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FF10の話(3) - FFⅦ・その1 映像ドラマの手法を使ったゲームの確立
FF10の話を書くシリーズの第3回。
シリーズは以下。
FF10の話(1) - それは1991年から始まった
FF10の話(2) - ヘラクレスの栄光Ⅲの衝撃

野島一成氏がスクウェアに入社した時は、スクウェアの大拡張期だった。
まず間違いなく『ヘラクレスの栄光Ⅲ』『ヘラクレスの栄光Ⅳ』が評価されたのだと思うのだけど、まあそれはわからない。
そして、スクウェアで『バハムート・ラグーン』に関わったあと、あの『ファイナルファンタジーⅦ(FFⅦ)』にシナリオライターとして関わることになる。

作品歴で見ると『バハムート・ラグーン』のあと『FFⅦ』ということになるのだけど、多分かなりオーバーラップしていると思われる。

さて…

『FFⅦ』は非常にいろいろな意味でゲームの歴史の中で象徴的かつ重要なタイトルだ。
まず第一に重要なのが、スクウェアが任天堂ハードではなく、PS1でファイナルファンタジーを出したこと。

1994年から始まっていた次世代ハード戦争と呼ばれていた熾烈な販売競争で、任天堂が主役でなくなったという象徴的な意味だ。
これももう20年近く前になって、この重要性がわからなくなってきている人がいると思うので、少し歴史的な説明を加えたい。


まずサードパーティまで含んだエコシステムとしてのコンソールゲーム文化は、日本では任天堂のファミコンで花開いたものだった。

どんなふうにしてサードパーティが出来たのかについては、同人誌にもしたし、ちょっと粗雑な版だけど『ハドソンがファミコンに参入するまで(1)(2)(3)(4)(5/終)(補足)』で読むことが出来る。

こういう書き方をするのは、サードパーティなしなら、これより前にカセットビジョンや、さらにその前のブロック崩しやテレビテニスなどで既にブームは起こっていたという見方もできるから。テレビゲームではないがデジタルゲームとして考えれば、任天堂自身もゲームウォッチで大ブームを起こしている役者の一人だ。

ファミコンからSFCにかけての任天堂ハードは市場では圧倒的な強さを誇っていたので、ほぼ全てのサードパーティのソフトは任天堂ハード用に作られていた。もちろんFFシリーズも言うまでもなく、任天堂ハード向けに作られていた。
ところがこの風向きが変わりだすのが、1994年の3DOの発売から始まったPS1・サターン・3DO・PC-FXの4機種による次世代ハード戦争。そうそうに3DOとPC-FXは脱落するのだけど、PS1とセガ・サターンは任天堂の次世代機Nintendo 64の登場が遅れている間に、市場で死闘を繰り広げ台数を伸ばしていく。

ああ、そこのレトロゲームマシンマニアの君、ATARI Jaguar(1993)とかFM TOWNSマーティ(1993)とかプレイディア(1994)とかピピンアットマーク(1996)とか言わないように。

そして1996年1月にPS1で発売されると発表されたのが『FFⅦ』だった。この発表や、春に売りだされた『バイオハザード』の好調(PS1初のミリオンセラーになる)などもあって、急速に市場的にPS1が有利になっていく。そして96年に実際にNintendo 64が出た時にはサードパーティなどのエコシステムは圧倒的にPS1に有利になっており、最終的にPS1世代で任天堂からソニーにゲームマシンの王者が交代した象徴という意味で『FFⅦ』というソフトは歴史的に重要と言えるわけだ。

ところで1995-96年前半は、日本国内ではサターンが大きな市場を持っていて、やや有利とすら見える状態だったが、海外まで含めるとPS1が有利になっていた。
当時のセガの戦略には整合性がなく、特に海外ではセガサターンを売っているにも関わらずジェネシス(メガドライブ)の拡張ハードの32X(1994年末)を売ったりしている。全くどういうつもりだと思ってしまう。これがもっと筋が通っていれば、今のように3機種がある市場もありえたと思うのだけど…

そして第二が、このシリーズでFF10に繋がる意味で重要な映像ドラマの手法で語ることが可能になったゲームを作り出したということだ。

これについては電子版の「ドラクエとFFとToHeart」って変な同人誌からの抄録+若干の書き直しを以下に載せておきたい。
以下、その抄録書き換え版。

『FFⅦ』の最大の功績は何だったのかと言えば、3Dポリゴンを使用したコンピュータRPGを非常に印象的かつ完成度の高い形でプレゼンテーションしたことに尽きる。
それはなんだったのかというと『FFⅦ』・『FFⅧ』・『FFⅨ』のPS1でのFF3部作における技術的なに大きなテーマの一つで、『FFX』で初めて完成の領域に近づいたゲームとムービーのシームレスな融合、すなわち「映画のようなゲーム」というやつだ。

これを可能に出来た理由はPS1のハードウェアにある。PS1には当時としては非常に高性能なムービー再生用ハードウェアが搭載されており320x240で秒20~30フレーム程度の速度で1670万色(ほとんど当時のSDTVと同じ画質)のムービーを再生することができた。
また、背景でムービーを再生しながらゲームを動かすことも可能だった(ただし背景でムービーを動かすと、基本的には32768色になる)。

では『FFⅦ』は実際に何をやったのか?

