書籍「ゲームの歴史」について(10)
このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。
(10)は3巻の第17-18章を扱ったものになる。
該当の本は、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。
例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。
該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで本文と若干ずれたり、誤植がある場合があるかも知れないが、そこは指摘いただければ謹んで修正させていただく。
シリーズは以下のリンクを読んでいただきたい。
- 『ちょっとは正しいゲームの歴史』を国会図書館に納本しました
- ゲームレジェンド新刊『ちょっとは正しいゲームの歴史』できました
- 書籍「ゲームの歴史」について(12/終)
- 書籍「ゲームの歴史」について(11)
- 書籍「ゲームの歴史」について(10)
- 書籍「ゲームの歴史」について(9)
- 書籍「ゲームの歴史」について(8)
- 書籍「ゲームの歴史」について(7)
- 書籍「ゲームの歴史」について(6)
- サンクリの新刊
- 書籍「ゲームの歴史」について(5)
- 書籍「ゲームの歴史」について(4)
- 書籍「ゲームの歴史」について(3)
- 書籍「ゲームの歴史」について(2)
- 書籍「ゲームの歴史」について(1)
また、このテキストの引用元になった本は2023/2/6 に購入したkindle版である。
第17章 任天堂の復活
筆者の好きな任天堂について書いた章だからだと思うのだけど、(ありがたいことに)この章には、今までの章に散々あった、驚き呆れるような間違いは少ない。
ただ、気になったことがいくつかあるので、指摘しておきたい。
岩田や宮本茂は、Wiiについて「見ている人も楽しめるようなゲーム機を目指した」とそれぞれ明言しています。すなわち、ゲームをやっている子どもたちの後ろで見ている「親(保護者)」をターゲットにしたゲーム機として開発されたのが、Wiiというハードなのです。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p9) 講談社.Kindle版.
「見ている人も楽しめる」は実在するテキストだが、岩田社長や宮本さんが言った言葉ではない(と思われる)。
自分が調べた限りでの初出は「社長が訊く」のWii Sports篇で、情報開発本部制作部の江口勝也氏が言った「まわりを巻き込んだ遊びができること、また、遊んでいる人だけじゃなくて、それを見ている人も楽しめること(以下略)」だ。
また岩田社長と宮本さんがどちらも明言しているというので、英語・日本語とも検索したが、二人がこのようなことを言ったというソースは見つからなかった。
筆者の勘違いもしくは筆者が仕入れたニュースのソースが盛っていたのだろうと思われる。
手厳しいことを書かせてもらうと、筆者のゲームについての歴史のソースの大半は2ちゃんねるなどに代表される信憑性が極めて低いところからばかりではないかと思いたくなるほど質が悪い。そこをとっかかりにして勉強してくれているならまだしも、そこをベースに事実のように語られても困るのである。
そこで、任天堂は考えました。「だったら、ゲームをしながら体を動かせばいいじゃないか」と。Wiiリモコンがジェスチャー操作なのは、そういう意図です。Wiiリモコンは、体を強制的に動かすための装置でした。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p12) 講談社.Kindle版.
