書籍「ゲームの歴史」について(9)

このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。

(9)は2巻の第13-16章を扱ったものになる。

該当の本は、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。

例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。

該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで本文と若干ずれたり、誤植がある場合があるかも知れないが、そこは指摘いただければ謹んで修正させていただく。

シリーズは以下のリンクを読んでいただきたい。

また、このテキストの引用元になった本は2023/2/6 に購入したkindle版である。

第13章 3Dをめぐる攻防

この章はいわば「筆者の思う3Dについての理屈が、筆者の知識の無さ故、全く意味がないものになっていて、それが、この本の11-13章に通底する間違いなので、次回ぐらいに詳細に取り上げて「全体として筆者は何を勘違いしているのか?」について解説していくことにして、今回は個々の分かりやすい間違いについて取り上げていきたい。

一方で、完全3DのNINTENDO64は、「3D酔い」というトラブルを引き起こします。前述したように、完全3Dではキャラクターと背景が同質化してしまうため、どうしてもキャラクターが視認しづらくなります。そうなると、プレイヤーは目然と操るキャラクターに集中する傾向を強めます。すると、背景の視認が疎かになり、「酔う」という現象が発生するのです。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p116) 講談社.Kindle版.

筆者は3D酔いの機序について、何一つ調べず書いている。

簡単に書けば3D酔いは「人間の目から入ってくる情報と、三半規管からやってくる情報のミスマッチで起こる」というのが主な説で、細かな違いはあるが「背景の視認が疎かになり酔う」などという学説はない。
例えば、下は大正製薬のページ。

VRやゲーム、3D映画などで起きる「3D酔い」とは?:乗り物酔いの豆知識 | センパアVRやゲーム、映画など、3D映像の画面を見続けているうちに、乗り物酔いと同じように、めまいや冷や汗、顔面蒼白、吐き気・嘔吐などが起こってしまうことがあります。このように3D画面を見続けることで起きてしまう、乗り物酔いによく似た症状を「3D酔い」と言い、バーチャルリアリティーの世界が身近になる中で、3D酔いに悩む人も増加しています。このページでは3D酔いのメカニズムや、予防法をご紹介しています。
VRやゲーム、3D映画などで起きる「3D酔い」とは?:乗り物酔いの豆知識 | センパア brand.taisho.co.jp
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また3D酔いという現象は非常に歴史は古く、1950年代にパイロットの訓練用のシミュレータで知られるようになったので英語では”simulator sickness”、シミュレータ病と呼ばれている。
そして、これがシミュレータなどだけでなく、ゲーマー、特に日本のゲームプレイヤーが同じ現象に悩まされ始めるのは1993年のDOOM以降だと考えればいいだろう。
だから当時のゲーマーの間ではDOOM酔いとか呼ばれていた。
下のリンクは実際に”DOOM”酔いに悩まされた人の話である。

DOOM酔いなんとなくWebを見ていたら(だからこういう時間の使い方が無駄だっつーの!!)偶然DOOMのページを見つけました。こちらです。  DOOMってのは10年くらい前にはやったFPSゲームの先駆けのようなもので(正確にはウルフェンシュタイン3Dなんだけど)、自分の視点からモンスターを倒してクリアしていくタ...
DOOM酔い windows-podcast.com
DOOM酔い

そして、DOOMは当時のマシンパフォーマンスの都合で作られている、筆者の言う <疑似3D>ゲーム(筆者の用語のつもりで<>が抜けていたので修正)だ。つまり筆者の言う<完全3D>ゲームでは全くない。

だから3D酔いはNINTENDO64で始まったものでもないし、<完全3D>ゲームに現れるものでもない。

<完全3D>は筆者が作った用語で、全く誤った技術知識をベースに作られた意味のない用語。
反対語が<疑似3D>で、<疑似3D>=「3D+美しい2D」だ。<>を付けているのは<疑似3D>も一般的なゲーム用語における疑似3D処理ではない、これまた筆者の勝手な定義による勝手な、筆者の技術的な無知による何の意味もない用語だ。
これらの用語の意味の無さ加減は次回説明したい。

つまり、この文章は3D酔いの機序も、歴史も、起こるゲームも全て間違った、端から端まであっているところが一つもない文章だ。筆者はゲームの歴史について間違いだらけの知識を持つだけでなく、医学についても間違いだらけの知識を持っているのは間違いない。

結果的にプレイステーションの疑似3Dに負けたNINTENDO64の完全3Dですが、そのローンチタイトルである『マリオ64』には、地味で目立たないけれどもゲームの歴史としてはきわめて重要な、新しい技術が投入されていました。
それは、「カメラワークによる演出」です。
確かに『FFⅦ』の背景は『マリオ64』とは比べ物にならないほどリアルで精密に書き込まれていましたが、「平面的な絵」という事実は動かせません。そのため、「カメラが固定される」という制約が生まれてしまいました。結果、カメラの移動(カメラワーク)による演出がほぼ不可能でした。
しかし『マリオ64』や『ゼルダの伝説・時のオカリナ』では、完全3Dのため、カメラワークを重要な演出として取り入れることができたのです。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p128) 講談社.Kindle版.

