2011-02-13 Sun [ 転載物::商業誌 ]
これは『電撃王』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものを、細かくアップトゥデートして載せようという試み。
僕がコンピュータを始めた1977年頃、良く「マイクロコンピュータには無限の可能性がある」と言われていた。
理由は、当時存在していた普通のコンピュータに比べれば桁違いに安いこと、そしてコンピュータはプログラムが可能だから、インターフェースを用意してプログラムさえ出来ればなんでも出来ること。
この二つから、無限の可能性と言われていたわけ。
その星の数ほどもある可能性って奴の中でも、ひときわ注目を浴びていたのがホームコンピュータ。
「ファミリーコンピュータ」じゃなくて「ホームコンピュータ」‥って言っても、今じゃ死語みたいもんで、本当の意味が分からない人が多いだろうから説明しよう。
ホームコンピュータは、文字どおり家庭の中心にあり、家の中のあらゆるものをコントロールするパソコンを指した言葉。
これ一台あれば、炊飯器もTVもビデオも、なんでもホームコンピュータからボタン一個で簡単にコントロール出来て、家の中がなんでも、あなたの思うままになります! 夢の21世紀の生活を約束するもの、それがホームコンピュータ!!
この「ホームコンピュータ」から派生して出来た「ホームオートメーション」って言葉もあったぐらいで「ホームコンピュータは21世紀にはXX兆円市場になる!」なんて本気で言われていた。(オートメーションの方は、ホームコンピュータと組み合せて全自動化された家とか部屋や、そこに入る自動化された家電製品のイメージだった)
現実にそれを期待させるいろんな記事があったのも事実。
例えば僕が初めて読んだ入門書の一つ、安田寿明先生の著作「マイ・コンピュータ入門(講談社ブルーバックス)」(余談だけど、この入門書は当時の名作で6800のベーシックの完全なリストは載っているわ、ハードの回路図は載っているわの凄い本だった)でもピアノをコンピュータを使って自動演奏させたってエピソードが載っていたりしたし、当時の古いアスキーをひっくり返すと「MZ-80KでFMチューナーを制御する」なんて記事があったり「ホームコンピュータが入った未来の家」の想像が堂々と載ったりしていた。
誰もがホームコンピュータは現実のモノとなる! もしくは「現実になればいいな!」と思っていたわけなんだな。
ではそれがいつ現実になったかと言えば、初めてホームコンピュータとして発表されたのはヤマハの「ワイズ」だと思う。
さすがに古い記憶なんでうろ憶えなんだけど(資料がないんだよ、これが)例えば「ピアノの自動演奏システム」(おいおい)とか「窓の開閉システム」とかの、まさに「ホームオートメーション」を現実化するものだった。
ただし、お値段がベラボーで自動演奏システムは500万円! 開閉システムは300万円!‥これじゃ買えないよねぇ。
けれどそこにホームコンピュータの夢を見ることは出来た。これさえあれば、なにもかも自動になって夢の生活になる、そしてボタン一個で生活出来るようになる‥と夢見たんだ。この夢はその後に現れたMSXにも受け継がれていたし、他にも色々なパソコンにホームコンピュータの指向は何度も現れて、何度も商品化されて来た。(最近ではその最新の試みはCD-Iだろうか‥)
では「ワイズ」から10年以上が過ぎた今、この僕の生活を見たとき、夢のホームコンピュータが定着したんだろうか?(現在での注:もちろん、現在は20年以上過ぎた)
どこの誰の家にもそんなモノはありゃしないのは確かだ。
どうしてそうなったんだろう?
