FF13-2をやって思ったモロモロのこと(8/終)
いろいろ、今まで長々と書いてきたし、文句も書いてきたけれど、FF13-2の基本的な評価をするなら、基本的には一流品、それも超一流品なのは間違いない。
たとえば操作性について見れば、これを悪いというとバチが当たるだろうと思う。メニューの構成の好き嫌いとかシステムの好き嫌いはあろうが、反応はいいし、使っていて突っかかったりイライラすることはない。
ムービーとグラフィックスについては、マップや敵キャラクタについて、たぶんFF13からかなりの流用をしていると思われるけれど、それの出来が悪いのか? と言われた「いいや、とてもいいと思う」だ。もちろんモデリングやエフェクトについては超一流なのは間違いない。
ムービーのQTEについては「それにどれほどの意味があったのか?」と書いた通り「だからどうした」でしかないと思うし、それに投入したコストを考えれば価値はなかったと僕は思うけれど、出来が悪いのかといえば「いいやそんなことはない」だし、なにより、まあ実際QTEでスゴい使われ方(今回はそれについてモロに書くことになるけれど)がされていたので、あえて許せてしまう。
一本道を気にして直したのも、だからどーした、だとは思うし「結局、これって一本道と変わらんやん」と突っ込みたくはなるが、それは作り手ではなく、遊んでいる側の感じ方で、人それぞれだろう。
戦闘についても13を楽しめた人間が楽しめなくなったのは事実だけど、だからといってつまらないわけじゃない。
本当にジャマーとエンハンサーが役立たずになったのはひどいと思うが、これを使いこなして面白いといえる人がどれだけFF13をプレイした人にいたのか? と問いを立てた時、なんとも疑問だ。
そして、その疑問を持ってFF13-2を見た時、問題だったレベル制限はなくなっているし、難易度は最初から下げられるし、戦闘のグラフィックは相変わらず華麗だし、モンスター集めるのだって結構楽しいし、戦闘システム自体は改良されているところが多く、僕が書いた欠点というのは、いわばFF13の難易度や戦闘を楽しめた人間には同じように見える戦闘なのに、ただの力押しになってガッカリだった、という話であって、知らずにプレイした人や、前作が難しすぎて挫折した人たちにとってはむしろ楽しめたのではなかろうか、と思うぐらいだ。
つまり、製品的な部分の話を始めると、結構…どころか、とても出来がいいソフトだって話になる。
では、どうして僕は全体のトーンとして批判的なのか?
では、どうして僕は全体のトーンとして批判的なのか?
まず第一にFF13をプレイして面白いと思った要素が随分落ちていること。
FF13の良さは、アップテンポでスピーディ展開、豪華なグラフィックスと、素晴らしいサウンド、よくも悪くも歯ごたえのあるシビアな戦闘がないまぜになった、奇妙な面白さなのだけど、FF13にあった面白さのほとんどは13ー2では失われている。
別に効果があるとも思えないQTEのために、ムービーの上にばかでかいQTE入力マークが出るのはどうなんだと思うし、実質一本道の時代を延々うろうろさせるより、もっとストーリーに集中したほうがよかったんじゃないか? と思うし(使いまわしも結構きついしFF13と比較してテンポが悪いのは間違いない)、戦闘でエンハンサーとジャマーが役立たずになったのは戦闘の妙味をブチ壊しているとはっきり思う。
つまり、ユーザーの声を聞いたといえば聞こえはいいけれど「僕はこのゲームをこんな風に面白くしたいと思います」という確固たるデザイン方針のもとに作られていないブレブレのゲームになってると感じつつプレイしていたわけだ。
ただ、そうは言っても出来がいいので、なんだかんだと言いながら、楽しんでプレイしたのも事実だったわけだが、最後までたどりついたとき、本当に呆れてしまうと同時に、僕を怒らせることが起こった。
それが「マルチエンド」と称するものと、全体のシナリオだ。
この2つに本当のFF13-2の問題がある。
