書籍「ゲームの歴史」について(6)

このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。

今回の(6)から2巻になる。

該当の本は、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。

例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。

なお、該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで本文と若干ずれたり、誤植がある場合があるかも知れないが、そこは指摘いただければ謹んで修正させていただく。

シリーズは以下のリンクを読んでいただきたい。

また、このテキストの引用元になった本は2023/2/6 に購入したkindle版である。

第9章 ゲームボーイと『ポケモン』の伝説

ラジオなら屋外で聴く人もいましたが、「手持ちの好きな音楽を、好きな場所で、誰にも迷惑かけることなく聴ける。しかも、それを実現する機械はポケットにも入るほど小さい」などという日常が訪れるなど、誰も想像していなかったのです。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p5) 講談社.Kindle版.

これは初代ウォークマンの話で、ポケットに入るほど小さいと表現されているが、初代は今の目から見ればかなり大きな代物でジーンズのポケットでもムリで、コートのポケットでもないと厳しいサイズだった。
だから初代は付属のケースに入れて、そのケースにつけられるストラップでぶら下げるか、それとも腰にベルトでつけるかするものだった。筆者はウォークマンⅡ以降と間違っているのだと思われる。
僕は初代を持っていてベルトにつけて歩いていたのだから、まあ間違えようがない。
ただし、それでも当時としては小さく、街中を歩きながらステレオで音楽聞けるという体験は革命的だった(ついでに書くと物凄く小さいわけではない。音楽用でなければ似たようなサイズのカセットレコーダーはあった)。
どうしていらない間違ったテキストを付けてしまうことで、間違いをまき散らすかなと思ってしまう。


この隙間時間に、ゲームボーイは見事ハマりました。
部屋の中でも外でも、電源を入れればすぐにプレイができる。わざわざ目宅のリビングに行き、背中越しに家族の視線を気にしながらゲームをする必要はありません。
気兼ねなく、いつでもどこでも、やろうと思ったその瞬間に、隙間時間を楽しく埋めることができる機械--それがゲームボーイでした。
これは、現在で言うところのスマートフォン(スマホ)と、ほとんど同じ役割です。
(中略)
ゲームボーイはある意味で、スマホの先駆けだったのです。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p8) 講談社.Kindle版.

「隙間時間」は、ちょっと時間が空くことだが、ゲームボーイはスリープがないので、引用部分に書かれているような隙間時間を埋める使い方は出来ない。
一度プレイを始めると、セーブするかそれともゲームオーバーまでプレイをするのが基本になる。
また電源投入→ゲーム起動まで10秒ぐらい掛かる(任天堂ロゴ表示後、ゲームタイトル表示のシーケンス。そこからcontinueなどを選ぶことになる。レトロ系の動画などを参考にしていただきたい)。
さらにゲームを交換するときは電源を切ってカートリッジを交換する必要がある。

つまりプレイのフォーマットはファミコンと同じで、今のスマホとは別物だ。
リビングのテレビを占拠するファミコンより気軽に気兼ねなくプレイ出来たのは間違いないが、スマホのような使い方からは程遠い。

なお、1989年は家のテレビが2台になり始めているころで、子供にとってリビングのテレビを占有せずに遊べる=親に邪魔されにくいゲームボーイはとても魅力的なハードだったのは間違いない。

隙間時間を埋めるわけですから、ゲームは「短時間で終わるもの」が向いています。重厚長大なロールプレイングゲーム(RPG)は向いていません。ちょっとした息抜きにできるパズルゲームや、1ステージが短いアクションゲームなんかは、うってつけです。
実際、ゲームボーイ発売後しばらくの間、比較的よく売れたソフトは『テトリス』や『ドクターマリオ』といったパズルゲーム、『星のカービィ』や『スーパーマリオランド』といったアクションゲームでした。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p8) 講談社.Kindle版.

初代ゲームボーイの発売日は1989年4月。『ドクターマリオ』は1990年7月で1年3ヶ月後。『星のカービィ』の発売は1992年4月で3年後のソフトだ。
普通は「発売後しばらくの間」の中に入るソフトではあるまい。
加えて、軽いソフトが売れたと言うが、発売年89年末の目玉ソフトは『魔界塔士 Sa・Ga』。思い切りRPGで、これが110万本を売り上げる大ヒットだ。
また売り上げトップ50の中のRPGを見ると21本。『遊戯王』・『ポケモンカードGB』といった、当時流行したカードゲームを加えると、実に26本がRPG/DCG。
つまり初代ゲームボーイの売り上げ上位は「ガッツリ」遊ぶゲームが多いのだ。

