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adsenseのこと
adsenseを貼った後、クリック率に興味がでて、調べていた。
当たり前だけど、クリックしてもらって儲かったほうが楽しいに決まっている。

で、検索すると数%-十数%、時によっては50%なんて、とても信じられない数字を並べながら、SEOを伝授しているサイトが多々あるのだけど、どうにもこうにも信じられなかった。もし本当にそんなクリック率が出ていたら大金持ち、笑いが止まらない。だいたいSEOを伝授する必要がない。しかも、そういうクリック率を主張するサイトはデータを出しているのを見た事がないのだから信じられるわけがない。

ちゃんと実際にデータを出しているサイトは低いところだと0.1%そこそこ、高いところでも0.25%ぐらい。極めて短期間を見ると2%なんて数字を出しているところがあったけど、だいたい0.25%あたりまで落ちる。これがフツーらしい。
ついでに書くと、こういうデータを出しているサイトに、必ずコメントで「そんなことはない、ウチは儲かってる」と主張してる人が現れるのだけど、そういう人がデータを出しているのを見たことない。やっぱり言ってるだけとしか思えない。

というわけで、SEOに騙されて、馬鹿なことをやるぐらいだったら、素直に普通にadsenseを貼っておくだけで十分だと思います。

|| 21:15 | comments (0) | trackback (0) | △ ||

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1989年、天外1 PART2
1988年末、うっかりハドソンに催促の電話をかけたため、天外1の作り直しを頼まれ、いやなので値段を吹っかけたのに飲まれてしまって、天外1の作り直しをするハメになった桝田さんは何をやったのかというと…
僕が覚えている、桝田さんから聞いた催促の電話をしたときの話を書くと、結構な夜に電話がかかってきて、もちろんやりたくないので吹っかけた値段をいったところ「即答出来ないから一度話し合わせてくれ」と言われ、受けるわけないと思ったら、次の日だったかに電話がかかってきてオッケーになってしまった…という事だった。
勘違いを避ける為に書いておくと、1988年当時だから、電話がかかってきたのは当時桝田さんが住んでいた部屋の固定電話で携帯じゃない。携帯が普及をし始めるのは1994年以降と考えていい。あと、この当時はまだインターネットはなく、パソコン通信が急速に普及し始め、全盛時代に入っていくあたりになるのでメールでのやりとりなども一般的じゃない。


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|| 19:39 | comments (13) | trackback (0) | △ ||

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静かなプリンタ
これは『電撃王』や『電撃プレイステーション』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものを、細かくアップトゥデートして載せていくシリーズ。

■■■

初めて、マイコンにプリンタを繋げるようになったころ、放電プリンタというタイプがプリンタの主流だった。
放電プリンタ‥と言われても、今の人は誰も見たことないだろうから(見たことある人いるかぁ?)説明すると、表面にアルミニウムをコーディングした特殊な用紙に放電で穴を開けて文字を作っていくって代物だった。
どうしてこんな異様なプリンタを使っていたかというと、放電で穴を開ける構造上、可動部分が少なくて、安い価格で作れたからなんだよね。まあ、安いと言っても、ケースもついていない、剥き出しの機械で、当時の価格で5、6万なんていう、今から考えれば「ふざけた値段」だったけどね。
【現在の注】当時の大学生の初任給が10万円前後、現在の初任給が20万円ちょい程度なので、多分、感覚的には2倍強ぐらいで、10-15万円の間だろうと思う。ただしモノとしての価値を考えると、100倍ぐらいの差があるだろう。
なんせ、当時売られていたモノはハード的な話をすると、基板むき出し・電源なし(外部供給)・しかも一般化されたインターフェース(セントロニクスなど)がないので、I/Oは自作でよろしく。繋ぐのはオール自己責任、当然プリントするソフトも自作と、なにもかも自作づくめの時代だ。おまけに印刷されるロールペーパーはせいぜい幅数センチー10センチ程度の代物で、可読性も話にならない、USB接続のフルカラーインクジェットプリンタが1万円も出せば買えてしまう今の時代の感覚からするとガラクタ同然の代物だ。



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|| 20:03 | comments (3) | trackback (0) | △ ||

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1989年、天外1 PART1
今回は実際に天外2に参加する前の、1989の話。
天外2はもちろん天外1の続編で、どうして天外1がああいうゲームになって、そして例えば、どうして術が交換できるのか? なぜ、戦闘システムはああなのかを知らないと、結局、天外2の話はわからない。
というわけで、今回は天外1と桝田さんの話。

