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ハドソンがファミコンに参入するまで(2)
前回、1983年に任天堂が…というところまで書いたのだけど、ハドソンと任天堂の関係が出来る話に入る前に、もう少しこの当時のハドソンについて話をしておきたい。

というのも、ツイッターで、どうしてハドソンがシャープと仲がよかったのか、どうしてX1を使っていたのか、当時どんな会社だったのかみたいなことを聞かれて気がついたのだけど、結局当時のことを、今の人が知るわけもない。そしてこの話は、当時のパソコン市場や、ゲーム市場、さらに開発環境などがどんなものだったのかをわかってもらわないと、うまく繋がらない。
というわけで、ハドソンや当時のことについて、今回もう少し書いていきたい。

以下本文。

と書いたところで、のっけからハドソンじゃなくて任天堂の話。
まずこれを分かっていないと、話にならない。
当時、つまり1983年ごろの任天堂のイメージは今の任天堂のイメージとは全くの別物だ。
例えば僕より数歳上になると当時の任天堂といえば
「花札とトランプを主に作っているおもちゃメーカーで、それ以外にピッチングマシンとかテレビテニス(当時はテレビテニスもしくはブロック崩しなどがテレビゲームだったが区別をつけるためにこう書く)も作っているよね」
だろうし、僕らの世代になると
「アーケードゲームで面白いの作ってて、ゲームウォッチも作ってる」
ってあたりになる。
ついでに書くと、間違っても大会社じゃない。
つまり1981-83年のファミコン以前の任天堂はおもちゃメーカーで、テレビゲームのイメージはなかったと考えていい。せいぜいが僕らみたいなアーケードゲームマニアが「アーケードでいいゲームを出している」と思ってたぐらいだ。
ちなみに僕の知っている任天堂と付き合いが長かった京都のおもちゃ屋のおっちゃんなど
「任天堂はファミコンなんてもんで儲かるようになってから、花札やトランプのデザインが手抜きになった、あんな商売はさっさと止めて本業をしっかりやって欲しい」
と(京都弁で)怒っていた。

で、今度はハドソンの話。
前回、X1での開発環境について書いたら「X1がベースだったんだ」とあちこちで驚かれたのだけど、これは理由がはっきりあった。
ハドソンはシャープのパソコンソフトを作る今で言うファーストパーティのようなものだったから。
どうして、そんな風になったのかというと、ハドソンは最初にシャープのMZシリーズでソフトを展開していたから。

1978年にシャープはMZ-80Kというセミキットパソコンを発売した(セミというのは一部組み立てる必要があるから。ちなみに組み立てにはハンダごてが必要だった。で、僕がコンピュータを買うときに使っていた京都のヒエン堂とニノミヤ無線はどっちもこの組み立てサービスをやっていた)。
このハードはオールインワン、つまりモニタ・キーボード・データレコーダが全部ついていて組み立てるだけで、誰でもモニタつきマイコンが使えるようになるうえに、競合する日立のベーシックマスターと比較して値段が圧倒的に安かったので大ヒットし、後に発売されたPC-8001(NEC)と市場を二分するハードになる。ここに1981年に富士通がFM-8を発売して割ってはいることになるのだけど、それは余談だ。

そして、ほぼ最初にMZ-80K用のソフトを売り出したのがハドソンだった。実際、ハドソンより前に日本でマイコン用のソフトを製作して売っていた会社があったのか僕は知らない。マイコン誌にハドソンの広告が載っていて「MZ用のゲームを売る人たちがいるんだ」と思った記憶があるので、ハドソンのソフトの広告は僕が見たほぼ最初のソフトの広告なのも間違いない(そしてこの広告は初めてのハドソンの広告だったらしい)。
つまりハドソンは日本でも最古のソフトハウスの一つで、しかもMZから始まったので、シャープと仲が良かった。そして実はハドソンはテレビ事業部が作ったX1のハード開発に協力していた(ちなみにX68Kも協力している)。
だからX1はハドソンにとって端から端まで知り尽くしたハードで、しかもちゃんとしたハードだから使われていたわけだ(そしてたぶんシャープから安くハードを買えたのだろうと推測してるけれど、誰も覚えていないw)。

