発者がゲームを体系だって法則を持って作れるようにするために、そして知識を共有するために用意されている場だ。
そしてその場で行われた発表はインターネットを通じて作り手たちの間で共有され、議論され、よりよい作り方を生み出す原動力の一つになっている。
つまりあとがきの筆者の主張は、筆者が無知だから勝手にそう思っているレベルでしかない。
ゲームの歴史について間違いだらけの知識を持ち、技術に関して無知な筆者の独善的な主張は、正直、過去のクリエイターもそして現在のクリエイターにも失礼極まりないと僕は感じたのである。
最後に
というわけで、長々と続いたこのシリーズも終わりとなる。
もう、この本と付き合うのがイヤだったので、ともかく頑張って最後まで書いた。
「とりあげるべきではないか」と迷う、筆者の感想と捻じ曲げられた事実が混ざったところは、まだ山のようにあるし、さらに予告した「まるでおかしい2D=3Dの話」とかもあるのだけど、もう2カ月もこの不毛な作業をしてきて、正直、それを書かなくても、この本の問題は指摘できたと思うので、パスさせてもらいたい。
いや、書くべきだ、というなら時間をおいて考えるという事で申し訳ないが予告は撤回という事にしておきたい。
ところで、この本の中で一番のメインコンテンツといっていいほどそこらじゅうで書かれていて、特に2巻の後半以降はゲームの歴史よりそちらがメインだろうと言いたくなる、筆者独自の、調べた限りでは根拠ゼロの脳医学・経営理論・教育理論は全て「感想」の中に押し込んで、ほぼ触れていないが、僕は筆者の主張に対して一切与していないことは明言しておく。
特にガチャが”ゲーム″をすっ飛ばして、直接”脳″に作用するだの、大脳辺縁系が発達しているから韓国ではオンラインゲームが流行しただの、さらにまるで間違った3D酔いの機序を開陳すると言った脳についての独自理論は極めて問題のある内容で害悪でしかないと思っているが、自分が詳しく指摘できるほど知識があるわけではないので、あくまで意見としてここに書いておく。
また、絶版・返本について発表されたけれど、間違いだらけの本の絶版・返本は出版社のある種の責任の取り方ではあるとは思うが、僕的にはやって欲しくなかったなあと、今でも思っている。
ともかく、これであとは
- 出版されてしまったのは事実であり、物理的に本は残るので、このシリーズを本の形にして、国会図書館に納本して、間違いだと指摘可能にしておく。
- 電子書籍版を作って、この記事と共にアクセスしやすくしておく。
どう考えてもド赤字の2カ月で、そのうえ同人誌の印刷代がかかるのだから、さらに赤字は膨らむわけだが、やると決めた以上はとことんやるのが主義なので、最後に上の二つを終わらせればミッション達成かなと思っている。
というわけで、一旦、このシリーズは終わりである。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
10件のコメント
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> まず『アイマス』などの音ゲーの入力は複雑だし素早いし、
細かい話ですが、アイマスは元々はアーケード用シミュレーションゲームですし音ゲー作品も限られているので『デレステ』なり『ミリシタ』なりの表記の方が自然ではないでしょうか。スマホのアイマス作品といったらポチポチゲーのモバマスの方が歴史が古いのもあって違和感がすごい。スクフェスとかプロセカとか他の選択肢もある中でなんでアイマスにしたんだろうという気持ちもありますがそこはまぁ。
あ、確かに。修正しておきますー
というか、修正しました。なぜ『アイマス』だったのかというと、僕は『アイマス』とシリーズをまとめて言ってしまう癖がある+下で『ラブライブ』のタイトルが出てくるので、音ゲーで他ので歴史が長いので…『アイマス』だったわけですw
お疲れさまでした
まとめの本は絶対に買わせていただきます
正直、ここ最近の読み物の中で一番面白かった。
有名作家が一流出版社から出した本がことごとく間違っており、それが逐一突っ込まれている様もそうだが、
何よりその過程で、より正確と思われるゲーム史や新たな情報を知れたのが大きい。
自分も、筆者レベルか知らないが多少ゲーム史を知っているつもりだったが、
それでも色々知らない話や、興味深い話がいくつもあった。
今回のシリーズはいずれ書籍化するとのことだが、細かな部分の修正や、
「2D=3D」などの、書ききれなかった部分もぜひ加筆してもらい、より完全な形で残してほしい。
ところで、もし本気で「コンピュータゲーム全史」などといったものを残そうとした場合、
一体どれだけの規模の事業になるのでしょうね。
それは「どこまで書くか」にすごい依存しますね…
お疲れ様でした。私自身の知識の整理にもなる、素晴らしい記事群でした。
私自身、元々詳しいと言えるほどでもなかったのですが
、本記事群や関連リンクを読んでいて、自分の知識の誤り・知らない部分が少なからずあったと判り、調べ直してみようと思いました。
只の感想で申し訳ないのですが、労いの意味も込めてコメントさせていただきました。
まとめの本が出版されましたら、購入させていただきます。
お疲れ様でした!
いつも楽しく拝読させていただいております。企業名に関して、サイゲームズ、ではなく、サイゲームス、です。
登録社名は株式会社Cygamesですが、公式の読みはサイゲームス、で統一されています。
きゃー直しておきます。
はじめまして。1〜12全て楽しく拝読させていただきました。
PSPの時点でモンハン持ちなんぞと言われた難易度高めの持ち方と操作を要求されたMHP2ndGのiOS移植版なんて、2014年5月発売で仮想パッド実装ではほぼ完成されていたよなー。と懐古。
携帯機で先に実装されたカメラの自動追尾から持ってくることでカメラ分の操作を簡略化してすらいた。
めっちゃ売れていましたし、一例ではありますが2016年すら待たずにアクションRPGとしては何時間でも遊べるものとしてある種完成されてはいた。
その結果、販売終了に至る2019年に至るまでずっと有料アプリセールスの見えるところに居座っていた。
(こちらもサービス終了してしまったが)ゲーム内でチャットアプリのLobiを起動できるようにして会話も可能にしていたり。
スマホ上の仮想パッドの開祖ではないにせよ、白猫とは別方向で成功していた部類だった。
とはいえ、動きの激しいアクションゲームでスマホの小さい画面で仮想パッド操作をすると左右2本指が画面を占有する分の影響も少なからずあったし、元々キラータイトルだった分、操作慣れしている人を見越していたのか別売りコントローラーも対応していたりしていたりとCAPCOMの試行錯誤も見えますが。
本当にお疲れ様でしたとしか言い様がありません。
重箱の隅ですがあとがきの引用部分、“体糸化”は“体系化”のOCRミスでしょうか?
本文ママでも驚きませんが・・