Kenさんのこと
ふと思い出したので、忘れないようにメモっておいたTwitterでのつぶやきのまとめ+追加したエントリ。
僕がはじめて就職した会社に、Kenさんという人がやってきた。
最初の会社の提携会社から出向、今で言う派遣の形でやってきた人だった。
もちろん本名は覚えているけれど、ここではKenさんとしておく。少なくともKenさんは本名をゲームで書いたことはないはずなので、伏せておきたい。
【11/04/27 追記】と、当時の記憶で書いたのだけれど、今日、たまたまあとで出てくるゲームのエンディングを見たところ”Ken Hasegawa”と名前が書かれていた。
それどころか、当時の感覚からすると珍しい事に、あとで出てくるゲームのスタッフロールはほぼ本名で構成されていた。
なので、この話の主役、Kenさんは”Ken Hasegawa”さんだ。
さて、入社してきたとき、Kenさんは68000(モトローラのCPU。68Kと略される)のアセンブラのエキスパートでCも書けるという話だったが、実際そのとおりの人だった。OS/9の経験はさすがになかったけれど(OS/9はCD-iのOSのベースになっていた)、そんなのはすぐに覚えてしまった。
【注】当時のアーケードのCPUは、ザイログ(インテル系)のZ80からモトローラの68Kに移行が進んでいた。というのもアーケードで使われるデータの量が大きくなってZ80では扱えない範囲に入りだしていたからだ。
そしてインテル系の16bitCPU、8086はアセンブラレベルでの移植が簡単…とかいうワケのわからないメリットを打ち出したために、大きなデータを扱うのがヘタクソで、おまけにいろいろ扱いにくいCPUだったので、よりアーキテクチャとして分かりやすく扱いやすかった、68Kがアーケードを席捲することになった。
86系・ARM・Power・一部MIPSの世界が普通になっている今の人からは想像もつかないだろうが、68Kは長くアーケード界のCPUの王座に君臨し、これが崩れるのは2000年代に入ってからになる。
転職だというのは聞いていたので、昔、何をしていたのか…と聞くとタイトーでゲーム作ってて、ダライアスのメインプログラマで、スタッフロールの一番最初に出る名前だというのだから驚いた。どうして辞めたのかというと、まあ会社でゲーム作るのに疲れて、ダライアスを作ってゲーム作りから引退しようと思った…ということだった。
当時、僕はBeep!でライターを始めていて、普通の人よりは業界側にいたが、まだゲームを作るプロではなくプロになりたい人でしかなかったから舞い上がった。本当に嬉しくてしょうがなくて、ゲーセンでダライアスをクリアするのを見せて、いろいろな話を聞いた。
例えば、Kenさんはコナミのグラディウスのザコの弾の撃ち方が美しくカッコイイと思っていて、そんな弾幕を作りたかったんだけど、どうにもそうならなかったとか、アーティストの書いてきたバリアがかっこ悪いと思っていて、アーティストが書いたドットを自分でいじったとか、敵に適当にスタッフの名前の逆読みで振ってたら、いつの間にか本当の名前になっていたとか、そんな普通はまず聞けない話を聞いた。
その中でも抜群に面白かったのはAMショーの話だった。
ダライアスをAMショーに出展したとき、あるボスのところで次の面に行かない(か、それともボスが死ななくなる)という致命的なバグが発生した。それが分かったとき、ショーの真っ最中で、どうしようもない。
そこで開発の人間がそ知らぬ顔をして待機し、バグが発生したらケーブルにつまづいて電源を抜いて、リセットすることにした。
バグが出るたびに「うわーバグったよー、俺さっきいったから、今度はお前行けよー」みたいな感じで、スタッフで回り持ちで、けつまずいて電源を抜いたわけだ。
結構バグは出て、何回もリセットするはめになったといっていた。
それでショーが終わった後、Kenさんは営業の人に「バグだしてゴメンナサイ」と言いにいった。
そしたら営業の人から「いいよ、いいよ、ウチのブースにこんなに人が来てくれたの初めてだよ」と言われたというのだ。