FF13-2は、ゲームとしては、一つ一つの要素を取るとFF13をプレイした人間から見ると不満は多々あるが、それでも一流品だ。だがマルチエンドと、全体のシナリオはなっておらず、かつユーザーに対して不誠実な作品であり、それがゆえに僕は怒っているのだ。
というわけで、とうとう話は戻ってきた。
だけど、これを本当に説明するためには、本当にFF13-2の話を超ネタバレで語ることになるので、以下はプレイしようと思っている人は読まないほうがいいと思う。
と警告したところで…シナリオの問題を説明するために、とても簡潔にFF13-2の話を説明しよう。
FF13-2の世界には、同一の人格で時間線のいたるところにいる「時詠みの巫女」ってのと、これを守るための守護者とかいうのがいるってのが基本。そして、守護者はヒストリアクロスとかいうもんで、時間を超えて移動できることになってる。
また、FF13の時点から700年ほど先では人はほとんど滅亡していて、最後の生き残り3人が、カイアス(守護者)・ノエル(守護者見習い)・ユール(巫女)。
この守護者のカイアスが、時間の流れをブチ壊すことで、時を詠んでは死ぬユールを永遠の苦痛から救おうとする企みをしているってのがFF13-2の話のバックボーンになる。
時間を詠むと巫女は死んでしまうので、時間がなくなれば詠まなくてすむから死なないってことらしい。
ま、これは「はあ、わかりました」といっておこう。
じゃ「時間の流れを壊す」にはどうするのかというと、そのためにコクーンを落として、大量の人を殺して、それによって混沌の門だかを開いて壊す…という計画だってことに最初はなっている。
そしてセラと旅するノエルは、このカイアスの企みにより700年後に破滅的な状況になっている世界をセラとともに救うために行動していくわけだ。
ところで、同じく守護者の候補のノエルなんだから、話が全部バレることになってしまうが、これを回避するために、この手のゲームの主人公がやたらかかる、都合のいい記憶喪失にノエルもかかっていて、もちろん話が進まないと記憶を取りもどさないし、決定的なポイントは見事に必ず忘れてる。
また、時間旅行なのだからどこでも好きなようにいけるだろう…というツッコミに対してはなぜか時間に歪みができていて、自由には動けなくなっているってことで解決されている。
まあ、そんな話はともかく、セラとノエルの二人が時間を飛び回った結果、カイアスの陰謀を防ぐ寸前まで行く。
ここで展開されるストーリーのご都合主義ぶりはひどいと思うのだが、あえていいことにする。スノウ・サッズといったFF13に出てきた扱いにくいメンツは実質的に一度も主役級に来ることはない。そして来ることはなくても数百年をジャンプさせるために、なぜか全員時の旅人になっているんだから、こりゃねえだろうと思ってしまう。
そして、最後の戦いに至る過程で、実はカイアスの心臓は女神エトロの心臓になっている事実がわかる(理由は山のように説明されるが、合理性は全然ない)。
つまり、カイアスが死ぬ=女神エトロが死ぬ=女神エトロが抑えている「混沌」とやらが、外界から流れこんできて、世界は未来も過去もないところになって、ユールの苦痛は取り去られるとかいう「実は本当の計画はコレだったのだよ、フッフッフ」な展開になる。
それがわかっている状態で、ノエルとカイアスの最終決戦が行われ、これが本当に驚くことに「カイアスの心臓を刺すか刺さないかのQTE」が現れる。
これは疑いもなく本当にスゴいQTEだ。
刺せばカイアスを倒せるが、エトロが死に、大問題になる。刺さなければカイアスを倒せないが、少なくとも問題は回避される。
どっちを選ぶか、ほんの数秒の間だけど、恐ろしく印象的なQTEで、全く素晴らしい。
そして、僕は刺さないを選んだわけだ。
これで、どういう着地するつもりかとおもいきや…なんとカイアスは死んでしまい、なぜか何も起こらず、大ハッピーエンドになって「ええええ!? カイアスの心臓がエトロの心臓ってウソ? それともまた奇跡?」とかツッコミを入れているんだけど、まるで関係なく大団円っぽくストーリーは展開していく。