確かにWiiリモコンはWii Sportsという起爆剤などを得て爆発したが、コントローラは身体を動かすために作られたものではない。
大雑把には「ゲーム人口の拡大のためにボタンの少ない、誰でももう一度初心者に戻る、そしてお母さんに敵視されない=テレビの周りがきれいに片付く=無線でなおかつ直感的に扱えるコントローラ」が目標だったのだ。だから無線でスティック型でポインタ式なわけだ。
筆者は引用部のあと「直感的だったから、今までゲームを敬遠してきた人もハマり、ゲーム人口を拡大できた」と書いているのだけど、話は逆だ。
詳しくは、例によって「社長が訊く」に記事が掲載されている。
また『Wii Sports』の出来た過程は同じシリーズのVolume 4に入っている。
内容的を簡単に抄録すると「様々なコントローラの試作品があり、それに合わせて色々なゲームを試作していた中のスポーツを集めてまとめた」のであって、体を動かすために作られたわけではない。出来た結果は確かにそう見えても驚かないほどうまくハマっているが事実は違うのだ。
なお、残りのソフトの中で出来がいいものが『初めてのWii』と本体に入っているソフトになったと、書かれている。
少し書いておくと「社長が訊く」は疑いもなく、第一級の史料だが、いくつか気を付けることがある。
そもそも、座談会やインタビューは、たいていは「こういう流れで行きましょう」と事前に打ち合わせをしておいて、合意されたうえで、そのテーマに沿って展開されるものだ。
だから「社長が訊く」でも、間違いなくそのように記事は作られているだろうし、任天堂の広報記事なのだから、慎重に任天堂に都合がいい話が書かれている。だから『ドンキーコング』の話が出てくるとき、決して池上通信機の話は出てこない。
また「本当にこの人が言ったのか」についても残念ながら保証はない。
というのも、この手の広報用の資料では「いろいろな都合でこの人がこれを言っておいた方が会社的に都合がいい・バランスがいい」と言った理由で発言者が修正されていたり、それとも発言自体に修正が加えられていたりすることがある。
だから、総体としては非常に精度の高い第一級の史料だが、100%の信頼を置くことは出来ない・会社の広報資料なんだから本当に都合が悪い事は書かれていないつもりでクロスチェックできるところは確認していくのが望ましい。
だから同じ理由で雑誌の開発スタッフの対談なども注意した方がいい。
内容そのものが間違いである可能性は非常に低いが、都合が悪い事は書かれていないし、その人が本当にしゃべったのかも少々疑わしい(たいていは喋っているがまれに修正されていると考えた方がいい)。
なお、今回、引用したところは、残念ながら事実上クロスチェック不可能なので信じるしかない所だ。
三度目の正直として挑戦したのが、2011年発売のニンテンドー3DSです。専用メガネなどを使わす、裸眼で立体映像が楽しめるという、こちらもかなり斬新なコンセプトのハードでしたが、この3D(立体映像)機能を画面横にあるスライダーで「2D」にして、通常の画面で楽しむユーザーがかなり多かったのも事実です。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p22) 講談社.Kindle版.
理由は「3Dだと見にくいから」というもの。本末転倒、すごい皮肉です。またしても、立体映像に対する試みは失敗に終わりました。
この本が書かれている2022年現在、任天堂がいまだに答えを見つけられていないゲームの「2画面」と「立体映像」。
これらは”答えのない問い″なのでしょうか?
それとも、この本の読者のどなたかが、目の醒めるような解答を提示してくれるのでしようか?
これはファミコン・バーチャルボーイと3Dが失敗して、3度目の挑戦で3DSがあったという話。
確かに初代3DSでは立体視をオフにすることが多かった。
残念ながら統計的なデータがあるわけではないが、当時、自分も自分の周りでもだいたい3Dはオフにしていプレイしていたと思う。
これの理由は簡単で初代3DSの液晶はクロストーク(片方の目のみに入るべき画像が逆の目側にも入ることで、立体視が不安定になる現象)が簡単に起こり、かなりプレイしづらかったからだ。
ただ、これがNEW 3DSになると、カメラでプレイヤーを捉えることで3D視が調整されるようになり、とても安定する。実際、僕はNEW 3DSでゲームを遊んでいる時はたいていは3Dボリュームを最大にしていた。
なので、これまた統計的なデータがあるわけではないが、自分のプレイ経験から考えても、NEW 3DSでは立体視が非常に安定していたことを考えれば、2Dでプレイするのが当たり前だったとは間違っても言えないと考える。
というわけで、大間違いというわけではないが、こう書いてしまうのはどうなんだというレベルの話だが、どうしてこれを取り上げたのかと言うと、最後の一文だ。
目の醒めるような解答かは解釈次第だとは思うが3D表示については明快な解答が一つ提示されている。
それはVRゴーグルだ。
VRゴーグルは裸眼3Dや偏光型メガネの宿命的な問題点、クロストークを100%解決する(原理的にクロストークは起こりようがない)。被ることによって視界がなくなる問題は最近のVR機器ではアウトカメラでかなり解決できている。