当時のタイトーは、自分の中ではもはや眼中にない、数はともかく出すけれどクソゲーばかりという印象で、ダライアスは本当に衝撃的なゲームだった(あのタイトーが、とんでもなく面白カッコイイシューティングを!)から、そういわれるのも当たり前だよなあ、と思った。
また、Kenさんは故MTJ氏(バブルボブル・レインボーアイランドなどのゲームデザイナー)とも仕事をしたことがあり(何をしたのかは知らない)、「あいつ何にも打ち合わせの時きいてねえんだよ、ハードがこうだから、コレしかできないよって言うと、フンフンとか言ってんだけど、仕様書来ると全然無視なんだよ、ひどい奴だよ」と言っていた。
そんなこんなで、プログラムを書くプロにはなったしライターにもなったけれど、ゲームを作るプロにはなれていない僕には、Kenさんの話はゲームを作るプロの世界がかいま見えて、ワクワクするものだった。
そしてKenさんの方から見ると、僕みたい三度の飯よりゲームが好きな人間がいるのは驚きだったらしい。自分が作っていたゲームをこんなにやっていて、ゲーム作りたくてしょうがない人間がいるのを知って、本当に驚いていた。
でも僕とKenさんの会社でのつきあいは1年も続かなかった。なぜなら僕が会社を辞めて、ハドソンにゲームを作りにいってしまったからだ。
僕はCD-iでゲームを作りたかったがCD-iでアーケードやファミコンのようなゲームは作れそうにもなかった。MSXすら怪しかった。それを言うと「CD-iはマルチメディアマシンでゲームマシンとは違う」と言われた。
でも「じゃあマルチメディアとやらとファミコンの間で何が違うのか?」という僕の質問には「マルチメディアはファミコンのようなチャチなもんじゃない」という、何の根拠もない答え以外は返ってこなかった。
そして開発も遅れ、CD-iは話にならないと確信していたところに、やってきたのがハドソンの話だった。僕は結局ゲームを作りたくてしょうがない人で(今でもそうだけど)、ゲームを作れる魅力にはウンザリしていたCD-iでは全く勝てなかった。
僕はハドソンに行ってしまい、Kenさんとのつきあいも終わった。
それから1年ほどしてKenさんも僕が元いた会社への出向を辞めたという話を人づてに聞いた。僕が最初に勤めた会社は2つの親会社の出資で成り立っていたベンチャーだったが、紆余曲折があって、一つの親会社が手を引いて、もう一方の親会社が吸収する形になった時に出向を辞めた(もしくは条件が変って契約を終了した)というのが正しい流れだったと思うのだけど、少々記憶は曖昧だったりする。
だが、Kenさんの付き合いは思いもかけない形で続くことになった。
Kenさんと、なんと北海道のハドソンで再び会うことになったのだ。Kenさんの会社も、僕とほぼ同じつて(当時の角川メディアオフィスのマル勝の企画をした編集)からハドソンと仕事をすることになったのだった。
結局、Kenさんもゲームの世界に舞い戻ってきたわけだが、そのとき嬉しいことを言われた。
「タイトーでゲームを作っていたときは、プレイヤーの顔が見えなくて情熱がなくなっていた。でも岩崎君がものすごいゲームが好きなのを見て、またゲームを作りたくなった」
本当に嬉しい言葉だった。
今、Kenさんが何をしているのかは知らない。でも、少なくともKenさんがプログラムを書いたダライアスはシューティング史上、不滅の名作の一つとしてアーケード史上…いや、ゲーム史上に燦然と光を放っている。
そして、あれを作れたKenさんを、今でも尊敬し、うらやましく思っているのだ。
ところで、今、ワイド画面だからこそ、ダライアスを移植して欲しいと思ってしまう。
オリジナルのダライアスの1画面あたりの解像度がいくらかはわからないが、当時のアーケードだから、1画面は256×240もしくは320×240。
モニタを1920とすると、256なら3画面で768×240。2.5倍して1920×600に出来るし、320で960×240。1920×480で3画面を完全に表示することが出来る。
正直、ダライアス完全移植版(2/3画面モード切替つき。2P可能)なら、フルプライスでも余裕で買う。X360/PS3のどちらでもいいので、真剣に検討してもらえないでしょうか、スクウェアエニックス様(;´ω`)
ついでにニンジャウォリアーズとダライアスIIもあれば完璧!