ところが、新しいコクーンの浮上に立ち会っているところで、突然セラが倒れると速攻死んでしまい、ノエルが「こんなバカなあ!」と大騒ぎをしているなか、混沌が現れる。そしてヴァルハラでライトニングも死んでいるように見えるところで、ゲームは終わる。
画面には”To be continued”と表示され、ポカーンとした僕が取り残された。
これがFF13-2を初めてラストまでプレイした時のストーリーになる。
なぜポカーンとしたのかというと、このストーリー、なにもかもがおかしいからだ。
カイアスがノエルによって殺されたのは<歴史的事実>ということになる。
それによって混沌がやってきて「未来も過去もない世界」とやらになっているならば、ノエルやセラが住んでいる世界は「最初から混沌しかない世界」、すなわち最初から時のない世界しかないことになる。
時間がなくなっているのだから、あとから混沌がやってくることが出来るわけがない。
つまりカイアスの計画が成功している=ノエルもセラもいるわけがなく、世界は最初から混沌しかない、ということになるはずで世界が混沌でない=カイアスの計画は失敗しているはず、なので基本的な時間の流れを考えたとき、全く破たんしている。
時間テーマのSFでは、この手の因果関係(パラドックス)の問題を解決することがテーマになることが多いが、こんなふうに解決もへったくれもなく、手ひどく破綻しているのも珍しい。
この手の因果関係の処理をする方法はいろいろあるけれど、こんな風に「まるで説明のできないひどい設定」になっているものは見たことがない。バックトゥザフューチャーでもこれよりはるかにマシだ。
また、あえて、これを見逃す(SFでいう並行世界物+時間改変の組み合わせになる)こともできない。
なぜならゲームの中の設定で「未来をいじって、過去が変わることもある」と言っているのだ。しかも過去が変わるのは「事件が起きた瞬間」だ。すなわち「混沌」がやってきた瞬間、すべての時間がなくなりFF13-2の…いやそれどころかFF13のストーリーが全く成り立たないことになる。
つまり、当たり前のことながら「この世界がある」=「カイアスが失敗している」決定的な証拠で、だから「カイアスは失敗するわけだけど、女神エトロの心臓があるから殺すわけにはいかない、ではどのように着地するのか?」に興味を持っていた僕が「カイアス成功してました、時の流れはなくなります」ってエンディングを見せられたら呆れるに決まっている。
1)世界にカイアスが生まれる
2)カイアスが時の流れを壊す
3)世界にはカイアスが生まれなくなってしまう
4)ということは、やはり世界は大丈夫でカイアスは生まれる…
この極めて初歩的でかつ当たり前かつ、注意深く考えなければならない、親殺しのタイムパラドックスは全く説明されていない。
これはファンタジーだというつもりかもしれないが、ファンタジーだから理屈が通じなくてもいいって、話じゃない。幼稚園児だって疑問に思う筋がまるで通っていない話をされたら呆れるのは当たり前だ。これでは、ただのずさんなストーリーでしかない。
ありていに書かせてもらって、スタッフの知能を疑わせていただくレベルだ。
そして、この、まるで理屈の通らないシチュエーションの中で、もっともおかしいのがライトニングの行動だ。
第4回で書いたけれどヴァルハラは「すべての時の流れが見える場所」で、そこからライトニングはやってきて、セラに世界を助けてくれという話をするのだけど、女神が何を考えているのかはともかく、ライトニングは「すべての時が見える」、すなわちカイアスがユールを助けるために、時間のあちこちを移動していたのも、さらに女神エトロの心臓を持っていたことも、そしてもちろんセラが混沌に飲み込まれ死んでしまうことまで、すべて見えていたはずだ。
そうでなければ、時のすべてが見えるとは言えない。
また、すべての時が見えているのも間違いない。なぜならそれはカイアスもライトニングもノエルもそう言っているストーリー上の要の一つだ。だいたいそこに女神エトロがいて、実は13で助けていた、エトロはすべてを見て哀れんで、心臓やりましたなんて話をしているのだから、見えないはずがない。