全ゲーム画面をカメラアングルのあるポリゴン(正確にはポリゴン+背景はプリレンダされた2Dの画面)にすると同時に、その画面とムービーをシームレスに結合し、ムービーからゲームへ、ゲームからムービーへと自由に移動するゲームを作り出したのだ。

ゲームのキャラクタはムービーのアングルにともなって、自由に移動し、ムービーの最後のカットがそのままゲームの画面アングルになるなんて真似が自在に行われるようになった。
そして『FFⅦ』のオープニングの2分半が、まさに、それが凝縮されたシーケンスだった。

1. 星空の中をカメラが動き、それが光を見つめているエアリスとオーバーラップ。
2. カメラがエアリスを中心にどんどん引いていき、町全体(ミッドガルド)を見渡す俯瞰にまでカメラが引いたところでタイトルが出る。
3. 走ってくる列車のカットが入り込んできて、カメラが駅に突入する列車をアップにしていき、ムービーの列車からキャラクタが飛び降りてきて、そのままの画面で、ゲームに繋がる(操作可能になる)。

全くムービーとゲームが区別されず一体化したオープニングで、しかもCGのクオリティも当時としては圧倒的なものだった。これはゲームとムービーの間の区別が全くなくなった瞬間だったが、同時に疑いもなく、ゲームを作る人間にとっての一つの夢が実現された瞬間だった。

映画のような画面とゲームをシームレスに結合するのは、ゲームクリエイターにとって、間違いなく一つの夢だった。
その試みは古くはレーザーディスクゲーム(レーザーディスクの画面を背景に使用するゲーム)の時代からあり、PCエンジンCDROM、メガCDなどの初期のコンシューマーCDROMゲームマシンを経て、様々なソフトがチャレンジを行い、中にはかなり成功した、と言える作品もあるにはあった

だが、成功と言っても、たかのしれた物だった。

初期のレーザーディスクゲームは画面のクオリティは高かったが、ゲームの内容との乖離が酷く、QTEの連続のような内容で自由に動けるゲームとは言いかねる作品だったし、自由度を上げるためにゲームの画面とレーザーディスクを合成すれば今度はゲーム側の画面の質が悪すぎてバランスを取れない。
また、初期のCDのゲームは動画のクオリティが低かったり、やはりゲームとしてはどうかと思うモノだったりで、誰もがゲームと映画の1シーンを行き来するゲームを作ったみたいと思ってはいたが、本当に誰もが目をみはるような結果を足すには、当時のゲームマシン(およびPC)はあまりに非力だった。

誰もが感心する、完成度が高い作品を作り出したのは、疑いもなく『FFⅦ』が初めてだった。
ゲームはムービーと操作可能なパートを自在に行き来し、ここ一番のイベントは強烈なムービーで演出され、なおかつゲームの画面はムービーと比較しても見劣りしない様々な角度から捉えられレンダリングされた町や村のマップと3D化されたキャラクタ達。
戦闘ではポリゴン化されて表現される魔法、強烈な登場シーンと迫力あるアニメーションの召喚獣…なにを取っても、極めて印象的で、以降のCRPGで基本的に『FFⅦ』の影響を受けていないものはないと考えていい。
『FFⅦ』は日本の、世界のコンシューマRPGに決定的な影響を及ぼし、本格的な3Dポリゴンゲーム時代のスタンダードなRPGのスタイルを作り出した。

と、抄録はここで終わりだけど、『FFⅦ』こそが映像ドラマの手法でストーリーを語るゲームが完全に確立した瞬間だったのだけど『FFⅦ』にはもうひとつ特徴があった。

それは「もともと三人称でストーリーを肩越しから見てる印象が強かったFFシリーズが、完全に三人称のスタイルを確立した」ということだ。

というところで長くなったので続く。
|| 22:33 | comments (1) | trackback (0) | ||

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コメント
>以降のCRPGで基本的に『FFⅦ』の影響を受けていないものはないと考えていい。

その通りだと思います。
そして近年、国産CRPGの映像ドラマ表現はゼノブレイドによってまた一歩進められましたが、追随するCRPGがなかなか現れないのですよね。
| FF好き | EMAIL | URL | 14/04/14 02:06 | KW/RQ1mE |
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