決戦前夜(5) – 収縮~決戦前夜(終)

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このテキストは1999年『ときめきメモリアル2』が発売される前、コンシューマにおけるギャルゲーブーム終焉が見えてきたとき書いた同人誌に若干の訂正やコメントを加えたものだ。
もともとはTwitter上の会話で @matsushita99 さんとときメモの話になったときに、この同人誌の内容に触れたら、ヤフオクで探すとか言われ、別にそれほどの本じゃないし古い本だからアップしますよ、ということでこまごまと見直して、新たにコメントなどもつけつつアップロードしていくことにした。
新たなコメントは【注】、最初からあったコメントは【原注】と表記している。
また本文は、自分的には直したいところが一杯あるのだが、資料的な意味合いもあるので、誤字脱字および一部の表現を除いて、修正はしていない。

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収縮

 『ときめきメモリアル』の大成功を見て、まさに雨後の筍のように、ギャルゲーは次から次へと発売され続けた。
 『ヒロインドリーム』、『エターナルメロディ』、『悠久幻想曲』、『トゥルーラブストーリー』、『久遠の絆』、『センチメンタルグラフティ』、『サクラ大戦1/2』、パソコンの移植…その他、名前も覚えきれないたくさんのゲーム。
 パソコンのエロシーンの方が従で、ストーリーやイベントを主に置いているタイプの18禁ゲーム、『雫』や『痕』、はたまた『Piaキャロットへようこそ』、『下級生』などなど、その手の物もそれなりのヒットを飛ばしていた。
 それぞれのゲームにファンがつき、誰が好きだとか、誰に萌えるだとか、そんな話題がインターネットでもニフティの会議室でも、普通に見られるようになった。
 だが、それらのファンを横目に見ながら、僕はそれらのゲーム群に対して、熱狂的に面白いと思ったことは一度もなかった。
 それどころか、それらのゲームをプレイすると、たいていは腹が立つばかりだった。
 中学生の感想文の出来損ないのような誤字・脱字、そして「てにをは」すらおかしい文章を読まされて感動しろと言われても困るどころか、腹が立つのは当たり前だ。
 乱数で決定され、リセット以外では変更することも出来ないデートスケジュールで、日本全国を走り回されるゲームに対して怒りたくなるのは当たり前だ。
 なんの伏線もヒントもなく、メチャクチャな選択肢を選ばされ、あげくの果てには、登場人物が足りないだけでクリア出来なくなるゲームに怒りたくなるのは当たり前だ。

【注】 ここに書かれている内容のゲームは全て実在し、全てプレイしてかつクリアしたゲームばかりだが、タイトルについては武士の情けなので書かない。

 実は、今書いたことは『ギャルゲー市場がなぜ収縮したのか?』を如実に説明している。
 収縮と書いたが、その通り。
 現実はシビアなのだ。
 ギャルゲー市場は『ときめきメモリアル』をピークに収縮し続け、もはやコアのファンしか残っていないニッチな市場なのは売り上げを見れば明らかだ。
 『ときめきメモリアル』のPS版がハーフミリオン(50万)。
 今のギャルゲーと呼ばれるゲームは10万本を越えれば大ヒット、普通は売れて5万、運が良くて8万が関の山で、この数字から突き抜けて売れたゲームは『サクラ大戦』ぐらいの物だ。
 PSが成熟期を通りすぎ、もう市場としては終わりに近づきつつあるのは事実だが、他のジャンルなら(実質的に滅びてしまった2次元シューティングのような古のジャンルを除いて)、今だって20万や30万という数字を出すソフトはゴロゴロしている。
 ちょっと出来が良ければ、50万を越えることだって、そんなに不思議はない。
 100万越えをするソフトだってまだまだある。
 だが、ギャルゲーは10万本。20万を越えたギャルゲーは『ときめきメモリアル』と『サクラ大戦1/2』を除いて、実質皆無。
 『ときめきメモリアル』で得たはずの40万人の市場は雲散霧消して、どこかに消えうせてしまったのが現状なのだ。
 どうしてそうなってしまったのだろうか?

