イースⅠ・Ⅱ通史(20):米光さんのアレンジと出会う

とびとびになっているので簡単に書いておくと、これは作るチームの概要や『イースⅠ・Ⅱ』のタイトルが決まってから後の話になる。
これの底本になっている…と言ってもいい、自分の書いた同人誌(およびブログ)と変化が比較的小さいところは、飛ばさせてもらうことにしている。
ちなみに、原稿はこれより先の話まで進んでいます。

CSGで出す5月のデモでは、ゲームは動き始めていたが、グラフィックや音楽まで考えれば、到底イベントに出せるレベルではないのはわかっていたので、本編を出す予定はなく、タイトルデモだけの予定だった。
4月の半ばぐらいにはオープニングのコンテは出来ていたのだけど、山根がなかなか北海道に来なくて作業が進みにくかったが、やってくると作業ははかどるようになった。

ところでここでは5月末と書いているが、CSGは6月だったかもしれない。池袋であったヤツだったと思うのだけど…真剣に資料を調べるとわかるのだがw

山根はコンテを書けるし、容量を計算出来るし、自分でドット打てるし、プログラムのこともちゃんとわかっていて、まさに期待通りの仕事が出来た。
ただ、期待できる最高の圧縮率の計算しかせず、おまけに技術がわかっているせいで「こうすりゃ縮むじゃないですか、ゴー」とか「こんなデータにしたら小さくなると思うんで、よろしくぅ、ゴー」と勝手にイロイロやらかすのは非常に困った。
データの圧縮は常時最高なんてないから、平均的な値でないとダメなのだけど、山根は絵を入れたいので「これぐらい縮むと思うんすよ、ゴー」とか勝手に、最高に近い値ばっか言うので、マジで困った。
おかげで圧縮のために4/8/16色をサポートし、専用プログラムが大量に作られ、それでもメモリの減りっぷりから、いずれさらにツールとか実装しないときつい…と想像できる事態になりつつあった。

このメモリとの戦いは、最後には基本管理プログラムを2キロバイト以下に圧縮し、プログラムの自己書き換え(自分で自分を書き換えるプログラム)が当たり前になり「1バイトは血の一滴」と本気で言い、長谷川君の名言中の名言「岩崎さん、イースは慢性メモリ不足だよ」が発せられるところまで行くのだけど、5月初頭にはメモリがきつそうだとおぼろに想像できた程度だった。
またPCエンジンがCDROM中心になるなんて長谷川君は想像もしてなくて、最初のうちはPSGのカード版『イースⅠ・Ⅱ』を作ることを想定して仕事をしていた。
だから、このエピソードのころは「岩崎さん、カード版も考えて、こうしたんよ」とか言って、ワークエリアやいろいろなものをROMに合わせて作っていた。
これが5月末~6月頭あたりになると、まるでメモリが足りなくなり、縮めるためにROMでは使えないRAM領域とか自己書き換えを使うようになり、それぞれのパートで必要なものしかいれない特殊処理の塊に変化していって「カード、ナニソレおいしいの?」になっていってしまう。
だいたいゲームのコードは最初は汎用性とか、次もそのままとか、いろいろ考えて、キレイに作るのだけど、メモリがない・速度が足りない・様々な現実に負けて、メロメロになっていくものだ。

余談だけど、ビジュアルデモもご同様で、メモリが足りなくて、専用コードの塊になるのだけど、タイトルデモは一番最初に作ったこともあり、またあとで思いついた方法だとアクセスが一度増える問題もあって、ほぼ最初に作ったままリリースされた。

そんな話はともかく、5月後半にはCSGに出す予定のデモは完成しつつあった。
問題は音楽だった。
当たり前だが、デモとして出すからには、それなりの音は鳴って欲しい。
それで、デモではまずともかく雰囲気をつかもうってことで、出来合いの音楽CD『交響曲イース』の第一楽章Feenaを録音して使うことにした。

当時「交響」が流行したのですよ

これは1988年の11月に発売されたCDなのだけど、当時はやたらめったらカッコイイと思う音楽が鳴っていたのだ。
おまけに、このころの僕はずっとジョン・ウイリアムス命みたいな人で、スターウォーズのオープニングみたいなのを鳴らしたかったから、全くうってつけだった。