『マリオ64』はゲーム史的には極めて重要なゲームだ。
アナログスティックを使った移動と、デジタル方向キーによるカメラの切り替えで、近代的な3Dアクションゲームの先駆けとなったゲームであると同時に、いまだ、一つのベンチマークとしてある作品だ。
また「カメラ制御」という点でも極めて重要なゲームなのも疑いない。
だが「カメラワークの演出」が『マリオ64』からのような記述は、まるで間違いだ。

カメラアングルの演出は、例えばベクターグラフィックスのパイロット視点のゲーム、”STAR WARS”(ATARI / 1983 / アーケード)で既に取り入れられている(パイロット視点だが、フル3Dのレールシューターである)し、史上初の3Dポリゴンアーケードゲーム”I,ROBOT”(ATARI / 1983 / アーケード)でも、既にカメラアングルの演出が取り入れられているのは見ることが出来る。

そして、次にカメラアングルそのものが一つの売りになったゲーム、『バーチャレーシング』(セガ / 1992 / アーケード)というゲームがあるが、これも筆者は知らないようだ。バーチャボタンでカメラアングルが滑らかに変化する演出は、まさに3Dゲームならではだ(そして僕はこの演出をアーケードで見て感激したわけである)。

次に『FFⅦ』は『アローン・イン・ザ・ダーク』型のゲームなので、カメラアングルの自由度はもちろん低い。少なくともプレイヤーが自由にカメラを動かせるゲームではないが、例えばオープニングの魔晄炉の破壊のために入る入口で、魔晄炉を仰ぎ見るようにカメラがパンするような演出は普通にある。

加えて書くと、ムービーの上にキャラクタを置くことによって、もちろん言うまでもなくカメラの演出は行われるし、ゲーム内の例えばバイクのミニゲームなどで、まだ初歩的な物とはいえ、カメラアングルによる演出は普通に見ることが出来る。

つまり、ゲーム中で不自由なものではあったが、カメラの演出は普通にあったということだ。
正直、筆者は『FFⅦ』をちゃんとプレイしたことがあるのだろうか、と疑問に思う内容だ。

全く当たり前だが、映画という芸術はコンピュータゲームが始まった時に既に数十年の歴史があったのだから、3Dでカメラが動かせるとなったら、そのカメラアングルの概念が持ち込まれないわけもないという話だ。

第14章 プレイステーション2の罪と罰

まず、ゲーム機の魅力の本質はスペックではありません。それは、ファミコンの乏しいスペックを見事なハッキングで乗り切った『スーパーマリオブラザーズ』が歴史的傑作になったことや、発売時点でとっくに時代遅れのスペックだったゲームボーイが息の長いハードとして親しまれたことが、証明しています。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p142) 講談社.Kindle版.

ファミコンの話を書くとき「乏しいスペック」だの「貧弱なスペック」だのと間違いを書く人は多々いるが、筆者もその列に加わっている。
ファミコンは山内社長から「3年は他社が追いつけないハードを作れ」と言われたゲームマシンで、発売当時は、汎用コンピュータとしてはいざ知らず(RAMの容量などは当時のPCと比較してかなり貧弱)、当時のアーケード型のゲームを作る上では、卓越したハードウェアだった。

社長が訊く「スーパーマリオ25周年」
社長が訊く「スーパーマリオ25周年」 www.nintendo.co.jp
社長が訊く「スーパーマリオ25周年」

だから当時ライバルとされた、TMS9918を搭載したハード(MSX、M5、ぴゅう太などなど)に対して、多色スプライト(しかも数が出る)・多色使える背景画面・スムーススクロールと言った武器で、一目で違いが分かる圧倒的な画面だった。
だから、まるでゲームセンターのゲームと区別がつかないと言われるハードだったし、それほど背伸びしたからこそ、想定された商品寿命を圧倒的に超えて売れたのだ(そして無理をしたから生産に苦労したわけだが)。

また『スーパーマリオ』は当時使える最大容量のROMで作られた、非常に贅沢なゲームだ。ROMのゲームの集大成として作られたのだから当たり前ではないか。
後世の目から見た「乏しさ」と一緒にしてはいけないのに、筆者は一緒にしてしまっている。

ただし、これは筆者だけではなく、沢山の人が同じ間違いをしていることについてははっきり書いておく。何度でも書いておくが、1983年当時のファミコンのビデオチップは他の家庭用ゲームマシンと比較して、アーケード型のゲームをやるうえでは圧倒的な性能だったのだ。

加えて書くと『ゲームボーイ』も仕様的に見て割り切られているところは液晶の白黒だけで、CPUやRAM、さらにはビデオチップなどはファミコンを超える部分もあるハードだ。
それを「時代遅れ」と書いているが、どこが時代遅れなのか、筆者は明快にしていただきたいものだ。

ところで、筆者は「ゲームにはスペックがいらない」という、ゲーム素人にはとてもありがちな理屈をここで書いているのだけど、以下の引用部を読んでいただきたい。

つまり、いずれもハードスペックの進化によってはじめて実現できたゲーム性だった、といえるでしょう。整理すると
①ハードスペックの進化によって、本格的なオープンワールドゲームやFPSが制作できるようになった
(以下略)

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p103) 講談社.Kindle版.

この引用部を言い換えるなら、ハードのスペックが一定以上でなければ作れないゲームがあったというに等しい。筆者は同じ本のたかだか40ページ程度の間での整合性すら取れないことを自ら証明している。
プロの物書きとして恥じ入られてはいかがだろうか。

例えば、任天堂がソニーから離れるきっかけとなった「CD-ROMは読み込みに時間がかかる」という欠点。
これは、プレイステーション発売当時のソニーも、ゲーム機というものを発売するのが初めてであるにもかかわらず、ちゃんと理解していました。実は、その証拠があるのです。
それは、プレイステーションのローンチタイトルであるナムコの『リッジレーサー』を始めるときに表示される、読み込み(ロード)時間中の「演出」です。ここでは、単に「Now loading(ロード中)」という文字が表示されているだけでなく、その待ち時間中に、ナムコ往年のアーケードゲーム『ギャラクシアン』をプレイできました。これにより、プレイヤーは読み込み時間が苦痛ではなくなったのです。
ただ『リッジレーサー』は、あくまでもナムコのゲームなので、このアイデアはソニーではなくナムコが考えた可能性もあります。だとしても、ソニーからナムコへ「ロード時間の長さが気にならなくなる演出をしてほしい」という要望を出したことがきっかけと考えるのが自然ではないでしようか。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p147) 講談社.Kindle版.

