FF10の話(1) – それは1991年から始まった

これはtwitterで始まった話だ。
僕が10-3を作ることも考えたいと言っているというニュースを読んだとき、思わずツイートしたことから話は始まる。

伊藤さん(2014年現在、unityの中の人の一人)に、こんな風にそそのかされてしまった。
そしてもちろん僕もFFXが好きなのもあって、本を作ろうと思ったのだけど猛烈に長くなるのは必定だ。しかも例によって時間がないのはわかっていたので、ブログでちまちま書き溜めて本にしようって計画を立てた。
だから、ここに文章を書きだそうってわけである。
ところで先に書くと、FFXは間違いなくFFシリーズの中の最高傑作だと思っているのだけど、この評価は、一般的な歴史的評価とは若干ズレると思う。
ゲームの歴史の教科書が書かれるとき、シリーズ中で間違いなく掲載されるのはなにかといえば、それはFFVIIだ。
「映画やテレビのような映像ドラマの演出をどのようにしてゲームに組み込むか?」という、当時のゲームデザイナーたちが悩み、夢見ていたモノを決定的な形でプレゼンテーションし、全世界のゲーム製作者に衝撃を与え、絶対的な尊敬を得た作品なのだから、これが教科書に載らないとしたら「他に何が載るんだよ!?」と、ケンカ売りたくなるぐらい間違いない。
でも、僕が本当に好きなのは、間違いもなくFFXであり、そしてFFXは僕のFFⅦやFFⅧに対する不満も解消した作品だったのである。
というわけで…FFXの話が始まるだろうと、誰もが思うだろうが…
なんと話は、天外Ⅱを作っていた1991年から始まるのだ。


1990年から91年、畏友桝田省治さんは『天外魔境Ⅱ』を作るかたわら、並行してデータイーストによく行っていた(記憶では週に一度は行っていたように思う)。
なんでかっていうと、当時、桝田さんは『メタルマックス』のプロデューサーをやってたから。
どうしてそんなことをやってたのかというと、データイーストって会社は、どっちかというとRPGブームにうまく乗れていない会社で、新しいRPGのブランドを作るために、桝田さんは奮闘していたと思ってもらっていい。

『メタルマックス』はストーリーの強制力が非常に低いゲームで、これを拡張してオープンワールドにしたらそれだけで面白いだろうと思う代物だったりする。現在のご時世で、それだけの予算に耐えてまで発売してくれるパブリッシャーを見つけるのは正直余りに困難だけど…F2Pでもなんとかなりそうなネタで魅力的だ。

ここで、ちょっと歴史的な話を書くことになる。
86年に発売された『ドラゴンクエスト』(1)は雑誌のレビュワーやライターには注目されていたし、作り手にも注目されていたけれど、一般的な人気が爆発したってこともなく、発売直後から普通に店の店に並んでいて、どってことなく購入することが出来た。
だいたいRPGって、まだものすごく新しい言葉で、あの『ウィザードリィ』が日本に紹介されたのが1982年ごろ。RPGって言葉が日本で知られるようになって、まだ4年しか経っていなかった。しかもファミコン雑誌では『ゼルダの伝説』『ハイドライド』といった、今ならアクション・アドベンチャーであったり、アクションRPGとして紹介されるゲームがRPGとして紹介されていた。
また『ドラゴンクエスト』は、当時、本格的とされていたコマンド型RPGで、まだ小学生~中学生がマーケットの中心だったファミコン市場では桁違いに複雑なゲームだった。だから、パソコンのように人気が出るのか、雑誌としてもわかっておらず、手探り状態での紹介だった。

当時創刊されて、まだ時間が経っていなかったマル勝ファミコンの編集部のSさんに会いに行った時「このドラゴンクエストはパソコン風のRPGで、本当に面白いんだけど難しいんだよね。売れてくれるといいんだけど、これだけ難しいとわかんないなあ」と言っていたのが印象的だ。

これが堀井雄二さんの仕事は見事なもので、当時のマーケットの中心だった小中学生でもわかるように作られていて、口コミやジャンプ主導の宣伝で、だんだん『ドラゴンクエスト』の面白さが広まっていく。
そして、本当の意味でRPGブームがやってきて、以降10年以上に渡る全盛時代が始まるのが87年2月。『ドラゴンクエストⅡ』の発売がまさにそのポイントだった。ここで初めてとんでもない行列が出来て、一瞬で売り切れるなんてスゴいことが起こる。そして僕は余裕をぶっこいて新宿に発売日に買いに行って、どこもかしこも売り切れで手に入れるのに一苦労したのだけど、それでこの顛末をBeepに書いたりしたけど、それは余談。
この空前のRPGブームがやってきたときに、ドラクエⅡに遅れることわずか4ヶ月、87年6月に『闘人魔境伝 ヘラクレスの栄光』を発売したのがデータイーストだった。
いやあお目が高い…のは事実なのだけど、問題もアリアリだった。『ヘラクレスの栄光』は、かなり出来がナニだったのだ。
ギリシャ神話の世界にトンカツ売ってるだの、ふざけた値段のニンジン売ってて、しかもそれを買わないとペガサスまがいを出現させられないとか、武器や防具に耐久力があるけど鍛冶屋を購入すると二度と壊れなくなるだの、ラスボスも伝説セットを持って行くと鼻歌でぶっ殺せるだの、まあ全くどうかってシロモノだった。
そうは言っても、ファミコンの本格派RPGとしては、とても初期だったのもあって、それなりに売れ、2も作られたのだけど(そして2は1からするとどえらくまともになっていた)、当時は間違っても一流のイメージがあるタイトルではなかった。

というか…データイーストって会社は一事が万事そういう会社で、『探偵神宮寺三郎』なんていいキャラ・いいネタでアドベンチャが流行し始めた時出しているけれど初代のゲームの内容はビミョーだったりしたし、PCエンジンの『魔界八犬伝SHADA(1989)』ってイース風のアクションRPGはラストまで頑張るとすげー盛り上がって感動的に面白いのだけど途中がナニとか、ファミコンRPGの最高傑作の一つだと信じてる『ダークロード(1991)』のUIのヘッポコさったらないとか…ホント、目のつけどころはいいのに抜け切れないってメーカーだった。

そして、そのイマイチ空振り…とまではいわないけど、打ち損じてる感のあるデータイーストで桝田さんが関わっていたのが『メタルマックス』で、これまた僕の大好きなRPGの一つなわけだけど、桝田さんはこれを作るのでデータイーストに行っている傍ら、結構いろんなゲームを見てて、スタッフのいろんな話をしてくれていた。
そして、その話の一つにこんなのがあった…

「今さあ、DECOでRPG作ってるんだけどさ、シナリオ書いてるヤツが面白くてさー」
と、桝田さん。
「へえ、どんなヤツ?」
「うん、ホント、アイディアとか面白いんだよ。仲間が日記を書いてるんだけど、プレイヤーがそれ盗み読み出来るとかさーアイディア満載でさ」
と、桝田さん。
「へえええええ、そいつは面白いなあ」
「しかもさ、そいつの考えてる話ってのがどうしてプレイヤーは不死身なのかとかさ、そんなところに切り込んでいるんだよね」
「へええええ! そのゲームはやりたいぞ!」

ちなみにこれは間違いなく桝田さんから聞いて、強烈に印象的だった話だ。
そんなわけで発売されたRPGをワクワクしながら買ってプレイしたのだけど…
これが『ヘラクレスの栄光Ⅲ 神々の沈黙』
というところで、次回に続く。

LinkedIn にシェア
Pocket