これを書いてから聞き直したら結構やっぱカッコイイ出来で感心して編曲を調べたら羽田健太郎先生だった。そりゃ出来もいいわ。ちなみに89/6/28版の手持ちで最も古い『イースⅠ・Ⅱ』はタイトルデモで、交響曲イースが鳴るのである。
もひとつついで書いておくと『イースⅠ・Ⅱ制作メモ』での話はMUSIC FROM YS と交響曲イースが混ざっていたのを飲み会で指摘されて、こっちの流れのが事実なのは間違いない。

そして仮音楽でCSGに出したデモは、最終的な製品版とはイロイロ違うところはあったのだけど、ともかく評判は良かったらしく、えらく褒められた。
これで音楽はCD音源が望ましいと確信はしたけれど、アレンジャーは全く未定…というか、想像もつかなかった。
ただハドソンの音楽のトップ、笹川敏幸さんから「岩崎君、音楽のアレンジャー誰にするのよ、結構曲数あるから大変だよ」と脅されていたので、早く決めないとマズいのは間違いなかった。
だけど書いたとおり、公式アレンジャーに最も近かった難波さんは合わないと思っていたので、避けたかったけれど、アレンジャーのあてなんてあるわけもない。
本当に困って悩んで、まずオリジナル音源を収録するのを真剣に考慮した。
これなら熱狂的なファンは絶対に文句を言わないだろうことは容易に想像がついた。でも、やってはいけないと最終的には判断した。
なぜなら『イースⅠ・Ⅱ』を買う人は当時としてはとんでもなく高い数万円のCDROMドライブを購入した人だ。そして音楽CDと同じクオリティの音が鳴るのを期待しているに決まっている。
しかも当たり前のことながらPC版イースをプレイしている人はほとんどいないに決まっている。

イース初体験のCDROMに夢を持って数万円を投資したユーザーに「オリジナルはFM音源ですから、オリジナルと同じFM音源を録音しました」といったら「おお! それは素晴らしい」と言って、満足してくれるだろうか?

満足してくれるわけがない。

それはユーザーのCDROMに持っている夢をぶっ壊す行為だし、オリジナル音源を使うのは、せっかくのCDROMの最強武器の一つCD音源の実質的な封印になってしまう。
だからダメだと思った。

『スーパーダライアス』はどうなんだ? という疑問が出てくると思うので書いておく。
当時はアーケードの質の高い移植はそれだけで夢だったし、アーケードの音源は常にあこがれだったのだ。つまり『スーパーダライアス』ではアーケードの音源を録音するのは大正解なのだ。

妥協案として期待していたのがプラスミックスだった。これはオリジナルのFM音源に音を厚くするようにミキシングする方法で「オリジナル音源が最高だ」という声に押されて難波さんが編み出した方法だけど、発売されたCDを聞いて、正直ガッカリした。
パソコンのFM音源はどうしても音が薄く、どれだけ調整しても、周囲の生楽器の音から浮いて聞こえてしまうのだ。

でもオリジナルのよさが残りつつ、なんとかCD音源といえる音になっていたので、米光さんのアレンジに出会わなかったら、使った可能性は高かったと思う。

この悩みの全てを解決したのが、オリジナルの音楽が全部入っているのでダビングして、CD音源の代用品にする目論見で購入したキングレコードの”Music From Ys”だった。

実際CDからダビングした音源をかなり長期間にわたって使っていた。なおダビングと書いたのはアナログで取り込んだから。当時はリッピングなんて出来なかった。

仮素材のつもりで購入したアルバムのアレンジを聞いて、僕は衝撃を受けた。
収録されていたアレンジ曲”FEENA”、”FIRST STEP TWORDS WARS”,”BEAT OF THE TERROR”、”SEE YOU AGAIN”、どれもぶっ飛ぶ圧倒的な完成度のアレンジだった。
正直、生まれてほとんど初めて、ゲーム音楽でオリジナルよりアレンジ版の方がいいと思った。しかもカッコよさに感動した、あのイースの曲でアレンジ版がいいと思えたのだ。
もうこの人しかない、そう思ってすぐに裏面を見て、笹川さんに「このアレンジャーの人がいいんですが」といって”Ryo Yonemitsu”と書かれていたアレンジャーの名前を挙げて、笹川さんに”Music From Ys”を渡した。
笹川さんも「難波さんよりイースに合っていると思う」という意見で、コンタクトを取ってくれ、たちまちのうちにオッケーが出て、アレンジャーは米光さんに決まった。  