ただし注意することがある。
実はゲームボーイの売り上げベスト50のうち38本が1996年2月以降のソフトだ。
つまり初代ゲームボーイは『テトリス』の爆発的ヒットもあって、一気に売り上げを伸ばすが1996年ごろには終わったハード扱いになっていたのが、『ポケモン』の大ヒットで二度目のブームがやってきて、そこで売れたゲームが上位を占める特殊な市場とも言える。

そう考えたとき、引用部分は、そもそも挙げられているゲームタイトルがおかしく、さらに初代ゲームボーイの市場の特殊性を無視した単純かつ、意味のない分析なのでいずれにしても話にならないと言えるだろう(なお初代ゲームボーイの売り上げ情報にはブレがあるので、本数とタイトルには変動がある)。

ただ、『テトリス』は確かにゲームボーイの普及を助けはしましたが、ゲームボーイの良さを完全に活かしきったゲーム……とはいえません。なにしろ、もともとはソビエト連邦(現ロシア)で開発されたゲームですし、ゲームボーイの前にはセガがアーケード版として出していたため、すでに一定のファンを獲得していました。そのため、ゲームボーイでなくとも、あるいは通信機能かなくても楽しめたのです。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p10) 講談社.Kindle版.

まず『テトリス』は疑いもなくアーケードで大ブレイクしたゲームだ。
初代ゲームボーイの『テトリス』がファミコンのBPS版の操作系ではなく、アーケード互換の操作系になっているぐらい大きな影響を与えている。
だから、その人気は一定のファンを確保したどころの騒ぎではなかったし、メガドライブを日本で普及させるための、今でいうキラーソフトの1つと見なされていた。

だからヘンク・ロジャースが「家庭用ゲームマシンでの独占ライセンス」をソビエトの外国貿易協会(ELORG)から直接手に入れた結果、家庭用ではミラーソフト・アタリが持っていたライセンスが無効とされて、結果、セガのアーケードテトリスのメガドライブ版は出せなくなり、当時のセガユーザーはいろいろ怨み骨髄になっていたのだ。

ところでこの項目では「通信はポケモンが初めて他にはない活かし方をした」とするため、通信を使った対戦という、当時としては革命的なアイディアが投入されているにも関わらず『テトリス』もゲームボーイの良さを活かしたソフトではないとしているわけだが、ゲームボーイ版『テトリス』は史上初の通信で対戦できる落ち物ゲームで、この対戦する落ち物パズルの登場は以降のあらゆる落ち物に決定的な影響を及ぼし、対戦を標準とする落ち物パズル『ぷよぷよ』の大ヒット以降、対戦が落ち物パズルの標準のゲームプレイになって、ずっと遊ぶスタイルは「無限パズルモード」だの「やりこみモード」だのといったサブモード扱いされるようになるのだから、この対戦を付けたのがどれほど大事かわかる。

『ポケモン』の交換が極めて優れたアイディアであったのは間違いないが、それを持ち上げるために『テトリス』がゲームボーイの良さを活かしていないは、少々牽強付会が過ぎるだろう。

また、全く当たり前の話だが、ソビエトで開発されたゲームだからというのはゲームボーイの機能を活かしていない理由にならない。
さらに書けばセガがアーケード版として出していたから、ゲームボーイでなくとも通信がなくても楽しめたから、ゲームボーイの機能を活かしてないとか、もう何も論理が通っていない。
筆者はこんな支離滅裂な文章を書いて恥ずかしくないのだろうか?

田尻は、そんなメンコ遊びで味わえる醍醐味をゲームボーイ上で再現できる・・・と考えました。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p15) 講談社.Kindle版.

田尻さんが『ポケモン』の開発について、かなりぶっちゃけた内容を語っている「新ゲームデザイン」では、自分の持っていた通信のイメージは対戦のために使うものではなく「通信を通して<何か>がハードからハードへと移動していくイメージ」で、それが『ポケットモンスター』の原点だったと書かれている。
つまり交換がキーになっていて、その交換するものがモンスターというアイディアになったわけだ。
そして、この交換を楽しんでもらうためには集めることが強い要素になる、すなわちメンコやロボコンカード(と本には書かれている)のようにコレクションすることを中心に据えた。
そしてコレクションを補強するための道具として図鑑があり、これは仮面ライダーのカードのアルバムのような機能とした書かれている。
加えて「赤」と「緑」を用意したのも、出るポケモンを偏らせることで、交換を機能させるためだ。

また、現在でも簡単に手に入る小学館の「ポケットモンスターを作った男」では、幼い頃に好きだった「昆虫採集」をベースに思いついたというストーリーになっていて、メンコはどこにも出てこない

つまり、資料を見る限りでは間違っても「メンコの醍醐味を味わえるゲーム」を作ろうとしていないし、僕は「メンコ遊びをゲームボーイに再現する」と書かれた資料は見つけられなかった。

さらに書くと、当時ゲームフリーク在籍し、田尻さんが作っている横にいたとみさわさんは以下のように言っている。

筆者はどこからこのソースを手に入れたのか、はっきりさせていただきたい。
6年かけて事実を積んだ筆者だ。まさかこのソースがないなんてことはないですよね?

