FFIVとSFC

五月雨式に要素の話は書いていたけれど、続けて本編を書いていなかったのには理由がある。

マジメに書くのが馬鹿らしくなっていたからだ。ま、残しているが、ブログについたあるコメントが、あまりに失礼で、スタッフまで馬鹿にするような、何も知らない人間の不愉快極まりないコメントをつけられて、こんな馬鹿らしい思いをして書く必要はないと思ったので、書く気が失せてしまったのだ(今、読んでも失礼で気分が悪くなったのでポイントしない)。

だけど「お前が書かないと残らない」とか「書け」とか、当時のスタッフやら友達に言われまくったので、ま、出来るだけ最後まで続けて書いていくつもりである。なお、自分の記憶で自信がないところがかなりあるので、クボキュウ・松田君・山根・その他、あんときiv書きながら「ゼルダ最高だあ!」って1日SFCゼルダやってた、某蛯名まで、とっつかまえて、クロスチェックして書いてくつもりである。

と、まあ自分のそんなモチベーションの話はともかく本文。

1991年7月。
スーパーファミコン用の期待のRPG『FFⅣ』が発売され、僕は天外開発室で夢中になってプレイしていた。
正直、素晴らしいゲームだと思っていた。

まずターン制の戦闘システムの問題を排除したアクティブバトルはコンピュータならではの、ペーパー&ペンシルなTRPGでは絶対に不可能なバトルを作り出すことに成功していた。
もちろんプレイアビリティ(プレイのしやすさ)の問題を除けば、アクティブバトルと似たルールで遊べるアナログゲームを作れないことはない。
ただコンピュータのサポートなしで、アクティブバトルみたいな単位時間の短いルールを作ると、実際的には「非常にプレイアビリティの低い」ゲームになる。
例えば、なくなって久しい有名なボードゲームメーカーSPIが作った”AIR WAR(1977)”って作品があるのだけど、これはなんとフライトシミュレータをボードゲームでやるって代物で1ターン2.5秒で、なんでも紙に書いてプレイする。
もちろん1分をプレイするのに1時間ぐらいかかり、少なくともプレイしてる人間が全員ルールを知ってないと、とてもツラいゲームだった。
またもちろんいうまでもなく、こんな時間単位になれば、リアルタイム性は必ず失われてしまうので「2.5秒の間に起こることをじっくり考える」ってことになってしまう問題も起こる(実はこれはターン制のコマンド型バトルで同じ問題がある)。

この『FFIV』のアクティブバトルに関しては悔しい以外の何者でもなかった。
というのも『天外Ⅱ』はドラクエ型の対面バトルを絶対の要求とされていたわけだけど、自分が最初に考えたバトルは対面型でターン方式のアクティブバトル(FF流の表現をするならウェイトモードだ)をやる、相手のターン・自分のターンの考え方が全くないバトルだった。
これが面白いと思っていたのが「それは今まで例がなくて、わかりにくい」という理由で却下になっていたのが、目の前でもっとアグレッシブな形で動いているのだ。実に悔しかった。
まあ、このあたりは戦闘システムについて書いた文を読んでほしい。

ところで『天外Ⅱ』で考えていて結局出来なかった戦闘は『リンダ3』でモノにはしたが、どうにも不細工なうまくまとまっていないシステムだった。
表示できる能力などの違いはあれど、同じ考え方をより美しく作っていた『FF10』のバトル(CTB)は本当によくできていたと感心してしまう。

そして『FFIV』を見て、ちょうど作っていた絹が怒るシーンと見比べながら、わかっていたことだったけれど辛いなと思わされていることがあった。

それはPCエンジンは明らかにスーパーファミコンより(基本的な)表現力に劣るということだった。

どれだけ遅かろうと(既に当時ハドソンで開発機を使っていて、カナリ遅いのはわかっていた)、CPUの8/16ビットモードが変態すぎてデバッグが結構最悪だろうと、画面モードごとにやれることが違いすぎて扱いづらかろうと、ROMのお値段がとっても高いので低速モードのROMしか少なくとも最初のうちは使えそうにないって問題があろうと5ビットカラー(明度32段階。約3.2万色。PCエンジンは8段階。512色)・windowマスク・画面演算機能・半透明、さらに画面モードによっては駆使できる多重スクロールなどの画像表現は、SFCの表現力に圧倒的なアドバンテージを与えていた(水平同期でコマンドが発行できるってのは実はCD-iのVideo Processorがそうだったので使ったとき「うぉ、CD-iみたい」と思った)。