そして当たり前の事ながら、ヴァルハラはすべての時が見える=ほぼ完全な予知能力がある=すなわち「セラが間違いをしたら、すぐにそこにいって修正をする」ことを繰り返していけば問題は解決する。
だいたい時間の移動が制限なく自由に可能なので、原理的にはいかなる問題も解決可能だ。
例えば、ヴァルハラの昼の12:00に「ああっセラがAで危ない」となったら
Aにセラを助けに行く→12:00:01にヴァルハラに戻ってくる。以上終了だ。どんだけ忙しかろうが困らない。
それどころかカイアスとバトルするときに、過去から未来から、大量のライトニングをかき集めてきて決戦すればいい(もちろんカイアスもこれが出来るが(笑))。
それどころか「すべての時が見えて、どの時にでも行く事が出来る」(実際にライトニングが移動するシーンすらある)のだから、カイアスよりさらに有利なポジションで「カイアスに女神エトロが心臓を与えることすら阻止可能なはず」だ。
この上記の、時間モノでは普通に行われることができない理由は全く説明されない。
結局、FF13-2は、時間がテーマの歴史改変物なのに「肝心要なポイントは(勝手な話の都合で)改変できない」、さらに時間を改変する話といいながら、全く時間の挙動がおかしい、まるで納得がいかない、実にひどいストーリーになっている。
つまり、FF13-2はストーリーの根本が箸にも棒にもかからないレベルで破綻していて、全く弁護のしようがない。
全く驚いてしまう。
と、こんな理由で”To be continued”を見た最初のエンディングで、ストーリーのあまりの筋の通らなさに呆れはてたわけだ。
で、呆れはしたけれど、また反面、最初にクリアした瞬間は怒ってはいなかった。
なぜなら、話の筋はまるで通っていないけれど、一応最後までは楽しませてもらったのは事実だし、このゲームはマルチエンドだから、まあ、このストーリーが最初でも、普通に考えれば、普通のゲームなら「ああ、バッドエンドね、時間線をいじっていけば、ベストエンドがあるのだろう」と思うだろう…というか最初はバッドエンドで、だんだんいいエンディングがオープンされていくのは、古き良きノベルゲームの一つの典型的テクニックだし「カイアスが死なない=エトロの心臓が壊れないエンディング」があれば、筋が通ることにはなる。
ところがだ、FF13-2には、なんと、最初のエンディングをひっくり返す、ベストエンドのようなタイプのエンディングはない。
それどころかだ。DLCで追加シナリオを全部DLしてもそういうものはない。
すなわち本編と思われるストーリーでは、セラは死んだままだし、ノエルも世界もどうなったか全くわからない。
僕はこれがわかった時、本当にスタッフに対して腹がたった。
僕自身は、苦いエンディングだろうが許容するし、ワケのわからないいい加減な奇跡より、カチっと着地する方が大好きだ。だからFFXのラストでティーダは出すべきじゃなかったと思うし、自分の作った天外2でも、エンディングは誰も生き返らないのがいい、といって広井さんや桝田さんを困らせてたような人間だ。
別にエンディングが苦い作品であることを否定する気はない。マルチエンドであることを否定する気もない。
問題なのは、カケラも筋の通っていないストーリーをやっておいて、筋の通ったエンディングがまるで用意されていないことだ。それどころかエンディングを見たら「いい加減にしろ」と言いたくなるような粗雑なエンディングばかりで、呆れ果てる。
しかもだ、挙句にインタビューなどで「最初からこんなオープンエンドを目指していた、海外ドラマを真似た」と言ったことは、絶対に許せないと思った。
海外ドラマのシーズンエンドのクリフハンガーは「次のシーズンで見てもらうために、興味をつなぎとめる技法」で、これは視聴者が「次のシーズンがある」ことを前提としている、いわば公平な話だ。
では、FF13-2をプレイする人は「次作があるかもしれないような、それが前提のようなエンディング」を見せられると思って購入したのか?
