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ニュージーランドで仕事が始まった
というわけで、ニュージーランドで仕事が始まった。
就職したのは、どっかで書いたとおりゲームロフト・オークランドスタジオ。
職はLead Game Designerのはずだったのだけど、会社で仕事始めたら、同僚の紹介文メールでは"Studio Game Director" になってた。まあやる仕事としては似たようなもんなんでいいんだけどw
会社はオークランドの中心街から歩いて15分ほど(1キロちょっと)のところにあるビルの2階と3階を借りている。
会社の近くはもう緑まみれで…


これは会社の近くのQuay Street側から町の中心部を撮った写真。
場所は街の中心部から歩いて10分ほどしか離れていない。
なんせ人口400万人の国なので、オークランドの中心部でも僕の生まれ故郷の京都の繁華街よりちょっと大きいぐらいのサイズしかなくて、10分も歩けば緑豊かな住宅街に早変わりしてしまう、おっそろしく環境のいいところだ。

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ニュージーランドにたどりついた
というわけで、ゲームロフトに入って、9月の半ばにはニュージーランドに赴任する気だったのだけど、これがニュージーランドって国は労働ビサとるのにとんでもなく手間のかかる国で、ビサをとる用意ができたのが9月の半ば。しかも9月半ば~終わりには日本は連休だらけで、さっぱり作業が進まず、ようやくビサが取れたのが10月半ば。

なんだかんだで、11/4に出ることになったのだけど…ぶっちゃけこれのスケジュールがひどかった。
夕方の3:55に中華南方航空に乗って広州の白雲国際空港へ。約5時間。そこで4時間待って、次に11時間ほど乗ってオークランドに行く。結構ムチャなトランジットでゲゲーとかなったんだけど、だいたい日本・ニュージーランド間は本数が少ないので、ギリギリにとると、よくこういうことになるらしい。


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|| 22:14 | comments (1) | trackback (0) | △ ||

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Zorkと弟切草とビジュアルノベル(3)
続き。やたら長いうえに、どんどん書き直しが増えてきて手間3倍増w

■アドベンチャの復興、そして…
こうして消滅したかに見えた日本でのアドベンチャが復活を始めたのは、まずPCエンジンの登場による。
(一部アダルトゲーム系では確かにアドベンチャは生き延びていたが、それは単純に絵を大きく見せるためと低予算なゲームを作るためでしかなかったので、現時点では無視する。ただし、この低予算とある要素が結びついて違った形のゲームを最終的には生み出すことになるが、それはあとの話だ)。
というのもPCエンジンには、今までにはない巨大な容量を誇るメディア、CDROMが搭載されており、これにより、今までのゲームでは不可能だった莫大な量のグラフィックとオーディオを使用したアドベンチャを作ることが可能になったのだ(なお、PCエンジンは世界初のCDROM搭載ゲームマシンでもある)。
具体的にはハドソンのデジタルコミック(名前はデジタルコミックではないが、実質的には『コブラ 黒竜王の伝説』から)によってアドベンチャは復活を始めるのだが、では、このスタイルはどのような物だったのか?
実はこれはゲーム的にはほとんど見る物は何もない物だった。


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|| 22:51 | comments (2) | trackback (0) | △ ||

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Zorkと弟切草とビジュアルノベル(2)
■日本のアドベンチャの第一次黎明~衰退期
さて、アメリカでのアドベンチャブームを受けて、日本でもアドベンチャが登場することになる。
登場したのは1982年4月と思われる。思われる…というのは、文献や資料が不足で、自分の記憶ではということだから。
その日本初(と思われる)アドベンチャは、フルテキストの『表参道アドベンチャ』という、PC-8001用のアスキーの増刊に発表されたゲームだ。少なくとも、僕はコレよりも前に日本製の「Adventure Game」をプレイした記憶はない。また商用Adventure Gameの嚆矢がアメリカでは1980年の"Mystery House"で、Infocomの"Zork 1"が1981、IBM-PC用のマイクロソフトのテキストアドベンチャ"microsoft Adventure"が1981。
ア・スキーのこれは1982年4月と考えると、ほぼ「最新のゲーム」なわけで、これより以前に日本製のアドベンチャゲームがあった可能性は極めて低いと思う(雑誌の当時の〆切を考えると、完成は1982年の2月だったと思われるので、アメリカから1年遅れていないわけだからスゴいものだ)。

