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1990年7月 - 浅草REDにて
1990年7月。夜7時。
当時、浅草にあったREDの4F。
僕は天外2の初めての打ち合わせに臨んでいた。
広井さんが手がけてきたビックリマンやらネクロスやらがそこらじゅうに転がっている中に応接セットがあり、その横にレーザーディスク(まだDVDはないよ)と、馬鹿でかいテレビ(当時としてはとても大きな多分32インチぐらいあるテレビだった)が置かれている打ち合わせスペースで、広井王子さんが、今でもトレードマークのサングラスをかけて、熱弁をふるっていた。
「今度の天外は、舞台は九州・四国を除いた、本州の西半分!」
「主人公は火の一族。三日月丸、少年剣士。敵は根の一族!」
「城の一つ一つが全部違ってさ、海に沈んでたり、山に隠れてたり、空とんだりする城があってさ…必殺剣でバンバンやっつける少年剣士の話がいいわけよ!」
と一通り、天外2の枠について、広井さんは10分ほども喋るとー
「まあ、そんな感じでさ、ゲームは桝田君に任せるから!」
といって、広井さんはでかくて黒い安楽椅子に座り込んだ。

天外2で広井さんが最初に言った三題噺は、桝田さんが面白おかしくPCエンジン版のマニュアルに書いていたけれど、本当に本当の話だった。広井さんが最初に決めた枠は、まさに「舞台は西日本、敵は根の一族で、少年剣士がバリエーション豊かな城で、必殺剣で敵をバンバン倒す」というものだった。



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TRCと電撃PSD
今のゲーム屋なら、誰でもTRCというものを知っている…と思う。

ハードによって呼び方が違うのだが、僕はPS1時代にこれが初登場したときにTRCと呼ばれていたのでTRCと呼ぶクセがある。

TRCっていうのはどういうものかというと、大雑把にはハードメーカーが決めている規定を守っていますか? というチェックシートだ。これをマスター提出時にひっつけて出すことになる。
で、TRCを守っているかどうか、バグがないかも兼ねてハードメーカーがチェックを行い、OKなら発売される。
つまり、ゲームが発売にいたるためには

1)ゲームを作り、社内でデバッグし
2)TRCをつけて、マスターを提出し
3)ハードメーカー側がTRCを守っているか、加えてバグがないかチェックし
4)全てOKなら発売される

…というシステムだが、これが出来たのは、僕が知っている限りではPS1からだ。
もちろんFCやPCエンジンの時代も似たようなものはあったが、システマチックに完成されたのはPS1が最初だと思う(もしメガCDでこれがあったならスマンだけど。僕はMDは手伝ったことしかないのよ…)。

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今も昔もマシン論争
PS3がいいのX360がいいのといったハード論争を延々と繰り広げる方々がいるが、だいたい発売された年代が似たようなものなら(フォーカスが全然違わなければ)、性能も似たような物だ。
実際にそれでプログラムを書くことも、それを対象にしてゲームデザインをすることもなかろうに、なんで口角泡を飛ばすのか…と、見ているうちに1995年頃に電撃王に書いたコラムをふと思い出して、読み直したら、結構面白かったので、コマゴマ付け加えて、転載することにした。
以下、本文。

■■■

 今まで何度も書いてきたけれど、僕がパソコン(マイコン)を使い出して、17年が過ぎるうちに『値段は17年前と変わらないか、ヘタしたら安いぐらいで、速度で1000倍、メモリで2000倍以上、グラフィックに至っては<ある>と<ない>で比較の対象にもならないぐらい。記憶装置も値段は100分の1、速度は1000倍』なあんて、当時から思えばただの夢物語にしか過ぎないようなムチャな機械ばかりになってしまった。(苦笑)

【注】もちろんこれまた94-95年と1978-80年頃を比較しての、の話だ。この当時のマシンはだいたいメモリが256メガバイトも積まれていれば多い方だった。今(2011)はノートパソコンですら4ギガ(16倍)載っているのが「当たり前」の世界になっているのだから、ここからの性能向上も推して知るべし。