間違ってもそうではあるまい。最近の映画は続編を匂わせるエンディングがやたら増えたが、それでも映画としてはちゃんとまとまっている。「なにもかもまともに説明せず、ストーリーもグダグダ、挙げ句の果てには続編示唆」なんて映画を見せられたら、頭に来るだけだ。
これだけでも不誠実だと思うのだが、挙げ句の果てには「ライトニングリターンズでライトニングの戦いは完結します」と言ったことは、僕には許しがたかった。
最初からDLCで完結させるつもりでしたでも、それを言わないのはかなりユーザーに対して不誠実だと思うが、それどころの騒ぎではなく「この作品ではノエルとセラとライトニングの話は完結しません」と、作品が発売されてからいうなんていうのはユーザーに対して不誠実以外のなにものでもあるまい。
最低でも最初から「この作品は一本では完結しません」と正直に言うべきだったし、少なくとも「DLCを買えば全部わかるかも」みたいなセリフを言うべきではなかったと思うし、もちろん「ライトニングの話の完結はDLCかも」とか言ってみたり「クリフハンガーであらゆる可能性を試して欲しかった(普通はこれを聞けばベストエンドがあると想像するだろう)」といった、ストレートに書くなら「ともかく中古に売らせないようにさせようとしながら、エンディングに対して曖昧に語り続けるような不誠実な態度をとってきたことは、指摘されてしかるべきだと思う。
その一点において、FF13-2はユーザーのゲームに対する期待、少なくとも売り切りのゲームでのユーザーの信頼を大きく毀損する一作になったのは間違いない。
つまりだ、FF13-2は工業製品としてはよくできている。最初に書いた通り、グラフィックは素晴らしい。音楽もそうだ。ゲームシステムの基礎的な部分もとてもしっかりしている。
だけど、ストーリーは本当に話にならないほどひどいシロモノだし、そして中古に売らせたくない、DLCを売りたいだけとしか思えないような、筋が欠片も通っていないエンディングをつけたのは最悪だ。
そして、このひどいストーリーとゲーム史上空前といってもいい、嘘つきなエンディングある限り、僕はFF13-2を史上最も許せないゲームとして覚えているだろう。
そして、スクウェア・エニックスは、このひどい行いによってFFというIPの価値を、取り返しがつかないほど毀損してしまったのではないか? と思っているのだった。
3件のコメント
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偏りを感じるもののネットコミュニティでの凄まじい叩かれ方嫌われ方をしていたFF13
その割には自分の身近な人物が好きだと言っており(13-2には憤慨していた)、
一体どういう作品なのか長らく疑問でしたがこの記事を読んで納得できました。
AGENT: Mozilla/5.0 (iPhone; CPU iPhone OS 6_0_2 like Mac OS X) AppleWebKit/536.26 (KHTML, like Gecko) Version/6.0 Mobile/10A551 Safari/8536.25
次作のライトニングリターンズ(LRFF)も
発売前の現時点でツッコミどころが多すぎて、
FF13-2と同じ様に前作の言い訳から始まるのだろうなとかなりガックリきてます。
スクエニは全く反省してないようで。。
13-2のエンディングでホープが唐突に、もう本当何の脈絡もなく、コクーンに「ブーニベルゼと名付けよう!」と言っていたので、
きっと、神話のブーニベルゼとか本編に出てきてない輩がすんごい能力で裏で助けてたんだぜ!となりそうです。
AGENT: KDDI-SH3H UP.Browser/6.2_7.2.7.1.K.5.183 (GUI) MMP/2.0
あまりにも複雑な要素を導入した結果収拾がつかなくなり、結局物語の整合性をつけるのを諦めた様子がよく伝わってきます。
といって、今後物語を縮小することもできないとすれば、これからは様々な矛盾は承知の上でとにかく印象的な場面を繋げていって最後は一応ハッピーエンドで終わらせる、という方向に進んでいきそうですね。