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イースの同人誌再版分の頒布
5/1開催のCOMIC1☆5で、イース制作メモの再版分をヒソヤカに頒布してます。

例によってあいざわひろしのスペースを間借りしてます。

あ-01ab
HIGH RISK REVOLUTION

新刊は夏に出したいなあ、と思ってます。


|| 20:29 | comments (0) | trackback (0) | △ ||

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Kenさんのこと
ふと思い出したので、忘れないようにメモっておいたTwitterでのつぶやきのまとめ+追加したエントリ。

僕がはじめて就職した会社に、Kenさんという人がやってきた。
最初の会社の提携会社から出向、今で言う派遣の形でやってきた人だった。
もちろん本名は覚えているけれど、ここではKenさんとしておく。少なくともKenさんは本名をゲームで書いたことはないはずなので、伏せておきたい。
【11/04/27 追記】と、当時の記憶で書いたのだけれど、今日、たまたまあとで出てくるゲームのエンディングを見たところ"Ken Hasegawa"と名前が書かれていた。
それどころか、当時の感覚からすると珍しい事に、あとで出てくるゲームのスタッフロールはほぼ本名で構成されていた。
なので、この話の主役、Kenさんは"Ken Hasegawa"さんだ。

さて、入社してきたとき、Kenさんは68000(モトローラのCPU。68Kと略される)のアセンブラのエキスパートでCも書けるという話だったが、実際そのとおりの人だった。OS/9の経験はさすがになかったけれど(OS/9はCD-iのOSのベースになっていた)、そんなのはすぐに覚えてしまった。
【注】 当時のアーケードのCPUは、ザイログ(インテル系)のZ80からモトローラの68Kに移行が進んでいた。というのもアーケードで使われるデータの量が大きくなってZ80では扱えない範囲に入りだしていたからだ。
そしてインテル系の16bitCPU、8086はアセンブラレベルでの移植が簡単…とかいうワケのわからないメリットを打ち出したために、大きなデータを扱うのがヘタクソで、おまけにいろいろ扱いにくいCPUだったので、よりアーキテクチャとして分かりやすく扱いやすかった、68Kがアーケードを席捲することになった。
86系・ARM・Power・一部MIPSの世界が普通になっている今の人からは想像もつかないだろうが、68Kは長くアーケード界のCPUの王座に君臨し、これが崩れるのは2000年代に入ってからになる。

転職だというのは聞いていたので、昔、何をしていたのか…と聞くとタイトーでゲーム作ってて、ダライアスのメインプログラマで、スタッフロールの一番最初に出る名前だというのだから驚いた。どうして辞めたのかというと、まあ会社でゲーム作るのに疲れて、ダライアスを作ってゲーム作りから引退しようと思った…ということだった。

当時、僕はBeep!でライターを始めていて、普通の人よりは業界側にいたが、まだゲームを作るプロではなくプロになりたい人でしかなかったから舞い上がった。本当に嬉しくてしょうがなくて、ゲーセンでダライアスをクリアするのを見せて、いろいろな話を聞いた。
例えば、Kenさんはコナミのグラディウスのザコの弾の撃ち方が美しくカッコイイと思っていて、そんな弾幕を作りたかったんだけど、どうにもそうならなかったとか、アーティストの書いてきたバリアがかっこ悪いと思っていて、アーティストが書いたドットを自分でいじったとか、敵に適当にスタッフの名前の逆読みで振ってたら、いつの間にか本当の名前になっていたとか、そんな普通はまず聞けない話を聞いた。