【注】 ここで書いている本数を見ると隔世の感がある。今では20万・30万なんて数字を叩き出せば、もうヒット、それも中堅どころ以上で、どれだけコンソールゲームが売れなくなったのか良くわかる。
ところが、ここで書いた5万本という数字は10年経っても、まだ使えるようで、まともなギャルゲーを作り、一応話題になると5万本前後売れる。もちろん10年前の話なのだからユーザー層は入れ替わっているはずで、逆に考えると「(不思議なことに)常時5万人ぐらいがギャルゲーを買ってくれる」らしい。


 PCエンジン版をプレイした僕(とその他、ハマったプレイヤー達)と、PS版をプレイした人とでは、プレイしたゲームが実は違うのだが、その違いに誰も気がつかず、誰もが間違ったまま突き進んだ…これに尽きる。
 結局の所、『ときめきメモリアル』は疑いもなくパラメータゲームで、『卒業』や『プリンセスメーカー』と何も変わらない。そのパラメータと何を結びつけ、ゲームのフォーカスをどこに合わせるかが違うだけだったのだ(むろん『ときめきメモリアル』の場合には恋愛とドタバタ風の泥沼だ)。
 そのフォーカスに基づいて『ときめきメモリアル』では、パラメータの操作戦略は極めて簡単に作られている。足りない物を実行するだけでいい。
 これまた当たり前で、簡単にパラメータが上昇しないと女の子が出てこない。女の子が出てこないとゲームのフォーカス自体がなくなってしまうのだ。
 このゲームシステム下で、プレイヤーは『幼なじみの藤崎詩織を落とすため』にプレイをはじめる。
 藤崎詩織はオールマイティのスーパーウーマン。当然、プレイヤーは全てのパラメータを上げる。
 当たり前だ。およそパラメータのある殆どどんなゲームでもパラメータは高ければ高いほどいいに決まっている。
 そのプレイをすると、パラメータをトリガーとしてキャラクタ達が山のように現れる。登場した女の子達は、基本的には、全てプレイヤーになびく。
 そして、ゲームは爆弾処理の泥沼に陥る。
 いわば「ジミでダメな高校生が、藤崎詩織を目指して努力したら、モテモテになっちゃって困る高校生活を送った末に、誰かとひっつく」を期せずしてシミュレートするゲーム、それがPCエンジン版の『ときめきメモリアル』なのだ
 ところがだ。
 このゲームシステムが正しく動作するためには一つの前提が必要だ。
 それは「ゲームについて何も知らないこと」だ。
 どうしてパラメータを上げるのかといえば、ゲームについて何も知らず、藤崎詩織を落とすゲームだと思うからだ。
 だから、ゲームシステムを知ってしまえば、いわゆる「オンリープレイ」(ヒロインを1人決め、そのヒロインとラブラブなゲームライフを送るプレイ)を行うために、パラメータをコントロールし、藤崎詩織と一部の必須登場キャラが出てくることは諦めて、それ以外は出さないプレイをするのが普通になってしまう。
 つまり、「どのようにしてキャラが登場するのか」や、「どのようなイベントがあるのか」を知ってしまえば、あとは『ときめきメモリアル』はフォーカスが違うだけで、パラメータゲームであるには全く違いはない
 そして、パラメータゲームと見た場合には、『ときめきメモリアル』はキャラクタを登場させるトリガーパラメータを上げ、それ以外を上げないのは簡単だ。他のキャラクタが登場しなければ、爆弾も怖くないし、イベントも楽勝だ。
 要は『ときめきメモリアル』は、プレイヤーがいったんゲームシステムを理解してしまい、オンリープレイをすると「女の子と話するだけの、仮に女の子に感情移入出来なければ、ゲームの体をなしていない代物」に成り果ててしまうのだ。

【注】 ゲームの体をなしていないのは、もちろんオリジナルのゲームデザインで想定されているプレイから見てで、ゲーム自体が成り立っていないわけではない。
また、これは推測ではないか? という疑問を当然持つだろうと思うので、答えておくが、この一連のプロセスは作者に確認した話であり、そのため「わざわざ広報でも藤崎詩織を落とすゲームだと書いてもらった、ヒロインがいっぱいいるということは伏せてもらった」と明白に言っていた。そして作者たちは3回もプレイしてくれればオンの字のつもりだったと言っていた。
(一度目は誰か、二度目がやはり誰か、3回目ぐらいで藤崎詩織のつもりだったらしい。言い換えるなら、広報資料が全くの嘘であったわけではなく、藤崎詩織を落とすのが「ゲーム難易度として最も厳しいターゲット」ではあったわけだ)

