CALENDAR
S M T W T F S
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30   
<<  2020 - 04  >>

PROFILE
同人誌 電子書籍版
Re:ゼロから始める
ゲームシナリオ


ライトニング伝説


さよならハドソン


ドラクエとFFと
ToHeart


誰得ゲームライフ


ときめきメモリアル
の時代

イースI・II製作メモ

頒布ページ
LINKS
NEW ENTRIES
CATEGORIES
COMMENTS
    イースⅠ・Ⅱ通史(3):『リグラス』から『ロマンシア』
  • タムロ (02/03)
    イースⅠ・Ⅱ通史(1):PC88MkⅡSRの発売
  • tamuro (01/05)
  • おお! (01/03)
TRACBACKS
OTHERS
SEARCH BOX
POWERED BY
POWERED BY
ぶろぐん
DESIGN BY
ブログンサポート

FF10の話(6) - FFⅧ・その1 頭身モデルの統一とSDからの離別
FF10の話を書くシリーズの第6回。
シリーズは以下。
FF10の話(1) - それは1991年から始まった
FF10の話(2) - ヘラクレスの栄光Ⅲの衝撃
FF10の話(3) - ファイナルファンタジーⅦ・その1
FF10の話(4) - ファイナルファンタジーⅦ・その2
FF10の話(5) - ファイナルファンタジーⅦ・その3(終)

本編に入る前に簡単な注意。
このシリーズは『FFⅦ・Ⅷ・Ⅹ』について、もう超ネタバレのレベルで話が進んでいる。だからプレイしたことがなくて、そしてプレイする予定がある人は、ここから先はあまり読まないことをオススメしておきたい。

と、簡単な注意をしたところで…

さて『FFⅦ』の大成功の後を継いで作られた『FFⅧ』は『FFⅦ』に対してどのような修正が加えられたのか?

もちろん、技術的な進歩はいろいろある。
例えばムービーのレンダリングのクオリティが大幅に上がっているとか、ムービーとゲームの境目が『FFⅦ』よりさらになくなり、ムービーをプレイしながら、ゲームをプレイするところがあちこちで出てくるとか、戦闘のエフェクトの扱いが『FFⅦ』と比較にならないほどよく出来ているとか、加えてアナログ入力が登場したので、操作系が使いやすくなったとか、そういうPS1というプラットフォームに習熟したことや、時間が経過したことで出てきた点は当然ある。

でもそれだけでなく『FFⅧ』は、『FFⅦ』に残されていたファミコン・SFC時代の表現が大きく変わったゲームだった。

それを説明するために『『FFⅦ』』にあった過渡期のゲームとしての問題について書いていきたい。

『FFⅦ』は革命的なカメラアングルを備えた映画的RPGとして登場し、その点についての完成度は文句のつけようがなかった反面、ファミコン・SFC時代のFFの文法を色濃く残したゲームだった。

それを如実に表すところとして、イベントが始まるときのパーティキャラクタの扱いがある。
FFシリーズでは、パーティはシンボルとしての移動キャラクタとして1体にまとめて扱われるのが通例だった。つまりパーティが3人だろうと表示されるのは一人。
結果、FFシリーズでイベントが起こるとき、だいたい以下の様な過程になっていた。

1)シンボルキャラクタが画面上の適正な位置に移動する
2)シンボルキャラクタから、パーティキャラクタがゾロゾロ出てくる(文字通りキャラの中から出てくる)。
3)パーティキャラクタがイベントスタート用の位置に移動する。
4)イベントが始まる。
5)イベントが終了したら、シンボルキャラクタにパーティキャラクタが歩いて行き、吸い込まれる。

イベント終了後、パーティキャラが抜けるとか、もしくは家の外にでるまではバラけた状態になる・・・たまにパーティキャラクタが吸い込まれない場合もあるのだけど、基本的なイベントの流れは上記したものになる。
これはファミコン~SFC時代に使われていたFFシリーズでのプロセスをそのまま使っているのだけど、では、どうしてFFはファミコン時代にはこういう方式だったのか?
理由は明らかにスプライトやVRAMの制限だ。

VRAMは今で言うテクスチャ領域、スプライトは今で言うポリゴンだけど、サイズが固定で拡大とか縮小とか回転は出来ず、なおかつ横に一定上並ぶちらついたり表示できなくなるといった制限があった。またこのあと出てくる「キャラクタ」はVRAMと等しいと読みかえればいい

