ゲーム史

イースⅠ・Ⅱ通史(番外):アドルの綴りのコト ゲーム史

イースⅠ・Ⅱ通史(番外):アドルの綴りのコト

例によって『イース通史』の調査をしていたとき、自分の記憶の中で引っかかったのがアドルの綴りだった。自分の記憶では以下の流れだった。 音楽モードの曲のタイトルを入力する余談だけど、音楽モードはそもそもはPSGやCDDAがちゃんと入っていて正しく鳴るかを確認するためのデバッグモードを殺さず、隠しコマンド…
イースⅠ・Ⅱ通史(番外):イースグローバルガイドブックの謎 ゲーム史

イースⅠ・Ⅱ通史(番外):イースグローバルガイドブックの謎

話は僕のあるツイートから始まる。 最初のツイート ”イースの世界設定は『I』・『II』で完全に完結することを前提に作られており、最終的に現実の歴史とリンクするようになっている”僕のツイート このデタラメには続きがあり「オリジナルスタッフはⅠ・Ⅱで終わらせるつもりで辞めた(Ⅲはつまり他が作ったことにな…
イースⅠ・Ⅱ通史(18):イースⅠ・Ⅱ始まる ゲーム史

イースⅠ・Ⅱ通史(18):イースⅠ・Ⅱ始まる

イースの移植の話が始まったのは、僕がハドソンでPC-8801(MkⅡ SR)版『イースⅡ』にハマっていたから。 1989年1月、デビュー作の『凄ノ王伝説』がデバッグに入っていてヒマになっていたのもあり、北海道ハドソン技術本部4Fの開発の隅にあった企画のエリアに入り浸って『イースⅡ』(88年発売)で遊…
イースⅠ・Ⅱ通史(17):イースⅢの開発と終了、そして一つの推測 ゲーム史

イースⅠ・Ⅱ通史(17):イースⅢの開発と終了、そして一つの推測

橋本さんはPC88でのスクロールに拘っていたのは、今まででわかるけれど、一つの到達点が『イースⅢ』の多重スクロールだ。 でも、どうしてそんなに多重スクロールにあこがれたのか? 80年代はアーケードがゲームの王様で、家庭用より遥かにパワフルだったけれど、大きな違いの一つが多重スクロールだった。82年ぐ…
1988年のPCエンジンCDROM ゲーム史

1988年のPCエンジンCDROM

とても楽しいハドソン系の飲み会があり、そこで預かってくれないか? と言われたのが、1988年9月に作られたNO・RI・KOのディスクだった。 ウラノリコと書かれているのは、画像データの大半が仮素材の代物だったからだ。 なお、当時のスタッフがPEというエディタで適当に描いたもの。NO・RI・KOはアル…
イースⅠ・Ⅱ通史(16):移植、イースⅢの準備 ゲーム史

イースⅠ・Ⅱ通史(16):移植、イースⅢの準備

先に書いておくけれど、しばらくダイジェスト気味に進行していく。というのもPCエンジンの話まで書いていると、冬コミまで時間がないのもあって、急いで書いていかないと間に合わないのだ。 あと、ここはもう『通史Ⅰ』で書いたところで、通史から文持ってきて直すにしても、同じことを2回書くのって結構ツライのですよ…
ボスコニアン空耳アワー ゲーム史

ボスコニアン空耳アワー

話はこのくだらないツイートから始まる。 ところで『ボスコニアン』というゲームは、1981年にナムコからリリースされた全方位型のスクロールシューティングだ。ビデオゲーム黎明期の作品なので、今では知らない人もたくさんいそうな気がするが、ナムコの黄金時代の輝く大傑作、どれほど賛辞を送っても、送り足りないこ…
『上海』を作った人達 ゲームの話

『上海』を作った人達

『上海』の難易度についての話を書いたら、さすがワタクシのお友達たち、ハンパではない経歴の持ち主の人たちばかりで、次々と驚くべき事実がわかったので、今回はそれについて書いていきたい。 まず、なにより『上海』というゲームのオリジナルの来歴自体がとんでもなく面白かったので、そこから話を始めていきたい。 元…
『上海』の難易度を作る方法 ゲームの話

『上海』の難易度を作る方法

もう30年近く前になるが、確か『天外Ⅱ』を作っていたときだったと思う。ある日、アルファシステムの山本さんが、僕に言いだした。 「岩崎さん、『上海』ってゲームあるじゃないですか」 今では、上海を今では知らない人がいると思うので簡単に説明すると麻雀牌を使った絵合わせパズルだ。下の画像のように麻雀牌を積む…