 ところが、PS版の『ときめきメモリアル』は移植作であるという性格上、どうしても「キャラクタ」は隠せなかったし、「パラメータ」も実質全て公開されている、いわば全てがネタバレの状態で登場することになった。
 そのため、本来の『ときめきメモリアル』では起こる――
(1)良く知らないままゲームのプレイを始め
(2)その中のヒロインの1人にウマくハマる
 この感情移入の流れが逆転し、5年前に、みんなが熱狂していた状態のヒロインの人気を全面に押し出す形でゲームは紹介され、そして同じようにヒロインを全面に押し出す形で発売された(メーカーも明らかにそれを利用したわけだが)。
 それらのネガがありながらも『ときめきメモリアル』は売れた。
 なぜなら、それでも『ときめきメモリアル』は、当時としては卓越したデータ量とイベント量を誇っており、バランスが良く、恋愛に合わせたフォーカスは新鮮で、他に類例がなかったからだ。
 つまり、雑誌で少々パラメータを知っていようが、少々ゲームシステムを理解していようが、当時は面白いゲームであるには違いなかったのだ。
 結果として『ときめきメモリアル』はゲームに出る女の子の魅力を全面に押し出し、その女の子との恋愛に 「萌える」スタイルのゲームジャンル、いわゆる「恋愛(育成)ゲーム」を作り出した。
 この事実に疑いはない。
 そして『ときめきメモリアル』の大ヒットにより、メーカーも雑誌も「ゲームの内容よりも先にヒロインを全面に押し出し、売っていく」スタイルが確立したわけだ。
 しかし、このスタイルには、女の子に対して感情移入出来ないプレイヤー、言い換えれば萌えないプレイヤーに対してアピールする部分がない、重篤な欠陥が存在する。
 これまた当たり前の話で『ときめきメモリアル』以降のギャルゲーは「従来のゲームに女の子が刺身のツマとしてついている」スタイルではなく、女の子との恋愛にフォーカスを合わせ、その恋愛に邪魔な物は出来るだけ排除していくスタイルだ。
 元祖の『ときめきメモリアル』では、それでも知らずにプレイすれば爆弾処理というゲーム的な綱渡りが存在し、それを彩るイベントと相まって、まだしも「従来型のゲームの面白さ」は存在したが、今の「恋愛ゲーム」、中でも主流の一つであるノベル系に至っては、女の子との会話と見え見えの選択肢だけで組み立ててられているゲーム性もへったくれもない代物なのだ。
 すなわち、今のギャルゲーは「女の子との恋愛のために、極力ゲームの要素を排除したゲーム」で、シナリオとキャラクタを取ってしまうと、スカスカになってしまう代物なのだ。
 だからこそ、今のギャルゲーは「シナリオ」と「キャラクタ(特にグラフィックと声優だが…)」に重点を置いているわけだ。
 だが、このスタイルを取る限り、女の子に対して萌えられないプレイヤーにとっては、ただの作業をする、どこがゲームなのかすら分からない物をプレイさせられることになり「ゲームとしては失望してしまう」のも当たり前の話だろう。

【注】 僕はこれをギャルゲーのキャバクラ化と呼んでいる。キャバクラなのだから気に入る女の子がいなければ買ってくれない。また、キャバクラなのだから「女の子はかわいくないけど、店の雰囲気は良かったよね」=「女の子はかわいくないけどゲームは面白いよね」が、なぜ成り立ち得ないかも理解できるだろう。

 この流れから一歩離れたところにいるソフトが『サクラ大戦』ぐらいしかない事は、また論を待たないところだろう。
 むろん萌えるプレイヤーのためにゲームを作ることは許されるし、それで売れればメーカーとしてはなんの問題もない。
 「萌え」万々歳だ。
 だが、コンシューマの世界で極端にギャルゲーが減り、そして残ったギャルゲーすら売れない現状を見れば、メーカーの取ってきたスタイルは、結果的に「萌えることが出来る」ユーザー以外は全て切り捨てる結果になったのは明らかだ。
 そしてまた「ゲームの中の女の子に萌えられるユーザー」は少数派であることも、売り上げによって完膚無きまでに証明されている。
 要は「ちょっとした苦労と選択で、あなたがかわいい(ということになっている)女の子とお話が出来て、ラブラブ出来ます」では、大きく売れないということだ。
 売り上げが小さくなれば、当然、メーカーは開発期間もお金も、そしてスタッフも使わなくなっていく。出来の悪いゲームが増え、さらに市場は縮小する。そして最後に、ある一定以下にユーザー数が落ちてしまえば採算が取れなくなり、そのジャンルは実質的に死滅してしまう。
 そして、数万という数字は、もはやコンシューマにおいては採算点スレスレのオーダーで、今や、ギャルゲーは死滅の危機に瀕しつつあると言っても、間違いのないところまで来ているのだ。
(ここでパソコンの事を主張する人間もいるだろうが、パソコンのゲームは5000本で採算点に到達するような計算をする世界なのだ。ゲームのサイズも、市場のサイズも全く違う。マニアを対象として、採算は成り立ちうるのだ。)