余談に近い内容だが、勘違いしやすいので書いておく。
この掲載された増刊は"年間Ah!Ski"。後に年間ア・スキーがエイプリルフール増刊号として本当に発売されるようになるが、最初のうちは雑誌内雑誌で、表参道アドベンチャが掲載された号ももちろん雑誌内雑誌だ。ちなみに第一号は1981年で"EARTH TREK"が掲載されていたりする。
またプログラムはアセンブラのダンプリストを入力しなければならなかったのだけど、これがとんでもない最密充填ダンプリストとかいう代物で、入力は超きつかったのだけど、このダンプリストで初めて"Check sum"が登場した気がするのだけど、ここらへんをフォロー出来る人はいないだろうか…いないよなあ。
またこの次のア・スキーでは「南青山アドベンチャ」という名前の新しいゲームが登場するのだけど、これは当時出たところだったrogue likeな表示が行われている。作者はrogueの影響を受けた可能性が少しはある気はする(だがSTAR TREKのショートレンジセンサーであった可能性も否定出来ないw)。
またIBM-PC用に発売されたmicrosoft adventureは「海外ではビジネス用に発売されたハードでも知的に楽しめるアドベンチャが発売されるのだ」というような内容の記事がアスキーに書かれたりした。


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|| 21:58 | comments (8) | trackback (0) | △ ||

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Zorkと弟切草とビジュアルノベル(1)
遥か遠い昔に書いたadventureに関する歴史の文が出てきたので、今の最新の知識でアップデートして、再度公開するココロミ。
歴史の中身としては"Text Adventure"から"Graphic Adventure"が登場し、これが日本にやってきて最終的にサウンドノベルやビジュアルノベルに至るまでの話。バイオハザードの文を書いたときの副産物だったりする。

■1970年代初頭-パソコン以前
もともと――コンピュータゲームが出てきたのは1970年代初頭。
その頃のコンピュータは、今の電卓よりマシンパワーがない代物だった。
だいたいUNIX(とおっても有名なOS。linuxのご先祖様)からして、RAMが16キロバイト(間違いではないぞよ)、ハードディスクが10メガバイト(同じく間違いではないぞよ)とか、まあ信じられないほどショボいハードの上で動いていたぐらいなのだ。
このハードウェア構成で想像がつくとおり、当時のコンピュータゲームはまずミニコン(ミニコンピュータの略。小さくはないコンピュータってな意味合い)~大型コンピュータの上で動作する、一部の研究者、特にアメリカの大学の研究者のもので、そしてグラフィックもなければ音もない(あったとしてもbeep音の『ピッ』止まり)、テレタイプというプリンタの化け物のようなものを介してプレイされる代物だった(UNIXの"/dev/tty"なんてのは、このテレタイプの略だったりする)。
1981年に登場した"rogue"はテレタイプではなくTV端末を利用する"@"がマイキャラ、"D"とかがモンスター、"+"や"-"や"|"が迷路の構成パーツなんて具合に文字で状況を表現するRPGだが、この貧弱なグラフィックですら、マニュアルに大半のUNIXのゲームよりもビジュアル指向であるなんて書いてあるほどだ。
他のソフトは推して知るべし。
グラフィック的にはないも同然のお寒い限りの代物だったのだ。
この大学で研究が行われるぐらいにコンピュータがメジャーになってはいるけれど、マシンは非力だった1970年代半ばに登場したのがテーブルトーク"RPG"って奴だ。

ちなみに勘違いされないうちにはっきりさせておくが、テーブルトークRPGは日本でコンピュータRPGとそうでない紙と鉛筆で行われるRPGを区別するために作られた言葉である。


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