Wikipediaのイースの項目について(2)

前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
前回、文句をつけたwikipediaのイースシリーズの続き。
今回もバリバリと文句をつけていく(笑)

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なお『I』が作られた当時、日本ファルコムでは『ザナドゥ』がメイン商品であり、この制作者である木屋がスタープログラマー・ゲームデザイナーであって、橋本と宮崎は決してメインとは言える状況にはなかった。この為、「後の伝説はともかく『I』が売れなければ『II』は作られなかっただろう。」との旨を当時のスタッフが語っている。

これは僕が聞いた話ではちょっと違う。


ハドソンの近くの焼鳥屋(ドブロクを飲みながら皮を食うのが大好きだったが、今でもあるだろうか)だったと思うが、そこでドブロクを飲みながら「どうして1でもっとはっきりとイースを見せずにエンディングにしたんだよ?」と聞いた。
どうしてそんなことを聞いたか?
PC88版の最後の絵は朝焼けの空に曖昧な影が描かれているだけで、イースははっきりと描かれていない
アドルの行く末についてもあいまいで、2が出てからなら2のオープニングと理解できるが、そうでなければ「ああ、これで終わりね、ま、いいんじゃね」ってエンディングだ。
だが、流れる曲“Morning Grow”は(大変な)名曲とされていて、アレンジして作品に入れるか迷っていたからだ
だから、このときの山根の答えによっては無理してでも”Morning Glow”を入れて「イース1のエンディングっぽいところ→ダームとダレスの会話→1・2のインターミッション→リリア」という流れにしようと思っていた。
もちろん、こっちの方がオリジナルファンにも受けるのは分かっていた。
だがそのうち書くが、PCエンジン版イース1・2で最も厳しいリソースは言うまでもなく実メモリ(最後には1バイトは血の一滴の世界になった(笑))だったが、2番目に厳しいリソースはCD音源で、入れるかどうか慎重な判断が必要だった。
山根の答えは簡単で「だって2が作れるかなんてわからなかったすからね、はっきりイース描いて出ませんでしたじゃ話にならないから、ともかく終わらせておかないとまずかったんすよ」
つまりメインとかサブとか関係なく、出したときには「2」が作れるかわからなかったから、一応ケリのついている形でなければならない。だから空を見せても、イースの絵はあいまいにせざるをえなかった、メインであろうがなかろうが売れなければ続編はなかったというだけの話だ。
イース1のエンディングがその程度の意味合いだったなら、本を読む→ダームの塔が沈黙しました…の方が劇的だし、1曲減るから”Morning Glow”は削除しよう…と心に決めた。
そして、この話でわかるとおり、ネットを検索するとたまに出てくる「イースは最初から2まで含めて発売される予定で企画されていた」は嘘とまでは言わないが、どこからか出来上がった伝説にすぎない。Omen(前兆)と名前をつけたものの、2が出せるかどうかはスタッフにもわからなかったのが真実だったわけ。

■余談
ちなみにファミコン版のイース1だったかセガマーク3版のイース1だったかのどちらかでエンディングで空を飛ぶイースがモロに出てくる。それを見ながら「2を出せるかどうかもわからないのにこのエンディングはまずいだろう」と思っていたので、強く印象に残っていたりする。
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だが『II』の開発終了直前には、主要スタッフとファルコムの亀裂はきわめて大きくなっており、『II』のマップデザインやキャラクタデザイン、さらにマニュアルイラストレーションなどを担当していた都築和彦の離脱を皮切りとして、音楽担当の古代祐三や、妹でデザイン担当の古代彩乃などスタッフは次々とファルコムを離脱していくこととなる。

都築の親父(山根風表現)はそのとおりだが、古代兄弟についてはアルバイトだったはずなので離脱…というよりは、バイトをしなくなった、ということだろう。
まあ「バイト辞めます」というのも離脱なのは間違いないけれど。
ちなみに山根の話を信じると、都築さんが会社を辞めるとき「こんな会社辞めてやる」と怒鳴ったらしいが、このあたりは、山根のホラが入っているかも知れない。

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『II』を完成した橋本・宮崎は『イース』ではないつもりで『III』を企画するがシリーズの続投を決めたファルコムは『イースIII』へと内容の変更を要求する。これが一因となってか橋本・宮崎に加え倉田佳彦の3人が『III』完成直後にファルコムを離脱。さらにグラフィックスの中心であった山根は『スタートレーダー』完成直後にファルコムを離脱し、以降のファルコムに残るオリジナルスタッフは大浦孝浩と桶谷正剛、音楽担当の石川三恵子のみとなった。