答えは火を見るよりも明らか。
「コンピュータが途方もなく、その当時のどんな人間の想像を絶するほど安くなってしまったから」
はっきり書いてしまえば「ホームコンピュータ」なんてモノは「コンピュータがある程度以上安くなるとは思っていない」から出てくるアイディア。値段が高いと思っているから、炊飯器に直接コンピュータを入れるなんて考えられなかったし、冷蔵庫にもビデオにもコンピュータを入れるなんて想像しなかったわけ。
コンピュータは外に鎮座していて、そこに線をつないで、コンピュータでコントロール可能な安い冷蔵庫や炊飯器をコントロールする‥この思想になってたわけだ。
ところが実際に何が起こったかと言えば、まさにムーアの法則恐るべき。コンピュータのチップ単体なら10円単位で計れる価格になってしまった。(現在の注:今では1円単位で計ることができる。それどころかRFIDに至っては銭単位だ)
こうなると「線でつないで、外にあるコンピュータにプログラムを入れて制御する方法」よりも「その機械に直接コンピュータと専用プログラムを入れて、その機械単体で動作する方法」の方が遥かに安くなってしまう。
おまけに機械とコンピュータが1対1で対応するってことは機械の一つ一つが知能化されているってことで、このメリットがまたとてつもなく大きくて「ホームコンピュータ」の考え方では難しかった「綿密に24時間、常に温度管理されている冷蔵庫」だとか「赤外線で距離を測定して自動的に焦点を合わせるカメラ」だとか「センサーでホコリの状態を検知して吸う強さを変化させる掃除機」なんて、とんでもないものが出てきてしまう。
ホームコンピュータなんて頭デッカチを家に置くよりは「頭のいい機械」を作る方が良かったわけ。
そんな訳で、今の僕の生活には頭のいい掃除機や冷蔵庫はいるけれど、夢のホームコンピュータはどこにもいない。
コンピュータらしいコンピュータは相も変らずパソコンだけって状態なわけ。(現在での注:今では、例えばPS3やX360があれば、下手なPCより性能が上だったりするし、テレビや携帯電話ですらちょっとしたパソコンまがいのことができるところまで来ている)
けれど、コンピュータの入っている「頭のいい電気製品」を見ているときにふと思うことがある。結果的に見れば仇花になってしまった「ホームコンピュータ」の思想だけれど、その当時の人の描いた夢は、小さな小さなチップになって家の中にあるいろんな機械の中に生きている。
そして、彼らの奏でる小さな音は夢に終ったホームコンピュータに捧げる鎮魂歌だって。
これを書いたのは1995年、電撃王。
少し手直ししたけれど、今の僕では書くことの出来ない文体で、イヤー参ったなと思ってしまう。
どうしてこれをアップロードしたのかというと、今のご家庭には、やっぱり相変わらずホームコンピュータはないけれど、ホームネットワークは出来上がり、結構夢の生活が実現されているから。例えば自分の部屋では、PCやストレージデバイスやいろんなものがネットワークに無線やら有線でつながり、普通にインターネットを経由して様々なサービスが行われていて、それは30年ぐらい前、最初にホームコンピュータのアイディアが出てきたとき、夢の生活として宣伝されたものにかなり近かったりする。
家の中のハードが全部知能化して、さらにそれぞれがネットワークで繋がる…なんて、まるで想像出来なかったよなあ、と思ってしまうのだ。
■■■
僕がコンピュータを始めた1977年頃、良く「マイクロコンピュータには無限の可能性がある」と言われていた。
理由は、当時存在していた普通のコンピュータに比べれば桁違いに安いこと、そしてコンピュータはプログラムが可能だから、インターフェースを用意してプログラムさえ出来ればなんでも出来ること。
この二つから、無限の可能性と言われていたわけ。
その星の数ほどもある可能性って奴の中でも、ひときわ注目を浴びていたのがホームコンピュータ。
「ファミリーコンピュータ」じゃなくて「ホームコンピュータ」‥って言っても、今じゃ死語みたいもんで、本当の意味が分からない人が多いだろうから説明しよう。
ホームコンピュータは、文字どおり家庭の中心にあり、家の中のあらゆるものをコントロールするパソコンを指した言葉。
これ一台あれば、炊飯器もTVもビデオも、なんでもホームコンピュータからボタン一個で簡単にコントロール出来て、家の中がなんでも、あなたの思うままになります! 夢の21世紀の生活を約束するもの、それがホームコンピュータ!!