ファミコン~SFCの時代には画面上に出せるキャラクタの数や定義出来るキャラクタの数に厳しい制限があった。
だいたい当時のゲームハードは水平の並ぶ限界数もさることながら、1画面に出せるスプライトの数そのものに厳しい成約があり(ファミコンで最大64)、例えば4人パーティでドラクエで有名な蛇方式で全員表示するとして、さらに16x16ドットのよく使われるサイズにすると、1キャラクタに4つ(使うのが普通)。4人パーティとすると16スプライト。ファミコンの場合なら、実に画面に出せるスプライトの25%を消費してしまう。
だからFF方式は合理的といえるわけだ。

そして『FFⅦ』でもこのプロセスは踏襲されていた。
ところが、同じプロセスがポリゴンの3Dキャラで行われると、かなり奇異…というか、超不自然に見える
そりゃあそうだ。ファミコン・SFC時代と比べるとポリゴンで作られた立体モデルは、等身は低かったし、顔もディテールがほとんどないとはいえ、圧倒的にディテールがある。そんなリアルなキャラクラウドの中から出てくるのは恐ろしく奇怪に見える。

実際、僕は『FFⅦ』を初めてプレイした時、最初の魔晄炉に対するテロを行うシーンで、エレベータでクラウドからバレットが出てきてイベントが始まった時、思わずギョっとした。そしてイベントが終わった時、クラウドの中にバレットがまた消えていった時、「この表現はこれからはツライ」と感じた。

だから『FFⅧ』では、表示パーティキャラクタは一人方式を止めてドラクエの蛇移動方式にしている。
つまり『FFⅧ』ではパーティメンバー(正確にはバトルメンバー)は、先頭キャラクタの後ろにつき、先頭キャラクタのあとを付いて走る形式に変更されたわけだ。そしてこれのおかげでイベントは以下の流れになった。

1)先頭キャラクタがイベントの始まる位置に到着する。
2)バトルメンバーが蛇から指定の位置に移動。
3)イベントが始まる。
4)イベント終了後、バトルメンバーは再度蛇に戻る。

つまりファミコン時代の記号化されたキャラクタからポリゴンになったことで、起きる問題を蛇にすることである程度解決したわけだ。
なお、ちょっとだけ追記すると、ⅦでもⅧでも、バトルメンバー以外のパーティキャラクタは、だいたいイベントポイントで待っているか、それともイベントの起こる画面に画面外から現れる形で処理される。

そして、このような修正は『FFⅦ』から『FFⅧ』になったときに起きた、とても大きな変化の一環で、その変化とは何かというと…
キャラクタの統一性と見かけの不自然さをなくしていくことだ(まだ完全ではない)。

そして、中でも一番大きかったのがキャラクタの統一だった。
まずファミコン~SFCの時代にはFFには大雑把には3種類のキャラクタイメージがあった。

●天野さんが描いたイメージ画
●ゲーム内のステータス表示などで出てくる顔のグラフィック
●ゲーム内で使用されるドットキャラクタ。

このうち天野さんが描いたイメージ画は、今でも続いているいわば象徴で、キャラクタばかりではないので例外扱いとしておきたい。

そしてステータス画面のイラストがちょっと微妙で、天野さんが書いたイメージキャラクタがステータス表示にある顔のグラフィックのイメージとしてファミコン~SFC時代にはかなり使われていて、特に『FFⅣ』あたりでは、かなり天野さんのイラストに近かったと思う。
これが『FFⅦ』になって、天野さんのイラストは完全にシンボルになって、キャラクタはキャラクタデザインから起こされたものになる。だからゲーム内のキャラクタとの統一性は出てくる…のだけど、問題は、そのゲーム内だった。

ゲーム内で使用されるキャラクタは、ファミコン~SFC時代にはマップで使用されるキャラクタと、戦闘で使用されるちょっと大きな(頭身の高い)キャラクタの2種類に分かれていた。
この区分は『FFⅦ』でも踏襲されていて、マップでは4頭身程度のSDキャラクタでバトルでは8頭身に近いのだけど、問題なのはイベント時に、必ずしもSDキャラクタではなくなることだった。
というのも、ムービーの中にキャラクタがレンダリングされたものとして登場するとき、SDではなく、バトルで使われている等身の高いキャラクタ(正確に書くとバトルとも等身は若干違う)が登場してしまうのだ。つまりイベントにムービーが含まれると、以下の様な現象が起こっていた。

