スターソルジャー30周年記念(2)
twitterで「スターソルジャー30周年ですね」と言われ「あっ」と思って、せっかくだから30周年を記念して、イロイロ野沢さんに聞いてみたら、まったく聞いたことがない話がいっぱい出てきたので、メモ書きとして残しておくシリーズ。
前回の記事は以下。
このブログに来る人で、知らない人はいない気がするけれど、お約束的に『スターソルジャー』について書いておく。
『スターソルジャー』はハドソンから1986/6/13にリリースされたファミコン用の縦スクロールシューティングゲームだ。販売本数は約100万本。
第二回の全国キャラバンに使われたソフトで、高橋名人の16連射を印象付けたソフトでもある。
最初にコロコロに発表されたときのタイトルは『スーパースターフォース』。
これはテーカンの『スターフォース』を移植して売ったのがハドソンで、その『スターフォース』を使って、第一回のキャラバンが行われてからこんなタイトルをつけたのだと思う。またこの最初のタイトルは後の説明から察するに仮題だった可能性が高い。
ところで、この『スーパースターフォース』について、2016年9月現在のwikipediaに以下のような、僕には全く信じられないことが書かれているので、野沢さんに聞いてみた。
当初は、『スターフォース』直系の続編として『スーパースターフォース』というタイトルで開発され、『月刊コロコロコミック』の誌上でも同タイトルで紹介されていた。しかし、本家テクモから同名の別作品『スーパースターフォース 時空暦の秘密』の発売が発表されたため、ハドソンでは仕様を変更した上で『スターソルジャー』と改題し発売した。
スターソルジャーのwikipedia
これに対する野沢さんの答え。
■野沢さん
これはかなり嘘が入っている。
本家テクモがスターフォースを売る予定があったとして、仕様変更て何? そんな仕様見た事もない。
名前が使えなかった可能性はあるにしても、私が開発してる時点でそんな仕様は知らんし、見た事もない。
そもそも、何言ってる? って感じですね。
まあ、スターフォースのイメージは気にしていたが、完全オリジナルだし、何言ってるか意味不明。
ハドソン版スターフォースがべらぼうに売れたので、自分たちが作ると意志表明があったため、ハドソン側は名前の使用を諦めたんだと思います。
私のところに来たときにはスターフォースの名前は使えないのが前提でした。
名前を決める企画会議があった事は覚えています。
まあ、コロコロコミック辺りの方は早めに入校する為に、訂正が間に合わんかったと思われ。
(前回書いたが、コロコロコミックで最初に『スーパースターフォース』でタイトルが出たのは86年2月号で、開発スタート直後。仮題でタイトルを載せていた可能性が高い)
当時のメデイア担当に聞いてほしい。誰だったかわからんが。
担当記者は小学館の黒田さんだと思うが、既に亡くなってるので確認はできないが…
下線部は僕のつけたし。
この当時のハドソンは小さな会社で野沢さんの上には人はほとんどいないので、この言葉を疑う必要は全くないだろう。
それにそもそも11月発売のゲームの内容をどうして6月発売のハドソンが知れたのかとか、逆にハドソンのゲームの中身をどういう風にテクモが見たんだよ、と突っ込みどころだらけの内容で、正直全く信じるに値しないと思う。
wikipediaの記事になんらかのまともな出典があるのか、知りたいものだ。
このあたりのコロコロの記事をブログに公開されている方からの情報があったので、ここに追記としてリンクしておきます。
で、今回は開発スタッフについて証言を交えながら書いておきたい。
まずスタッフについて実名を書かないわけにもいかないので、覚えていることも兼ねて、名前を書いておく。
- 野沢 勝広 さん
当時のハドソンの技術の頭目。ハードもソフトもわかる人でPCエンジンの立役者の一人。マニュアル化されていないノウハウをいっぱい教えてもらいました。本人はもともとはミニコンのメンテナンスとかやっていた人で、僕が初めて野沢さんの作品を見たのは、MZ-80シリーズ用の整数型TINY FORTRAN(なんとコンパイラ)”FORM”のI/Oに掲載された記事。 - 飛田 雅宏さん
プログラマ。 X68Kのas(アセンブラ) ,lk(リンカ) ,sd(シンボリックデバッガ)、さらにファミコンとPCエンジンのas.lk,sdを作り、ivを作り、スーパーファミコン版のas,lk,sdを作った(はず)。なのだけど、今回の話では全然そこらへんは関係しない。今まで一度も『スターソルジャー』関係では名前が出てきたことがない飛田さんの名前がここで出てきたのにはもちろん理由がある。 - 菊田 昌昭さん