この「ホームコンピュータ」から派生して出来た「ホームオートメーション」って言葉もあったぐらいで「ホームコンピュータは21世紀にはXX兆円市場になる!」なんて本気で言われていた。(オートメーションの方は、ホームコンピュータと組み合せて全自動化された家とか部屋や、そこに入る自動化された家電製品のイメージだった)
現実にそれを期待させるいろんな記事があったのも事実。
例えば僕が初めて読んだ入門書の一つ、安田寿明先生の著作「マイ・コンピュータ入門(講談社ブルーバックス)」(余談だけど、この入門書は当時の名作で6800のベーシックの完全なリストは載っているわ、ハードの回路図は載っているわの凄い本だった)でもピアノをコンピュータを使って自動演奏させたってエピソードが載っていたりしたし、当時の古いアスキーをひっくり返すと「MZ-80KでFMチューナーを制御する」なんて記事があったり「ホームコンピュータが入った未来の家」の想像が堂々と載ったりしていた。
誰もがホームコンピュータは現実のモノとなる! もしくは「現実になればいいな!」と思っていたわけなんだな。
ではそれがいつ現実になったかと言えば、初めてホームコンピュータとして発表されたのはヤマハの「ワイズ」だと思う。
さすがに古い記憶なんでうろ憶えなんだけど(資料がないんだよ、これが)例えば「ピアノの自動演奏システム」(おいおい)とか「窓の開閉システム」とかの、まさに「ホームオートメーション」を現実化するものだった。
ただし、お値段がベラボーで自動演奏システムは500万円! 開閉システムは300万円!‥これじゃ買えないよねぇ。
けれどそこにホームコンピュータの夢を見ることは出来た。これさえあれば、なにもかも自動になって夢の生活になる、そしてボタン一個で生活出来るようになる‥と夢見たんだ。この夢はその後に現れたMSXにも受け継がれていたし、他にも色々なパソコンにホームコンピュータの指向は何度も現れて、何度も商品化されて来た。(最近ではその最新の試みはCD-Iだろうか‥)
では「ワイズ」から10年以上が過ぎた今、この僕の生活を見たとき、夢のホームコンピュータが定着したんだろうか?(現在での注:もちろん、現在は20年以上過ぎた)
どこの誰の家にもそんなモノはありゃしないのは確かだ。
どうしてそうなったんだろう?
答えは火を見るよりも明らか。
「コンピュータが途方もなく、その当時のどんな人間の想像を絶するほど安くなってしまったから」
はっきり書いてしまえば「ホームコンピュータ」なんてモノは「コンピュータがある程度以上安くなるとは思っていない」から出てくるアイディア。値段が高いと思っているから、炊飯器に直接コンピュータを入れるなんて考えられなかったし、冷蔵庫にもビデオにもコンピュータを入れるなんて想像しなかったわけ。
コンピュータは外に鎮座していて、そこに線をつないで、コンピュータでコントロール可能な安い冷蔵庫や炊飯器をコントロールする‥この思想になってたわけだ。
ところが実際に何が起こったかと言えば、まさにムーアの法則恐るべき。コンピュータのチップ単体なら10円単位で計れる価格になってしまった。(現在の注:今では1円単位で計ることができる。それどころかRFIDに至っては銭単位だ)
こうなると「線でつないで、外にあるコンピュータにプログラムを入れて制御する方法」よりも「その機械に直接コンピュータと専用プログラムを入れて、その機械単体で動作する方法」の方が遥かに安くなってしまう。
おまけに機械とコンピュータが1対1で対応するってことは機械の一つ一つが知能化されているってことで、このメリットがまたとてつもなく大きくて「ホームコンピュータ」の考え方では難しかった「綿密に24時間、常に温度管理されている冷蔵庫」だとか「赤外線で距離を測定して自動的に焦点を合わせるカメラ」だとか「センサーでホコリの状態を検知して吸う強さを変化させる掃除機」なんて、とんでもないものが出てきてしまう。
ホームコンピュータなんて頭デッカチを家に置くよりは「頭のいい機械」を作る方が良かったわけ。
そんな訳で、今の僕の生活には頭のいい掃除機や冷蔵庫はいるけれど、夢のホームコンピュータはどこにもいない。
コンピュータらしいコンピュータは相も変らずパソコンだけって状態なわけ。(現在での注:今では、例えばPS3やX360があれば、下手なPCより性能が上だったりするし、テレビや携帯電話ですらちょっとしたパソコンまがいのことができるところまで来ている)
けれど、コンピュータの入っている「頭のいい電気製品」を見ているときにふと思うことがある。結果的に見れば仇花になってしまった「ホームコンピュータ」の思想だけれど、その当時の人の描いた夢は、小さな小さなチップになって家の中にあるいろんな機械の中に生きている。