当たり前だけど512色より3万色の方が圧倒的に色の選択肢はあるにきまってる。
上の2枚の絵を見比べれば、グラデーションが全く違うのが良くわかる。特に微妙に暗い色とか表現できるのはとても強い。
また、人の目は秒5枚(1枚0.2秒)ぐらいからパラマラマンガがアニメーションに見える特性がある。
だから8段階しか明度がないと1秒を超えるとフェードアウトやフェードインがツラくなる(アニメーションして見えなくなる。これをごまかすためにV=0.6G+0.3R+0.1Gの式計算からのテーブル処理で無理やり段数を増やしていた)。
ところがSFCは32段階あるので、そんな苦労は全くない。1秒に8段階ずつ使ったとしても4秒のフェードインアウト処理ができることになるし、同じ1秒のフェードなら4倍なめらかだ。
モザイクやウィンドウマスクがあればビジュアルシーンやゲームでの表現力を向上させることが出来るし、多重スクロールは言うまでもない。回転拡大縮小は…制限がキビシすぎて使いにくいもいいところだったけど、もちろんないよりはあるに越したことはなかった。

ところで、かの回転・拡大・縮小のモード7については、今でも、初期のSFCの開発機を使った人で、覚えていないかなあと思う疑問がある。
ハドソンに来たSFCのマニュアルを初めて読んだ時『画面モードは画面途中で変更してはならない』という一文、簡単に書くなら、ラスター割り込みで画面モードを変えることはまかりなりませんって書いてあったと記憶している。
だからタイトルぐらいでしか使いものにならないし、極端に使える状況が制約されると思ったのだけど、ラスターで画面モードを変えてるゲームがワリとすぐ出てて「えええええええ!?」
あまりに驚いたので覚えているのだけど、いまだ自分の記憶が正しかったのか、知りたいとは思っている。
なお、例によって例のごとく、そう書いてあったがVRAMとかちゃんと考えると出来たので、いいですって後追いでOKになった可能性は十分にあるが…

上のFFⅣは自分の記憶している正しいモード7の使い方であるw

もちろんCDROMにはCDオーディオ、ADPCM、そして使い捨て出来る大容量といった戦う武器はあったけれど、それらの持っているアドバンテージは「しゃべり」であったり「ビジュアル」であったりで、もちろんそれらも表現力を支える力の一つでSFCは持っておらず、そして当時の半導体の容量ではどんなことがあっても持ちようがないモノだったが、だからといってCDROMで色数は増えないし、回転拡大縮小がつくわけじゃない。
タイトルでは力任せに回転・拡大・縮小をやっていたし(ハドソンからの絶対的なオーダーの一つだった)、オープニングでもリアルタイムの3D変換なんてムリをやって、赤青の玉を飛ばすなんでマネやって、いろいろ派手に見せたけれど、これらの芸当はハードの全リソースを注ぎ込める特殊状況だからできる大技だ。
実際のところ、タイトル画面の卍から炎が最終的に回るあたりの処理なんかは、もはやパズルゲームの世界で、ゲームの中でやれるようなモノでは全く無かった。だからこそナムコが『ワルキューレの伝説』でビッグの術を実装していたときには感動した

ところで余談だけど『天外Ⅱ』のタイトルで竜が爆発してからあとの処理はかなりパズルゲームで、当時めちゃくちゃ頭を使って組んだメンドクサイ処理をしているのでBGとスプライトをエミュレータでバラしてみるとスゴく面白いと思う。

単純にゲーム画面の表現力を検討した時、SFCの方が良く見えるのはもちろんわかっていたけれど、現実に『FFIV』が『天外Ⅱ』と同じRPGで出てきて、SFCの機能を使って演出して見せたことで、あーきっついなーというのが正直なところだった。
つまりゲーム画面の領域では、声や顔を出すといった演出、さらに使い捨てできる容量だから許される大量の乗り物や、全部違う城…といった量やある種の質で圧倒することはできても、ハードの基本的な表現力の違いは辛いなあというのが本音だったし「FFIVクラスがゴロゴロ出てくるようだと、これは厳しいなあ」と思っていたのだった(ただし、ありがたいことにゴロゴロは出てこなかった)。