プログラマ。 僕は実は菊田さんとは全く面識がないと思う。少なくとも記憶にはない。が、この話では出てくるのである。 - 山本 次行さん
職人気質のドット屋さんで、ここで名前が出ている以外にも『ミッキーマウス 不思議の国の大冒険』で、メインのドットを打って、ディズニーのチェックで地獄を見たとボヤいていた。また『ドラえもん』のドットも打っていて、ヒゲがどうしても3本に出来なくて、小学館から直してくれと言われて大変だったといっていたのが印象的。ちなみに山本さんは、管理職になるのを拒否してドット屋をやっていた職人タイプの人で、僕のデビュー作『凄ノ王伝説』(1988-89)でも参加していただき、お世話になった。 - 松浦 浩司さん
当時のハドソンで「デザイナー(アーティスト)」と呼ばれた二人目だったと、今回の『スターソルジャー』の話で初めて知った。
当時のあだ名は「まんが」。なんでだったんだろう…
一番印象に残っているのが、実はPCエンジンCD-ROMに内蔵されていた漢字フォントの修正を延々やってる姿(12ドットフォントは完全手修正)と、コブラの第一作を作っていたときに死にそうになりながらドットを打っていた姿。天外2でもお世話になりました。 - 笹川 敏幸さん
もともとはプログラマとして入ったのだと思うのだけど、ハドソンのサウンドのディレクターになった。代表作は『迷宮組曲』だと思う。僕が仕事をしていたときは完全にサウンドディレクターで平岸のハソドソンの技術部が入っていたビルの2Fにあったサウンドルームにこもっておられました。 - 国本 剛章さん
ファミコン初期のハドソンのゲームのかなりの曲を作曲している。当時、北海道大学の学生さんで、笹川さんに取っつかまってバイトで仕事をしていたということらしい。僕がハドソンにいた当時は全くつながりがなく、ハドソンナイトってイベントで初めて直接お目にかかりました。
と、簡単に当時のハドソンのスタッフについて説明したところで、誰がどういう仕事をしていたのかについての話をまとめていきたい。
まずは野沢さんが覚えていたコトから。
■野沢さん
当時のグラフィックデザインは山本さん。今何してるんだろう? 結構年だよな、御老人になってるはず。サブのデザインもいたと思うけど覚えてない。
音楽は笹川さんかなー、作曲は外注で誰だっけ? 忘れてる。
効果音、笹川さん以外にも飛田かな? 他にもいたはず。
高橋名人がスターフォース的なボス出してとか言うからラザロができた。
まあ、企画会議みたいので出てきた話だけどね。
敵キャラのエントリー方法や動きは菊田氏だな。多少のいじりは私もやってたが、ほぼ菊田氏。
■飛田さん
効果音なら俺が入れたのかも? SE全般は私だったんで、、
飛田さんがスタソルの効果音をやっていたいうのは、全く新しい聞いたことがなかった話で驚いた。
確認すると、飛田さんはこのとき東京勤務で(87年まではハドソンは東京にも開発があった)、いきなり札幌に来て野沢さんの手伝いをしてくれとのことで急きょ札幌に飛び、サウンド(効果音周り)を手伝ったということだった。そしてマスターアップして、有名な86年のジャンボをチャーターして全員で千歳からハワイ旅行に行くって社員旅行に参加するために、一度東京に帰って準備して、すぐに札幌に戻るってひどい強行軍だったとの話。
このあたり、妙にプログラマの人数が多いのは、前回書いたACT65のビルドが非常に遅く(30分近くかかったらしい)、ターンアラウンドが厳しいことから、分けられるものは分けて…ということだと思う。
というわけで『スターソルジャー』のプログラムはメインプログラムが野沢さん、飛行のザコのエントリーや動きは菊田さん(一部野沢さんがやっているのは確か)、サウンド関係はSEを飛田さんが、音楽を笹川さんが、そして作曲は国本さんということらしい。
ここでイマドキなゲームの開発者なら「なんでSEのためにプログラマが別に立ってるの?」と思うだろう。
今ならサウンド登録しておいて、index与えれば鳴る世界だから「は?」と思うにきまってるが、もちろん理由がある。
当時の原始的な環境ではまだサウンドはプログラムから完全に分離されておらず(なんとか分離できるようになったのは88年ごろから)、特にSEはプログラムでコントロールするのが当たり前だったのだ。
そのあたりの事情が以下。
■星 恵太
移植で何度か2DDwに入ってたソースを受け取って見てたのが懐かしいです。サウンドデータはフツーのマクロでしたよね。
なんかプログラム中に直接効果音のマクロが混ざってたような気がします。
自分がサウンドに入った時は、ブッチー師匠が汎用性高いいたれりつくせりのドライバになっていたので、効果音データがプログラムに埋没してるとか、当時はショックでしたw
ということは、瀧本さんに効果音を伝授されたのは笹川さんじゃなくて飛田さんなんでしょうか?