その中でも抜群に面白かったのはAMショーの話だった。
ダライアスをAMショーに出展したとき、あるボスのところで次の面に行かない(か、それともボスが死ななくなる)という致命的なバグが発生した。それが分かったとき、ショーの真っ最中で、どうしようもない。
そこで開発の人間がそ知らぬ顔をして待機し、バグが発生したらケーブルにつまづいて電源を抜いて、リセットすることにした。
バグが出るたびに「うわーバグったよー、俺さっきいったから、今度はお前行けよー」みたいな感じで、スタッフで回り持ちで、けつまずいて電源を抜いたわけだ。結構出て、何回もリセットするはめになったといっていた。
それでショーが終わった後、Kenさんは営業の人に「バグだしてゴメンナサイ」と言いにいった。
そしたら営業の人から「いいよ、いいよ、ウチのブースにこんなに人が来てくれたの初めてだよ」と言われた。
当時のタイトーは、自分の中ではもはや眼中にない、数はともかく出すけれどクソゲーばかりという印象で、ダライアスは本当に衝撃的なゲームだった(あのタイトーが、とんでもなく面白カッコイイシューティングを!)から、そういわれるのも当たり前だよなあ、と思った。

また、Kenさんは故MTJ氏(バブルボブル・レインボーアイランドなどのゲームデザイナー)とも仕事をしたことがあり(何をしたのかは知らない)、「あいつ何にも打ち合わせの時きいてねえんだよ、ハードがこうだから、コレしかできないよって言うと、フンフンとか言ってんだけど、仕様書来ると全然無視なんだよ、ひどい奴だよ」と言っていた。

そんなこんなで、プログラムを書くプロにはなったしライターにもなったけれど、ゲームを作るプロにはなれていない僕には、Kenさんの話はゲームを作るプロの世界がかいま見えて、ワクワクするものだった。

そしてKenさんの方から見ると、僕みたい三度の飯よりゲームが好きな人間がいるのは驚きだったらしい。自分が作っていたゲームをこんなにやっていて、ゲーム作りたくてしょうがない人間がいるのを知って、本当に驚いていた。

でも僕とKenさんの会社でのつきあいは1年も続かなかった。なぜなら僕が会社を辞めて、ハドソンにゲームを作りにいってしまったからだ。
僕はCD-iでゲームを作りたかったがCD-iでアーケードやファミコンのようなゲームは作れそうにもなかった。MSXすら怪しかった。それを言うと「CD-iはマルチメディアマシンでゲームマシンとは違う」と言われた。でも「じゃあマルチメディアとやらとファミコンの間で何が違うのか?」という僕の質問には「マルチメディアはファミコンのようなチャチなもんじゃない」という、何の根拠もない答え以外は返ってこなかった。
そして開発も遅れ、CD-iは話にならないと確信していたところに、やってきたのがハドソンの話だった。僕は結局ゲームを作りたくてしょうがない人で(今でもそうだけど)、ゲームを作れる魅力にはウンザリしていたCD-iでは全く勝てなかった。
僕はハドソンに行ってしまい、Kenさんとのつきあいも終わった。

それから1年ほどしてKenさんも僕が元いた会社への出向を辞めたという話を人づてに聞いた。僕が最初に勤めた会社は2つの親会社の出資で成り立っていたベンチャーだったが、紆余曲折があって、一つの親会社が手を引いて、もう一方の親会社が吸収する形になった時に出向を辞めた(もしくは条件が変って契約を終了した)というのが正しい流れだったと思うのだけど、少々記憶は曖昧だったりする。

だが、Kenさんの付き合いは思いもかけない形で続くことになった。Kenさんと、なんと北海道のハドソンで再び会うことになった。Kenさんの会社も、僕とほぼ同じつて(当時の角川メディアオフィスのマル勝の企画をした編集)からハドソンと仕事をすることになったのだった。結局、Kenさんもゲームの世界に舞い戻ってきたわけだが、そのとき嬉しいことを言われた。
「タイトーでゲームを作っていたときは、プレイヤーの顔が見えなくて情熱がなくなっていた。でも岩崎君がものすごいゲームが好きなのを見て、またゲームを作りたくなった」
本当に嬉しい言葉だった。