もちろん、こんなのは、当時は口が裂けても言えるわけもなかった。
SFCの画面見て、うわー半透明あるといろいろできるよなあと、15ビットカラーあったらなあと、多重スクロールできれば苦労も減るのになと思っても、雑誌では「スーパーCDROMはスゴいから、問題ないすよ。SFCなんぼのもんですよ。PCエンジンの方が圧倒的に速いですしね」と言うのが仕事だ。
ついでに書けば、こういうときに雑誌やインタビューでは、相手の土俵でしゃべらないのが大事なポイントだ。「圧倒的な大容量がありますから、ビジュアルやオーディオでは負けることはないですね」はウソじゃないってやり口だ。
実際その通りで、当時の半導体では何をやってもCDROMのような容量は得られなかったから、CDROMのようなビジュアルやサウンドを得ることは不可能だったのは間違いない事実だし、PCエンジンの方が速いのも間違いなかった。
さらに書くなら、自分がしゃべったことが載る雑誌はPCエンジンの雑誌が中心だ。
その雑誌で「スーパーファミコンは色数あるし、半透明あるし、やれることいっぱいあっていいっすよね」と喋って、読者にとってなにが嬉しいというのか。
読者が欲しいのは期待の大作の期待できるコメントで、それに応えて、読者が喜ぶ嘘ではないコメントをしゃべるのがプロの仕事というものだ。

そんな風に作りつつ遊びつつな7月の段階だったが、『天外Ⅱ』は傍目にもはっきりしていることがあった。
それは「このままでは明らかに間に合わない」ということだった。
ビジュアルにしても、大物がようやく絹のところまで到達したぐらい、大物だけでも消化率40%以下ぐらいだったし、ゲームの方は最初の2国がなんとか。
ivの担当をしていた二人にヒアリングすると「アートが遅れている」と言われ、実際にその通り。
マップはまだ仮だらけで、ダンジョンなんかは2国目に入ってようやくってぐらい。
季節を削って間に合うかと思った『天外Ⅱ』は、ズルズルと遅れ、間に合いそうにないところに到達しつつあった。

今でも思うが、この時、自分は16倍のサイズのゲームを作っているんだとわかっていれば、打つ手は絶対に違った。だが、残念なことに16倍のサイズのゲームだと理解していなかった。
今の知識を持っていれば、季節まで入った『天外Ⅱ』が不可能ではなかっただろうと思うと、実に悔しいと思ってしまう(ただしめちゃくちゃ予算を食ったと思うけど…)。

というわけで、続く。

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7件のコメント

  • 天外魔境Ⅱの開発話、待ってました!!
    どのような物語が語られるのか、大変楽しみであります!!!

    • 書いた通り、仲間は仕事をしたこと知ってるわけだし、ぶっちゃけバカらしくなってたんですが、その仲間たちに「書け」と言われてはねえ、って感じですw

  • ネットだし書きたいなら書く、でいいのでわ?
    「誰」が「書けって言った」とか付けても文章の価値は変わらない。
    せっかくゲームの歴史の一部を経験して、それを伝えるスキルのある人は、ぜひ。。。と思います。

  • 付け加えて申し上げますが、いわさきさんほどの方が
    「大容量とビジュアル(もしくはオーディオ)」というような表現をされることに違和感が残ります。
    ご本人の意思とは別に「そう感じられうる」という意味で申し上げるなら、
    メディア提供時の容量が束縛するのは、例えばそれぞれの素材の解像度や色数、アニメーションレートなどの数値的な制限でしかなく、
    ましてやそれを、時間処理や重ね処理によって、滑らかに見せていたじだいなればこそ、
    当たり前ですが、メディア容量とビジュアルの本質的なクオリティは別の評価基準であります。
    いわゆるCDマナ音でないからといって、制限された音源で奏でられた当時の名曲の数々は「サウンド」として劣るのでしょうか?
    カップラーメンは、本格ラーメンではありませんが、
    「おいしい」という軸において無意味ではありません。
    「便利」以外に「カップメンの味」自体が好きな人達がいるのです。

    • 「あーここフェードの段数足りないなあ」ってのは作ってる時に実感としてあるということですね。まあこのあたりはもちろん逆も真なりで「容量足りないなあ」もあるわけですが。

  • 天外の開発日記には、そこまで過激なコメントは付いてませんよね…
    酷いコメントはムービー云々の投稿の時でしょうか?
    攻撃的なコメントだらけで側から見ていても腹立たしかったので、
    見返す気にはなりませんが…

  • そういえばマントーのことなのですがPCエンジンの初代天外魔境でジライヤ達にやられた後に死んで江戸城地下に13人衆の霊として立ち塞がって来ますが 2で普通に出てきてたのは
    当時広井さんか桝田さんど忘れしてたのか 2でそこら辺の描写を省略したのか
    360版の初代天外リメイクだと後付け(?)ジライア達に倒された後逃亡して生存し生き延びたことになってました  

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