【注】 この市場分析もまた隔世の感がある。PCアダルトゲームもコピーの恐怖に晒されて、3000本前後が普通になってしまっている。だが10年前からパソコンはニッチである、との認識を僕は持っていたらしい。
また、採算点スレスレよりちょっと上をギャルゲーの売り上げは10年維持しているのが、不思議だ。
ただ、今回ギャルゲーはよりライトなブラウザゲームと携帯ゲームの挑戦を受けていて「声」に魅力を感じるユーザーの数が一定以上いなければ、ついに消えてしまう可能性は高いと、僕は感じている。
決戦前夜

 そして今――
 「恋愛ゲーム」の祖であったハズのコナミは『みつめてナイト』で失敗し、さらに『あいたくて』は発売すらされていない。
 バーチャルキッスなんて名前すら聞かなくなり、そのうえコナミの商法自体が、今までのキャラクタ商法や最近のビートマニア系の訴訟騒ぎで、批判されている状態にある。
 さらにPSの市場全体がPS2を控え、不活性化している。
 前節で書いたとおり、コンシューマではギャルゲー市場は収縮に収縮を重ね、もはや10万を越えることすら難しい状態で、ジャンルとして存亡の危機に立つほど、売れる本数は限られている。
 ちょっとゲームに詳しい人なら、誰もが『ときめきメモリアル』の名前を知っており、ゲームのフォーカスがどこにあるのかも、どんなゲームなのかも知っており、前作の『ときめきメモリアル』で使えた「知らないところに、とんでもない物を食わせる手品」は使えない。
 この冷えきった市場を背景に『ときめきメモリアル2』は発売されようとしている。
 逆風は極めて激しい。
 果たして『ときめきメモルアル2』に成功のチャンスはあるのだろうか?
 それに対する僕の答えは条件つきのYESだ。
 なぜなら――
 コナミの営業や企画がどう考えているかなんて知ったことではないが、少なくとも作っている人間達は「ゲームであろう」とし、他の「萌える人達に受けようとする戦略を取るギャルゲー」と同一のゲームではないと思える節が多々あるからだ。
 それが証拠に、まず『ときめきメモリアル2』の広告戦略を見る限りでは、キャラクタやゲーム内容の露出を避けている。
 さすがにシリーズ物の宿命で、ゲームスタイルは変えるわけにはいかないから、システムは公開されているようなものだが、それ以外について見れば、主要キャラクタは公開されてはいるが、その実態はプロフィールレベルの粗雑な物でしかない。
 舞台の学校にどんな行事があり、どんなクラブがあるか、どんなデートスポットがあるかなどの、ゲーム展開に大きくかかわる情報は、実質的に全く公開されていない。
 さらにゲームシステムにも「自分の名前を呼ぶ」以外に、ゲームに大きく影響を与えそうな、女の子の進路や行動が自分のプレイで変化するシステムなどの「本当に新規性のあるシステム」を組み込んでいるし、それ以外にも、いろいろありそうだ。
(女の子の進路や行動が変化し、自分に合わせる…意中のキャラだけが変化するならオンリープレイヤーにはありがたい話だろうが、そうじゃないキャラクタも変化するのは容易に想像出来る。下手に変化されると、狙ってもいないキャラがオ熱になって、自分についてくるストーカーの世界に突入するのは見え見えだ。これをパソコンゲームで掃いて捨てるほど宣伝文句に使われる「斬新なXXシステム」と比較すれば、どれほどゲーム性に与える影響が違うかは簡単にわかるだろう)
 また、パラメータゲームであるには違いなかろうが、そのパラメータコントロールにかかわる部分を出来るだけ露出しないようにしようとする努力は行っているし、下手に「XXちゃんがいい」と言えるような情報も出すぎないようにしていると感じる。
 すなわち『ときめきメモリアル2』は「今のレベルで許される程度の情報しか露出しないように努力し、なおかつ中身がゲームであろうとしている」と、僕には思えるのだ。
 そして、疑いもなく『ときめきメモリアル』はギャルゲーの中ではずば抜けたビッグタイトルで、桁違いの前人気を持っている。少なくとも『買ってみよう』と思う人は多い。
 これらの要素を考えたとき――
 『ときめきメモリアル2』は、この冷えきったギャルゲー市場に今一度、一般ユーザーを招き入れ、そして面白いと思わせるチャンスと力は十分にある作品と言えるだろう。
 むろん、これには「ゲームとして何らかの形で面白い」という条件がついているのは言うまでもない。
 もし『ときめきメモリアル2』が、凡百のギャルゲーと同じレベルの仕上がりならば、これは本当にコンシューマのギャルゲー市場に対して壊滅的な打撃を与える――まだ壊滅的な打撃を与えられる市場があるとしてだが――最後の鉄槌となる可能性も、また反面、十分にあることを意味している。
 だが「ゲームが面白くて、そのうえ萌えることが出来る」ならば、また一般ユーザーが再度ギャルゲーに目を向けてくれるチャンスは十分にあると思うし、それだけの力はあるのが『ときめきメモリアル』という名前なのだ。
 むろん、仮にそうしてプレイヤーが引き入れられ、また市場が大きくなっても、またゲームと呼べないようなゲームをやらせれば離れていく可能性は高い。
 ゲームは高い買い物で、単に少しグラフィックのきれいな女の子がそれなりに盛り上がる適当なシチュエーションの中にいて、気持ちいい台詞を言ってくれるだけで、満足してくれるユーザーの数は途方もなく少ないのだ。
 だから――
 もし、『ときめきメモリアル2』が本当にヒットしたら、今度こそは「ゲームまがい」に頼って市場を縮小させるのではなく、もうちょっとマシなゲームを出してくれることを、心の底から期待している。
 そして、ギャルゲーが残って欲しいなら、プレイヤーには「もうちょっとゲームをシビアに見て欲しい」と思っている。
 今、ギャルゲーは逆転出来る最後のチャンス―――本当の決戦前夜にいるのだから。