■飛田さん
どうだったろ? あの頃のSEは音符データの処理じゃなくて、直接プログラムで制御していたように思う。
■星 恵太
一応サウンド用っぽいマクロは使っていて、音階なんかは拾ってたとは思います。
今思えば全然不思議じゃないですけどねw ほんとにブッチー師匠の作った環境はもう波形とエンベロープ組んだら、あとはMML書いてインデックスに登録してコンパイルするだけ~みたいなものでしたから、そのギャップかなとw
一応MZ-80で音鳴らしてた時は似たような事やってたんですけどね。
星君は、このブログで「星恵太君のこと」って記事 にもしているし、何回か名前が出てきているのだけど、当時のハドソンの新人サウンドスタッフ。『凄ノ王伝説』、『イース1・2』で、PCエンジンの内蔵音源のサウンドを担当してくれた。
というわけで、当時はプログラムの中にサウンドのデータのマクロがあったりするのが当たり前だったのだ。星くんは入社が88年のはずなので、ちょうどSEやサウンドが整理されて、比較的分離された環境になりつつあるときに、入社したメンバーなので驚いたのだろう。『凄ノ王伝説』でも星が作った効果音をいじりながら音出してたんだけどなあw
で、グラフィックについては山本さんだけだと思っていたのだけど(さよなら、ハドソンを書いたとき、調べた人がみんな山本さんしか言わなかった)
■僕
そいや、野沢さん、スタソルって菊田さんが「飛行する敵キャラを作った」って正しいんすか? 菊田さんが一緒に仕事をしたのはわかってるんですがw
■野沢さん
そうだよ、動きと、エントリーは間違いない。
多少のいじりはしたが、基本菊田氏だね。デザインは山本さんがしてたけどね。
■松浦さん
ごめんなさい。スプライトは私です。覚えてるかはわからないですが自機は、私の背中の方から耳を舐めながら野沢さんに修正していただきました。w
あと、あの当時はデザイナーと呼ばれてたのは、山本さんと私だけで、新人だった私に裏面のデザインを任せてもらいましたが、今見たら恥ずかしい限り、出来の悪さに赤面してしまいます。ごめんなさい。
■野沢さん
そうか、裏面まんがかー。抜けてるなーおれ。
ちなみにゲームタイトル画面の制作は私だ。
デカボスのBGのうえにスタソルログを別に書いたスタソルのロゴを合成して書いた。
ほぼ数日で作った割に受けが良かったのでそのまま採用だった。
他にも案があったが自分で作ったのが採用な感じです。
コー スデザインも山本さんがメインで私も結構直した。ボーナス配置とかだね。自分の隠しキャラとかも入れたし、いろいろやった。とくに裏面へ隠れるアトリ ビュートは積極的に私がやった。まあ、そんな予定は無かったんだけど、「なんか裏に隠れたりできないの?」 と誰かに言われて、仕方なく追加の流れか な。いろいろ穴があって、うまくごまかすのに自分でやってたんだよ。
■桜田名人
裏に入り込むのは工藤社長の一言ですね。その場にいました。
実に入力しにくい無敵技の操作方法は野沢さんがコントローラー2個重ねて、こうやるんだよとレクチャーしてもらいました(^^)
あ、無敵じゃなくてレーザーでした。左上とか2コンの右下とかでw
桜田名人は元ハドソンのキャラバンで名人として日本を回った人。
ハドソンから出たPC-88用の『スーパーマリオブラザーズスペシャル』のレベルデザインは全部桜田さんがしている。
裏に入り込む仕様が会議での社長の一言だったってのは面白い話で、驚きだったのだけど、それはともかくアートはマップチップは山本さん。マップ製作はメインは山本さんで、裏面が松浦さん。ただしどちらも野沢さんが自分でいろいろいじっている。そしてスプライト(飛行物)は松浦さんということになる。
そんなわけで、最終的にわかった一番正しいスターソルジャースタッフのリスト
■プログラム
・野沢さん(メインプログラム・自機・ボスなど)
・飛田さん(SE)
・菊田さん(ザコのコードおよびエントリ)
■サウンド
・笹川さん(音楽プログラム)
・国本さん(作曲)
・飛田さん(SE処理)
■アート
・山本さん(マップチップ・表面)
・松浦さん(スプライト・裏面)
・野沢さん(タイトル・マップのアトリビュートつけなど)
追記
岡本敏郎さん(アート)は参加されていなかったんですか? という質問があったが、岡本さんは当時は東京開発で札幌にいなかったので参加していない、とのことだった。
2020/6/28追記
イース通史の取材でわかっているが、ラザロは岡本さん作だった。つまり岡本さんはスターソルジャーに参加している、が正解。
この項目続く。
10件のコメント
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もしかしてアート系のスタッフの方々は本人のご意向など諸事情で仮名なのでしょうか?
