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ゲーム史について思ったこと
ハドソンの第3話を書きたいのだけど、決定的なところを誰も彼も覚えてない、って微妙な状況で、状況証拠だけで煮詰めて書いていくのがイヤで、今、この人たちが覚えてなかったらアウツって人たちに聞いてるところだったりする。

ちなみに自分が書いていることは、任天堂もしくはハドソン(現コナミ)が1983年ごろの覚書とか契約書を公開するとか、そのレベルのことをやってくれない限りは、個人の記憶に頼るしかない代物なので全く大変だ。
そして、公開されても日付がわかるだけで、やっぱり個人の記憶に頼らないとどうしようもない部分があるので、ますますまずいのだけどw

ところで、ゲーム史に関する本格的な研究や記録は日本ではほぼない。
これは世界のゲーム史から見たとき、恐ろしく不幸なことだ。
というのも、日本はアメリカと並んで間違いなく「世界のテレビゲーム」を作り出した国で、歴史的に見ると恐ろしく重要な話が大量にあるはずなのに、これらが消え去っていこうとしているのは、かなりまずいだろうと思う。
ハドソンのファミコンへの参入の歴史はたまたま調べたからよかったけれど(それもだいたいはツイッターで話をしたとき、大雑把に聞いた話をしゃべったら、それが本当かに興味が出たってだけだ)、ほぼ同時に参入したナムコのことは全く分からない。

それに今回のハドソンのことを調べてわかったのだけど、当時、何があったのかを知っている人達も30年経って記憶がいい加減になって、忘れたことがたくさん出てきている。
例えば、今回のハドソンの件を調べたとき、最初にハドソンではX1用のBASICコンパイラを使ってゲームを作っていたって証言があって、作ったとされている本人に確認したら「ぜんぜん覚えてない、そんなことしてたかなあ」だ。
さらに当時は本当に口約束で決まったことなんかもあったはずで、そうなったら本人が忘れたらもう終わりだ。
30年以上前の記憶なんだから、しょうがないといえばしょうがないけれど、10年早く記録を始めていたら、絶対に違ったはずで、あまりにもったいなかったなあと思ってしまう。

しかし、本当に初期のゲーム史をちゃんと歴史に残すなら、これから10年は最後のチャンスなんだけどなあ…きっと日本はそんなものぜんぜん残さなくてガッカリな結果になるんだろうなあ…と思ってしまう。

|| 20:46 | comments (1) | trackback (0) | ||

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ハドソンがファミコンに参入するまで(2)
前回、1983年に任天堂が…というところまで書いたのだけど、ハドソンと任天堂の関係が出来る話に入る前に、もう少しこの当時のハドソンについて話をしておきたい。

というのも、ツイッターで、どうしてハドソンがシャープと仲がよかったのか、どうしてX1を使っていたのか、当時どんな会社だったのかみたいなことを聞かれて気がついたのだけど、結局当時のことを、今の人が知るわけもない。そしてこの話は、当時のパソコン市場や、ゲーム市場、さらに開発環境などがどんなものだったのかをわかってもらわないと、うまく繋がらない。
というわけで、ハドソンや当時のことについて、今回もう少し書いていきたい。

以下本文。

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|| 20:02 | comments (4) | trackback (0) | ||

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ハドソンがファミコンに参入するまで(1)
これは1984年に、ハドソンが初のサードパーティとして、ファミコンに参加するときの物語だ。
前のポストで、野沢さんの証言を元にブログを書いたら、いろんな人から細かい情報が集まって、どんな風にハドソンがファミコンに参入したのか、そのプロセスはどういうものだったのかを、ようやくその全貌が正しく明らかになったと考えられるようになったので、再度具体的に書いていきたい。

ところで、この記事は、前の物とかなり激しくかぶるのだけれど、前のものを消すとどのように変化したか? が分かりにくく、かつ前回のに付け加えをするには、あまりに多すぎるので、あえて新しい記事としてアップロードすることにした。
あと今回、何人か名前を出して欲しくないといわれた関係者が現れてしまったので、野沢さんの言葉と一緒に、当時のハドソン関係者と、今のところは伏せておくことにしたい。
…って考えてみたら、野沢さんの名前出していいかどうか聞いてなかった(;´ω`)

また新しい記事はたぶん3回ぐらいに分けて書くことになると思うのだけど、時代背景などまで含めて出来るだけ丁寧に書いていきたいと思っている。
というのも、インターネットを検索すると分かるのだけど、後の歴史的事実「ファミコンが圧勝した」って事や、当時書かれた任天堂礼賛本の内容のひどさ(本当に噴飯モノの本がかなりたくさんあった)、さらにくだらないゲームハード戦争がらみで下らない事を書く人がいるせいで、現実の歴史からかけ離れている事が多いので、そこらへんも出来るだけ正しながら、この歴史を紐解いていきたいと思っている。

以下、本文。

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|| 18:06 | comments (5) | trackback (0) | ||

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「ゲーム」の示す言葉の意味
これは『電撃王』や『電撃プレイステーション』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものや、付け加えをして今出すと面白いと思ったものをアップトゥデートして載せていくシリーズ。
今回は2001年の電撃プレイステーションに載せたコラム。

■■■

TVゲームは初登場時には、たった一つのスタイル、ボールをパドルで打ち返す形しかなかった。それが30年経った今では、ざっと大雑把にジャンル分けするだけでも、RPG・SLG・AVG、格闘、様々なスポーツ、もうほとんど滅びかかっているシューティング…それぞれに、たいてい「アクション(リアルタイム)」か「そうでないか」があるしシミュレーションも「リアル系」とかそうじゃないとか、もうともかく、信じられないほど様々な種類のゲームがあると言えるだろう。
どうして、こんなに様々なジャンルがあるのかと言えば、これまた理由は簡単で、コンピュータの能力が途方もなく(TVゲームの登場時から比較すれば、10万倍以上のパワーになっているだろう)パワーアップしたからだ。


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|| 19:25 | comments (4) | trackback (0) | ||

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ハドソンがファミコンに参入したとき(オリジナル)
以前にTwitterでちょっと書いた、ハドソンがファミコンのサードパーティに参加する前後の事情について。
これは1982-83前後のコンソールゲーム業界がまさに始まろうとしていた前後の話だ。

当時ハドソンにいた、野沢さんに詳しく聞いたところ、30年前の記憶なのでうろ覚えなところがあるけど、と前置きで返事をもらったので、以下いろいろ。
このあたりはfacebookで、古いハドソンのメンバーと現在つながるようになっているので、また聞いて、証言を加えていく予定。

ちなみに野沢さんは、野沢勝広さん。
I/OでMZ-80K用のTiny fortran コンパイラFORMなんかを発表したり、スターソルジャーのプログラマだったり、チャレンジャーのシステム作ったり、PCエンジンのハードがらみの設計したり、ともかく当時のハドソンの技術の中心人物の1人といっていい人だ。




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|| 18:09 | comments (2) | trackback (0) | ||

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