残念ながら、僕自身は直接米光さんと会ったことは一度もない。
一度ぐらいは会ってありがとうございましたと30年経った今でも言いたいと思っている素晴らしいアレンジをもらえたと思っているが、それはともかく、笹川さんの話ではぶっ飛んだアレンジからは想像もつかない、人のよさそうなオジサンだったらしい。

後に米光さんはジャニーズなどのポップな歌謡曲から、テレビ番組の曲から、ともかく幅広く仕事している有名アレンジャーだと知った。僕はなーんも知らなかったのである。

と、ここまでは米光さんを見つけた僕にとっては素晴らしい話なのだけど、思い切り残念な話も書いておきたい。
当時、ハドソンのこのアレンジについての仕事の仕切りが大変に悪く、もともとの大半の曲の作曲者、古代祐三さんに全く話が伝わっていなかった。そしていうまでもなく、アレンジするにあたっての話を聞くといったことも全くなくて、かなり気分を害されたということなのだ。
ここらへんはもしかすると当時のファルコムとの関係もあったのかもしれないが、僕は当然古代さんの名前は知っていたわけで、古代さんのチェックなり、それは難しいにしても話なりは通っていると思っていたので、大変に残念だったと言わざるを得ない。
このあたりの仕切りをしていたのは営業のZだと思うが、Zは他にもイロイロやらかしてくれた(のちに書く)ので、そういう雑な仕事をする人間だったのだろうと、今では思っている。

本当に、とんでもなく雑なことを『イースⅣ』までやらかすことになる。乞うご期待である。

ほとんど30年近く経って、残念な話を知ってしまったのは少々ヘコんでしまう。
と、そんな情けない話はともかくアレンジャーが米光さんに決まっても、もう一つの問題は解決できていなかった。
曲数が多すぎるのだ。1曲2分としても全曲入れると、60分を超えてしまう。そして当時のCDROMの規格ではデータ領域は60分までと決められていて、絶対にその中に入れなければいけなかった。

1曲2分で計算したのはオリジナル曲が1分ほどでリピートする構成だったから

泣く泣く、まず大好きだった『イースⅡ』のボスの曲を切った。正直な話、Ⅱのボスの曲の方が好きだったのでⅡのボスの曲を使おうか真剣に考えた。
次になくてもいい”Morning Glow”を諦め、街の曲はPSGにすることにした。

これでわかるが、最初から1と2を選択可能にするつもりはなかった。
また、ショップの曲は最初からPSGのつもりだった

ここでようやく60分前後の計算になったが声が入らない。要所要所でフィーナやらレアに喋ってもらうつもりなのに声に割り当てる時間がどこにもない。
1曲2分は最低必要だと考えていたので、もう削れない。
ADPCMという手はあったが、PCエンジンに載せられていた原始的なADPCMはモノラルで、MP3やAACといった現代のコーデックから想像されるADPCMとは比較にならない音で、出来るだけ使いたくなかった。

『天外Ⅱ』を作ったときにはノウハウがたまっていて質が向上していたのだけど『イースⅠ・Ⅱ』の時には、まだノウハウがほとんどなくアナログ電話並か、それ以下の音質で、ヒスノイズがすぐ載るもので、しゃべりですら使用をためらうレベルだった。
それにダームの曲”Termination”はリピートさせたくなかったので、5分は欲しかった。そう考えると、どうしても70分以上のCDを作りたいのに規格では60分まで…

5分にしたのは88版で僕が逃げ回ることだけに専念して5分程度で死んだから。
そしてCD音源は曲がリピートするとき無音になる弱点があるので、リピートして欲しくなかったから5分にしたわけだ。

そこで気がついたのが、当時のYellow Book(CDROMの規格)の盲点だった。
Red Book(音楽CDの規格)によればCDは74分まで音を入れられる。そしてYellow Bookにはデータ領域は60分までと書いてあるだけで60-74分にCDDAを入れてはいけないとは書いていない。
つまり60-74分に曲をいれてもCDROMの規格は満たしている!

