FF10の話(11) – FFⅩ・その3 途方も無い世界

FF10の話を書くシリーズの第11回。
シリーズは以下。次か、その次で終わる予定で、なんとかコミケには出る予定。
いやー仕事の合間を縫って書くのは大変すぎる…
FF10の話(1) - それは1991年から始まった
FF10の話(2) - ヘラクレスの栄光Ⅲの衝撃
FF10の話(3) - ファイナルファンタジーⅦ・その1
FF10の話(4) - ファイナルファンタジーⅦ・その2
FF10の話(5) - ファイナルファンタジーⅦ・その3(終)
FF10の話(6) - ファイナルファンタジーⅧ・その1
FF10の話(7) - ファイナルファンタジーⅧ・その2
FF10の話(8) - ファイナルファンタジーⅧ・その3(終)
FF10の話(9) - FFX・その1
FF10の話(10) - FFX・その2
本編に入る前に簡単な注意。
このシリーズは『FFⅦ・Ⅷ・Ⅹ』について、もう超ネタバレのレベルで話が進んでいる。だからプレイしたことがなくて、そしてプレイする予定がある人は、ここから先はあまり読まないことをオススメしておきたい。
特に今回からあとはFF10のストーリーや世界について詳細にネタバレしていくことになるので、FF10をプレイしたことがない人はここで読むのを止めることを、強く推奨しておきたい。
前回

FF10というゲームは、プレイヤーにバラバラにされた細かい世界観が少しずつ流し込まれていく仕掛けになっていて、そしてこれをプレイヤーが心の中で形作り、その形がどんどんと変化していく…いわば「プレイヤー(ティーダ)の世界の見方が変わっていく」ゲームなのだけど…
この見方が変化していくのが本格的に出てくるのが、ミヘンセッションあたりからなのだけど、それはまた次回。

と、書いたわけだけど、これがわかりにくいと思ったのでちょっと補足しながら書いていきたい。
まずシリーズで何度か書いてきたことだけど、FF10ではティーダ(プレイヤー)に与えられている選択はたいてい極めて少ない
後ろに戻るか、前に進むかだ。
11章で自由度だの言い訳して最後まで突っ走れなかったFF13なんかより遥かに自由度は低い。まさにレールの上に乗って一方方向に進むだけと書いて間違いはない。ではその狭い選択肢の中で何をやるのかというと、バトルはともかくとして、前に進む西がって、様々な情報を少しずつプレイヤーに提示していくことでストーリーを進行させていく。
この手の構造はロードノベルとかロードムービーって形式名がついてるぐらい小説や映画ではよくあって、しかも名作だらけだったりするのだけど、ゲームともすごく相性がいい。
相性がいいのは当たり前で、道を進むに従って、様々なものがプレイヤーに降りかかり、それを解決していくことで主要登場人物の関係が変化して、それがまたストーリーを進めていく理由になると、ストーリーとマッチした構造なので、強いストーリーを持ったゲームととても相性がいいので、うまくハマると大変な名作になる。
例えば賞を取りまくった”Last Of Us”もそうだし、僕がとっても気に入っているアドベンチャゲーム”Beyond Two Souls”、さらにはナラティブって言葉を決定づけた作品の一つと思っている”Journey(風ノ旅ビト)”あたりは全部「ロードゲーム」と呼べると思う。
そしてFF10もこの「ロードゲーム」の一つだと僕は思っている。