正直、よくこれだけ勝手なことを書けるものだと呆れる文章だ。

前回書いたように、本当に任天堂がそんなにCD-ROMの読み込み時間を気にしたのなら「どうして任天堂はソニーと決裂したあとフィリップスと組んでCD-ROMアダプタを作ったんですか?」ということになる。
答えは明らかで「任天堂がCD-ROMの読み込み時間を気にしてプレイステーションの開発を止めた」という推測自体が間違っているからだ(だいたい筆者自らが推測だと書いていたことを、いつの間にか事実に置き換えているこの文章は詭弁だ)。
これだけ筆者の主張の前提部分が全て崩れてしまうので「以降は全て間違いです」といえてしまう。

加えて、筆者は事実を無視してナムコにソニーがサジェストしたと勝手な推測を繰り広げているが、前回書いた通り、CD-ROMのアクセス時間は常に作り手にとって問題で「それを如何に短くするのか、いかに気にならなくするのか」を考えるのは当たり前だった。
それとPS1以降ではリソースがそれなりにリッチになってきたので「画面表示を行いながら、データを読み込んだり出来るようになった」ので、とうとうアクセス時間を見えづらくすることが出来るようになったのだ。
そういった作り手たちの努力を無視して、引用部のような妄想(ここではあえて強い言葉を使わせてもらう)を繰り広げるのは、ゲームの歴史を築いてきた作り手たちの顔に泥を塗る行為以外の何物でもない。

今まで何度も「恥を知っていただきたい」と書いてきたが、今回も書かせてもらう。筆者は恥知らずだ。物書きとしての恥と最低限の知識を持っていただきたい。

ところでもう一つ書いておくと「ミニゲームをプレイさせている間にダウンロードする」はナムコの特許だった。もしソニーのサジェストだったら、普通ソニーは特許無効を訴えるだろう。そこからもソニーのサジェストとやらを想像するのは難しい。以下は、その特許が切れるというニュース。

「ロード時間のイライラ」解消に大きな進展? ナムコが持っていた「ロード画面でミニゲーム」特許権がようやく消滅旧ナムコ(現在はバンダイナムコゲームス)が持っていた、「ゲームのロード時間中にミニゲームで遊べる特許」が今年で消滅することが分かり、話題になっています。今後はもしかすると、ロード中にミニゲームが遊べる作品が増えるかもしれません。特許の有効期間は出願から20年間。日本では昨年12…
「ロード時間のイライラ」解消に大きな進展? ナムコが持っていた「ロード画面でミニゲーム」特許権がようやく消滅 nlab.itmedia.co.jp
「ロード時間のイライラ」解消に大きな進展? ナムコが持っていた「ロード画面でミニゲーム」特許権がようやく消滅

そのインターフェースの部分で「それ、何に使うの?」とツッコミが入るような要素が、プレイステーション2にはありませんでした。
では逆に、「無駄のあるインターフェース」とはどのようなものでしようか。
例えば、ファミコンの「15ピン拡張コネクタ」がそうです。本体発売時には、まさしく「これ、何に使うの? 必要?」という存在でしたが、その後、任天堂以外のメーカーが考案したさまざまな周辺機器を接続するのに役立ち、遊びの幅を広げました。
ゲームボーイの通信機能もそうです。横井軍平が特に使い道を想定することなく、なんとなくつけた機能ですが、その「当座あってもなくても支障ない機能」、もしくは「余計な機能」に目をつけ、むしろそれを全面的に活用すべく田尻智が開発したのが、『ポケットモンスター』でした。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p151) 講談社.Kindle版.

PS2と比較して任天堂のハードは「無駄があった、だからハッキング精神とやらが刺激された」と主張されているわけだが、15ピンコネクタはファミコン設計者の上村先生の「ファミコンとその時代」の述懐によれば、ホームコンピュータの体裁を整えるために、別売キーボードを接続するために用意された。
そしてせっかく用意するのだからと、様々なコントローラが接続可能なように設計され、任天堂が得意とするオモチャの光線銃やロボット、そして予定通りにファミリーベーシック用のキーボードが発売され、他メーカーからコントローラなどが発売される前に発売されている。
つまり「何に使うのか?」などという無駄な機能ではない。明快に使い道は決められていた。

ゲームボーイの通信機能は、横井軍平さんは、よく「安いものだから付けた」と言っているのだけど、どの本を読んでも、ゲームボーイはともかくコストがきつかったと言っている。
言い換えるなら数十円だからつけた、安いから付けたというのは横井さんの言い訳で通信は必須だと考えていたとしか思えない。
また横井軍平伝では、曖昧ながらも「通信がないと遊びにならない」と表現している。これを端的に書けば、遊びは二人以上でやるもの、という考え方が横井さんにはあったということだろう(横井軍平伝では、ほぼこういう内容のことを言っている)。
その観点からすれば、通信をつけるのは必須だと横井さんは思っていたのだ、と僕は想像している。

では、どうしてそれをゲーム&ウオッチではつけなかったのかというと、その最初のアプローチが「大人の一人遊び(ヒマつぶし)」だったからなのかなと思っている。
また横井さんが手がけた1983年に発売された任天堂の液晶麻雀ゲームに既に通信機能が入っていたので、横井さんの頭の中には「携帯ゲームで通信」は入っていただろうという、元ファミマガ編集長の山本さんからの情報もいただいた。