IIIではないつもりでワンダラースを作ったのかについては知らない。
ワンダラースは外伝のつもりだったのか、それとも他のゲームだったのかについても僕は知らない。ストーリーや作りから見てアドルである必然はないのは確かだけど、また反面、アドルを使って外伝を作るって発想は十二分にありえる。
ただ、山根から「ワンダラース」って横スクロールのイースの外伝を作っていて、ワンダラースを作る前からワンダラースが終わったら辞めると言っていたと聞いた。
そして、そのとおりになった。
オリジナルスタッフがファルコムを辞めていった順についてはWikipediaの書き方が悪くて分かりにくい。
山根はイース2が終わった後『スタートレーダー』の企画に入り、作ったあと辞めた。『スタートレーダー』を作っているとき、並行して『ワンダラース』は作られており、『ワンダラース』は『スタートレーダー』が終わって少しして完成。そこで橋本君・宮崎君・倉田君が辞めた…と僕は聞いている。
つまり、ファルコムから抜けていった順番を並べると、
(2直後) 都築の親父・古代兄妹
(スタートレーダー後) 山根
(イース3後) 橋本君・宮崎君・倉田君
ということになる。
このあと、大浦君と桶谷君が何をしていたのかは知らない。
1989年の6月頃、移植にあたって「山根から聞いているのではない、ファルコム公式のイースの設定」を聞きに行ったときには、この二人が出てきて、僕の質問に答えてくれたので、そのときにまだいたのは確かだ。

この山根・橋本・宮崎の3人が離脱する前後に開発が決定したのがPCエンジン版の『I・II』である。山根はPCエンジン版の開発を当時の『マル勝PCエンジン』のライター(小峰徳司)から聞きこんで『I・II』の開発に加わり、助言やグラフィックの作成を行っているが、ファルコムとの関わりからスタッフロールにはペンネームの天城秀行の名前で記載されている。

まさにそのとおり。
ただし、助言やグラフィックの作成なんて甘い物じゃない。
1・2の絵コンテは全部、彼が描いているし、キャラのアップの絵も全部彼(フィーナ、レア、ダルク・ファクト、リリア、マリア(鐘つき堂)、ダレス、ダーム)。
さらにアニメーションのかなりの部分…というか、大半を描き、加えて設定やマップの修正、そのほか、膨大なグラフィック上の作業を行っている。
つまりPC版のリリアを書いた当の本人が、フィーナとかキャラ決めた当の本人がキャラを書いているわけだ。
ところが、イース1・2発売直後に「ファルコムの原画より出来悪い」とか「ファルコムのオープニングと比べると落ちる」とか、当時のPC-VAN・nifty・東京BBSなどの大手のパソコン通信のBBSで叩かれて、山根はガッカリしていた(苦笑)
また、天城秀行の名前は僕が考えた(笑)
最初は適当な名前つけたら(覚えていない)「もっとかっこいい名前つけてくださいよ、ゴー」とか言いやがったので、ウルトラセブンの<アマギ隊長>と当時流行していた菊池秀行先生の下を合体して作った名前だ。
そしたら今度は「カッコよすぎませんかね?」とか言いやがったので「ウルセイ」と言った記憶がある。
なんとHaHi君から、メッセージが来た。アマギは隊員だといわれた。そして隊長はキリヤマだと。
21年前からの勘違いが、今訂正されることになった(苦笑)

■余談
ワンダラースの演出はイース1・2に強い影響を与えている。
当時からゲームは映画に例えられていたが、個人的には映画の最強の武器、映画を映画足らしめる技法「モンタージュ」がゲームの中心にないという点から、映画やドラマの演出とゲームのフィッティングに強い疑問を持ちはじめていた。
で、いろいろ考えた結果として、演出は演劇のような形式が望ましいと考えだしていたところに見たのがイース3。結構オープニングに強烈なインパクトを受けた。
ちなみにこの発想が天外2では進んで「ゲーム画面でムービーをやる」って方向に進んでいった。
(余談の余談だがHEAVY RAIN(ヘビーレイン) -心の軋むとき-は、モンタージュを可能にしたゲーム、という一点についてゲーム史に名前を残すべきだと思うのだが…その観点からゲームを見ている人がほとんどいないのが残念だ)
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