映画のようなゲームが出来た日

1997年1月31日がFFⅦの発売日だったとニュースで読んだので『ドラクエとFFとToHeart』って、どう繋がりがあるのかタイトルからではさっぱりわからない同人誌から、FFⅦの一節を少しアレンジして掲載したい。

以下、本文。

FFⅦの最大の功績は何だったのかと言えば、3Dポリゴンを使用したコンピュータRPGを非常に印象的かつ完成度の高い形でプレゼンテーションしたことに尽きる。
そのプレゼンテーションとはなんだったのかというとFFⅦ・Ⅷ・ⅨのPS1でのFF三部作でも技術的なメインテーマで、Xで初めて完成の領域に近づいたゲームとムービーのシームレスな融合、すなわち映画のようなゲームだ。

これを可能にした決定的な理由はPS1のハードウェアにある。
PS1には当時としては非常に高性能なムービー再生用ハードウェア(特殊なDSPのような物)が搭載されており320×240で秒20~30フレーム程度の速度で1670万色(当時のビデオの3倍速ぐらいと同程度の画質)のムービーを再生することができた。そして、なおかつムービーをプレイしながらゲームを動かすことが可能だった。

ただしゲームに使用するときにはいろんな都合で32000色(15bitモード)で15フレーム再生を使うのが普通だった

そしてFFⅦはそれを利用して、全ゲーム画面をカメラアングルのある3Dポリゴン(正確には3Dポリゴン+背景はレンダリングされた画面)にすると同時に、その画面とムービーをシームレスに結合し、ムービーからゲームへゲームからムービーへと自由に移動するゲームを作り出したのだ。

ゲームのキャラクタはムービーのアングルにともなって、自由に移動し(FFⅧでは、さらにそれは進化し、ムービーとゲームが本当に自由に混じるようになる)。ムービーの最後のカットがそのままゲームの最初の画面アングルになるなんて真似が自在に行われるようになった。

そしてFFⅦのオープニングはまさにそのすべての要素が入ったシーンだった。

  1. 星空の中をカメラが動いている。
  2. 星空が光を見つめているエアリスとオーバーラップ。
  3. カメラがエアリスを中心にどんどん引いていき、町全体(ミッドガルド)を見渡す俯瞰にまでカメラが引く。
  4. タイトルを出す。
  5. 列車のカットが入り込んできて、カメラがそのまま駅に突入する列車をアップにしていく。
  6. ムービーの列車からキャラクタが飛び降りてくる。
  7. そのままの画面で、ゲームに繋がる(操作可能になる)

全くムービーとゲームが区別されず、渾然として一体化したオープニングで、しかもこのオープニングはCG以外では不可能なオープニングで、そのうえCGのクオリティも当時としては圧倒的なものだった。
このオープニングから始まるFFⅦは、まさにゲームとムービーの間に区別が全くなくなった瞬間だったけれど、これは同時に疑いもなく、ゲームを作る人間にとっての一つの夢が実現された瞬間だった。

映画のような画面とゲームをシームレスに結合するのは、ゲームの作り手にとって、間違いなく一つの夢だった。
その試みは古くレーザーディスクゲーム(レーザーディスクの画面を背景に使用するゲーム)の時代からあり、PCエンジンCDROM、メガCDなどの初期のコンシューマーCDROMゲームマシンを経て、様々なソフトがチャレンジを行い、中にはかなり成功した、と言える作品もあるにはあった。
だが、成功と言っても、たかのしれた物だった。

レーザーディスクゲームは画面のクオリティは高かったが、ゲームの内容との乖離が酷く、QTEの連続のような内容で、それはそれで面白かったけれど、自由に動けるゲームとは言いかねる作品だったし、自由度を上げるためにゲームの画面とレーザーディスクを合成すれば今度はゲームの画面がヘボすぎてバランスを取れない。
初期のCDのゲームは動画のクオリティが低かったり、やはりゲームとしてはどうかと思うモノだったりで、誰もがゲームと映画の1シーンを行き来するゲームを作ったみたいと思ってはいたが、本当に誰もが目をみはるような結果を出すには、当時のゲームマシン(およびPC)はあまりに非力だった。

本当に誰もが驚くほど完成度が高い作品を作り出したのは、疑いもなくFFⅦが初めてだった。
ゲームは、ムービーと操作可能なパートを自在に行き来し、ここ一番のイベントは強烈なムービーで演出され、なおかつゲームの画面はムービーと比較しても見劣りしない様々な角度から捉えられレンダリングされた町や村のマップと3D化されたキャラクタ達。さらに戦闘ではポリゴン化されて表現される魔法、強烈な登場シーンと迫力あるアニメーションの召喚獣…なにを取っても、極めて印象的で、以降のCRPGで基本的にFFⅦの影響を受けていないものはないと考えていいだろう。

FFⅦは世界のコンシューマゲームに決定的な影響を及ぼし、PSから始まる本格的な3Dポリゴンゲーム時代のスタンダードなRPGのスタイルを作り出した。

そして、これこそが、ストーリーを映画的な手法で語るゲームが完全に確立した瞬間だった。
もちろんFFⅦ以降も技術の向上はあったが、基本的な話を語る方法は変化はないと書いて間違いではない。
なぜならFFⅦで使われた方法は映画やドラマの映像技術で、FFⅦはそれらの手法をどのようにしてゲームと融合させるのかを、ほぼ決定的な形で見せた。
だから、例えば『ゴッドオブウォー』や『スパイダーマン』などで、話を伝えるシーンでは、基本的に使われる手法は全てFFⅦで使われた手法と言っていい。
言い換えるなら、映像を使って話を語るゲームでは基本的に必要な要素はすべてFFⅦで完成し、以降は枝葉でしかないというのが真実で、良くも悪くも、そこが終点だったのだ。

ところで一人称視点とVRゲームが、少しFFⅦの影響から離れている。そしてまだ試行錯誤がかなりある領域だったりする。

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