そして『ポケモン』が出るまで『テトリス』はいうに及ばず、様々なゲームが通信ケーブルを使って対戦・協力プレイを可能にしている。そして言うまでもなく売り上げに貢献しているわけで、全く余計な機能ではない。
だいたい「相手の手札が見えないカードゲーム」を作るためにはプレイヤーそれぞれにディスプレイが必須で、当時それを実現できるのは事実上ゲームボーイだけだったのだ。
通信がどれほど重要な考えるまでもなくわかる。

だいたい製品はコストと戦って作っているわけで「なんとなく付ける」ものなんて一つもない。
そこには明快に設計者の意図がある。それを無視して「無駄な機能」などと書くこと自体が、作り手に対する侮辱だ。

筆者は自分が理由がわからないものに、無駄とラベルを付け「ハードには無駄が必要だ」などと主張する恥知らずは止めて、もう少し資料を精査してから書かれてはいかがか。

第15章 ハード戦争の終結

シミュレーションゲームが他のゲームジャンルと大きく異なるのは、明確な目的が必ずしも設定されていない点です。
アクションゲームやRPGならクリアすることが目的ですし、格闘ゲームなら相手を打ち負かすことが目的ですが、フライトシミュレーションゲームや鉄道・都市・世界作り系シミュレーションゲームは、いうなれば「遊ぶことそのもの」が目的です。ただ単に空を飛ぶことを楽しんだり、鉄道や街や世界を作ることを楽しんだりする。本当に、それだけなのです。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p169) 講談社.Kindle版.

筆者はシミュレーションゲームの意味を間違っている。
シミュレーションゲームのシミュレーションは「何かを模擬する(シミュレート)」ということだ。だからシミュレーションの上には「何を模擬するのか」の単語がつく。
具体的な例を挙げると、筆者は理解していないようだが「フライトシミュレーター」なら「フライトをシミュレートする」ものだから「リアルに空を飛ぶこと」がなによりの目標だ。「街」なら「シティシミュレーター」なのだから「街を作ることが目的となる」のは当たり前だ。
また、シミュレーションすれば、それはシミュレーションゲームなので、例えばウォーシミュレーションゲームがウォーゲームなんて具合にシミュレーションが省略されてしまうこともあったほどだ。
(俗称から来たんじゃないすか? という意見があり、確かにわからんのでいったん削除)
というわけで、筆者はシミュレーションゲームというものの考え方自体を間違っている。

次にシミュレーションゲームには遊ぶ事そのものが目的という要素はあるが、そればかりではない。
ウォーゲームやコーエーの歴史シミュレーションのような作品なら、もちろん明快に勝利という目的があるし、そうでなくても、例えば、有名な街づくりゲームである”Cities Skylines”では、街を大きくするに従ってアンロックされるマイルストーンがあるし、様々な街を作りやすい・作りにくいマップが用意されていて「遊ぶことそのものが目的」なんて単純なゲームではない。
やはり有名なアートディンクのA列車で行こうシリーズにも様々なシナリオが用意されていて、達成できた・出来ないがあるのが当たり前だ。

筆者の知識は、初期のシムシティぐらいで止まっているのではないかと思ってしまような内容だ。

ちなみにSFCの『シムシティ』は様々なシナリオが用意されているし、さらに様々な条件をクリアすると手に入るSFC独自のプレゼントがあるだが、筆者はSFC版をプレイしたことがないのだろうか。

そのまかれた種の中でも、ここで特に触れておきたいゲームキューブ作品が、2002年月に発売された『ゼルダの伝説 風のタクト』です。
同作は、NINTENDO64の『ゼルダの伝説 時のオカリナ』同様、空間を動き回るアクションアドベンチャーですが、グラフィックの見せ方に独特の工夫がありました。
ゲーム内のさまざまなキャラクターは3Dで作成されているのですが、「トウーンレンダリング」という技術を用い、温かみのあるアニメ調の絵に見せているのです。
つまり、NINTENDO64で生真面目な3D表現を追い求めていたときから一転、新しい技術ではあるものの、むしろ2Dの良さを取り入れた表現に回帰しました。リアルさや精密さを追求しているプレイステーション2のゲームとは、明確に違う方向性を打ち出したのです。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p178) 講談社.Kindle版.

まるでPS2ではフォトリアルな方向しかなかったような書き方だが、実は2000-2001年頃は音ゲーのブームがまだ続いていたこと+ギャルゲーブームの残り火があったことで、フォトリアルばかりではない。

音ゲー・ギャルゲーなど以外にも、初期は教育用だったり、それともCPUパワーが上がったことで碁とか将棋があったり、ムービーを使う「やるドラ」の続編があったり、ミニゲーム集だったりと、今ならスマホに収斂してしまったジャンルのゲームが大量にあり、実に混沌としたラインアップだ。

ところで、筆者の視界には全く入っていないようだが、2001年12月に『ときめきメモリアル3』で実はトゥーンレンダリングは既に使われている。

あのレンダリングはローポリすぎたし、演出に問題があったし、輪郭線処理の扱いが一番古い形式で輪郭線の質が悪かったし、初期のアルゴリズムでトゥーンシェーダーの出来事態にも問題があったが、トゥーンでレンダリングされていたのは間違いない。

そのXboxにおけるFPSの先鞭をつけたのが、ローンチタイトルであった『HALO』です。
開発元はアメリカのバンジーというゲームスタジオ。高いハードスペックを必要とするFPSは、それまでパソコンでしかプレイできないものでしたが、『HALO』はXboxの高いスペックを存分に活かすことで、家庭用ゲームとして成立させたのです。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p178) 講談社.Kindle版.

