いわさき

ニュージーランドにたどりついた 日記

ニュージーランドにたどりついた

というわけで、ゲームロフトに入って、9月の半ばにはニュージーランドに赴任する気だったのだけど、これがニュージーランドって国は労働ビサとるのにとんでもなく手間のかかる国で、ビサをとる用意ができたのが9月の半ば。しかも9月半ば~終わりには日本は連休だらけで、さっぱり作業が進まず、ようやくビサが取れたのが…
Zorkと弟切草とビジュアルノベル(3) ゲームの話

Zorkと弟切草とビジュアルノベル(3)

続き。やたら長いうえに、どんどん書き直しが増えてきて手間3倍増w ■アドベンチャの復興、そして… こうして消滅したかに見えた日本でのアドベンチャが復活を始めたのは、まずPCエンジンの登場による。 (一部アダルトゲーム系では確かにアドベンチャは生き延びていたが、それは単純に絵を大きく見せるためと低予算…
Zorkと弟切草とビジュアルノベル(2) ゲームの話

Zorkと弟切草とビジュアルノベル(2)

■日本のアドベンチャの第一次黎明~衰退期 さて、アメリカでのアドベンチャブームを受けて、日本でもアドベンチャが登場することになる。 登場したのは1982年4月と思われる。思われる…というのは、文献や資料が不足で、自分の記憶ではということだから。 その日本初(と思われる)アドベンチャは、フルテキストの…
Zorkと弟切草とビジュアルノベル(1) ゲームの話

Zorkと弟切草とビジュアルノベル(1)

遥か遠い昔に書いたadventureに関する歴史の文が出てきたので、今の最新の知識でアップデートして、再度公開するココロミ。 歴史の中身としては"Text Adventure"から"Graphic Adventure"が登場し、これが日本にやってきて最終的にサウンドノベルやビジュアルノベルに至るまで…
言葉がいっぱい 転載

言葉がいっぱい

これは『電撃王』や『電撃プレイステーション』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものを、細かくアップトゥデートして載せていくシリーズ。 今回は、1996年の電撃王に載せたコラム。 ■■■ 久しぶりに昔々の話。 1970年代後半にマイクロコンピュータが登場した時、言語は一種類しかなかった。 アセンブ…
ゲームレビューについて ゲームの理屈

ゲームレビューについて

このメーカーはどこまでレビューに干渉できる? 誰も語らなかった「メーカーチェック」の表と裏とはで「メーカーはどこまでレビューに干渉出来る」と銘打たれながら、実際にレビューをやっているライターの意見や声が具体的な形で載っている部分が少ないことが気になったので…そして書きにくいのも分かるので、実際やって…
1991年1月 浦上進君と日本テレネット 天外2開発記

1991年1月 浦上進君と日本テレネット

1991年1月、天外2はいよいよ、実際の開発作業に入るための最終準備段階に入っていた。 実際の作業は市ヶ谷の角川メディアオフィスが入っていたビルの裏にある貸しビルの2F(今でもあったので写真を載せておく)に開発チームが集まって、行われることになっていた。つまりアルファシステムやハドソン北海道の連中か…
懐かしのカーレース ゲームの話

懐かしのカーレース

『教養のゲーム史』について書いたとき、ちょっとカーレースについて触れたら、もっとカーレース…特に2D時代のセガとタイトーのカーレース黎明期のつばぜり合いについて書いておきたくなったので、ここに記しておく。この話は、僕が9歳からスタートし、最後は18-9歳あたりまで続く、当時2つのゲームメーカーがカー…
教養としてのゲーム史を読んだ

教養としてのゲーム史を読んだ

教養としてのゲーム史を読んだ。 というか、結構、前に読み終わっていたのだけど、ゲームロフトの仕事が忙しくて余裕がなかったので、この文を書くヒマがなかった…というのが正しいところ。 本の中身を簡単にまとめると「筆者、多根氏のゲーム史観に従って、ゲームを取捨選択し、テレビゲームの歴史の流れ(の一つ)を浮…
バイオハザード(3/終) ゲームの話

バイオハザード(3/終)

■1996・バイオハザード こうして「キングスクエスト」から実に13年の歳月を費やして、主題「バイオハザード」にたどり着いたわけだが、ここで一つはっきりさせておくと、純粋にゲームデザインの上でのオリジナリティの観点から見たとき、バイオハザードは誉められた物ではない。 システムは、これはもう"Alon…