今、Kenさんが何をしているのかは知らない。でも、少なくともKenさんがプログラムを書いたダライアスはシューティング史上、不滅の名作の一つとしてアーケード史上…いや、ゲーム史上に燦然と光を放っている。
そして、あれを作れたKenさんを、今でも尊敬し、うらやましく思っているのだ。
ところで、今、ワイド画面だからこそ、ダライアスを移植して欲しいと思ってしまう。
オリジナルのダライアスの1画面あたりの解像度がいくらかはわからないが、当時のアーケードだから、1画面は256x240もしくは320x240。
モニタを1920とすると、256なら3画面で768x240。2.5倍して1920x600に出来るし、320で960x240。1920x480で3画面を完全に表示することが出来る。
正直、ダライアス完全移植版(2/3画面モード切替つき。2P可能)なら、フルプライスでも余裕で買う。X360/PS3のどちらでもいいので、真剣に検討してもらえないでしょうか、スクウェアエニックス様(;´ω`)
ついでにニンジャウォリアーズとダライアスIIもあれば完璧!


■記事編集記録
□2011/04/30 - 編集記録を入れた(日付は更新してない)
□2011/04/27 - Kenさんが名前を出していたのを知って更新
□2010/08/25 - オリジナル投稿

|| 21:56 | comments (10) | trackback (1) | △ ||

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補足(1):天外世界の創造者
コメントで質問された事には、あとで触れることも、今書いたほうがいいことも、いつ書くか迷うものもあるのだけど、いつ書くか迷うけど、といってほったらかしにしておくのも難しい事を補足、として付け加えながら書いていくことにした。
今回は『原作者』についてや、背景設定などについて。

公然の秘密だろうとなんだろうと、僕がかかわって20年経っていようと、ネタバレはネタバレだと思うので、以下続きにしておく。


続きを読む▽
|| 21:20 | comments (8) | trackback (0) | △ ||

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アマガミとWhichとHow
ブログ…というか、日記というか、ともかく『アマガミ』のレビューを読んだ。
とても面白い記事で、いろいろと考える事があったのだけど ──
ともかく、まずこの記事を読んでくれないと、今日の記事はわからないので、興味のある方は、読んでからドウゾ。

読みましたか?

読んだなら、続きをドウゾ。



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|| 20:15 | comments (3) | trackback (0) | △ ||

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HALOに見る、日米のゲーム観の違い
『電撃王』や『電撃プレイステーション』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものを、細かくアップトゥデートして載せていくシリーズ。

■■■

マイクロソフトが発売した『HALO』は「好きか嫌いか」はともかくとして、疑いもなく非常に優れたゲームなのは確かだ。
難易度は高いとは思うが、グラフィックは素晴らしいし、ゲームの仕掛けも良くできているし、マルチプレイヤーでの戦闘は途方もなく楽しい。実にいいゲームだと思う。
では、ここで次の問い。果たして、それは日本で受け入れられるのだろうか?
「売れる・売れない」について言うなら、この号が出ているときに答えは出ているわけだが、売れるとは思わない。
なぜなら、XBOX(初代)はDVDの傷問題でイメージに大きな痛手を受けていて、現在のところは不調もいいところで、しかもすぐにユーザーがハードを買ってくれるとは思えない。だから、売れたところで、運が良くて10万ちょっとが限界なのはわかっている(奇跡的な運があれば20万が出る可能性はゼロではないわけだが)。

【注】ここで分からない人のために。
初代XBOXはトレイの設計に問題があって、DVDを入れると外周部に薄い傷がつく問題が発生した。
ところがこの傷は結構付く個体はあるけれど、DVDやCDの再生には問題がないもので、マイクロソフトは問題ないといってしまい、かえって大問題になり、XBOXのイメージは極めて悪くなった。
このコラムはその問題が起きた直後に書いていたので、それについて触れているわけだ。


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|| 21:13 | comments (7) | trackback (0) | △ ||

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