FPSというジャンルの元祖とされている『ウルフェンシュタイン3D』と、それを改良して大ヒットした『DOOM』はどちらもSFCに移植されている。

ただし『ウルフェンシュタイン3D』はゲーム内容がナチを皆殺しにするいろいろ内容的にナニな代物だったので、SFC版はかなり規制された内容に変更されている。

またPS1にも『DOOM』、『メダルオブオナー』、『デュークニューケム』などの複数のFPSがあり(移植ではない作品もある)、さらにNINTENDO64の『ゴールデンアイ』など、数々のFPSがXBOX以前に移植されていると書けば、それで十分だろう。
筆者は何も調べずに書くのもたいがいにしてほしい。

その背景には、Xbox(及び、2005年に発売された後継機のXbox360)のゲームが、プレイステーション2や、2006年に登場するプレイステーション3に移植しやすかったという事実がありました。
そもそもXboxのゲームは、汎用性の高いWindowsをベースに開発されています。そのため、最初はXbox用に開発されていたとしても、ほとんど同じクオリティで、しかもそれほど手間をかけず、プレイステーション2やプレイステーション3に移植することができたのです。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p187) 講談社.Kindle版.

最初から最後まで間違いしか書いていない文章で、筆者がプログラムや開発環境というものを全く理解せず、つまり全くゲーム作りに対して無知であるにも関わらず、書いているために、どう説明していいかすら困るレベルの間違いだが、一つずつ説明していきたい。

開発環境はPS1の時代から、既にWindowsだ(正確にはwindows/DOSの混ざった環境だった)。
だからPS2だろうがPS3だろうがXBOXだろうがXBOX360だろうがPS4だろうがPS5だろうが、全部PCベース、つまりWindowsが主な環境だ(ちなみにPS2以降はSCEはlinux環境も用意している)。

次にPS2とPS3とXBOX360とXBOXの間で「移植が簡単だ」と思っているのは「船と車とプロペラ飛行機とオートバイは同じ内燃機関を使っているから、操縦は共通でいけますよね」というぐらいデタラメだ。

XBOXとXBOX360はCPUもGPUもまるで違う(だから互換はとれていなかった)、PS2とPS3は言うに及ばず違う。そしてXBOXとPS2はまるで違う。
だからプログラムの互換も取れないし、移植も困難だったので、移植は力任せに行われるものだった。
結果、XBOX、PS2(と筆者は忘れているがゲームキューブ)では移植されたゲームは、かなり機種ごとに大きな違いがあるのが当たり前だった。

世代で分けることにして、次のPS3/XBOX360世代になると、PS3のCPU、CELLはその衝撃的なベンチマークでヘテロジニアスコンピューティングへの注目を集めたが、反面、独自仕様極まる物だった。
だからXBOX360とPS3の時代になると「それなりにマルチプラットフォーム化」はされるが、どちらを基本のプラットフォームにしているかで、どえらく出来が違うものだった。

筆者は、開発環境も移植の事も何も知らずに適当なことを書くのは止めてほしいものだ。

第16章 オンラインゲームと言う新世界

いろいろ考えたが、この章は、この記事では取り扱わない。
理由は、内容のほとんどが疑似医学で「全くゲームの歴史になっていないから」だ。
そもそも、講談社はこのような内容が書かれているのを知っていたのか? と問いたくなるレベルだ。

具体的な例として、この章にある節のタイトルを挙げる。

  • オンラインかそうでないか
  • 大脳旧皮質・大脳辺縁系・大脳新皮質
  • 子供がゲームをしたがるのは「脳」が求めているから
  • 天才が「神経過敏で怒りっぽい」のは当たり前
  • オンラインゲームは「感情」を刺激する
  • インターネット先進国韓国
  • 「感情を出す」ことが得意な韓国人
  • 大脳辺縁系が発達した韓国人がオンラインゲームにハマった
  • 日本でオンラインゲームは盛り上がらない
  • 日本人が外に出せる感情は「仲間意識」だけ?
  • 感情のぶつかり合いを最初から捨てていた『FFⅪ』
  • プレイステーション2に咲いた奇跡の花
  • 超長寿の『FFⅪ』
  • 海外文化を取り入れざるをえなくなった日本のゲーム
  • 結局、日本にオンラインゲームは定着せず

筆者がハマっていたらしい『FFⅪ』と『ウルティマオンライン』以外に、日本には全くオンラインゲームがなかったような扱いで、しかも『ディアブロ』、『エバークエスト』、『スタークラフト』などのマイルストーンで詳しく説明しなければならない作品すらタイトルのみ(『WoW』は影も形もない)。
『ラグナロクオンライン』も、『メイプルストーリー』もメガモデムの話も、『ファンタシースターオンライン(PSO)』も、本当に何も取り上げられておらず、代わりに書かれているのは以下のような内容。

・感情表現の豊かさは、子どものころに大脳辺縁系を刺激することによって育まれる
・オンラインゲームは、プレイヤーの感情移人を促して大脳辺縁系を刺激する
つまリ、もともと感情教育に積極的な幃国には、オンラインゲームが受け入れられやすい土壌があったのです。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p203) 講談社.Kindle版.