とみさわさんが『ポケモン』の登場の経緯をツイートしてくださったので、以下にそのリンクを入れておく。

田尻には、ひとつの夢がありました。それは、集めた虫同士を戦わせること、どれが一番か競わせること。ただ、それを実際にすることは不可能だったので、いつしか忘れ去っていました。その夢を、ゲームにすることで復活させたのです。つまり『ポケモン』は、田尻の「虫同士を戦わせてみたい」という夢の”シミュレーション”でもありました。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p15) 講談社.Kindle版.

自分の知っている全ての資料で、もっとも現在で公式に近い「ポケットモンスターを作った男」まで含めて「対戦」は最後の最後で突貫工事でつけられた機能だったと書かれている。

つまり戦わせることは『ポケモン』においてはメインの機能ではなかったので、このような主力の機能だったという書き方は間違っている。

また「虫同士を戦わせたい」という夢のソースは全く発見できなかなった。
筆者にはぜひこのソースを教えていただきたい。

あるゲームハード用に開発されたゲームを別のゲームハード用でも動くように作り直すことを「移植」と呼びますが、移植元ハードより移植先ハードのスペックのほうが低い場合、ものすごい工夫を施す必要がありました。足りない処理能力やグラフィック能力、少ない音色や容量といった困難をアイデアで乗り切り、元のゲームの雰囲気や面白さの本質を削がないよう、巧妙にプログラミングしなければならないからです。
そして、それを見事に克服したゲームは、後世まで語り継がれる「名移植」として称賛されることになります。アーケードからファミコンに移植された『ゼビウス』などは、まさにそうでした。田尻がメンコ遊びをゲームボーイに移植したのも、ハードどころか遊びの分野を飛び越えての移植でしたが、やはり「名移植」と呼ぶに相応しい偉業だと思います。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p16) 講談社.Kindle版.

移植は英語では”porting”で「運ぶ」というようなイメージに近い。まずその原語があったうえで「移植」という言葉が選ばれたわけだ。

そしてソフトウェア工学において、移植は、あるプログラムが元々設計されていた環境とは異なるコンピューティング環境(例えば、異なるCPU、オペレーティングシステム、またはサードパーティ製ライブラリ)で何らかの形で実行することを目的として、ソフトウェアを適合させるプロセスだ。また、ソフトウェアやハードウェアが異なる環境で使用できるように変更される場合にも使用される。

つまり、仮に田尻さんがメンコ遊びをゲームボーイに載せても、それはソフトウェア工学における移植ではない。

移植と言う日本語を利用して、勝手にソフトウェアで使われる専門用語としての移植の意味を拡大して牽強付会でこのような事を書いて、無理矢理、自分の意見が正しいような主張をするのは止めていただきたい。

『ポケモン』は、「ポケモンは全部で151匹」という、いわば「世界の果て」が最初から決められています。これは、概念的に言えば「箱庭における四方の壁」に当たります。壁がはっきりと示されているからこそ、プレイヤーはその中の世界で、逆に創意工夫をこらすことができるのです。
目的は全151匹のコンプリート(全部集めた状態)。そのためには、どういう方法をとっても構いません。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p16) 講談社.Kindle版.

この本の中で『ポケモン』はとても特別なゲームとして扱われているのだけど、信じられないが筆者はまるで『ポケモン』の事を調べずに書いているとしか思えない。

一般的に知られている話を以下に書く。

もともとゲーム的には『ポケモン』は150匹で、151匹目に当たるミュウはゲームの中で「目撃されたことがある」と情報があるだけの幻のポケモンだった。
ところがデバッグ終了時に、余っているメモリがあったもので、そこにミュウのデータを本当に入れた。
それは公開するつもりはなかったデータだったが、バグから偶然ユーザーに露出してしまい、しかもバグを取ってしまったバージョンのROMでは出ないために、出るプレイヤーと出ないプレイヤーがいることになり、さらに裏技で無理矢理出す方法をプレイヤーが試すものでバグデータを持ったポケモンが交換されるといった問題が起こった結果、それを151匹目として公認する形になった。
これが一般に知られている話だ。