 あんまり進歩が速いもんで、17年前にマイコンを始めた当時に覚えて、今でも役に立っているのはキーボードのレイアウトぐらいのもんだ。
 当時に比べれば、随分キーの数は増えたけどね。(これはホントに覚えてよかったと思っている)
 当然、ソフトもケタが変わってしまって当時はベーシックを動かすのが目標で、今じゃ、Windowsが動くのは当たり前。
 なんとサイズで軽く100000倍。複雑さに至っては、話にもならないぐらいの差なわけ。
 ところが、それを使う人は今も昔も変わらないとみえて、17年前とまーるで同じことを繰り返している、面白いことが一つある。
 というわけで、今も昔も変わらないマシン論争の話。
 ただし、1977年版。

【注】ここでマシン論争と書いているのはAT(IBM-PC)系と、PC-9801(NEC)系、Macintosh、FM-TOWNS(富士通が出していた独自規格のパソコン系列)、X68K(正式名称はX68000。シャープが出していた独自規格のパソコン)などのいわゆるPCだ。
それぞれにファンがいて、それぞれに自分のマシンが最高だと主張していた。


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ピンボールって知ってる?
去年、ワールドカップ前後に書いた電撃プレイステーションのコラムの大幅増量&改訂版。
余りに中身が変わったので、カテゴリを迷ったけど、本当はこれぐらい書きたかったコラムだったので転載でいいやと思ったw

さて。
ピンボールは、このブログ読んでいる人の大半にとっては「名前を知っているが、プレイしたことがないゲーム」の一つではなかろうかと思うので、簡単に内容を説明しておこう。
左にあるような筐体の、結構大きな2メートル近いサイズの様々なギミックが載っているゲームボードの上を転がってくる金属製のボールをフリッパーと呼ばれる2本のバットのような物で打ち返し、出来るだけ長い時間ボールを落とさず、かつギミックを狙って、役を作っていくことで高得点を目指すゲーム。ちなみに左の画像は今回取り上げたゲームにも含まれているBlack Knightというピンボール。
…と書いても、さっぱりわからないだろうなあと、このコラムを書いたときは思っていたので、ここはインターネットの力で拾ってきた画像とともに、デジタルピンボール初期のマルチボール(複数のボールが同時に出る)ピンボールの最高傑作のひとつと信じて疑わないSTERNのFLIGHT 2000を例に取って「実際に、どんな風にプレイをするものだったのか?」を説明したい。

ちなみにピンボールをテレビゲーム…というか、コンピュータでやろうとする試みはとても古くからあり、アップルIIの伝説的に有名なビル・バッジの『ピンボールコンストラクションキット』あたりから始まり、アーケードでブロック崩しの変形、ナムコのGeeBee、ファミコンで任天堂から発売されていた『ピンボール』、PCエンジンとメガドライブで結構ヒットした『エイリアンクラッシュ』&『デビルクラッシュ』、Kazeの名作デジピン『ラストグラディエイター』・『パワーレンジャー』、Windowsに付属してた『Space Cadet』などなど、結構歴史もあって、それなりに遊んだ人もいると思うが、それでもマイナーなのは間違いないだろう。


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1990年6月 - CDROMを拡張する!?
イースの製作メモの最後で書いたが、天外2の開発を始めるからやってくれ…と話された後、中本さんとしばらく話し込んだ。
1990年半ばには、僕はフリーでの税金処理の面倒くささ(これも一度ブログで書きたい話だ)に参って、当時、角川メディアオフィスの編集長だった佐藤辰男さんの誘いを受けて、角川メディアオフィスの社員になっていた。

角川メディアオフィスは、角川歴彦氏によって創設された角川書店の子会社。この会社のメンバーの大半が3年ほどして、角川のお家騒動に巻き込まれる形でメディアオフィスを退社し、メディアワークスの創設に関わる事になる。
そしてこのメディアワークスが後に角川歴彦氏が角川書店に戻ることになり、最終的に角川の傘下に入る形になる。
このあたりのビックリな話も一度書いてみたいところだw

例によってどっかで食事して、そのあと飲んで…という流れだったはずだが、大雑把にはこんな内容だった。

「天外2をよぉ、作るとして、今のCDROMだとどうなんだべさ?」
「ビジュアルはイースと同じが上限。戦闘はノーアクセスは無理で、バックグラウンドリード必須。ちょっと豪華な天外1ですね」
「そんなもんか?」
「そんなもんですよ」
「だって」

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