バーチャルボーイはVRゴーグルの一種ではないのか? という疑問があったので、答えておく。
VRゴーグルの定義は実はちゃんとあるわけではないが「視界を完全にディスプレイで覆う」と「360度をVRにするためのヘッドトラッキング」の2つの技術は必須だと思うし、少なくとも初期の大学での研究だったVRゴーグルから上記の2つの条件を満たしていたのは間違いない。
なので、バーチャルボーイは視界を完全に覆わない・ヘッドトラックしないのでVRゴーグルではない、と僕は思っているわけである。
筆者は「任天堂が作っていないものはないと思っているのではないか」とすら思うほどに視野が狭く困ってしまう。PCで大輪の花が開いているとまでは言わないが、販売されている様々なVR機器や、さらにPSVRなどを考えれば、少なくとも3Dについては一つの答えが出ているのは明らかだ。
少しは他のハードでもゲームを遊んではいかがですか? と皮肉りたくなってしまう(すっかり忘れていたので追記。だいたいSWITCHにも簡易的なものではあるが、Nintendo LaboのVR-Kitがある)。
余談だが、筆者は全く知らないようだが、ファミコンの3Dシステムが発売された1987年は3D映像がブームになっていた時代(第二次ブームなどと書かれている物が多い)で、1986年にVHD(レーザーディスクの対抗規格)で3D映像があり、シャープから液晶シャッター式の3Dメガネが出ていた。このシャープの液晶シャッター式の3Dメガネを流用したのがファミコンの3Dシステムで、実はセガのマークⅢでもほぼ同じ内容のものが出ている。
またアーケードに目をやると、1986年稼働のナムコの『サンダーセプターⅡ』は液晶シャッター式の3D視。1987年稼働のアイレムの『バトルバード』(歌舞伎町でただ一度プレイしたことがあるので、間違いなく一般に流通している)は偏光方式。1988年に稼働が始まったタイトーの『コンチネンタルサーカス』は液晶シャッター方式。
筆者の書き方だと任天堂以外が何をやっていたのか全くわからないため、まるで任天堂一社が3Dに挑戦していたように読めてしまうが、上記のように80年代後半にあった3D映像ブームの中で任天堂も対応ハードを出した、という話だったのだ。
第18章 iモードとガラケー
ドワンゴは、もともとインターネットとゲーム・・・ーー特にオンラインゲームに強い会社だったので、iモードが始まった1999年には、『釣りバカ気分』というオンラインゲームを有料で配信します。これは、それなりに当たりました。というのも、ドワンゴはゲームの特性とネットの特性、その両方をよく知る会社だったからです。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p29) 講談社.Kindle版.
(中略)
さらに、常時接続できないという弱点も問題になりませんでした。というのも、そもそも釣リという遊びは「待つこと」も楽しみのひとつなので、釣リ好きのユーザーは、接続が確立するまで「待つ」ことに慣れていたのです。
また、『釣りバカ気分』は仮に接続が途中で切れたとしても、それまでにダウンロードしてある情報で、ある程度はゲームを続けられるようにプログラミングしてありました。
仕組みとしては、最初に「釣れるか、釣れないか」の情報だけを携帯内のメモリにダウンロードしておき、接続が途切れても、画面上にその結果が表れるような演出にしたのです。
こうすれば、接続していないときでも楽しめます。
調べたところ一番最初にドワンゴの『釣りバカ気分』がサービスインした1999年のiモード対応ゲームに関する記事が残っていた。
釣り場を選んで餌を購入し、釣り糸を垂れた後、1~10分ほど待つと、魚がかかったことを知らせるメールを受信する仕組み。
https://ascii.jp/elem/000/000/305/305953/
(中略)
利用料金は月額300円
読んでわかるとおり、引用文のゲームについての説明は実際と比較すると本当に全く間違っている。
何か他のゲーム、もしくは同名の後のバージョン(いろいろなところで展開されている)と間違っているのではないかと思われる。
また、下のまとめでくりたさんも指摘しているが、月額課金・webゲームで携帯のローカルゲームではない。
あまりに何度もこの手の指摘をしているのでウンザリしてくるが『釣りバカ気分』とgoogleに入力して検索するだけで、そのトップに出てくる記事がアスキーの記事だ(念のためにbingでも検索したところ、bingは若干違う結果だが、やはりこのレベルの間違いが出来る結果ではなかった)。
言い換えるなら、筆者二人は、驚くべきことにタイトルを検索する程度の作業すらせずに、すなわち事実関係をまるで検証せずに、引用部を書いていることになる。
正直、呆れてしまう。
『釣りバカ気分』をはじめ、iモードで提供されるゲームには、「アイテム課金」という仕組みがありました。これは、「プラス何百円かを払っていい釣り竿を買えば、大きな魚が釣れるようになる」といったものです。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p35) 講談社.Kindle版.