1)イベントがたいていSDキャラでスタートする
2)ムービーが挟まると、突然8頭身キャラクタに、またバトルが始まると突然8頭身に
3)ムービーが終了したり、マップに戻ったりするとSDキャラに。

もちろん『FFⅦ』のキャラクタは見ただけで区別がつくように記号化されているので、頭身が変化しようが区別はつくけれど、グラフィック的に一貫性があるとはとてもいえない、ガチャついた印象だったのは間違いない。加えて、『FFⅦ』のゲーム内の背景は基本的にはSDキャラクタでバランスが取れるようにデザインされているが、同じ場所でムービーが始まると、8頭身にあった背景になるので、場所によってはかなり別物の印象になってしまう問題もあった。

そして最後に、この問題はムービーとゲームの連結に特別な問題を引き起こす。
例えば「クラウドがバイクに乗っていて、一瞬画面からジャンプして消え、上から落ちてくるとゲームキャラのクラウドとバイクに入れ替り、そのままムービーからゲームに繋がる」ようなプロセスを考えてみよう。
これだと、最初のクラウドは8頭身で、上から落ちてくるクラウドはSDキャラクタってことになるし、背景も最初は8頭身用だから、ごまかしのカットを挟まないとうまく背景が切り替えられない。結果、まるで一貫性がなくなってしまうので、こういうイベントはあまりやりたくないって話になる。

実際、神羅タワーの屋上あたりからミッドガル脱出ぐらいまで起こるイベントは頭身がコロコロ変わるために非常に辛い。またこの頭身違い問題は、ミッドガルの天井が落ちるあたりのイベントに結構影響を及ぼしていると思う。

まとめると、『FFⅦ』はファミコン~SFC時代のSDキャラクタを引きずったメインゲーム部分と、8頭身になっているバトルおよびイベントムービー部でグラフィックイメージの一貫性がなく、演出上の問題を引き起こしやすかったということだ。
また、この問題は制作の上では別の困難も引き起こす。マップキャラクタとムービーで頭身が違うということは、ゲームのアセットの作り方が二重になるので、予算が大幅に膨らむし、もちろん手間もかかる。いいことはなにもない。

というわけで、延々と書いてきた、このゲーム内のキャラクタのイメージが統一されていない問題に一貫性を持たせ、マップ・バトル・ムービーの3つで8等身にまとめあげて、さらにステータス画面の顔まで含めて、一貫したグラフィックイメージが維持されるようになったのが『FFⅧ』だったわけだ。

ところがだ。
この今から見れば、当たり前とも言えるような、この処理だったが、『FFⅧ』が発表された直後、マップやゲーム画面がSDキャラクタでないことを「海外ゲームくさい」だのなんだのと、かなりの不満が出ることになり、それどころか『FFⅧ』が毀誉褒貶の激しいゲームだったのもあって『FFⅨ』が出たあとは「『FFⅨ』の方がFFらしい」などと、かなり嫌われる要素の一つになってしまう始末だった。

ところで、どうしてマップではSDキャラクタを使ったのか理由は分からないが、企画の初期段階を考えると、『FFⅦ』はSFCの延長で考えるわけで、もともとのSDキャラクタを3Dにしてみよう…でSDキャラのモデリングになった…ということなのだろうと思っている。

また前述したような拒否感が出たことを考えると、結果論かも知れないが、8頭身とSDキャラが混ざったゲームを作ったのは、イメージの統一性では問題だらけではあっても、『FFⅦ』においては正しい判断だったのではなかろうか。

というところで、長くなったので次回に続く。
|| 20:52 | comments (3) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント
頭身が上がって外国人っぽいキャラクタに見える、というような感想を当時聞いた覚えがありますね。
| SIN | EMAIL | URL | 14/02/16 23:34 | hcOzMldM |
あんまり気にしたこと無い事だったので、改めて指摘されると確かに可笑しいと笑ってしまいました。
訓練されたプレイヤー(笑)としては当たり前の事として捉えていたので、FFのお約束として暗黙の了解だったと思います。
| ノリ | EMAIL | URL | 14/02/14 00:58 | mL9ifBSw |
あまり覚えてませんが「海外ゲームくさい」なんて言われてましたっけ。バイオとか出てる時代だし…
どちらかというと列になってゾロゾロ歩くRPGはリアル頭身でやるとコントみたいだな…と。
| FF9好き | EMAIL | URL | 14/02/13 21:53 | T42EkaCk |
この記事のトラックバックURL :
トラックバック