いわさき

とんでもなく優秀な連中 日記

とんでもなく優秀な連中

ニュージーランドで仕事を始めて、かれこれ2週間ほど経った(まあ仕事を始めたのは先週の月曜日なので、まだ営業日で換算すると10日ほどだけど)。 いいこともあれば悪いこともあるけれど、仕事をやってて前向きではないのは、全く何の役にも立たないので、前向きに仕事してる。 で、実際に暮らし始めていろいろビック…
Zorkと弟切草とビジュアルノベル(4/終) ゲームの話

Zorkと弟切草とビジュアルノベル(4/終)

■そしてビジュアルノベル 弟切草が登場して、実は日本のアドベンチャゲームは大きく意味を変える。 それは日本においてアドベンチャがストーリーラインを追うゲームに明白に意味を変えたということだ。 これは極めて重要なことだ。 弟切草以前のアドベンチャはプレイヤーがマップを移動して、誰かと話したり、アイテム…
ニュージーランドで仕事が始まった 日記

ニュージーランドで仕事が始まった

というわけで、ニュージーランドで仕事が始まった。 就職したのは、どっかで書いたとおりゲームロフト・オークランドスタジオ。 職はLead Game Designerのはずだったのだけど、会社で仕事始めたら、同僚の紹介文メールでは"Studio Game Director" になってた。まあやる仕事とし…
ニュージーランドにたどりついた 日記

ニュージーランドにたどりついた

というわけで、ゲームロフトに入って、9月の半ばにはニュージーランドに赴任する気だったのだけど、これがニュージーランドって国は労働ビサとるのにとんでもなく手間のかかる国で、ビサをとる用意ができたのが9月の半ば。しかも9月半ば~終わりには日本は連休だらけで、さっぱり作業が進まず、ようやくビサが取れたのが…
Zorkと弟切草とビジュアルノベル(3) ゲームの話

Zorkと弟切草とビジュアルノベル(3)

続き。やたら長いうえに、どんどん書き直しが増えてきて手間3倍増w ■アドベンチャの復興、そして… こうして消滅したかに見えた日本でのアドベンチャが復活を始めたのは、まずPCエンジンの登場による。 (一部アダルトゲーム系では確かにアドベンチャは生き延びていたが、それは単純に絵を大きく見せるためと低予算…
Zorkと弟切草とビジュアルノベル(2) ゲームの話

Zorkと弟切草とビジュアルノベル(2)

■日本のアドベンチャの第一次黎明~衰退期 さて、アメリカでのアドベンチャブームを受けて、日本でもアドベンチャが登場することになる。 登場したのは1982年4月と思われる。思われる…というのは、文献や資料が不足で、自分の記憶ではということだから。 その日本初(と思われる)アドベンチャは、フルテキストの…
Zorkと弟切草とビジュアルノベル(1) ゲームの話

Zorkと弟切草とビジュアルノベル(1)

遥か遠い昔に書いたadventureに関する歴史の文が出てきたので、今の最新の知識でアップデートして、再度公開するココロミ。 歴史の中身としては"Text Adventure"から"Graphic Adventure"が登場し、これが日本にやってきて最終的にサウンドノベルやビジュアルノベルに至るまで…
言葉がいっぱい 転載

言葉がいっぱい

これは『電撃王』や『電撃プレイステーション』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものを、細かくアップトゥデートして載せていくシリーズ。 今回は、1996年の電撃王に載せたコラム。 ■■■ 久しぶりに昔々の話。 1970年代後半にマイクロコンピュータが登場した時、言語は一種類しかなかった。 アセンブ…
ゲームレビューについて ゲームの理屈

ゲームレビューについて

このメーカーはどこまでレビューに干渉できる? 誰も語らなかった「メーカーチェック」の表と裏とはで「メーカーはどこまでレビューに干渉出来る」と銘打たれながら、実際にレビューをやっているライターの意見や声が具体的な形で載っている部分が少ないことが気になったので…そして書きにくいのも分かるので、実際やって…
1991年1月 浦上進君と日本テレネット 天外2開発記

1991年1月 浦上進君と日本テレネット

1991年1月、天外2はいよいよ、実際の開発作業に入るための最終準備段階に入っていた。 実際の作業は市ヶ谷の角川メディアオフィスが入っていたビルの裏にある貸しビルの2F(今でもあったので写真を載せておく)に開発チームが集まって、行われることになっていた。つまりアルファシステムやハドソン北海道の連中か…