(中略)
アイテム課金という大発明には、韓国のオンラインゲームを運営している会社も目をつけました。
『釣りバカ気分』は前項で書いた通り、初期は「月額300円」の月額課金ゲームなので、いきなり間違っているわけだが、なにより筆者は日本のiモードがアイテム課金のパイオニアだと思っているのだが、全く間違っている。
近代的なアイテム課金のパイオニアは韓国だ。
アイテム課金の歴史は複雑で、かつPCのカジュアルゲーム(具体的には『フリースタイル』や『メイプルストーリー』や『パンヤ』など)が見えていないと、韓国先行という事すら分かりにくいうえにその始まりを調べるのは一苦労なので、筆者に若干は同情するが、それでもwikipediaで調べる程度で、こんなレベルの間違いは回避できたはずで、全く情けない。
以降「ゲームの歴史」ではアイテム課金はiモードが最初という間違いを元にして話を展開するので、長々と間違えることになり、全く読む価値がなくなっている。
(なおwikipediaのアイテム課金の歴史も間違っているので注意)
以下に、自分が知る限りで、かなり正しいと思われるアイテム課金の歴史を書く。
近代的なアイテム課金で一番最初にアイテム課金になった(と思われるのは)韓国のNeoWizのSayClub。出会い系で1999年10月頃の導入でアバターを販売するようになった。ただこれは出会い系SNSのようなものでゲームではなかった。
ではゲームはと言うと最初にアイテム課金になった(と思われる)のは『QuizQuiz』(1999 / ネクソン)。これが2000年10月前後(と思われる)。
そして「最初から基本プレイ無料のアイテム課金で設計されたゲーム」は、多分、『クレイジーアーケード』(2001 / ネクソン)。
いずれも韓国。
ここらへんに「と思われる」だの「多分」だのがつきまっているのは、ともかく韓国のオンゲーの歴史にはわからない、確定的ではない所が多いからだ。
なにより困るのがオンゲーは同じタイトルであってもサービス内容が平気で変わるためにリリースしたときと内容が変わると「いつ変わったのか?」を追うのが猛烈に難しいのだ。
ただ、上記の歴史は、ネクソンの社史、さらに韓国の複数のゲームのプロデューサーから確認を取って、みんな曖昧ながらも「まあそこらへんなのは間違ない」との言質はもらっているので、何もかもが大間違いということはまずない。
つまり近代的なアイテム課金は韓国出身だ。
なぜこうなったのかというと、PC房(ネカフェ。韓国ではバンと呼ばれる)での競争が激しくなって、90年代末には月額課金で稼げなくなりはじめていた。
そしてPC房では、当時海外では難しかった少額決済が可能だった(PC房がメーカーとユーザーのやりとりを処理する形で解決されていた)。結果、アイテム課金が可能だったので、メーカーはアイテム課金に活路を見い出し、初期は月額+アイテム課金で「月額課金の足りない分を補う」作りだったのが、基本プレイ無料=F2Pのアイテム課金という形式になっていくわけだ。
なお、日本では初期は基本プレイ無料ではなく、部分有料化と表現されることが多かった。
またF2Pという言葉が普及し始めたのは2012年以降だと思う。
F2Pは Free To Play、すなわち「タダで遊べる」の略語だ。2になっているのは”to”と”two”をかけているからだ。
さらに歴史の続きを書くと『フリースタイル』や『メイプルストーリー』の成功などもあってF2Pは成り立つということがわかった2004年、ネクソンは今までの様々な知見を活かして”CRAZY KART RIDER”、『カートライダー』をリリースする。
そしてこれは、あっというまに年齢層・性別を問わずプレイされる国民的なゲームになり、2004年末には、PC房でのプレイ率で韓国ゲーム史上最大のヒットといって間違いではない史上初の成功したeスポーツのプロリーグを作り出す原動力になった『スタークラフト』の占有率を超える伝説的な成功を収め、もちろん言うまでもなく売り上げ的にも大ヒットになる。
なので2004年末には、少なくともカジュアルゲームではF2Pは成り立つし、それどころではなく月額課金のMMO以上の大成功を収めうる、というのが韓国のゲーム業界における共通認識になっていた。