まず全体を把握してもらうため、一応、大雑把な経緯を書いておくと、もともと天外1はREDの広井王子さんが企画を始め、ハドソンが制作していた。ところが、1988年末に桝田さんが、急遽入って、ゲーム全体を作り直すことになり、1989年夏(6・30なので夏商戦向け)に発売された…というのが、その流れ。
今回は、なぜ作り直しをすることになったのか、まで。

さて、天外2でメインのゲームデザインをやった桝田さんと初めて出会ったのは、1988年の年末に凄ノ王伝説の広告をやる人だ、とハドソン札幌の技術本部で紹介されたのが最初だった。そのときは、凄ノ王伝説のラストバトルのテストをしていて、見た桝田さんが結構売れるんじゃないか…と話をしていた。
次に本格的に会ったのは、凄ノ王伝説の最後~イースを作りだした直後だった。
気がついたらハドソンにいて、毎日天外1に張り付いて、一生懸命、天外1を作り直していた。

話を聞いたら事情はこうだった。
桝田さんは当時は広告会社の社員でハドソンの広告の担当をやっていて、天外1の広告のスケジュールが立てられなくて困っていた。で、ハドソンにリリーススケジュールをはっきりしてくれないと広告計画が立てられないと催促したところ、1988年末に桝田さんに監督でオーソドックスなRPGに作り直してくれないかという話が来た。桝田さんは受けたくなかったので、結構とんでもない金をふっかけたんだけど、なんとハドソンが飲んでしまい、やらざるを得なくなった…ということだった。
ここについては、さくま先生はマニュアルで「応援のために貸した」などと書いていたけれど、もちろんこれは大人の事情ってヤツで現実は上のとおりだった。
22年も前の話なのだから、真相を書いたって、ダレも文句を言うまい。

では、どうして作り直しになったのかというと、理由がいくつかあった。
まず、もともとの天外1のシナリオは、REDが作ったものだったが「ゲームに適合したもの」とは言いがたかったらしい(と桝田さんは言っていた)。つまり小説やアニメならともかくゲームにはフィットしていなかった。しかも当時のREDはゲームには素人で、ゲームシナリオについても当然素人だったので、シナリオ的に、ゲームとしてはどうよ、というような事がいっぱい起こっていた。
次の問題がゲームデザインそのものにあった。三上君が中心になってゲーム部分を作っていたわけだけど、彼はアクションが好みで、作っていた天外1のシステムは、リンクの冒険のフィールド方式と似ていて、フィールドで敵と遭遇すると画面の下半分がサイドビュー形式の戦闘画面になり、そこでバトルするシステムだった。
ところがマーケット的な観点から見ると、このゲームデザインには2つの問題があった。
一つはサイドビュー形式でアクションなので、キャラクタが大きくない事。当時、CDROMは540メガバイトの無限の大容量だから、デカキャラだろうがでかい絵だろうが無制限に出せると売っていたので、キャラクタが小さいのはいただけなかった。
そして、もう一つが当時ならではの要求だが、当時はまさにドラクエの全盛時代(ファミコン版の3が発売され、4が発売されるまでの間)で「RPGといえばドラクエ!」の時代だ。だからドラクエ型の対面型コマンド方式の戦闘が最も一般受けするのは明白だったので「一番売れなければいけない、みんなに飛びついてもらわなければならない天外魔境がそうでない」のは、営業的にはあまりいただける話ではなかった。

この当時はドラクエが圧倒的なナンバーワンRPGでFFもまだドラクエの対抗馬、というほどのブランドではなかった。FFが圧倒的なブランドとして認知されるのは1991年に発売されたSFC用のFFIVからで、それより前は「ドラクエのフォロワーの中では、一歩抜け出した存在」ぐらいのイメージだった。


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|| 21:45 | comments (7) | trackback (0) | △ ||

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またまたgamagについて
がまぐに2号でも投稿プログラムを書かせてもらいました。

時間がなくて、ギリギリで作っていたら、一度もハングしたことのなかったsmall basicがハングしてくれて、しかも全然セーブしてなくて、いやーマーフィの法則キタア! って感じで、ヤケクソで前回のプログラムを大急ぎで書き直し、2時間チョットで作ったゲームを渡すハメになりました。

次こそはああああ…もうちょっとマシなゲームを…ぐはっ


|| 21:16 | comments (0) | trackback (0) | △ ||

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