Wikipediaのイースの項目について(1)

前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
山根ともおが出てきたところで、文句をつけておきたいのがwikipediaのイースシリーズの項目だ。
Wikipediaの出典がどのようなルールになっているのか知らないが、ここに書かれていることの大半は、かなり真実なのは間違いない。
でもWikipediaは出典がないというだけの理由で嘘扱いしていてムカつくので、以下に転載し、ちょっとコメントを加えていこう。
ぶっちゃけ、これが書きたくてこの項目を始めたようなもんだ。
Wikipediaの検証可能性とやらは、あまりに問題が多い。
このカテゴリの最初に書いたとおり

だいたいWikipediaの主張する検証可能性なんて話を始めると、この当時のゲームを作っていた人間の話なんて、みんな検証不可能だ。
ほとんどは口伝の伝説みたいなもんである。
検証可能な話と出来ない話は腑分けして「これは検証不可能で、もしかしたら嘘かも知れません」と但し書きをつけておけばいい

杓子定規に検証可能性だの信頼性だのを言い出すと、結局、今回のイースシリーズの話のように、数の少ない人間だけが知っている真実などまで抹殺する可能性があるということに気がつかないのかといいたくなる。
集合知は、屑や信頼性のないところまで含めて集合知である。Wikipediaの草刈りをしている人間には猛省を促したい。
と、思い切り文句を書いたところで--
今回の内容は、20年前に書けば差し障りのある話だったのは間違いないが、今はもう時効だろうと考え、結構あけすけに書かせてもらう。

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〈ドラスレシリーズ〉のゲームデザイナーである木屋善夫の下で厳しいスケジュールと要求に参っていたグラフィッカーの山根ともおが、ディレクション・ゲームデザイン・メインプログラム担当の橋本昌哉とシナリオ担当の宮崎友好の2人に合流して『イース』の開発が始まる。

山根ともおから聞いた話が間違っていなければ、嘘も偽りもない本当だ。
山根は厳しい制限の中でドットを置き、マップを作る作業について正真正銘の天才だった。彼はファルコムに入社して最初に木屋さんの下でザナドゥを作ったが、このとき圧倒的な能力を発揮したので、当時としては素晴らしくグラフィックがきれいなゲームとして話題になった。
もちろんこんな腕のあるドット屋を木屋さんが離すわけもなく、ロマンシアではなんと64キャラ(8x8ドットを1キャラとし、これが64個ということ)でマップ用のデータと人物が全部入っている状況でゲームを作らせた。
普通出来ないと思うのだが、山根は暴れ倒しながら実現してしまった(笑)
山根の主張によると「木屋の親父(と彼は表現していた)は、絵描きのことなんて考えないんだよ、ゴー(彼はすぐゴーという(笑))」で、山根はさすがに参ってイースに参加したと言っていた。
ザナドゥ・ロマンシアと大ヒットを飛ばした木屋さんと比較すれば、当然宮崎・橋本コンビは社内では2線級。そこに山根が入ってイースを作り始めたわけだが「日陰者」という感覚がイース製作の上で影響しているところは多々あると、山根は言っていた。
例えば--「どうして誰でも解けるとか言ったわけ?」と聞けば「まあ劣等生でも解ける! みたいなイメージだったんすよ。それに難しいゲームは俺はロマンシアでうんざりだったし」だ。
「なんで半キャラずらしなんだ?」と聞けば、最初は剣を振るデザインだったのが「俺たち、日陰もんなのに、こんな王道やってどうすんだ。楽に行こうぜ」みたいなノリでやってみたら、結構気持ちよかったもので、そのまま半キャラずらしになった…みたいな具合だ。
もちろん、この話がどこまで本当だったのかはわからないが、当時木屋さんといえば、ザナドゥで伝説的な大ヒットを飛ばし、その後もロマンシアソーサリアンと立て続けにヒットを飛ばしていたPCゲーム界のスーパースターで、それと比較したとき、イースチームのメンバーに日陰者のイメージがあったのは間違いないだろうし、それがゲーム内容に影響を及ぼす…というのも納得できる話だ。

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当初の企画内容は『I』と『II』の両方を含むものであったがディスクが予定枚数に収まらないことと、スケジュール的に間に合わないことから、急遽最終面としてダームの塔を付け加えて発売されることとなり、それゆえに最終面のダームの塔はレベルアップの要素が全くなく、単なるアクションゲームとして出来上がっている。