そして、2005年に韓国オンラインゲーム業界に激震が走る。
それが韓国オンラインゲーム史上最も重要な出来事の一つで、2005年8月にネクソンが発表した基本プレイ無料化宣言だ。
これで、ネクソンは当時サービスしていた月額課金だったMMORPG 5種『風の王国』、『闇の伝説』、『テイルズウィーバー』、『アスガルド』、『エランシア』の定額制を廃止すると宣言した。
これが衝撃的だったのは『ウルティマオンライン』と並ぶ黎明期のMMOで、韓国における月額モデルの始祖だった『風の王国』が基本プレイ無料+アイテム課金の形式に変更されることだった。
このインパクトは絶大で、以降、雪崩をうったように韓国のゲーム業界はF2Pに走り出し、次々と成功をおさめ、これらの結果を受けて2005-2007で大作MMOまで含めて、ビジネスモデルはF2Pという時代がやってくる。
そして日本でブラウザゲームで有料課金だったものをF2P+アイテム課金に変更していって、成功をしたのがハンゲーム。『ファミスタオンライン』(2006)、続いて『ブラウザ三国志』などがF2Pで大成功する(注意。どちらも近代的ガチャモデルの走りである)。
これと前後して、本格的なゲームに乗り出したのがモバゲー。
こうしてガラケーにいわゆるF2Pのソーシャルゲームの波がやってくる。
これは全く端折った歴史だが、とりあえずこんな感じだったとわかってもらえればいいだろう。
このとき、その手数料がiモード(10%)と比べて割高(30%)だったこと、プログラムや表現に対してよリ厳しい審査をしていたことから、iモード(ガラケー)の優位性は揺るがないかに見えました。ところが蓋を開けてみると、スマホはすぐさま圧倒的なシェアを獲得します。おかげでiモードは市場からの撤退を余儀なくされたのです。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p45) 講談社.Kindle版.
これはiPhoneがあっという間にガラケーを駆逐した…というストーリーが書かれているのだけど、まるで間違っている。
まずiPhoneの発売は2007年。そして日本で発売されたのは2008年。
なので、2008年からの歴史を見ていく。
さて、App Storeの登場は2008年10月で、次にいわゆるアイテム課金を可能にする”In App Purchase”、すなわちアプリの中での購入が可能になったのは2010年。
だから2010年までは課金そのものに問題があり、まともにアイテム課金が出来るようになったのは2011年になってからと考えていい(Google Playは後追いなので、ここではApp Storeを見ておけばよい)。
次に下の資料を見ればわかるが、2010年のスマートフォンのユーザー比率は4%、11年で21%、12年で22%、13年で39%。
物凄い勢いでシェアは伸びているが、2013年でもまだ4割を超えていない。
当然、iモードは市場から撤退など全くしていない。
また自分の仕事に関係する話を書けば、2012年にゲームロフトでGREEと協業してゲームを作っている。
つまり2012年の時点で、まだまだガラケーは元気…どころか市場の80%はガラケーだったのだ。
そして、発売5年の2013年でも50%を越えていないのを、すぐさまと表現するのは日本語としては、かなり問題があるだろう。
また、iモード自体はまだサービス終了していない。サービス終了は2026年予定である。
筆者はいわゆるガラケーとスマホのユーザー比など簡単に調べられる資料を調べずに、引用部のように書いているのである。
実際、本章ではこれまでのゲーム史に登場してきた名だたる国内メーカー――任天堂、ソニー・コンピュータエンタティンメント(SCE)、セガ、スクウェア・エニックス、コナミ、ナムコ、カプコンなど・・・――が、携帯電話ゲームの開発メーカーとしては一切登場しませんでした。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史3(p48) 講談社.Kindle版.