しかも151匹目として公認される時、ミュウは雑誌プレゼントやイベントで手に入れる以外手段のない極めて特殊なものだった。

つまり、そもそもの目標は150匹で、そこにいろいろな都合から予定外の151匹目が登場したという流れで、150だと思われていたポケモンの数が曖昧になり、入手手段などが噂になったことが子供の興味を強く引き寄せたとされ、ミュウの登場こそが『ポケモン』人気の爆発を引き起こしたキーの1つとされている。
言い換えるなら「箱庭における四方の壁が曖昧になったからこそ爆発した人気だ」という話だ。
つまり筆者は全くの間違いをベースに「『ポケモン』こそは私が言う箱庭、創意工夫!」と書いていることになる。

なお、このストーリーはウィキペディアにすら載っている程度の話であり、筆者はこの本を事実に基づいた内容だと主張しているのだから、事実を無視した自説を述べる前に、ウィキペディアを読む程度で良いので、事実と言うものに少しは真摯に向き合ってから原稿を書き始めた方がよかっただろう。

ところでファミマガの編集長を務められた山本さんはこの本を読んでいるのだけど、この節に対して以下のように言っていた。

実際は「ポケモン」は前評判はあまり反応なく、発売からの「コロコロ」の誌面が、子供の心を引っ張って、そこでみんな面白さを理解するという流れで、自然発生的に口コミで広がった…という本の内容には「?」が付きます。

実は、ハードの末期に「とんでもないソフト」が現れてハードの寿命が延びるのは、ゲームボーイに限ったことではありません。ファミコンにおいても、『スーパーマリオプラザーズ』登場によって同じ現象が見られました。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p23) 講談社.Kindle版.

『スーパーマリオブラザーズ』はファミコンが発売されて2年目の後半。
そもそもファミコンの売り上げのピークは85年のクリスマスと想定されていたわけだから、任天堂の想定ではファミコンの全盛時代だ。
ハード末期という書き方をするなら、ファミコンなら1990年前後のことを言うだろう。

対して『ポケモン』はゲームボーイが発売されて7年目の話で、全く時期が違うのに同じ扱いをすること自体が間違っている。

ところでこれは余談だが「ファミコンとその時代」によると、当時の任天堂の社内ではそれまでの経験から、ファミコンの売り上げのピークは2年目、つまり1985年の半ば~年末と想定されていた。
だからシステムの延命措置兼書き換えによる低価格なソフトの提供手段としてディスクシステムへの移行を行うというのが、当時考えられていた戦略だったわけだ。

次に続く話

この『ポケモン』の章は、筆者にとって非常に重要らしく、後半はゲームの歴史はどこへやらで「ゲームの面白さには正解がある」とプロなら失笑してしまう主張を始めるととも「子供はこんな風に遊ぶべき」とか延々と無駄な語りが行われる(おかげで大いにページを読み飛ばすことが出来てありがたいのだが)。

ところで、その「ゲームの面白さには正解がある」という主張を支えるために「筆者の主張するゲームの本質は、ポケモンの大成功によって証明されている」とする「大成功した理由を後付けで引っ張り出し、その理由が筆者の考えに一致している、だから<正解である>」とする典型的な後知恵理論を振り回していて、それが下の引用部になる。

『ポケモン』が示したーーそして本書で繰り返し述べているーーすぐれたゲームの要件である「ハッキング精神」と「箱庭性の高さ」は、「面白さの正解」です。この2つは、ゲームのジャンルを問いません。シューティングだろうがアクションだろうが、面白いゲームには「ハッキング精神」と「箱庭性の高さ」が必ず入っています。

岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p24) 講談社.Kindle版.

ところが筆者の主張する「箱庭性の高さ」とやらは、151匹と書いている段階で事実に照らして間違っているのは明白なのは指摘した。
そしてハッキング精神は、その発露であるはずの「メンコを再現した」だの「虫と戦わせるのが夢だった」という部分がソースがないのだから、やはり筆者の主張は間違っているのは明らかだ。
つまり、筆者の主張は事実に照らして話にならない主張なのだ。
筆者は何かを主張したいなら、もう少し事実に立脚してはいかがかと皮肉りたくもなろうというものだ。

そして全く呆れることに、本当に、この本は端から端まで、今まで書いてきたような、筆舌に尽くしがたい間違いの山と牽強付会だらけで、ゲームを作った・作っている人たちの顔と創作物に泥を塗りまくっている、恥知らずな本だと僕は思う。
筆者は自分の調査の至らなさと独善ぶりを心の底から恥じて、心を入れ替えて、ちゃんと勉強して、最初から書き直されてはいかがか。

また、これを出版した講談社と、これをOKした編集者も、本当に心の底から恥じてほしいと僕は思っている。

だが、このような信じがたい恥知らずな間違いが溢れた本が出版されてしまったのは、事実であり、それを訂正するための旅は続くのである。

次のセガの章も酷いんだ…本当に酷いんだ…

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