まさしく書いてあるとおり。
もともとはイースはイース2まで含めてで企画されていて、廃坑にいる「ヴァジュリオン」で話半分で、以降はイース2という話だった(橋本・宮崎コンビの頭の中には、イース2の魔法を撃つ要素はなかったと思う)。
今となっては、どこで空に飛ばすつもりだったのかは分からないが、裏切り者のダルク・ファクトを倒すと、空に飛ぶという展開は同じだったらしい。
余談だが、イースIIでキース・ファクトがかかっていた呪いは実は魔物の呪いではない。ダルク・ファクトが裏切ったことによる影響というのが、元設定だ。まあキースからしてみれば「なんで魔物になったのか」なんてわかるわけもないので、魔物のせいだ、ということになるのは当たり前だけど(笑)
ところが、イース2まで入れるとどう考えてもディスクが3枚組以上になることがわかり、しかも間に合いそうもない。
当時はまだディスクの価格が高く、2枚組までと厳命されていたので、しょうがないので廃坑までで話を切ろうということになった。で、廃坑まででディスク1枚でバランスを取ったが、今度はボリューム不足。しかもマスターアップまで残り1ヶ月。どう考えてもマズい。
そこでスタッフが考えついたのが「ダームの塔」だ(誰が考えついたのかは知らないが、話を聞いていると橋本君っぽい)。
塔なら、全部同じキャラクタセットでいけるし(つまりグラフィックの制作時間が短い)、曲も1曲ですむ
さらにアクションゲームにしてしまえばバランスも取りやすい
あとはもともと予定されていたボスを塔に配置して、割り切って、レベルは最大でプレイすると決めてしまえば、アクションのバランスを取るだけで済むから、話も簡単だ。
(ところでイース1でボスが6体いるのにははっきりと理由があるが、それは初期のイースの設定と関わるので、また別項目で)
ということでダームの塔が急遽建設されることになったわけだ。
山根はゼピック村に戻れるようにしておきたかったらしいが、橋本君がディスクの入れ替えがあるのとフラグ管理を嫌ってゴーバンにウィングを没収させたわけだ。
「橋本さんって、面倒くさがりんなんすよ、ゴー」だ(笑)
なにはともあれ、突貫工事でダームの塔は建設され、アクションとしてバランスは取られているわけだ。
この項目はまだ続くのである。

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4件のコメント

  • AGENT: Opera/9.80 (Windows NT 5.0; U; ja) Presto/2.5.22 Version/10.51
    はじめましてです。たまにWikipediaの編集を行っている者です。
    Wikipediaの検証可能性というものにはいろいろと難しい問題がありまして。
    「その話どんな裏付けがあるんですか」と尋ねられて「私の体験です、信じるか
    どうかはご自由に」というのを認めないのが信頼できる百科事典を目指す
    Wikipediaの方針であり、要出典を貼る者の根拠です。
    信頼できる出典がないから問題とされるので、この岩崎さんのブログは
    「自主公表された情報源」として出典となり得ると思います。ただ個人ブログは
    出典として用いるのはあまり望ましくないという考えの人もいるため、
    もっと適当なのは岩崎さんが雑誌か何かにこうした裏話をお書きになることです。
    では岩崎さんが「私のブログ(あるいは書いたもの)が出典です」と該当項目を

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 6.1; en-US) AppleWebKit/532.5 (KHTML, like Gecko) Chrome/4.1.249.1042 Safari/532.5
    コメントが1000文字までもんで途中で切れてしまっていますが、理解はしました。
    ついでにコメントの長さを4000文字ぐらいまで拡張しときました。

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.2.2) Gecko/20100316 Firefox/3.6.2 (.NET CLR 3.5.30729)
    はじめまして。自分は旧いイースフリークで、歴史的名作がどのようにできあがったか、興味深く拝読しております。
    PC版プロトタイプでは家畜を捕まえて売り払えたりできたようですが、「王道をやってどうするよ」の言葉に、妙に納得いたしました。

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 6.1; en-US) AppleWebKit/532.5 (KHTML, like Gecko) Chrome/4.1.249.1042 Safari/532.5
    PCエンジン版を作っているときには、プロトタイプの話は興味ゼロで全く聞いていませんでした。
    多分、山根も一度も話をしたことない…と思うのですが、もしかしたら焼鳥屋で一度ぐらい話を聞いたことがあるかも…(苦笑)

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