以下は携帯のゲームに大手ゲームメーカーが参加したニュースをいくつか抜粋した。
1999年に、SCEは『iモードもいっしょ』でiモードに参入している。
2001年にドコモとセガが業務提携してアーケードとiモードを連携させるニュース。
2001年にナムコがiモード向けにパックマンをリリースするというニュース。
2001年にコナミが携帯のjavaゲームに参入するというニュース。
2003年にスクウェア・エニックスがFOMA用の『ドラゴンクエスト1』、『FF』を発表したニュース。
これぐらいで十分だろう。国内の大手ゲームメーカーはハードプラットフォーマーのソニーまで含めて、どこもかしこも携帯ゲームおよびiモードに参入していたのだ。
筆者はこの程度のニュースも検索せずに書いたことになり、正直な話として、筆者の調査能力の低さには驚いてしまう。
次に続く話
まず書いておきたいが、3になって、間違った事実から、延々と間違ったストーリーを書く展開が、例えばアイテム課金などで大きく増えたので、ありがたいことに最初に誤りを指摘すれば、あとは全部間違いだと言えるようになっている。
ただし、その飛ばした途中にもここで取り上げていない細かい間違い・問題は山のようにあり、ここで指摘していないから正しいなどと思わないようにしていただきたい。
本書の誤謬密度は恐るべきレベルだ。
加えて書いておくと「ファッション」で何もかもまとめようとする見方やさらに当時の携帯ゲームをプレイしていた層に対するデータを実際見たことがはないだろうと思う、自分にとっては全く意味がない分析には全く同意できないが、そこらへんはモノの見方であり、取り上げていない。
ところで正直な話として、この話題が大炎上してから筆者を叩くことだけが目的の人が増えて、ウンザリしている。
僕は筆者に対して尊敬の念など全く持っていないし、こんな間違いだらけの歴史を書きやがってとウンザリしているし、物理的に出会ったらぶん殴りたいほど腹を立ててはいるが、筆者を謝らせるだの、そういったことには一切興味はない。そんなことをしてもいいことは何一つない。
このシリーズの目的は以下である。
- できうる限り自分のわかる間違いを指摘して、訂正する。
- 出版されてしまったのは事実であり、物理的に本は残るので、このシリーズを本の形にして、国会図書館に入れて、後世の人が間違いだと理解可能にしておく。
- 電子書籍版を作って、この記事と共にアクセスしやすくしておく。
また絶版・回収をするのは講談社および筆者たちの権利の範囲だが、個人的にはやってほしくなかった。まだ公式な発表があったわけではないが、個人的には残念である。
それから2D+3Dの話より、ともかくまず最後まで終わらせることを優先させることにした。
次はインディーゲームの話が現れ、また途方もない間違いが書かれているのである。
15件のコメント
コメントは現在停止中です。
iPhoneの普及に弾みがついたのは、2011年秋リリースのiOS5ですね。従来はiPhone購入後は必ずPCに接続してアクティベーション作業が必要でしたが、iOS5から母艦PCが不要になりました。岩崎さんが示されているデータにもあるように、これが契機になって、2010年から2011年にスマホの普及率がかなり向上しています。(といっても一般層に行き渡るにはまだ数年くらいは必要ですが)
仕事上、毎年大学新入生の面倒を見ていますが、スマートデバイスの流行に敏感な大学生の多くがスマホを持つようになったのは、だいたい2013年から2014年くらいからというのが私の個人的印象です。困ったことに、これによって大学生のタッチタイピング習熟度がガクッと落ちました。
iモード版モンスターハンターがプリインストールされてる携帯を持ってました。
流石に操作性もレスポンスもアレだったのでほとんど遊んでませんでしたが。
あと、章ごとの課金だった逆転裁判も遊んだことがあります。
「それはやっちゃ駄目だろ!」と言う展開でやる気を失いましたが。
iPhoneが普及したのはやはりiPhone5からではないでしょうか
4sでKDDI(au)が参入し、docomoユーザーは手が出せず・・・そしてついに5でdocomo参入
待たされたこともあり、一気にユーザーが流入した
という印象です
世界におけるスマホの先駆けといえば確かにiPhoneでありiOSではあるのですが、
スマホというモノ自体の世界における普及という観点ではAndroidも見ない訳にはいかない、
ということで自分の体感でですが、Androidがまともな普及を見せるのはAndroid5.0以降と
記憶していますね。
4シリーズで機能的にはだいぶ改善はしていましたが普及という観点では5.0以降になってからで
2014年リリース以後ということです。
4以前のAndroid、主に2.3以前という事になりますがこちらは正直使い物にならないレベルで
重くアプリもなく足りていない物が多かった記憶です。
比較的歴史の浅い分野なので、ご存命の方も多いんですよね。著者は当事者への取材は一切しなかったということでしょうか。理解に苦しみますが。
初代ファミコン世代の自分としては、大変興味深いお話なので、こんなトンデモ本で終わるのではなく、確かな人に確かな取材を元に確かな本をぜひ書いていただきたいと思っています。
検証いつもお疲れ様です!
