THE功夫についてのメモ
突然、Twitterで「THE功夫のスタッフわかりませんか?」と質問された。
「あれ? スタッフ出てなかったけ?」
と思いながらチェックしたら、実は全く公開されていなかったので、ちょっと調査した結果をメモとして残しておきたい。
コードを書いたのは和泉さんだという記憶があったのだけど、植山幹夫さんがやっていた…という話もあって「アレ?」と思って複数の人に確認したところ、やっぱり和泉さん。
和泉さんという人を全く説明していなかったので、ちょっと書いておく。
80年代後半から90年代半ばまでのハドソンを支えた飛田さんと並ぶ二大エースプログラマ。
X68KのHumanのcommand.xに始まり、THE功夫・R-TYPE・ネクタリス・バトルエース・ドラえもん 迷宮大作戦・アースライト(SFC)までは、知ってる。
あとゲーム以外ではDF(CE)というグラフィックツールを作り、CDROMの標準的なシステムとして君臨した疑似マルチタスクモニタのコードを作ってる(これはR-TYPEの時に和泉さんが作ったもの)。
このあと、何を作ったかは知らない。
なお植山幹夫さんという方は当時のハドソンの和泉さんチームに二人いたサブプログラマのうちのもう1人。
アーティストはリードが秋元さんであと、桑原君がいたらしい。サウンドが誰に聞いてもわからず、現時点では不明。
というわけで、チームの陣容としてはリードプログラマが和泉さん、サブプログラマで植山さんと松永君。
あとアートが秋元さんと、桑原君。
これはまあ確定。
ところで、この『THE功夫』というソフトは、当時、PCエンジンでフルタイムで開発したプログラマなら、ほぼ間違いなくソースを見たことがある代物だったりする。
何度か書いてきたことだけど、開発システムに付属していたサンプルソースが『THE功夫』だったのだ。
僕もビルドして一度は立ち上げてみたw
ところで謎は残る。
では最初に出てきた植山幹夫さんは?
サブプログラマなのはわかったけれど、なぜ功夫の話にメインみたいに出てきたのだろう?
と思ったら…なんと…TVCMの功夫をやるシルエットが植山さんだったという驚愕のオチなのであったw