「韓国人は大脳辺縁系が発達しているからオンゲーが流行した」なんて、どう考えても疑似科学で、どこにもなんのエビデンスもないし、いうまでもなくゲームの歴史とは何も関係ない。
こんなものに自分の時間を投入する価値はないと判断させてもらった。

ところで上にあげた節を「ゲームの歴史」と呼ぶのは、筆者の勝手だろうが、僕は普通はゲームの歴史にふさわしい内容だとは思わない。これを書いている暇があったら『ディアブロ』と『メイプルストーリー』のことを書いたほうが遥かに良かったのではないかと思う。

次に続く話

今回、バリバリページが飛んだ理由が2つある。
一つ目の理由、3Dについて間違いだらけのことをかきながら、まるでおかしなことを大量に書いていて、それはまとめて批判すると決めているからだ。
そしてもう一つの理由は「ゲームの歴史とまるで関係のないこと」が延々と書かれているからだ。

安心は感情がなだらかになる状態ですから、とても心地が良い。だからこそ、その心地良さを運んでくる箱庭を、人間は本能的に好むのです。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p120) 講談社.Kindle版.

こんなことを書かれて、一瞬、カメラアングルのことを書いた程度で、延々20ページほども「箱庭で人間の精神は落ち着く」ってなどという、なんの根拠もない話を書きなぐられては「はあ、さよですか」という以外形容のしようがない。
これのどこがゲームの歴史だ? とは思うし、こんなことにページを使うぐらいなら書くべきことがあるだろうと呆れながら精読していたが、まあ僕にとってはページ数が飛んでくれる分ありがたかった。

そして全く同じ理由で16章は全カットとさせていただいた。引用したような内容だらけでは取りあげる価値すらないだろう。

また14章・15章では、感情レベルで、なんの背景的なデータもなく、開発者・PS2・ファミ通などをディスる文章を延々と書きまられるのにも、正直、辟易とした。

あえて言うならば、ここまでのゲーム制作者のほとんどは、勘や経験でしかゲームを作っていなかったといえるでしよう。
それは、「体系立った、科学的な作リ方をしていなかった」という意味です。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p144) 講談社.Kindle版.

岩崎夏海氏はCEDECで講演をしたことがあるわけだが(内容は信じがたいぐらい酷い)、そのCEDECは何のためにあると思っているのだろうか?
GDC(Game Developer’s Conference)はなんのためにあると思っているのだろうか?
正直、一度もゲームを作ったことがない人間にこのような適当なデタラメを書かれる筋合いはない。作り手全員を馬鹿にしているとしか思えなかった。

【CEDEC2012】ゲームを作るのに、ゲームなんてやらなくてもいい ― 「もしドラ」作者岩崎夏海氏講演レポート | GameBusiness.jpCEDEC2012の3日目、ベストセラーとなった「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(もしドラ)の作者、岩崎夏海氏による講演が行われました。
【CEDEC2012】ゲームを作るのに、ゲームなんてやらなくてもいい ― 「もしドラ」作者岩崎夏海氏講演レポート | GameBusiness.jp www.gamebusiness.jp
【CEDEC2012】ゲームを作るのに、ゲームなんてやらなくてもいい ― 「もしドラ」作者岩崎夏海氏講演レポート | GameBusiness.jp

その理由としてよく言われたのが、「ヒット作の続編ばかリで、驚きがなくなった」「プレステに比べてグラフィックは綺麗になったけど、それだけ」というものです。
これらは散々言われ尽くした意見で、当時も今も至るところで見かけます。そのため新鮮味はありませんが、しかし、それだけに、歴史的にはすでに確立した評価とも一一いうことができそうです。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p146) 講談社.Kindle版.

こんな感想レベルの、なんの根拠もない内容を、新鮮味がない=よく聞いたと筆者が思うだけで「歴史的に確立した評価」だと主張するのには呆れてしまう。

しかしプレイステーション2以降、「ファミ通」の「通」は、いつしか「イタい」という意味の「痛」だと揶揄されるようになっていきました。このことは、ゲームというジャンルが日本でどのような存在に変化したかを、象徴的に表していると思います。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p161) 講談社.Kindle版.

まず「ファミ痛」という単語が使われていた界隈があるのは事実だろうが、その蔑称をこうして「ゲームの歴史」と名づけられた本に書くべき内容かと質問されたら、その答えはノーだろう。

ところで「ファミ通」は古くはアスキーのログインの1コーナーから始まる、非常に歴史のある雑誌で、好き嫌いの問題はあれどクロスレビューなどでゲーム史に大きな影響を及ぼした雑誌なのは間違いない。
では、筆者は「ファミ通」の歴史に少しは触れているのかと言うと「日本で最も有名な「ファミ通(旧『ファミコン通信』)」という週刊のゲーム雑誌があります」の1行で終わり。
さすがに心底呆れてしまうし、筆者は「ゲームの歴史」を書く気があるのかと思ってしまう。

15章は141ページから164ページまでの20ページ以上あるのだけど、その大半が、上のような何の根拠もない感想と悪口で埋まり、ほとんど歴史らしきものは書かれていない。

こんなどうしようもない内容の文章を延々と20ページ以上も読まされ、僕としては文字通り筆者にウンザリしているし呆れたので、大半はカットした。

もし、14-16章をもっと丁寧にやってほしい…という人がいるなら考えるが、本当に事実をほとんど書いていない章なので、放置して構わないだろうと思っている。

個人的な話になるが、この本の2巻になってから本当にこのシリーズに疲れるようになった。
というのも、1巻はまだ「ゲームの歴史」が書いてあったが、2巻も半ばを過ぎてから、筆者の説教と、そして大脳がどうとかという疑似科学と感想ばかり。
そこに間違いだらけの3Dの技術の講釈と、ほんの少しゲームのタイトルが挟まるなんてどうしようもない構成で、これを精読していると、情けなくなってくると同時に、こんなどうしようもない内容を筆者が信じているのかと思うと、本当にゲッソリしてしまう。

