ときめきメモリアルの時代その3

延々書いてて、だんだんウンザリしてきたのだけどw
新規パートはまあこんな感じの内容。これを面白いと思う人なら、あんま損はない気がするw
「ときメモ2,3、そしてオンライン」のパート。
現在、発売されている4までの中で、2は間違いなくシリーズの最高傑作だと思っている。
なぜなら、まずゲームの完成度が高い。
『ときメモ1』は当時として見たとき、奇跡的な完成度のゲームだったが、マイナーなPCエンジンで利益が出るように作られたゲームで、やはり随所に予算の制約が感じられるゲームでもあった(主に絵・キャラクタデザイン・声優選択などにその影響が見える)。
だが、2は1の大成功を背景として十分に予算と時間をかけられたゲームなので、とても完成度が高かった。
1の時には野暮ったかったキャラクタデザインはスッキリし、もちろんムービーや音楽のレベルも高い。操作性も「当時の」という前提はあるけれど、幼年期をのぞけばとてもいい。

幼年期は後で触れるが、2の最大の特徴の一つであると同時に、汚点と言ってもいいほど操作性に問題があり、これの出来の悪さとヒントのなさ加減は大問題だった。

また、あとで詳しく触れるがシナリオ・イベントシステムが非常に優れていて、例えばクリア時に「普通にクリアした場合」と「いいクリア(今で言うTrueエンド)」の2種類が結構な数のキャラに用意してあるとか、様々な条件の隠しキャラが用意されていて、攻略しがいのある作品にもなっていて、大作の名にふさわしい作りになっている。


もちろん問題点が全くなかったわけではない。
オーディオの質の向上などで容量が膨れあがったためにCDROMが複数枚になった、技術的に未熟でかつ容量問題が厳しかったためEVS(主人公の名前をしゃべるシステム)の性能が悪い、また容量不足からEVSデータを主役級以外は別売りのデータとせざるを得なかったとか、ともかく容量に起因する問題は多い。ただ、これは作り手側の責任とは言い難い。1999年前後にはCD-ROMは完全に容量の限界に来ていて、高品質なフルボイスゲームを作ると、簡単に複数枚になってしまう問題に突き当たっていた、ということだ。

1988年にPCエンジンでコンソールゲームマシンに初登場したCDROMはCDオーディオと650メガバイトの大容量で無限の容量を誇っているように見えたが、92年頃にはPCエンジンの貧弱で容量を使わないADPCMですらオーディオ領域のサイズで問題が発生しはじめ、99年頃にはまるで容量不足に陥っていた。これが2000年のPS2発売で最大約8ギガバイトのDVDになり一息ついたが、これまた2005年あたりには容量不足に陥り、四苦八苦しはじめていた。
そしてDVDでもダウンロードとハードディスクで乗り切れるだろうと割り切ったマイクロソフトは2011年現在、X360で四苦八苦し、BDを採用したPS3でもそろそろ50ギガが危ないこともある状況になりつつある。
2011年現在見ていると、メディアの容量はたいてい5-6年で使い切る不思議なルールが今のところ続いている。

ところで2はゲームの完成度もさることながら、ゲームデザインも高く評価出来る作品だ。
というのも、2は「シナリオの弱さ」の問題と「主人公の設定の薄さ」という2つの問題にチャレンジしていて、しかもそれなりの答えを出しているからだ。
この2つは密接に関係しているのだけど、まず分かりやすく、そして実は、いまだもって「ちょっとはストーリーや世界観のある全てのゲームにつきまとう主人公問題」について。
これは非常に簡単かつ深い問題で「プレイヤーはゲームスタート時に主人公の置かれている環境や過去を知らない」ことだ。
映画なら主人公が5分後には恋人と会ってキスして結婚の話を始めれば「この主人公は恋人がいて結婚するつもりでいる」とわかるが、ゲームで同じ事をやったら「この女は俺と恋人って設定<らしい>」としか分からない。
そしてそれは「プレイヤー=ゲーム内のキャラクタ」という設定になるほど大問題となる。
例えばジャンルはRPGで主人公は村の少年だとしたとき、プレイヤーは村に結構長く暮らしてきたはずなのに、幼なじみも知らなければ、村のマップも何もかも知らない。だからプレイヤー=ゲーム内キャラになるタイプのゲームでは「きょうは のはらで ドラゴンころすんじゃないよ!」みたいに「主人公の人となり」が分かるように喋るのが鉄則だけど、主人公の年齢が上がっていくと、そうもいかなくなる。村に生まれて当年とって43歳、妻も子供もいる男が村について何も知らないのでは、話を作るのは難しい。
そこでプレイヤー=主人公のスタイルのゲームは、主人公の年齢が低い(人間関係が単純)か、それとも風来坊がやってきて事件に巻き込まれるか、海外に良くある「軍隊に属してるんだから文句言わずに命令聞け」か、記憶喪失が普通の「動機を与える方法」として使われることが多い。これは結局「プレイヤーがその世界の事を知らないからしょうがない」わけだ。
また、違う方法で正面からこの問題を解決しようとした作品もあり、同級生2では、主人公の複雑な環境を説明するために、最初の1時間はオープニングとして「主人公の生活環境をプレイヤーに教え込む」事に徹するなんて、スゴい方法を取っている。
その中にあって、この問題に対する強烈な答えを出したのがドラゴンクエストV。プレイヤーの幼年期を作り、父と冒険をする構造で「プレイヤーに世界の知識を与えるとともにゲームのチュートリアルを行う」、ものすごいゲームデザイン。
これを「ギャルゲー」の世界に転用したのがときメモ2だ。
…てな感じっす。

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