電撃オンラインを立ち上げたとき
なんかのはずみでツイッターに流れてきた、ムチャなサーバーの話から思い出して、残しておこうと思ったオーラルヒストリー的な話。
電撃オンラインというサイトがあるのだけど、これがスタートしたときの、世にもバカバカしい話。
1998年の当時、メディアワークス社内で電撃プレイステーションD(以下、電撃PSD)を作っていた僕は、同僚のとっきー君とファイルのやり取りをするのにウンザリして、ネットワークをひいていた。
なんせCDROMなものでフロッピーではとてもやりとり出来ないサイズのデータだ。最初はMOを使っていたがクソ遅いのに耐えられなくなり、最終的にやりとりにはZIPドライブを使っていたが、やっぱ耐えられなくなったわけだw
これがネットワークってのは便利なもので勝手にどんどん広げ、いつの間にか電撃プレイステーションは、全員が電撃PSDのネットワークにぶら下がっていた(のちに社内ネットワークに統合される)。
で、みんな会社からインターネットに出られないかというので、総務のヤツとネゴって、余っていたNT(Windows NT)のライセンスを借りて、DeleGateをサービス化して立てて、勝手に接続して電撃PSDと電撃PSでインターネットを使えるようにしていた。
そんな社内インフラ屋wになっていた、僕のところに、当時、電撃PSDの編集やっていたEさんがやってきたところから、物語は始まる。
イマドキのコンプラで考えたら、ありえないぐらいガバガバなことをやっているが、当時はこれがどんだけヤバいことかみんな全然わかっていなかったのである。まだ名刺にメールアドレスが記載されない時代だ。
さてEさんは僕に言った。
「岩崎さん、サーバー作って!」
「は?」
Eさん、さすがに話が通じないと思ったのか、言い出した。
「ウチにmediaworksのサイトがあるんだけど、これが雑誌編集部からするとどうにもやりにくい。だから雑誌編集部専用のサイトを立ち上げたいんだよ」
「ハアハア。いいですよ。で、いつですか?」
「2週間後」
「え?」
「いや、もうドメインは取っていて、雑誌に2週間後にURLが載るんだよ。電撃オンラインっていうの」
「いいでしょ! 岩崎さん、ちゃちゃっとやっちゃってよ」
「えええええええええ!?」
もちろんサーバーのソフトはない。サーバーもない。
残りは2週間。
発注なんかしていたら間に合わない。だいたい編集部が用意していた予算はPCレベルの予算で全くサーバーの予算ではない。
僕は考えた。
突貫工事でPCを作る。
そして数ヶ月でいいから、そのサーバーでともかく運営して、取り換えよう。
イマドキのオンプレミスはブレードで、あとは仮想サーバーな人からは想像もつかないだろうが、当時はブレードとコインロッカーみたいなところにタワーを入れておくハウジングみたいなのが、まだ混ざっているご時世で(もちろんクラウドではないし、仮想化もされていないぞ。物理サーバーだぞw)、アキバで買ったPCでも置くことは出来たのだ。
そこで、アキバまで走って行って、部品買いまくって作ったサーバー…と称するPC。
当時、同僚というか、部下だったとっきー君の「秋葉原でパーツを買いましたなあ…」&「1台10〜15万で2台、でしたっけね 完全に日曜大工」は、まったくの本当なので困ってしまう。
こいつにsolaris 86インストールして(当時はまだlinuxを信じてなかったw)、apache立ち上げて、今でいうWordPressとかなんもないし、phpで1から作る時間なんかあるわけないから、誰でも使えるDreamWeaverでスタティックなHTMLを入稿するシステムを突貫工事で作って、4日テストして、はい公開。
そんなわけで、電撃オンラインの初期のサーバーはなんと2週間で作った、アキバ製の突貫ハードだったのである。
自分で書いてて、信じられないぐらいヒドい話なのだけど、これが本当に本当だから困る。
なお話が2週間単位なのは電撃PSが2週間の雑誌だったからw
なんでも2週間で話は進むw
「2週間後には〆切だから、そこまでにマスターがないと困る」といった具合である。
ところで、この『サーバーww』はどうなったのか?
なんと驚くことに2年も使う羽目になった。
というのも、電撃オンラインは雑誌編集部の管理下にあり、もちろんいうまでもなく当時はお高いサーバー代など雑誌編集部の予算で通るわけもなく、社内的にウェブをやりましょうというので、予算がついた2年後まで、結局、アキバサーバーでやることになったのであった。
このアキバサーバーが1999~2000になるとき、2000年問題が怖くて、ずっと会社にいてモニタリングしていたのは、全然良くない思い出であるw