2011-10-13 Thu [ 転載物::商業誌 ]
これは『電撃王』や『電撃プレイステーション』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものを、細かくアップトゥデートして載せていくシリーズ。
今回は、1996年の電撃王に載せたコラム。
久しぶりに昔々の話。
1970年代後半にマイクロコンピュータが登場した時、言語は一種類しかなかった。
アセンブラって奴だ。(当時はアセンブラって言っても、そのアセンブラをソフトで使える場合がほとんどなかったので、機械語と呼ばれることの方が多かったけど)
アセンブラってのは簡単に言えば、コンピュータに分かる言葉を直接人間が入れるって代物なんだけど、人間様がコンピュータに合わせるんじゃ効率も悪いし、プログラムを組むのも大変だよね。
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今回は、1996年の電撃王に載せたコラム。
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久しぶりに昔々の話。
1970年代後半にマイクロコンピュータが登場した時、言語は一種類しかなかった。
アセンブラって奴だ。(当時はアセンブラって言っても、そのアセンブラをソフトで使える場合がほとんどなかったので、機械語と呼ばれることの方が多かったけど)
アセンブラってのは簡単に言えば、コンピュータに分かる言葉を直接人間が入れるって代物なんだけど、人間様がコンピュータに合わせるんじゃ効率も悪いし、プログラムを組むのも大変だよね。
アセンブラは正確には「機械語を人間に分かる形にしたもの」で、実際には「アセンブラのプログラムを書き、それをソフトのアセンブラが翻訳する」ことで初めて「機械語」になる。で、僕がコンピュータを始めた当初は「アセンブラを実装すること自体が大変」だったので、実際には「アセンブラのプログラムをノートに書き、それを手で機械語に変換する」、ハンドアセンブルって作業をする時期が2年ぐらいあった。
例えばZ80もしくは8080で"call 9000h"ならば CD 00 90 てな具合だ。
例えばZ80もしくは8080で"call 9000h"ならば CD 00 90 てな具合だ。
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2011-10-07 Fri [ ゲームについて::イロイロ ]
このメーカーはどこまでレビューに干渉できる? 誰も語らなかった「メーカーチェック」の表と裏とはで「メーカーはどこまでレビューに干渉出来る」と銘打たれながら、実際にレビューをやっているライターの意見や声が具体的な形で載っている部分が少ないことが気になったので…そして書きにくいのも分かるので、実際やっていた人間が経験を書いておく(当たり前だが、現役でレビュワーやっている人間がヘタにそういうことを書くこと自体が物議を醸すのは明らかだろう)。
※ 推敲中に「具体的な形で載っている部分が少ない」ってのを削ってしまっていたのを付け加え直した。
さて、ゲームのレビューはBeep!で勝手にやってたのから、今までだからかれこれ25年ぐらいやっていることになる。
このうち、いわゆるゲームに点数をつけるレビュワーをやってたのは1988-1999の11年間。PCエンジンとPS1で、記事で話題になっているのはもちろんコレの事なので、点数をつけていたときの事を書く。
もちろんメーカーからのクレームで点数に若干調整が入ったり、編集部からの要請で単語を修正したりということはあったが、100点つけろだの、0点にしろだのといった圧力なんてものはなく、おおむね自由にやらせてもらっていた。
修正は具体的には【話にならない】という文を【問題がある】程度に直してくれないか、みたいな感じだったり、点数であと5点なんとかなりませんか? みたいな感じ。メーカーだって出来の悪いゲームの時は分かっているのだから、点数に期待はしない。
当たり前だが、点数が良くて評価もいいときは修正はたいていいらなくてダメなときになんとかならないかと聞かれるイメージだった。そしてダメなゲームはメーカーだってわかっているので「話にならない」→「問題を感じた」程度に柔らかくしてくれないかとか「こういういいところがあんだから+5ぐらいなんとかなんね?」ぐらいのものだった。つまりどちらかというとお願いだ。