あえて書くまでもない事と判断されて当然のことですので、コメント欄にて蛇足失礼しますが、DIABLOやUO以後の日本ネトゲ史で重要な役割を果たす「RagnarokOnline」の日本語版正式運用開始が2002年12月で、月額課金制でしたね(後にアイテム課金も実装したが、実装当時は相当に叩かれまくった)。VNIの隆盛や運営逮捕者など、歴史的に見て語る箇所も多いようには思うのですが、恐らく触れられていないのでしょうね。
またゲーム(はもちろんそれを含むネット)史を語る上でFLASHの存在は大きなものと思うのですが、出てすぐスマホが流行った世界線ではどういう扱いになっているのやら……
フラッシュゲームも、ラグナも存在しません。さらに恐ろしい話を書くとfacebook gameがありません。ドラコレも怪盗ロワイヤルもありません。
ありがとうございます。御ツイートで「HTMLで組まれたゲーム」前後の記述を拝見しておりましたので訝しんではおりましたが、やはりですか……OSの理解がアレという噴飯ものの箇所もありましたが、負けず劣らずの「史観と捏造」ですね
今ちょうど書いているところなのですが、多分ですが2000年前後に登場したjavaアプレットの”v-nes”を多分htmlで書かれていると勘違いしているのだろうと。
javaとjava scriptの違いも分かっていない…というやつかなあと思ってます。そしてこれをベースに話が進んでいしまうので、全くデタラメな話が進んでしまうのですが…w
気付いたらAmazonの商品ページが全巻404エラーになっていて、検索にも引っかからないのですが、いつ頃抹消されたのでしょうか?
おとといの朝だったかに見えなくなりましたね
あらら…ついに販売中止になりましたね。
修正版も発売されないということは本当に憶測と妄想だけで書いていたのでしょうか。
これまでのシリーズを拝読させて頂きました。この本に書かれているおかしい箇所をつぶさな指摘と根拠を交えてた反証に脱帽しております。
これまでの記事を読みまして一つ思ったことはご指摘されているように、「結論ありきで、事実を歪めるような記述がされている事」や「ソフトのタイトルを調べれば直ぐに答えが出てくるような事」について、だいたい信憑性に欠けるような事が書籍の中に平然と書かれているという事実についてです。ちょっとでも調べれば分かるような話でも、とんでもない書かれ方をしていて、著者は単に調べなかったという事よりも敢えて信憑性のない、誤っている可能性のある情報を集めているような印象が残りました。「ネット上の噂と自分のイメージでゲーム史として書いたらこうなった」みたいな感じでしょうか?
イメージとしてはバカ日本地図みたいな企画のような感じです(あっちは前面的に誤りであることを出しているので、著者の姿勢はかなり違いますが)。
原著読んでないのでもしかしたら記載があるのかもしれませんが、ここまでの流れでたまごっちが出て来てないのが一番気になりました。
あれだけ大ブームを巻き起こしたゲームを知らないってことはないでしょうし、著者の定義ではいわゆるキーチェーンゲームはゲームに含まれないんですかね
キーチェーンゲームは記載は一切ありませんね。
というか、この本はともかくハードの記載が不足で、PS1のポケットステーションやPSP、VITAすらないザマなので…