これだと思ったが、CDは収録時間が長くなるに従ってトラックの間が縮まるので、プレイヤーのトラッキング精度とマスタリング精度の要求が上がるから74分は怖いと考え、自分の持っている音楽CDで一番長いものまでなら使っていいと判断した。
そして、当時、持っていたフランキーゴーズトゥハリウッドの”Welcome To The Pleasuredome”が72分で最も長かった。

そこで72分で計算すると、なんと喋りの分を考えてもⅡのボスの曲まで入る!
喜び勇んで総計72分のリストを笹川さんに渡したら、しばらくして、笹川さんから70分以下にしてくれと内線がやってきた。
当時のマスタリングの技術では70分以上の量産が保証出来ないとNECから脅されたという。

正確には65分だったが、ゴネたらNEC側が70分まで折れてくれた。
また野沢さんの記憶ではCDROMの生産は委託されていて、実際の生産はビクターがやっていたそうな。つまりビクターが「72分なんてダメッ!」と言ってきたわけだ。

そんなわけで『イースⅠ・Ⅱ』は当時のイエローブック既定の60分の領域にデータは入っているでしょ、だからCDROMって名乗っていいよねという危なさのあるソフトだった。

この判断によって、1989年の夏ごろに登場した原初のCD-Rは容量が60分までだったので70分まで使ったことで、焼けなくなってしまった。
それでデバッグのたびにいわゆる本物のマスター出していて、数十万を燃やしていたんだから、世にもひどいことをしたもんだと思うが、反省はしない。世の中にはやらなければならないときはあるのだ。

と、ここまでは米光さんのアレンジと出会ったとき+古代さんに話が通っていなかった残念な事実を知った…という話なのだけど、ここで泣く泣く諦めたⅡのボス曲のエピソードをなんと30年後の2019年に知ったので、ここに記録しておきたい。

それは『イース通史』のおかげで、結構ツイッターで話が聞けるようになった古代さんがイースがらみで、ある日、ツイートをした。

もちろん書いてません!

そして、ここで古代さんが語っているテクニックがフルに使われている曲が、僕が大好きだったⅡのボス曲『PROTECTERS』。なんとも妙なところでつながるものだ…と感心していると、さらにツイートは続いた。

なんてこったい。
全く知られていなかったゲーム音楽業界初期のエピソードが明かされ、実に嬉しく、もちろんこうして収録したわけだけど、これには続きがある。
この話をⅡで収録しますよ…と書いたところ、返ってきた返事がコレ。

『大列車強盗』は1986年に発表されたコナミのアーケードゲーム(87年と間違われていることが多い)なのだけど、ビックリして聞いてみると…た、確かに!

フライヤー

『イースⅠ』の草原の曲”First Step Toward Wars”はコナミの『大列車強盗』にインスパイアされた曲だと言う事がわかる、実に実りの多い話になったのである。

LinkedIn にシェア
Pocket

3件のコメント

  • インスパイアかは分かりませんが、FF3のフィールド曲(悠久の風でしたっけ?)はサビの部分が First Step Toward に似てるんですよね。まあこれらの曲を初めて聴いた小学生の頃からずっとそう思ってるものの、同じ感想は見たことがない…

  • はじめまして。当時小6でイースⅠ・Ⅱのアレンジを聞いて衝撃を受けました。 
    これをきっかけにファルコムのパーフェクトセレクションシリーズは全部買いました(笑)
    岩崎さんのおかげで米光さんのことを知ることができました。全然関係ないですが、女神転生I・II 召喚盤・合体盤の米光さんのアレンジは最強です(笑)ちなみに今でもCDから音楽を抜いてMP3で聞いています。
    素人なのでわかりませんが、音源を高品質にしてサントラとして販売することはできないのでしょうか?
    かなりの人が望んでいると思うのですが。現在だと難しいですかね。サントラが出なかったのが残念でしかたありません。

    • ええとですね、まずPCエンジンのCDからオーディオを抜いていただければ、リリアとフィーナの2曲以外はサントラになります(;´Д`)
      リリアとフィーナは…ノンミックス版は存在するのですが、何かうまく配信できるチャンスがあるといいですね。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です