そして、ようやく2巻が終わった。
本当に疲れるよ…

オマケ

鉄拳シリーズの人気が下がっていったという話がこのパートには含まれているのだけど、これに対してはプロデューサーの原田さんの完膚なきまでの反論があり、大変に面白い内容なのでぜひ読んでいただきたい。

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26件のコメント

  • 堀井雄二さんがプログラム書けないの時に1段階目のどでかい落胆があるわけですが、
    初代プレステのリッジレーサー、
    最初のローディング、ミニゲームに目が行きがちなんですが、
    アレでほぼ全てのゲーム遊ぶための読み込み終わっているとか、主要読み込み終わったあとは適当な音楽CDに入れかえるとカスタムサウンドトラックみたいになる
    (後者は例のトンデモ本の著者陣の大好きなハッキング精神ネタ)
    とか全く知らずに、適当にググって出てくる個人サイトの妄想文パッチワークしたようなレベルになってしまうんですね。

    あと、いわさきさんのツイートにも多数リプ付いていますが、
    ファミ通を揶揄するアレ、2chの特にゲハ的なうんぬんと言われているようですが、
    ウィキペディア以外のまとめwiki(ゲームカタログwiki)や、
    (伏せ字にする意味ないか)は○○や、俺○なんとか刃とか迷惑系まとめブログなど、あの著者陣と担当編集者の誰かが(全員の可能性もあるか)そういうゲームに関する底質ななにかに長期間どっぷり漬かっていて、なるようにしてああなったのかな?とも思いました。

  • 本書はすっかり買えなくなりましたね。

    >また、シミュレーションすれば、それはシミュレーションゲームなので、例えばウォーシミュレーションゲームがウォーゲームなんて具合にシミュレーションが省略されてしまうこともあったほどだ。

    war gameはmilitary simulation(軍事演習)の俗称で同時にstrategy gameの内のmilitary simulation gameでもあります。war simulatorや単にwar simulationとも言います。省略されたのではなく元の意味から転じたのではないでしょうか?わかりませんが。

    >ところで、筆者の視界には全く入っていないようだが、2001年12月に『ときめきメモリアル3』で実はトゥーンレンダリングは既に使われている。
    ジェットセットラジオとTVDJがメディアにトゥーンシェーディングとしては注目されずに後にときメモ3がトゥーンシェーディングをアピールした印象がありますね。

    >鉄拳シリーズの人気が下がっていったという話がこのパートには含まれているのだけど、これに対してはプロデューサーの原田さんの完膚なきまでの反論
    ACゲーはコストの上昇を価格に転嫁できませんからね。物品税の時は遠藤嘉一が一部を除いて廃止に持っていったんですけど。

    • あーーー確かにそっちからかもしれません。ちょっと外しておきます。

      • あれ、昔のボードウォーゲームやってた頃はシミュレーション ウォー ゲームって言ってたような…でも英語的に変だよな…と思って昔のアバロンヒルのゲーム見てたらありました。
        AHロンメルアフリカ軍団のルールブック表紙にAVALON HILL SIMULATION WAR GAME と。
        ttps://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p1085675235

        またAH THIRD REICH(第三帝国)は Grand Strategyだったり、海外ではStrategy Gameと言う方が一般的みたい。
        当時の記憶ですが最初はウォーゲームと呼んでたけど当時は「戦争」という言葉が忌避されたのでホビージャパンがシミュレーションゲームという呼び方を言い出したという記憶です。(雑誌タクテクス表紙にシミュレーションゲームマガジンと書いてある)
        だから海外ではウォー シミュレーション みたいな言い方はしないっぽいですね

        • ネタ的にはサイドの部分なんですが、一度ちゃんと調べて確認してますw

  • 不本意ですが、アマゾンで3冊とも五割増し、紙で購入しました。

    月末に届くようですが、本当に届くのか楽しみです。

    本当に回収したのか、隠してたのか?

    やはり、黒歴史は残しておくべきだと思いますwww

  • ※任天堂がソニーから離れるきっかけとなった「CD-ROMは読み込みに時間がかかる」という欠点。
    これは、プレイステーション発売当時のソニーも、ゲーム機というものを発売するのが初めてであるにもかかわらず、ちゃんと理解していました

    そもそもCDってソニーとフィリップスが共同で作った物なんだからソニーはCDROMが読み込みに時間かかるの分かってて当たり前なんだけど ひょっとしてこの作者そんなことも知らないのか

    • 多分わかっていないです。
      フィリップス=ソニーが作ったという事すら理解していないと思います。
      あと、筆者は任天堂が大好きな癖に任天堂の歴史すら正しくないし、ソフトも全然出てこないんですよね…

  • うちの市の中央図書館にありました。評通りのひどい本だった。ワシははたから見てわかりやすいように(わざとらしく)、腕をプルプル震わせながら読みましたよwもちろんセガ作品の誹謗中傷の羅列、特にAC版テトリスのくだりで。閉架か廃棄しろや、この紙屑風情が

    • その本は読むと、かなりウンザリするのが、自分の好きなソフトとメーカー以外はほぼ揶揄の対象として、平気でそういう悪口を書きまくることです。
      正直、そこらへん酷いです。