2019/07/17追記
全部プレイ可能になった。ダライアスとニンジャウォリアーズに至ってはPSVRでプレイすれば、昔の3画面筐体より体感では大きな画面でプレイできる。
11件のコメント
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いい話ですね。
でも岩崎さんがタイトーをクソゲーメーカーだと思ってたのは意外です。私には影の伝説とかでがんばってたイメージがありました。
ダライアスの件は同感ですね。当時ベーマガとかの記事で見たんですが、お金のない子どもだったんでやったことはなかったですね。「ナイコン」って言葉を取り上げてらっしゃいましたが、当時は記事だけ見てやった気分になってたなー
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当時のタイトーはですね、ともかく乱作でして、もうゲーセン行くたびに新作があるようなイメージだったんです。
そしてその新作の出来たるや「エー」な、まあ100円入れたのを後悔する様なゲームが大半でして、そういう意味で、アーケードゲーマーには基本外れメーカーという印象だったのは、ほぼ間違いないと思います。
(もちろんはずればかりではなくワイバーンFOのような魅力的な作品もありましたが、小粒でフラグシップはない…言い換えると印象を良くするビッグな作品がなかったんですね)
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ダライアスは高校時代に一度だけ筐体でプレイしましたが、音響面が衝撃的だった記憶があります。
ゲーセンのうるさい中で、BGMを聴くというよりも体に直接響かせるような感じで。
ヘタクソなのですぐに終わってしまいましたが・・・
今回の内容を読んで、そもそも岩崎さんはどういう経緯で”ゲームを作る人”になってハドソンで働く事になったんだろうか、という事が気になりました(以前に記載されていたかもしれませんが)。
まだ書かれていない場合は、ライター業を始められた経緯などと絡めて書いていただけると理解しやすいと思います。
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あー、なんでゲームを作る人になったかですか…うーん、あまりに変な話で作り話にしか聞こえないような流れなんですが、まあ一応、書くことを考えておきます。
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これは良いエピソード!奇しくも今年はアーケードでダライアスが13年ぶりに復活だし。
こういう人の出会いってのはかけがえのない財産だと思います。
>当時のタイトーは、自分の中ではもはや眼中にない、数はともかく出すけれどクソゲーばかり
確かに当時のタイトーは、粗製濫造とまでは言わずもまあ数はたくさん出してましたね。
他社製品の販売代行も多かったから尚更そういうイメージが強かったのかもしれません。
それでもダライアスのちょい前にはアルカノイドやバブルボブルがヒットしてましたから、
私自身は当時はそれほど悪いイメージは持ってませんでしたね。
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あの三画面で構成されたゲーム画面を初めて見たときの当時の驚きと迫力は忘れられません。そしてダライアスと同様にニンジャウォリアーズも強く印象に残っているアーケードゲームの一つですし、これらの作品のZUNTATAが手掛ける音楽にも非常に魅了されました。この頃に私もタイトーへの印象が変わったのを覚えています。
また、PCエンジンではスーパーダライアスを存分に楽しみましたが、やはり一画面で表現すると窮屈に感じますよね。しかしその分ボスとの距離は近いので、それはそれで違う緊張感があって楽しめました。
ところで、Kenさんはハドソンとの仕事でどのような作品に関わられたのでしょうか。もし宜しければその辺りについてもお聞かせ下さい。
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昔、私が働き始めた時の先輩がMDのゲーム開発経験のある人で
U.S.Roboticsの初代Pilotが出た時に「MDの経験があるからPilotの開発もなんとなくわかる」
・・・みたいなことを言っていたんですが、どっちも68000系だから、だったような記憶があります。
タイトーは奇々怪々とか好きでしたけどね。
ちゃっくんぽっぷ以降の1画面アクション物は
さすがにマンネリかな、とか思ってましたけど。
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ダライアスは一画面あたり288×224で合計864×224です。もちろん16:9の液晶画面に表示出るのですが、ゲーム画面より上下の黒帯領域の方が多くなってしまうので少々バランスがよくなかったりします。
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忘れもしない1986年。ダライアスはとても衝撃的で、受験そっちのけで遊びすぎて浪人しそうになりました。
もし移植されるなら、ベタ移植の他、スーパーダライアスのボスを逆輸入して3画面のスーパーダライアスを遊んでみたいです。移植されたハードを絶対買いますw。
今思えば86年はアウトラン、源平、サラマンダ、ファンタジーゾーン、奇々怪界と傑作揃い。これ全部PCエンジンに移植されていますね。
[Game][レゲー][ダライアス]
Colorful Pieces of Game::Kenさんのこと
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>>mm 様
ダライアスって288なんですか…ちょっと変わった…と思ったけれど、320×240のセフティ分を削った解像度なんですね。(320×240-32。10%のセフティ)
上下が黒いのは、まあSDテレビでよくある模様とか、インストでも表示してw
>>啓先 様
スーパーダライアス…当時のNECアベニューの最高傑作の移植のひとつですね。懐かしいw