そして、彼らの奏でる小さな音は夢に終ったホームコンピュータに捧げる鎮魂歌だって。
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これを書いたのは1995年、電撃王。
少し手直ししたけれど、今の僕では書くことの出来ない文体で、イヤー参ったなと思ってしまう。
どうしてこれをアップロードしたのかというと、今のご家庭には、やっぱり相変わらずホームコンピュータはないけれど、ホームネットワークは出来上がり、結構夢の生活が実現されているから。例えば自分の部屋では、PCやストレージデバイスやいろんなものがネットワークに無線やら有線でつながり、普通にインターネットを経由して様々なサービスが行われていて、それは30年ぐらい前、最初にホームコンピュータのアイディアが出てきたとき、夢の生活として宣伝されたものにかなり近かったりする。
家の中のハードが全部知能化して、さらにそれぞれがネットワークで繋がる…なんて、まるで想像出来なかったよなあ、と思ってしまうのだ。
2011-02-09 Wed [ 天外2製作メモ ]
これは自分が天外魔境II 卍丸のPCエンジンスーパーCDROM版(以降、天外2)を作るときの起きたことや、何があったのかについて、忘れないうちに書いておいて、残しておくメモだ。
20年も昔の話が大半で、もちろん忘れてるところや記憶が間違っているところはあるだろうし、しかも僕の立場・僕の目線から書いているので、桝田さんや広井さんがこれを書いたら違った物になるだろうし、だいたいそっちのが面白がる人も多いだろうし、読みたい人も多いだろうが、まあ開発の現場にいてソースやら色んな事を知っている点で、僕の切り口もアリだろう。
それに天外2もウェブなんかで結構伝説みたいな、どっからこの話が出てきたんだ? と不思議に思うようなことが多く、まあそこらへんの訂正などもかねて…ボチボチ書いていきたく思っている。
天外2の製作過程はほぼ覚えているけれど、イースより期間が遥かに長いうえに、関わった人が圧倒的に多いので、確認用に資料なども調べながら書く予定なので、イースのときよりずっと手間はかかると思う。
続きを読む▽
20年も昔の話が大半で、もちろん忘れてるところや記憶が間違っているところはあるだろうし、しかも僕の立場・僕の目線から書いているので、桝田さんや広井さんがこれを書いたら違った物になるだろうし、だいたいそっちのが面白がる人も多いだろうし、読みたい人も多いだろうが、まあ開発の現場にいてソースやら色んな事を知っている点で、僕の切り口もアリだろう。
それに天外2もウェブなんかで結構伝説みたいな、どっからこの話が出てきたんだ? と不思議に思うようなことが多く、まあそこらへんの訂正などもかねて…ボチボチ書いていきたく思っている。
天外2の製作過程はほぼ覚えているけれど、イースより期間が遥かに長いうえに、関わった人が圧倒的に多いので、確認用に資料なども調べながら書く予定なので、イースのときよりずっと手間はかかると思う。
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2011-02-01 Tue [ 昔のこと::古の技術 ]
今と余りに時代が違いすぎて分からないことが多いだろうから、PCエンジンを作っていた時代について、いろいろと補足。
■DOSについて
88年当時、使っていたのはDOS 3.1-3.3。DOSはマイクロソフトが作ったMS-DOSというヤツ。今では普通の人はまず画面を見ることがほとんどないが、見たければアクセサリ>コマンドプロンプトを選択することで見ることが出来る。
PCエンジンが開発されている間にDOS4、DOS5とバージョンは上がったが、DOS4はあまりに中途半端なバージョンで、開発環境として使えるか? と言われると微妙すぎたのでスルーされた。91年あたりからDOS 5.0が発売されたが、いろいろな都合で、結局、PCエンジンの開発機は最後まで3.1-3.3あたりのバージョンを使っていた。
さてDOSと言うヤツは8086というとても古くさいCPUに対応して作られていた…とはいっても、この8086は今のX86といわれるコード体系の最初の一歩で偉大な…いや、そうでもないけど、まあ大ヒットCPUだ。8086は扱えるメモリの上限が1メガバイトだったのでDOSが使えるメモリの上限も1メガバイトになる。この1メガバイトのメモリのことを「コンベンショナルメモリ」と呼ぶ。
