イース人名辞典+概略史書いてます

8月の真ん中あたりを目途に『イース通史』の人名辞典と概略史がまとまった本を出そうと思って書いている。

もともとは出す気がなかった本だったのだけど、自分で出したくなってしまったので、出すことにした。
ページ数はまだ決まってないのだけど30-40ページの間の薄い本で、厚くはないはず…だ。
カバー画像でも使ったけど、今のところの目次を下に載せておきたい。

今のところの目次。年表は1991までは行きます。

どうしてこれを出そうと思ったのかについては、長いマエガキというヤツでわかるので、それを紹介しておきたい。ただ、このテキストもまだ書いている途中なのだけど、まあ大意は変わらないと思う。

ちょっと長めのマエガキ(書いてる途中版)

 これはイース通史に出てくる人たちの人名辞典+概略史だ。
 イース人名事典というよりは「オリジナルのパソコン版イースとPCエンジン版が作られていた当時の人たちの人名辞典」の方が実態に近いのだけど、まあ通史シリーズではあるので「イース人名辞典+概略史」としておいた。

 まず人名事典について。
 もともと通史を書いているときに、出てきた人の名前に説明をつけていたのだけど、だいたいの人の説明が短いうえに、同じ人が何度も出てきてしまうもので、あちこちに分散したり重なったりしていて、全体として「この人は何をやった人なのか?」がわかりにくくなっていたので、自分の覚書として書き始めたのが最初だった。

 これを本にしようと思った理由は、書いているうちに面白くなってしまったのに加えて、当時のパソコンやゲームマシンのレジェンドといっていい人たちが何をやったのかすら正確に知られていないのに対してちょっと怒りを感じたなんてのもあったりする。
 例えば「ゲームアーツのテグザー」という言い方をされることはあるけれど、当時のゲームなんてほとんど1人か2人で作っている。だから僕に言わせれば『ゲームアーツ』の『テグザー』ではなく、池田公平さんが作り、ゲームアーツが売った『テグザー』だ。
 だから例えばPC-8801における仮想画面とそれを使った差分書き換えによる高速化はまさに池田公平さんにその栄誉はあるべきだと思うのだけど、そんなことを書いているテキストなんてどこにもないし、プログラマの池田公平さんの名前をインターネットから発見するのは難しい。
 同じように森田和郎さんが『アルフォス』で与えたインパクトがどれほど大きかったのかとか、どうやらALUを使ったスクロールはファルコムの木屋さんの『ロマンシア』と日本テレネットの『ファイナルゾーン』の2つがほぼ走りらしいとか、そういうことを本当にちゃんと書いたテキストも全然なくて、当時から現役の人間からすると、あまりに何もちゃんと書かれておらず、イラっとしてしまうのだ。

 そんなわけで、そういう様々な当時のことを人に紐づけて書いたのが人名辞典ってことになる。

 そしてもう片方の概略史はというと、イース通史シリーズには大きな問題があったのが理由だ。
 それは通史としてみると、とっちらかっていることだ。
 シリーズを書くたびに、オリジナルのスタッフや元ハドソンのメンバーに献本しているのだけど、そうすると「そういえば岩崎さん、あんな話をこんな事を思い出しました」
 「それ、書く前に思い出してよー」とどっかの名刺管理のCMのセリフみたいなことを言い出したくなるのだけど、これも仕方ない。

 最初に聞かれた時には思い出せなくても、本になって筋が通っている状態で読むと思いだしたり、あいまいだったことがはっきりしたりするものだ。
 自分だってそうで、実はイース通史を書いていて「海外版イースが終わってから初めてレッドに行った」のは勘違いで、1月の終わりから2月の初頭にREDに行っていて、そのあと『天外Ⅱ』がスタートすると発表するという雑誌の発表に自分も顔を出していた、なんてことが資料を調べているうちにわかって「あ、これは記憶の前後が間違っていたんだ」とわかったりするぐらいなのだ。

 30年という年月はそれぐらい長いと思ってほしいのだけど、それはともかくとしてそういった証言を入れた結果、イース通史というシリーズはPCエンジン版の話にいきなりオリジナルのPC版の話が出てきたり、通史Ⅲに至ってはオリジナル・PCエンジン版のエピソードが含まれていたりと、実にとっ散らかったシリーズになっている。

 またゴッチャになっている以外にも、当時のオリジナルスタッフから「橋本さんは89年3月に辞めるときに『イースⅢ』は完成させてましたよ」なんて、自分の想像を裏付けるとんでもない証言が出てきて「エーッ!」なんてなったりとかそういうのもあって、当時のメンバーが何をやっていたのかを全体を俯瞰しやすくする年表をちゃんと作って、まとめておこうというのが、この本のもう一つの趣旨だ。

 とはいっても、またこれをまとめていると「そういえば岩崎さん…」と言われそうな不吉な予感もするが、何はともあれ、これを読めばどういう流れで何が起こっていたのかわかるという一応決定版のつもりの、1983年に始まりPCエンジン版イースⅢの完成で終わる、最新の知見が入った概略年表だ。

 この二つを副読本にして、イース通史1-3を、当時の開発者たちに思いを馳せていただけると嬉しいなあと思う。

と、まあこんな感じで、一生懸命書いてます、ハイ。
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3件のコメント

  • 久々のイースネタがきたのでお伺いします
    岩崎さんは今までにこのブログや他のインタビューでのイース1・2の当時の思い出話の中で加藤社長にふっかけられたとかスタンバーで1回150万かかるものを週1で焼いていたとかいった話を出してますが最終的にイース1・2はソフト単体では黒字は出せたのでしょうか
    再販や海外版も出たとはいえ今まで販売本数やそれがペイできるラインだったのかこのブログでも語られたことがないので気になります

    • ストレートに書きまして、僕は知らないのです。
      というのも、当時いろいろな都合で固定の金額で請けておりましたので、正確な販売枚数もわからないし、当時のハドソンのCDROMの1枚あたりの利益も知らないので、知りようがないのです。
      ただ黒字になったとは教えてもらったので、まあ結構売れたのだろうと思っているぐらいです、ハイ。

      • お答えくださってありがとうございます
        CD-ROM出たてで黒字だったってことは当時としては本当に売れたのでしょうね
        当然本体も売れたのでしょうから正にキラーソフト!
        中本氏の「コレでCD-ROM本体が売れればいい」という判断も大当たりだったと思います

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