スプライトの空中キャラ関連のデザインにはO本T朗氏もいたはずで、
90年代にハドソンがやってたデザイナーズスクールの講師もやられてた方です。
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最初に発表された名称は『スーパースターフォース』で、当時コロコロで読んでたのでこれは間違いないです。
1986年2月号から連載の『熱血!ファミコン少年団』というハドソン関連のワードが実名で出る漫画内では、
工藤社長が次作品を「スーパースターフォースと名付けたい!」と言ってるシーンが印象的でして、
これは後に刊行された単行本では『スーパーXと名付けたい!』に差し替わってましたねw
少なくとも1986年初頭の時点ではそんな感じで発表されてましたので、その後話に尾ひれが付いて
長い年月を経てウィキペディア上であること無いこと妄想も入って今に至るが実情じゃないでしょうか?
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松浦さんに確認しますが、少なくとも松浦さんと野沢さんの覚えている限りでは、おかもっちゃん(岡本敏郎さん)はスタッフには入ってないようです。
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本文にも追記しましたが、松浦さんに確認したところ、おかもっちゃんは当時東京開発だったので、札幌にはいなかったと。だからスターソルジャーには参加していない、とのことでした。
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本人に以前聞いた時は空中キャラをデザインしたと言ってたんですけどね。
ラザロの顔について質問したら特にモデルとなるものはなかったとかも。
空中キャラと地上キャラのデザインは別々にやってて地上キャラ担当の人は凄く絵が上手いとか言ってました。
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ふーむ。
多数決というわけではないのですが、北海道で直に開発していたメンバーがいなかったといっているので、何かと記憶が混じっている可能性が高い気がしますね。
(個人的には『ドラえもん』ではないかと思います。なぜなら岡本さんも山本さんも参加していて、似た構成のスタッフだからです)
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>個人的には『ドラえもん』ではないかと思います。なぜなら岡本さんも山本さんも参加していて、似た構成のスタッフだからです
本人にお話が聞ければ一番手っ取り早いんですけどね~w
30年もの年月が経つと中々難しいのかもしれませんが。
ちなみにハドソンのファミコンゲームの制作はハットリくんからだそうで、
ドラえもんでは魔境編のシューティング面の背景を担当されてたそうです。
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「スーパースターフォース」として紹介されたコロコロ86年2月号を所持してる者です。
ブログでその誌面(野沢氏のインタビューや「熱血!ファミコン少年団」の部分)を公開してますので参考にして頂けると幸いです。
http://37432029.at.webry.info/201407/article_2.html
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スタソル30週年記念の記事とても興味深く読ませていただきました、十数年前にスタソルのプログラムを吸い出してバイナリエディタで見てたらアドレス00008300と0000C300にI love M.Akakuraアドレス0000A300と0000E300にMadwoman Megumi.のメッセージが有ったのですがこの事についてイベントの時に高橋名人に聞いたのですが知らないとの事で長年自分の中で「スターソルジャーの謎」になってたのですが記事を読むとスターソルジャーのプログラマーの野沢さん・飛田さん・菊田さんのどなたかが当時お付き合いしてた女性(赤倉めぐみさん)の事をちょっとしたお遊び&グチとして書き入れたのかなぁ?と当時ハドソンに赤倉めぐみさんと言う女性社員が居てプログラマーの誰かと交際してたとか会ったのでしょうか?(コレを発見した時バイナリランドの裏技でのキク&メグ的な事を思ったりもしましたw)
自分の中で長年の謎となってるスターソルジャーのプログラムの中の赤倉めぐみさんへのメッセージの謎をいわさきさんの力で何とか解明される事を願います!
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> ピコピコ団さん
ブログ拝見させてもらいました。そうそうこれこれコレなんですよ!
実に30年ぶりに見ましたけど自分の記憶の方にほぼ間違いがなくてよかった~w
しかし仮称とはいえ、ここまで大々的にカラーでの特報扱いでアイディア募集までやって、
しかも漫画の方では柱に「ファミコン実録 ノンフィクション」アオリを入れて掲載してたら
そりゃあ当時小学生くらいの子だったらスーパースターフォースでの印象は強く残ったでしょうね~
その後のテクモ関連のとこは、話に尾ひれが付いて広まるありがちな都市伝説ってとこでしょうか。