ではFF10では道を進んでいく、すなわちストーリーを進めるときに何をするのかというと、一つが世界の構造に関わることを徐々にプレイヤーに教えていくこと。もう一つが登場人物の人となりと、さらに人間関係だ。
で、ゲーム中盤のマカラーニャ寺院を超えるあたりまでは、どちらかというと登場人物同士の関係が主で、世界が従ぐらいの情報量で話は進んでいく。
例えば、ワッカはもともとエボンを信じていたが、去年、弟のチャップがエボンの教えに反して、禁じられている機械でアルベド族とともにシンと戦った挙句に死んでしまったものだから、今や狂信的にエボンを信じて、アルベド族が大嫌い。そしてチャップの死にこだわり続けているワッカだけど、そのチャップの恋人だったルールーは、死んだチャップにこだわり続けた挙句に、ティーダをチャップ扱いしているワッカが最高に気に入らない。そしてこれが理由でワッカとルールーの間にはずっとわだかまりがある。
ところが、ここらへんの一連の関係がわかったところでパーティに入ってくるのはなんとワッカが最高に嫌っているアルベド族のリュック。ワッカが嫌っているのを知っているものだから、みんな黙っているのだけど、いい加減打ち解けたところで、リュックがアルベド族だとバレ、ワッカは教えに反する…と主張するのだけど、ところがそのときにはワッカのエボンに対する信頼が揺らいでいて…なんて話になる。
じゃあ、どうしてワッカのエボンに対する信頼が揺らいだのかというと、エボンの老師になったシーモアやグアド族とのトラブルを通じて、どうにもこうにもエボンは胡散臭いって話になり、挙句には自分たちが反逆者にされてしまうところにまで追い詰められてしまったためだ。
どうして反逆者にされたのか?
もともと老師シーモア(老師と呼ばれているが若い)はユウナに異常に執着していたのだけど、これがユウナと結婚すると言い出す。
ユウナは最初は結婚はしないと言っていたのだけど、異界の入り口でシーモアの父のジスカル老師の「死人」と会ってしばらくしてから、なんと心変わりして結婚をすると言い出す。一行は驚くのだけど、シーモアは自分の野望のために父を殺しており、それを諫めるために結婚すると言い出していたことがわかり、行きがかり上、シーモアを倒すことになってしまう。このスキャンダルを握り潰すためにグアド族が嘘をついて、結果、一行は反逆者にされてしまったわけだ。
旅が進むに従って、上記のストーリーが進んでいくのだけど、その間、とても上手く世界の構造の説明も織り込まれていく。
まず、ワッカの機械嫌いを利用して、1000年前に機械を使った大戦争があり、世界が滅びそうになったところにシンが現れ、全ての機械を破壊し尽くして戦争を終わらせたことが説明される。
さらにシーモアの結婚話を利用して、1000年前のザナルカンドを見せて、そのザナルカンドで史上初の究極召喚を実行したユウナレスカ、つまり初めてシンを倒した人間の話を説明してしまう。加えて、この1000年前のザナルカンドはどう見てもティーダのザナルカンドで、プレイヤーをミスディレクションする役にも立っているのだから、全くうまいという以外ない。
そしてティーダ一行は反逆者にされて、逃げ出すしかない状況になり、アルベドホームにたどり着いたところで、驚愕の真実を教えられることになる。
「究極召喚を使ってシンを倒すと、召喚士は死んでしまう」
これは途方も無い事実で、聞いた時、呆然とするほど驚いたのだけど、反面、ここまで疑問になってきた様々な謎を解き明かす。
「なぜシンが復活した時、また究極召喚を唱えて召喚士が倒さないのか?」
⇒「究極召喚を覚えた召喚士が死んでしまうから」
「なぜユウナのお父さんは死んでしまったのか?」
⇒「究極召喚を使ったから」
「なぜユウナは、シンを倒した後の話をしなかったのか?」
⇒「究極召喚を使うと死んでしまうから」
全く筋が通っていて、ここまでこういうことだと気が付かなかった自分を呪いたくなったほどだったのだけど、この程度ではこのゲームは終わらない。ここら先、つまりパーティ内の人間関係の全てが設定された後、畳み掛けるように次々と驚くような世界の秘密が明かされていく。
まず、エボン寺院は「エボンの教えなどまやかしで、究極召喚で倒したところで、シンは絶対に何度でも復活する」と言われてしまい、シーモアが「ユウナの力で自分が新たなシンになり、スピラを救う」と、ワケがわからないことを言い出す。
そしてザナルカンドの驚くべき真相が明かされる。
1000年前にザナルカンドとベベルが戦争をして、ザナルカンドは惨敗したが、ガガゼト山住人をかき集め、ザナルカンドの街そのものを召喚したというのだ! ティーダが住んでいたザナルカンドがまさにそこで、そしてティーダは祈り子の夢でしかなく、祈り子が夢を見るのを止めた時、ティーダは消えてしまう…しかも祈り子たちは夢を見るのを止めたがっていて、ティーダに夢を終わらせて欲しい…つまりティーダにあえて消えて欲しいと頼むのだ!
余りに信じがたいいくつかの世界の真実が示されるが、これらの全ては繋がりそうで繋がらないまま、ついにザナルカンドに到着し、オープニングのシーケンスに至るのである。

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