  • 検証お疲れ様です。一連の批評から関心を持って物理本を読んだためどこまでが正しい内容なのか判断できなくなってしまいましたが、三巻もどのようなご指摘になるのか一読者からは楽しみです。この本は理解を促進するための絵(ゲーム画像等)が全く無く文字だけなので、対象としてる小学校高学年前後の読者が(正誤は別にしても)内容を理解できるのかとか、参考文献が少なく偏っている(「主要」OK?)とか、歴史本として考えた場合は年表などの巻末付録がないなど、出版編集部含めこれはゲーム分野だし児童対象だからある程度間違っていてもよいと思ったのか、専門的な内容以外でも不思議?な箇所が多数あります。

  • Doomの擬似3Dってなんだ??
    Doomはワンラインレイトレーシングで3Dマップに陰影をつけている。そしてマップデータであるWADファイルは3D座標で格納されている。疑似3Dの意味はなんだろう。

    • 筆者の用語のつもりで<>が抜けてたのを修正しておきました。

  • ここまでトンデモ本だったとは…
    オンラインゲームでFF14についての記述が無さそうなのも筆者のやる気のなさが感じられます

  • 大変お疲れ様です。興味深く読ませて頂いています。
    20年くらい前の話なのですが、職場で韓国の方と働いていた事があります。
    その方の話では、韓国ではゲームを出してもすぐにコピーされて売り上げが上がらない為オンラインゲームに移行せざるを得なかったと言っていました。
    その方の話が正しいかどうかは分かりませんが、現地の方の話なので大筋は違わないのではないかと思います。

    • それはかなり本当です(ただしそれだけが理由でもないですが)。
      オンゲーに移行した理由のかなりの部分はコピーできないがあったのは確かです。

  • この一連の記事こそ書籍化してほしい

  • ウォーゲームの語源は、ボードゲームにおけるウォーゲームの起源であるKriegsspielだと思われます。
    ドイツ語でKriegsが戦争、spielがゲーム。
    それを英語で直訳したため、Wargameとなったものと思われます。
    もっとも、英語圏にKriegsspielが紹介されたのは18世紀のため、誰がいつWargameと呼び始めたかは正確にはわかりません。

    • おおーありがとうございます!

  • しかしあまりにもデタラメかついい加減でびっくり
    この章でいうとWindowsの開発環境だからX-BOXもPS2もPS3も移植をしやすい、
    という部分は辟易としますね
    PS2のEmotion EngineとPS3のCELLは後継機と言えないほどあまりにも違うものです
    もちろん互換性は皆無で移植など簡単にできるものではなかった
    当初SCEはCELL上でEmotion Engineのエミュレーションを検討していたが
    実装できなかったぐらいなので(初期PS3はPS2の互換をしていたじゃないか、
    という話が出るかもしれないが初期PS3はEmotion EngineをCELLと共に載せる、
    という一つのゲーム機に2つのゲーム機能を乗せるような力技をしていただけ)
    ちなみにPS1はPS2、PS3でもエミュレーションで実装できていましたし
    逆にPS2のエミュレーションは未だに現在のPCですら完璧な形では出来ていません
    それほどのものを簡単に移植、などとよく言えたものだと思いますよ・・・
    余談ですがCELLの開発に携わっていた人の中にリサ・スー(現在のAMDのCEO)がいて
    PS4、PS5はAMDのチップで動いているのでPS4とPS5は下位互換しますし、
    X-BOXも今はAMDのチップなので移植はしやすいかと思われる
    逆にSwitchはクセの強いnVidia製なので難しそうだなぁとは感じる

  • 検証お疲れ様です。
    なんと、昨日3冊とも無事に到着しました。

    読むのはこれからですが、単なる苦行なので読むこともないんじゃないかと思ってしまいます。(でも読まないと買った意味が無い)

    この本の真の価値は、今後発行される岩崎さんの同人誌とセットにして、初めて成り立つものと考えています。

    この手の人たちは、何で負の妄想だけでこんなに突っ走れるのか、理解に苦しみます。

    歴史って、宝探しみたいで発見も失敗も楽しいものなのに・・・。

    • 今、(10)を準備中で、そこでちょっと書いているんですが、岩崎夏海氏のベースとしているゲームの歴史観が、ぶっちゃけた書き方をするなら、非常に2ちゃんねる的なんですよ。
      ネガティブな匂いが強いのはそれが理由だと思ってます。

  • “だいたい「相手の手札が見えないカードゲーム」を作るためにはプレイヤーそれぞれにディスプレイが必須で、当時それを実現できるのは事実上ゲームボーイだけだったのだ。”

    こちらについて、
    本稿の論旨とは無関係ですが気になったため質問させて下さい。

    アーケードゲームで複数の筐体を接続して遊ぶ
    形式ならこういったゲームが作れそうですが、
    当時そういったタイトルは存在しなかった、
    または技術面やコスト面の都合で不可能だったのでしょうか。

    対戦格闘ゲームも最初は1つの筐体で2人が
    横並びになってプレイする形式でしたが、
    今のような向い合せで2つの筐体を使用する
    形式のものが登場するのはもっと先のことだったのでしょうか。

    • もちろん可能ですが、自分が記憶している限りで、そのような筐体が登場したのは格闘ゲームブーム以降だと思います。
      「ただし」、ビデオポーカー系などに存在した可能性「は」あります。

  • >言い換えるなら数十円だからつけた、安いから付けたというのは横井さんの言い訳で通信は必須だと考えていたとしか思えない
    故人の発言を「言い訳」と形容するのは幾ら何でも失礼ではないでしょうか?著しく敬意を欠いた文章だと感じました。

  • いわさき様の記憶の補強ですが、「日本ゲーム産業史(日経BP社)」内のストリートファイターⅡ誕生秘話の項目(p84~)の記載からは、向かい合わせ筐体形式で大きく普及したのはストⅡ以降で間違いないと思います。

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