コンピュータの持ってる全てのメモリ領域が1メガバイトで、画面表示用のメモリや、BIOSや、I/Oやいろんなものがあるわけだから、全部がDOSの物にはならない。だからDOSはそのうちの640-768キロバイトぐらいしか使うことは出来なかった。そして仮想メモリとかそういう気が利いたことは一切ない(DOS EXTENDERとかそういうのはムシ)。だから640キロのメモリなら640キロのサイズのプログラムまでしか動かない、とてもわかりやすい構造になっている(そしてPC-9801は640キロが上限だった)。
ところで1メガバイトで「エー?」と言うなかれ。当時は64キロバイトのメモリが凄かった時代なのだ。15倍もある1メガバイトは途方もないメモリ量だった。
PCが起動すると、まずDOS自体がコンベンショナルメモリに入り、システムとして動くようになる。メモリは全く保護されていないので、プログラムを1文字間違えるだけで、DOSそのものを壊してしまい、簡単にDOSはハングアップする。ウィンドウズで言えば「ブルーデス」するのが全く当たり前だった。ただしレジストリや遅延書き込みもなかったので、ディスクに直接アクセスするようなプログラムでもなければディスクの破壊は起らなかったし、DOSはおっそろしく小さかったから起動は10秒もかからなかったので、ハングアップしたら「ちっ!」とかいってリセットすれば良かった。
DOSは設定にもよるが、だいたいトータル120キロぐらいコンベンショナルを使った。次に日本語のFEP(今でいうIME)が入り、これがまた120キロバイトぐらいなくす。640-240で、残り400キロぐらいになる。この400キロでmakeとアセンブラだのリンカだのを同時に動かさなければいけなかった(細かい設定でもちろん残りメモリは変動した)。400キロとかいう残りは、ちょっと何かをするとパンクしてしまうサイズでとても辛かった。
具体的な例を挙げると、例えば9801のグラフィックエディタを作るとして、1画面の容量は128キロバイト。400キロバイトからアンドゥバッファを一つ取るといきなりメモリがドカ減りしてしまう。実際、PCエンジンの開発ツールでもPEはundoバッファを取っていたのもあり、400キロ前後のコンベンショナルが必要で、ちょっと設定が悪いとメモリ不足で動かない騒ぎを引き起こした(そしてアーティストはそういうことには疎かったので、アーティストのためにマシンを設定するのもチームのプログラマの仕事の一つだった)。
続きを読む▽
■DOSについて
88年当時、使っていたのはDOS 3.1-3.3。DOSはマイクロソフトが作ったMS-DOSというヤツ。今では普通の人はまず画面を見ることがほとんどないが、見たければアクセサリ>コマンドプロンプトを選択することで見ることが出来る。
PCエンジンが開発されている間にDOS4、DOS5とバージョンは上がったが、DOS4はあまりに中途半端なバージョンで、開発環境として使えるか? と言われると微妙すぎたのでスルーされた。91年あたりからDOS 5.0が発売されたが、いろいろな都合で、結局、PCエンジンの開発機は最後まで3.1-3.3あたりのバージョンを使っていた。
さてDOSと言うヤツは8086というとても古くさいCPUに対応して作られていた…とはいっても、この8086は今のX86といわれるコード体系の最初の一歩で偉大な…いや、そうでもないけど、まあ大ヒットCPUだ。8086は扱えるメモリの上限が1メガバイトだったのでDOSが使えるメモリの上限も1メガバイトになる。この1メガバイトのメモリのことを「コンベンショナルメモリ」と呼ぶ。
コンピュータの持ってる全てのメモリ領域が1メガバイトで、画面表示用のメモリや、BIOSや、I/Oやいろんなものがあるわけだから、全部がDOSの物にはならない。だからDOSはそのうちの640-768キロバイトぐらいしか使うことは出来なかった。そして仮想メモリとかそういう気が利いたことは一切ない(DOS EXTENDERとかそういうのはムシ)。だから640キロのメモリなら640キロのサイズのプログラムまでしか動かない、とてもわかりやすい構造になっている(そしてPC-9801は640キロが上限だった)。
ところで1メガバイトで「エー?」と言うなかれ。当時は64キロバイトのメモリが凄かった時代なのだ。15倍もある1メガバイトは途方もないメモリ量だった。
PCが起動すると、まずDOS自体がコンベンショナルメモリに入り、システムとして動くようになる。メモリは全く保護されていないので、プログラムを1文字間違えるだけで、DOSそのものを壊してしまい、簡単にDOSはハングアップする。ウィンドウズで言えば「ブルーデス」するのが全く当たり前だった。ただしレジストリや遅延書き込みもなかったので、ディスクに直接アクセスするようなプログラムでもなければディスクの破壊は起らなかったし、DOSはおっそろしく小さかったから起動は10秒もかからなかったので、ハングアップしたら「ちっ!」とかいってリセットすれば良かった。
