THE功夫についてのメモの続き
下の記事の続き。
まず植山さんについて。
植山さんがなぜCMに採用されたのかは、全く不明なのだけど、植山さんは少林寺拳法の有段者で、しかも師範レベルで、のちにハドソンで拳法同好会みたいなものを作って、そこで教える方だったという驚きの展開。
ドッヒャーン、全然知らなかったよw
右の写真に当時の植山さんが写っている。31年前、ハドソンで一緒に仕事したメンバーばっかりで、ちょっと感傷的になってしまった。なお、これはR-TYPEの移植スタッフなのだけど、なぜかやっていたはずの進藤が写っていない。なんでだ。
またこの写真は、下のツイッターの流れで教えてもらったもの。
またサウンドについては不明と書いたところ、なんと当の本人から情報を頂いたので、記事としてまとめておきたい。
サウンドドライバ―…というか、サウンドを駆動するプログラムを書いたのは笹川敏幸さん。『迷宮組曲』とか『ボンバーキング』とかが有名だけど、当時のハドソンのサウンドの統括をされていた方。
というわけで、笹川さんのTHE功夫に関する証言。
あれは、タイマーを1/300秒に設定してサウンドドライバーを呼び出してもらってた。なので、音楽、効果音共にその周期で処理した。
そのサウンドドライバー、書いたのは僕なので。 たしか効果音もコードで書いたような気がする。
1/300秒でサウンドをクリエイトするノウハウがあまりなく、スタッフに分業する負担が大きくて、その次からはドライバーを書き換えて1/60秒で処理するようにしたと思う。
なので、1/300秒でサウンドドライバーが走ってる唯一のタイトルってことになると思う。
よくきくと、音の質感があのタイトルだけ違うのが、わかる人はわかるのかも?
やはり、音がいいね。それでしか出せない音があるね。
では曲は誰が?
同じく笹川さんの証言。
あれはたしか、井上大介さん。当時は、井上さん、国本剛章さん、の二人をもっぱら起用してたからね。PCエンジンのタイトルも国本さんには、かなり担当してもらってました。
というわけで、THE功夫のサウンドについてのナゾは解けたと書いて間違いないだろう。
ところでこの話を聞いているときに出てきたオマケエピソードが以下。
ちなみにファミコンでも、一度だけ、1/300秒で、サウンドドライバーを走らせたことがあるよ。
「POOYANG」(プーヤン)です。
あれはコナミのライセンスだったので、ほぼそのまま移植。
ところが、サウンドドライバーがアーケードマシンは1/300でPSGをドライブしていた。
コードをZ80から6502へ、手で書き換えたのはいいのだけど。そもそもタイマーがFCは1/60しかないから…それでプログラマーの中本さんに「なんとかして」と投げたら、あの人、やはり天才だったわ。
どうやったのか知らないけど(笑)、ちゃんと1/300秒で処理してくれたっけ。
なのでプーヤンのサウンドは、アーケード版とほぼ同じ音がするのね。
ここで出てくる中本さんは、中本伸一さん。
ハドソン黎明期の超有名プログラマ。
ファミコン版ロードランナー・スターフォース・ボンバーマンの作者。最後にゲームのコードをハドソンで書いたのはファミコン版の『ドラえもん』らしい。
『凄ノ王伝説』の企画にOKを出して、僕がフルタイムのゲーム開発者になるきっかけを作った人であると同時に『イースⅠ・Ⅱ』と『天外Ⅱ』の仕掛け人でもある。『ファザナドゥ』の仕掛け人でもあるのも知ってしまったけどw
2件のコメント
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PCエンジンのサウンドと言えば、『ビックリマンワールド』のBGMはすこぶる移植再現度が高いのに、なぜキーが原曲よりも低いのかが昔から気になってます。
PCEの波形メモリ音源の特性だと、原曲キーのままでは発音できない音があったりしたのでしょうか?
和泉さんですが、93年から会長プロジェクトとしてMACのゲームを作る部署の部長となってました。
94年にMAC版ボンバーマン93を完成はさせたが発売はせず
その後MAC絡みの研究開発や初期のハドソンホームページの技術検証、作成管理、後にハニーちゃんや会長のページなども管理されてました。
サテラビューのゲームも和泉チームで開発
後はインフラやサーバー等を見られていてゲームの開発からは遠ざかってました。
私は和泉チームとして94年から97年位までお世話になってました。