実際にハドソンで使われていた81-83年のX1環境はどのようなものだったかというと、以下のとおり。

■ハドソン関係者の証言
あの頃のCP/MはX1で動かしていたのだけど、HDDをつないでいた
岡田さんがアメリカから買ってきたと思ったけどSASIの5MBだったと思う
確か50万円だと言っていたように思う
5インチフルハイトのHDDをX1に繋いで開発していましたね
その頃のX1のFDは1Dだったから320KBかな?
それに比べると5MBはとんでもなく大容量で高速でした
I/Oデーターの外部RAMボードをRAM-DISKにしてもっと高速化して使ったりもしていましたね

と、こんな感じだった(岡田さんは、後に出てくるがハドソンのハードの担当者岡田節男氏)。
ところで、前回書いたが、ハドソンはX1だけでなく他のハードでもソフトを販売していた。これをX1の互換ライブラリを使って、X1からコンバートでオールマシン語(アセンブラで書かれているって意味程度)のソフトを移植していたわけだけど、これを簡単というなかれ。
今のマルチ展開と同じで、互換ライブラリを作るためには、ハードのことが詳しくわかっていなければならないし、互換ライブラリの出来がしっかりしてないと話にならない。
作るうえで結構高い技術力が必要で、面倒くさい代物だ。では、どんな風にして、そういうモノを作っていたのかというと、これが、今の感覚からするとまったくビックリの環境。

■ハドソン関係者の証言
あの当時はSDKなんて無いからPCからCPUを抜き取ってICEを突っ込んでBIOS
を解析してキー入力やらグラフィックアクセスを解析して作成していたね
メーカーからは大した資料が来ないから解析してましたね
だから社内にあるPCはほとんどCPUが抜けるようにソケットになっていた
解析した結果からソフトを書いて、M80&L80でHEXファイルを吐き出してICEで流し込んで実行というようなスタイルでした

ICEはインサーキット・エミュレータ(In-Circuit Emulator)の略で、ハードウェアを開発したりデバッグしたりするとき、さらにハードにすごく密着したソフトを開発するときに使うツールだ。
つまりICEをつないで、ハードウェア&ハードに近いソフトを直接デバッグできる環境にして、中身をハックして調べて開発していたわけだ。
というのも、当時はどのハードメーカーもまともな開発キットもくれなければ、整理された内部資料なんてものものなかった。だから個人なりメーカーなりが内部を自分らで解析するのが当たり前の時代だった。
そして、このころの技術者はソフトもハードもできるのが当たり前だったので、だいたい自分たちでこういうムチャなことをやって解析するのが当たり前だった。
だいたい僕だってソフト屋だけど、回路図どころか実際の基板の配線を見て、ある程度動作を推測することが出来たぐらいだ(積層基板なんてなくてせいぜいがスルーホールの両面でしかなかったので、簡単に回路図を読むことが出来た)。
まあ役割が未分化でも成り立つほどにハードもソフトも原始的だったからこそ許された形態だけど「俺ハード得意だからハード触るね」、「わかった、じゃICE動いたらソフト解析するよ」の世界だったのだ。

M80はMACRO-80。L80はそのリンカ。
マイクロソフト御謹製の傑作アセンブラ。CP/M用。Z80/8080のどちらのバイナリも出力できる…って互換だから当たり前だけどw
リロケータブルバイナリを出力できて、ライブラリ作れて、リンクできてクロスリファレンスを出せてと、おっそろしく高性能で、当時のデファクトスタンダードになっていた。
これの延長にMS-DOSの傑作アセンブラMASMがある。
また上記の解析…ぶっちゃければリバースエンジニアリングした結果が本になってPC-8001完全解析みたいに売られているのがまた普通だったりした。

そろそろ状況を一通りわかったと思うけれど、1981-83当時、ハドソンは、解析に優れ、当時としてはハード・ソフト共に技術力がある、シャープのハードを中心にHu-Basic(BASIC言語)や"H-DOS"といったシステムソフト、さらにオールマシン語のゲームなどを作って販売している日本でも強力なソフトハウスだった
そして1983年、このハドソンに、ある意味どってことはない話が転がり込んでくる。それがファミリーベーシックの制作だった。任天堂と仲が良かったシャープのテレビ事業部が話をハドソンに持ち込んだ、というのが真相らしい。

忘れてはいけないが、ファミコンテレビC1を作ったのはシャープだし、ツインファミコンを作ったのもシャープだ。SF-1なんてスーパーファミコン入りテレビも作っているし、たぶん3DSの液晶もシャープだと思う。
ちなみにシャープと任天堂の仲がどうしてよかったのかというとゲームウオッチの液晶が取り持った縁。