DOSは設定にもよるが、だいたいトータル120キロぐらいコンベンショナルを使った。次に日本語のFEP(今でいうIME)が入り、これがまた120キロバイトぐらいなくす。640-240で、残り400キロぐらいになる。この400キロでmakeとアセンブラだのリンカだのを同時に動かさなければいけなかった(細かい設定でもちろん残りメモリは変動した)。400キロとかいう残りは、ちょっと何かをするとパンクしてしまうサイズでとても辛かった。
具体的な例を挙げると、例えば9801のグラフィックエディタを作るとして、1画面の容量は128キロバイト。400キロバイトからアンドゥバッファを一つ取るといきなりメモリがドカ減りしてしまう。実際、PCエンジンの開発ツールでもPEはundoバッファを取っていたのもあり、400キロ前後のコンベンショナルが必要で、ちょっと設定が悪いとメモリ不足で動かない騒ぎを引き起こした(そしてアーティストはそういうことには疎かったので、アーティストのためにマシンを設定するのもチームのプログラマの仕事の一つだった)。
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2011-01-29 Sat [ Ysを作った頃 ]
冬のコミケで頒布した同人誌、PCエンジン版イース製作メモを再販して、イベント出します。
中身については、以前書いたポストでも読んでくださいマセ。

イベントの日時は、下のとおりです。
例によって、あいざわひろしのところで間借りして、頒布してます。
11時からスタートで、多分2時ぐらいまではいる気がします。以降は危ないです。
せっかく日本にいるので、みんなでご飯食べに行くと思うので(;´ω`)
冬コミ前に部数にはずいぶん悩みまして(結構厚い本なので印刷費が笑える)、余ったら赤字になるかもしんないなーと思いながら、絶対に足りる量を印刷してもらったつもりだったのですが、ありがたいことに(?)足りなくて、手持ちしておくつもりだった分まで全部売ってしまって、知り合いにあげる分すら残っていないので、再販することにしました。これで「年末で、奥さんやら家族サービスあんのにコミケくんだりまでいけねーだろ、他でも出せよ!」ってリア充な人の文句にも応えたってことで。
あと、書店委託してくれないかと何人かから言われましたけど、申し訳ないのですが、委託をする本ではないと思っているので、欲しい方はイベントまで来てください。どうしてもって方は、友達を使うとか、まあイロイロ方法はあると思うので…
また再販にあたって、いくつかあった変な思い違いを修正したり、後で判明した事実などの追加をしたかったのですが、それでは冬コミに来てもらった人にあまりに失礼なので、後書きにちょっと追加した以外は、あえて何も直していません。
何冊かブログからまとめた同人誌出せて、総集編でも作るチャンスがあったらまた直します。
ところで、まるでどうでもいい話。
この本を冬コミで頒布したとき、「イースの本をください」と結構言われたんですが、僕はイースの本といえば「イースを襲った災いについて話そう…」みたいなヤツを思い出してしまうw それで、みんな、あのクソ分厚いくせに中身のまるでない本を買いに来てるとか、超くだらないことを妄想してました…とかなんとか書いてたら「イースの本ってさあ、こんなデカくて厚そうな本なのにさあ、中身ゼンゼンねえし、日記みたいな内容だしひどくね?」と山根に突っ込んだら、山根が「バアさんにも読めるように、すっげえでっかい文字で書いてあるんですよ、ゴー!」とか言ってたのを思い出しましたw
あと、コミケんときやらあちこちで頼まれた決戦前夜とか、ときメモ関係のテキストやらを再録した本も作るつもりなんですけど、これまた何冊売れるのかまるでわからない本だよなあ、きっと…
中身については、以前書いたポストでも読んでくださいマセ。

イベントの日時は、下のとおりです。
例によって、あいざわひろしのところで間借りして、頒布してます。
11時からスタートで、多分2時ぐらいまではいる気がします。以降は危ないです。
せっかく日本にいるので、みんなでご飯食べに行くと思うので(;´ω`)
冬コミ前に部数にはずいぶん悩みまして(結構厚い本なので印刷費が笑える)、余ったら赤字になるかもしんないなーと思いながら、絶対に足りる量を印刷してもらったつもりだったのですが、ありがたいことに(?)足りなくて、手持ちしておくつもりだった分まで全部売ってしまって、知り合いにあげる分すら残っていないので、再販することにしました。これで「年末で、奥さんやら家族サービスあんのにコミケくんだりまでいけねーだろ、他でも出せよ!」ってリア充な人の文句にも応えたってことで。