【注】 と、熱くなって書いたわけだが、現実的に「ときメモ2」が成功したのかというと、1ほどのヒットとはもちろん言えなかったが(1はどう考えても偶然が重なった結果のホームランで、ホームランは狙って打てるものではない)、ちゃんと成功した作品だった。
操作性が最悪なのは大問題だと思ったが、自由度の高い恋愛育成ゲームにストーリーを取り込むためのアプローチとして、「幼年期」はとてもいいアイディアだし、キャラクタデザインも垢抜け、かつメリハリがあって非常にいいゲームだったと思う。
CDROMなため+技術的に未熟なためにEVS(主人公の名前をしゃべるシステム)の性能が悪いとか、オーディオの質の向上などもあって、CDROMが複数枚になって入れ替えが面倒だとか、幼年期の操作性がひどいとか、問題はいろいろあっても、それでも十分に面白いゲームだったのは間違いない。
問題なのは、その路線で改良をすればいいものを3で未熟なポリゴン美少女によってユーザー層を激減させ(努力は認める)、オンラインで「街一個・戦闘ナシのMMO」を作ってブランドを実質破壊しつくした後、ほとぼりがさめてから、1のプレイヤーに媚びるような自称原点回帰の4を作ったプロデューサーの迷走ぶりだろう。
そんなわけで、ゲーム的には「ときメモ2」は結構成功したわけだが、アダルトゲームからやってきたユーザー数を読みやすく予算を抑えやすい萌える人達にとってはある意味最高の構造のノベルゲームの流れに抵抗することは出来ず「ゲームジャンルとしてのギャルゲー」は以降も衰退の一途をたどり、その中でたまに売れる作品がある、という程度のニッチジャンルになっていく。
(アトリエシリーズのように「かわいい女の子が主人公のゲーム」という意味でのギャルゲーは一定数が生き延びている)
そして15年経った今、久しぶりの大ヒットをしたギャルゲーが「ラブプラス」。コナミから発売され、作っていたのが「ときめきメモリアル・ガールスサイド」のプロデューサーをやっている人なのだから、全く不思議なめぐり合わせはあるものだと思う。

『決戦前夜』 - Fin.