■野沢さんの証言
HUDSONがはじめて任天堂と付き合いだしたのは1983年ぐらいだったと思う。
その関係で、ファミコンにゲームを出すことが可能になったと記憶をしています。
それまでHUDSONはパソコン向けゲームとHuBASIC言語などで会社の規模を大きくしていた。
特にHu-BASICのおかげでSHARPにOEMできたり、したおかげで任天堂への橋渡しとなったと考えられる。

ここでどうして「どってことない」と書いたかと言うと、第一にハドソンにとってはBASICの移植なんてのは当たり前の業務のひとつだったからだ。
そしてさらに、当時の一般の認識では家に置かれるコンピュータと名がつくものにBASICがあるのは当たり前だったからだ。
前回書いたけれど、例えば史上初のホームコンピュータの一つといっていい、ぴゅう太がそうだったし、セガのSC-3000、SG-1000、ソードのM5、もちろんMSXなどなど、およそ当時のパソコンおよびゲームが遊べるご家庭に入るコンピュータでは「BASICが搭載されているのは当たり前」だったのだ。
そしてファミコンも例外でなく企画にはあがったが、当時の任天堂はそんなシステム系のノウハウは持っていない。そこで関係の深いシャープがハドソンにHu-BASICのOEMをしないか、という話を持ち込んだわけだ。
つまり、ハドソンにとってファミリーベーシックは、もちろん大きな仕事ではあったけれど、驚くような話ではなかったと思われる。
ということで、Hu-BASICが橋渡しとなってハドソンと任天堂はつながることになった。

こうして1983年のどこかで、ハドソンにファミコンの開発機がやってきて、ファミリーベーシックが書かれることになった。

(続く)
|| 20:02 | comments (4) | trackback (0) | ||

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コメント
>なので印象がないのは当たり前だと思います。
ああなるほど、そういう時期だったんですね。ありがとうございます。
FCだと、チャレンジャーとかバンゲリングベイ、スターフォース、ボンバーマンあたりの頃でしょうか。確かにFC側の印象だと強烈ですね。

読んでいて、X68kのグラディウスの移植をハドソンが手がけていると話として奇麗だな、
と思ったのですが、時期的にPC側にはあまり関与していなかった、ということでしょうか。

>この移行でハドソンにはPCでRPGを出す機会が出来ませんでした。
この辺の経緯が、天外魔境の開発初期の話なんかと繋がっていくんでしょうか。
| atsu | EMAIL | URL | 12/01/31 20:47 | jB3nOvqE |
>> atsu様
ハイドライドだ、ザナドゥだと騒がれていた時期はですね、ハドソンがファミコンが軸足を移し、すごい勢いで大きくなっていく時期です(ハイドライドが1984年12月なので、ハドソンはすでにファミコンのサードパーティになっています)。
なので印象がないのは当たり前だと思います。
また、この移行でハドソンにはPCでRPGを出す機会が出来ませんでした。結果、ハドソンは社内にRPGのノウハウを蓄積することなく、ファミコン後期のRPGブームを迎えることになり、苦戦することになります。

>> も様
X1にPCエンジンがひっついたハードが発売された経緯自体は僕も知らないのですが、ハドソンが関係していたので出たのは間違いないですw
ちょっと興味出たので、聞いておきます。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 12/01/31 07:24 | jL2fvUUo |
X1(turbo)、X68kを持っていた当時の友人が、
どちらもハドソン関連の(ゲーム)ソフトを持っていなかったので
シャープとハドソンの繋がりってあまりイメージできないんですよね。

ハイドライドだ、ザナドゥだ、と騒がれていた時期も
ハドソンはあまりRPG的なゲームを出していませんでしたけど
その辺りはメーカーの色なんでしょうか。

というか、あの頃のハドソンのメーカーの色、みたいな印象が不思議とないですね。
| atsu | EMAIL | URL | 12/01/30 19:30 | jB3nOvqE |
X1にPCエンジンがくっついたようなパソコンが、どういう経緯で発売されたのか長年不思議でした。
今回の文章を読んで、考えていたよりもシャープとの繋がりが深かったのが分かり、なんとなく流れが見えたような気がします。
その辺りについてご存じでしたら最後に少し付け足して下さい。
| も | EMAIL | URL | 12/01/29 10:42 | 8JnsR7G2 |
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