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1989年6月 - レベルを統合すると決める
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

■■■


これはイースを2つに分割するのか、それとも一本のゲームとしてまとめあげるのかの分水嶺になった、6月後半から7月頭のあたりでの話だ。

ある日、HaHi君が僕に聞いてきた。
「岩崎さん、1から2に行くときどうするの?」
「ああ、経験値どうするかってことね?」
「そうそう」
「経験値はひとつにまとめるよ。決めてる」
そのときまで黙っていたが、2本のゲームにするか、それとも1本にまとめるかはずっと考えていて、答えは既に出ていた。
「えっ!? じゃあイース2からははじめられないの!?」
「うん。HaHi君はどうするつもりだった?」
「いや、僕は2が始まるとき、1で終わったときの1/100とか経験値あげればいいと思ってたからさ」
「それ、ダメだよ、だってさ…」

というわけで、以下が当時、僕がHaHi君に言った理由。
言った内容はほぼ当時のままのはず。

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|| 20:23 | comments (8) | trackback (0) | △ ||

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1989年 - ハドソンで作られていたゲームについて
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

前回の続きで今回も88-90年に、自分がハドソンでデバッグしたり、バランス調整に関わったり、ちょっと制作を手伝ったりしたゲームについて書いていく。
今回は1989-90年の作品について(ただし取り上げた作品は除いてある)。

1989年
ネクタリス、ダンジョンエクスプローラー、コブラ 黒竜王の伝説
パワーゴルフ、天外魔境 ZIRIA、ガンヘッド
ワンダーボーイIII モンスター・レアー、スーパー桃太郎電鉄
ドラえもん 迷宮大作戦、ニュートピア
ぎゅわんぶらあ自己中心派 激闘36雀士、バトルエース

1990年
PC原人、うる星やつら Stay with you、スーパースターソルジャー


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|| 18:01 | comments (8) | trackback (0) | △ ||

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1988年 - ハドソンで作られていたゲームについて
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

前回の続きで今回も88-89年に、自分がハドソンでデバッグしたり、バランス調整に関わったり、ちょっと制作を手伝ったりしたゲームについて書いていく。
今回は1988年の7作品について(前回取り上げた作品は除いてある)。

魔神英雄伝ワタル、定吉七番 秀吉の黄金、パワーリーグ、ファイティング・ストリート、No・Ri・Ko、あっぱれゲートボール、ビックリマン大事界


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|| 20:22 | comments (7) | trackback (0) | △ ||

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1994年4月19日19:06 NiftyServe
以下の文は1994年4月19日19:06にNifty ServeのfcgamemにあったPCエンジン会議室に投稿した『ときめきメモリアル』のレビューである
あちこちで触れられているが、実際の文は読めないようなので、このblogにアップロードしておく。
実際に投稿されたテキストは等幅フォント72文字(漢字36文字)で改行していたはずだが、そこまで再現する必要はないと考え、テキストデータをそのままアップロードしておく。

結構長いテキストなので続きに入れておく。読みたい人だけ読んでくれればいい。これはただの資料だ。
資料として意味を強化するために、少し追記。

投稿日時は 1994年4月19日19:06
投稿したのは、当時あったパソコン通信の大手、NiftyServeのfcgamemフォーラム(家庭用ゲームマシンのフォーラム)。
一緒にタイトルがあったはずなんだけど、なんてタイトルでアップしたかは不明。
TadashI さんのおかげで判明。
>- FCGAMEM MES(4):NECゲームマシン PCシリーズ -
>00155/00699 JDA01226 いわさき 先取りレビュー:ときめきメモリアル(L81)
>( 4) 94/04/19 19:06 コメント数:4


※会議室名はPC-FX登場後に改名されたから、いわさきさんの投稿時とは会議室番号、名称共に違う筈です。

パソコン通信をイメージしづらい人のために対応関係を示しておく。
Nifty-Serve → モバゲータウン もしくは mixi。
fcgamemフォーラム → サークル(モバゲータウン)もしくは コミュニティ(mixi)
会議室 → 掲示板(モバゲータウン)もしくはトピック(mixi)

このblogを投稿した後、当時のfcgamemのサブシス(副管理者)だった男とのTwitterの会話をtogetterしたもの

投稿した本文は続きで。

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|| 01:44 | comments (2) | trackback (0) | △ ||

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1988-90年前半、ハドソンの風景(2)
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

前回の続きで今回も88-89年に、自分がハドソンでデバッグしたり、バランス調整に関わったり、ちょっと制作を手伝ったりしたゲームについて書いていくけど、どうしてハドソンのゲームのデバッグ(と場合によっては企画内容)に関わっていたのかというと、当時はハドソンに勤めてる同然の状態で、技術部のメンバーと仲が良かったことが大きな理由だけど、加えて、企画と仲が良かったことも大きかった。ハドソンの企画の仕事は
・もちろんゲームデザイン(当時は企画と呼ばれていた)
・外注の持ち込んだ企画をチェックして、営業会議などに出す仕事
・外注の作っているゲームのスケジュール&内容管理
だいたいこんな仕事をしていた。
2つめと3つめがミソで、結局、当時の企画は外注が作っているゲームが集まるところで、仲が良かった僕は、企画部に来るゲームを片っ端からプレイさせてもらっていたわけだ。

当たり前だが、僕はゲームをプレイするのが大好きだ。そしてゲームの会社といえどヒマさえあれば、新しいゲームがあるなら必ず遊びたがるほどのゲーム好きはそうそういない。だから、企画としては、何も言わなくても毎日のように一度ぐらいは来て、新しいROMが来たと言えば、絶対に遊ぶ人間はとても貴重だったのだろう。
また上と少し関わるが加えてゲームがうまかったのも大きな理由だろう。
ずっとゲーマーだったのに加え、Beep! でライター業をやっていたのもあって、ゲーマーとしての腕がピークの時代で、アクションとシューティングはアーケードで一周出来るのが当たり前の感覚だった。
そしてデバッグするときには下手なヤツも必要だが、うまいヤツも必要で、そしてうまいヤツは初期から必要なことが多く、アクションとシューティングは多分当時のハドソンの技術部の中では上から数えて3本の指に入ったのはほぼ間違いないし、シューティングに至っては僕より上手かったヤツは1人だけだったと思う。
(このやたらめったらうまかったのがサウンドにいた岩淵というやつ。こいつは完全に僕よりうまかった。ブッチーと呼ばれていた)
そして最後に「このゲームはこうした方がいい」とクリアするなり、なんなり、ともかくシビアにプレイしてしてレポートとして書けたことだろう。これまたライター業のおかげだ。実際はレポートとして書いたことはあまりなくて、たいていは担当者に口頭でプレイを見せながら伝えたが、それをやれる人間はそうそういなかったということだろう。


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|| 21:17 | comments (6) | trackback (0) | △ ||

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