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6件のコメント

  • AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 6.0; Trident/4.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; Media Center PC 5.0; InfoPath.1; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 3.0.30729; InfoPath.3; OfficeLiveConnector.1.5; OfficeLivePatch.1.3; Sleipnir/2.9.4)
    決戦前夜、楽しく読ませてもらいました。
    【注】にて岩崎さんの2・3・Online・4の評価を読めたのが、うれしかったですね。
    ときメモの新作が出るたびに「岩崎さんはどう思っているのだろう?」って思ってましたから。
    もちろん、僕も上記のシリーズをプレイしましたが、
    同意見です。
    今思えば、PCE版ときメモをプレイした時に感じた衝撃・面白さは、ギャルゲーの中ではあれが最初で最後のままですね・・・

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 6.1; en-US) AppleWebKit/533.4 (KHTML, like Gecko) Chrome/5.0.375.55 Safari/533.4
    >>Pakochan さん
    えーと2は「傑作」といって間違いではないと思います。もうちょっとセンセイとか難しくても良かったんじゃないかとか、幼年期の操作性がひどすぎるのはどう考えても許せないとか問題はありますが、基本総じて傑作と思います。
    3は「努力賞」でしかないし、あれを作らせたプロデューサーの見る目のなさは腹が立ちますが、当時の未熟なポリゴン技術の中では良くがんばったとは思います。
    ただ、技術が演出面でも未熟なために、ポリゴンである意味すらほとんどなかったのが残念でした。
    オンラインは出来不出来の前に「こんなの失敗する」と思ってました。「街一個・フィールドなし・戦闘ナシのMMO」で、しかもSNSとしても未熟、何もかもが未熟で「以後のオンラインのジャンルに悪影響を及ぼす」のがすごく怖かったです。
    4については…技術については良く出来ていると思いますが、それだけの作品です。
    同人誌で2pほどの評価を書いているので、もし興味があったら読んでください。今年書いたところなので、ちょっと載せるのは買ってくれた人に悪いので(まあ買った人はあいざわひろしのイラストが見たくて買っているでしょうが(笑))。

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 6.1; ja; rv:1.9.1.8) Gecko/20100202 Firefox/3.5.8
    いやあ、恋愛ゲームという1ジャンルにもに確かな歴史ありですね。
    しかしときメモ後の他社の多数の類似品以外にも、コナミ自身もときメモの派生品やらグッズを
    たくさん発売してましたね。続編の2のリリースまでに5年もかかってるから、その間に繋ぎで
    多数の初代の派生品が発売され、元のPCエンジン版が何なのかわけがわからなくなる感じでした。
    そんな中でも文系・理系と体育会系を分けて新キャラを追加して出したGB版は気軽に遊べて
    結構好きでしたね。
    これに当時コナミが展開してたキャラクターグッズ商法も相まって、ついて行けないほどに
    凄かったのを記憶してます。ゲーム以外にもこういった商法は、後の業界には大きな影響を
    あたえたんじゃないでしょうか?

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 6.1; en-US) AppleWebKit/533.4 (KHTML, like Gecko) Chrome/5.0.375.55 Safari/533.4
    キャラグッズは、ときメモ前後から、様々なメーカーが本格的な展開を始めたわけですが、大爆発したのは間違いなく、ときメモ以降だと思います。
    ときメモと同級生2が「ギャルゲーのキャラ商品」を完全に確立させた、と僕は思ってます。

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 6.0; ja; rv:1.9.2.4) Gecko/20100527 Firefox/3.6.4 ( .NET CLR 3.5.30729; .NET4.0E)
    あいたくて…は当時は出てなかった(?)かもしれませんが、
    ときメモ2の後で、2000年には発売されました。
    まあそれほど売れなかったような気もしますが^^;

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; en-US) AppleWebKit/533.4 (KHTML, like Gecko) Chrome/5.0.375.55 Safari/533.4
    >> y-Aki さん
    これは1999年の本なので、そのときには出ていなかったという話なんですが、最終的にいつ発売されかの注を入れ忘れてました。

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