あと、書店委託してくれないかと何人かから言われましたけど、申し訳ないのですが、委託をする本ではないと思っているので、欲しい方はイベントまで来てください。どうしてもって方は、友達を使うとか、まあイロイロ方法はあると思うので…
また再販にあたって、いくつかあった変な思い違いを修正したり、後で判明した事実などの追加をしたかったのですが、それでは冬コミに来てもらった人にあまりに失礼なので、後書きにちょっと追加した以外は、あえて何も直していません。
何冊かブログからまとめた同人誌出せて、総集編でも作るチャンスがあったらまた直します。
ところで、まるでどうでもいい話。
この本を冬コミで頒布したとき、「イースの本をください」と結構言われたんですが、僕はイースの本といえば「イースを襲った災いについて話そう…」みたいなヤツを思い出してしまうw それで、みんな、あのクソ分厚いくせに中身のまるでない本を買いに来てるとか、超くだらないことを妄想してました…とかなんとか書いてたら「イースの本ってさあ、こんなデカくて厚そうな本なのにさあ、中身ゼンゼンねえし、日記みたいな内容だしひどくね?」と山根に突っ込んだら、山根が「バアさんにも読めるように、すっげえでっかい文字で書いてあるんですよ、ゴー!」とか言ってたのを思い出しましたw
あと、コミケんときやらあちこちで頼まれた決戦前夜とか、ときメモ関係のテキストやらを再録した本も作るつもりなんですけど、これまた何冊売れるのかまるでわからない本だよなあ、きっと…
2011-01-26 Wed [ 昔のこと::古の技術 ]
PCエンジンの牧歌的なROM開発の時代は1988年の年末に終わり(もちろん開発は1988年には始まっていたので開発者にとっては88年半ばからだけど)、CDROM時代に入っていく。
では、そのCDROMの開発機はどうなっていたかというと上のとおり。Hu7とは別に、もう一個Hu7CDという新しいパッケージが登場する。PCを除く点線の中身がソレ。以下がハードウェアのリスト。
当然ソフトもあってhu7用のBIOSのバイナリ、BIOSのシンボルファイル、ユーテリティ的なPCエンジン用のソース、あとCDエミュレータ、CDに書き込むソフト、CDからテープにバックアップ/レストアするソフト、ADPCMのエンコードソフト、などがセットに入っていたはず。
ここで時代的に説明しておかないといけない話を一つ書いておく。
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| ハード名 | 簡単な説明 |
| Hu7用インターフェースユニット | PCエンジンCDROMのインターフェースユニットと同じもの。Hu7の上につけられるように改造されている。 |
| Cバス専用インターフェース | PC-9801にPCエンジンCDROMのエミュレートをさせるためのインターフェース。CDエミュレータのPCは、結構速度が遅いPCでも間に合ったので、当時入れ替えられつつあったVMとかそういうヘボいモデルが使われることが多かった。 |
| ハードディスク | ハードディスクはSCSIで、当時としてはとんでもなく大容量の384メガバイト。これが1台だけ入っているシステムと2台入っている(768メガってこと)の2タイプあった。これはハードディスクの値段があまりに高いもので、2タイプ用意したけれど、ほとんどのメーカーは768メガのシステムを購入したらしい。実際、イースで使わせてもらった2台も768メガのバージョンだった(音楽があるんだから768メガじゃないと話にならなかったが)。Exabyte社の8ミリビデオテープを使うMTドライブがついており、これでマスター納品やバックアップをした。ちなみに384メガのハードディスクがどれぐらい大容量だったのかというと、そのとき普通に市販されていたハードディスクで大容量の物が20メガバイト前後。一台だけで20倍とかなのだから、どれだけでかいハードディスクだったかわかる。お値段は当時で一千万円ぐらいしたらしい。 |
当然ソフトもあってhu7用のBIOSのバイナリ、BIOSのシンボルファイル、ユーテリティ的なPCエンジン用のソース、あとCDエミュレータ、CDに書き込むソフト、CDからテープにバックアップ/レストアするソフト、ADPCMのエンコードソフト、などがセットに入っていたはず。
ここで時代的に説明しておかないといけない話を一つ書いておく。
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