(点数が良くても修正を受けたことは数回あったが、それはレビューで書いた要素をメーカー側に「伏せてくれ」と言われたのが、そのほとんどだった。簡単に書けば、それは書いて欲しくないってところを書いたってことだ)
ごく希に(10年やってて2回程度だったと記憶がある)ほぼ書き直してくれと言われたことはあるけれど、これはメーカーチェックではなく編集部からの要望で「僕のレビュワーの立ち位置からすると、このレビュー内容はいただけない」だった。端的に書けば、編集部からボツを食らっただけで、メーカーから文句を言われたわけではない。
当たり前だが、数人いるレビュワーにはそれぞれゲームの見方の立ち位置があり、その立ち位置からのレビューを要求されている。ゲームに対して適当な自分の感想文、それも悪口と揚げ足取りを書けばクールだと勘違いしてる、掃いて捨てるほどある自称評論とは違うのだ。
また一部で噂されている「点数を買う」なんてのは、僕の知る限りではない。もちろん、自分は一度もそんなことは要求されたことはない。他の雑誌でもないと思う。あれば狭い業界だ、噂は広がる。
この手の陰謀論はどんだけ否定しても信じたい人は勝手に信じるので、言ってもしょうがないで放置するのが一番早いのだけど、仮に点数を金で買えるなら、僕はゲームを作る側でもあったのだから絶対に知っている。だいたい金で点数買えるなら、もっと点数の変なソフトいくらでもでてくるし、天外2とかエメドラとか作ってるときに、広報対策でその話が出てくる。出てこないのが、金で買えない証拠だ。だいたい金でレビュー調整出来るなんて、雑誌としては自殺行為だ。やるわけない。
むしろレビューをやっているうえで問題になったのは未完成ソフトが来たときと致命的なバグがあったときだった。ぶっちゃけそういうときはレビューを止めて欲しくなるのだけど、だいたい代えが効かないのでレビューすることになる。
こういう問題はPCエンジンでCDROMになって、マスターの提出から発売までの期間が短くなって起こるようになった。ROMの時代なら、デバッグして、ほぼバグも取れた最終段階のROMがサンプルで来たのが、生産期間が短くなったモノで、作ってる途中のモノが来るようになったわけだ。
もうどうしようもないバグを見つけて、思わずレビュー担当に
「このバグ、残ってたら致命傷で、とてもまともな点はあげられないよ?」
「メーカーは大丈夫だと言っています」
担当だって問い合わせてくれているわけで、大丈夫だと言われたら、信じてバグはないのを前提にしてレビューを書くしかない。蓋を開けてみたら、発売されたら残っていて、当たり前だけどバグは取れているのが前提だから書くわけにもいかないので、レビューでも当然触れていない。全く読者を裏切った気分になって、ガッカリしたこともある。
この手の事には結構悩まされて、プレイしていてあんまりひどいバグなので「レビュー版ではXXXというバグがあり、ひどい目にあった。製品版では当然取れていると思うが」という文を入れさせてくれと編集部に言ったこともあるし、編集部判断で急遽ソフトが入れ替えになったことすらあったりする。
ROM時代が終わり、光学メディア時代になってからあとのレビューのソフトは、だいたいデバッグしている途中のモノが来るのが当たり前で、バグがあるだの、読み取りが遅いなんて事も多く、とんでもないときには製品版とまるでバランスが違ったり、操作法が追加されてるなんてことすらあったりした。それらをある程度「製品はこうなるのだろう」と推測してプレイせざるを得ないところがあり、これが難しいところだったわけだ。
そんなわけで、若干の修正をお願いされることはあったが、おおむねレビューは自由に書かせてもらえるのが真実で、むしろバグや未完成なソフトの問題に悩まされることの方が多いのだ。
(あ、あと特殊な入力デバイス前提のものも辛い。たいていサンプルが一個しかないので、レビュー出来る期間が短くてとても厳しいのだ。特にパチンコなんてあのコントローラか通常コントローラかで面白さがまるで違うと思うので、全く困らされた)
点数をつけるレビューからは引退して久しいが、ライターは今でも現役だし、状況はあまり変わってないのは知っている(ツールが面倒になって昔よりレビューが面倒になったぐらい)。レビューで悩むことは、普通の人が想像するのは全く別なところなのだ。
※ 推敲中に「具体的な形で載っている部分が少ない」ってのを削ってしまっていたのを付け加え直した。
さて、ゲームのレビューはBeep!で勝手にやってたのから、今までだからかれこれ25年ぐらいやっていることになる。
このうち、いわゆるゲームに点数をつけるレビュワーをやってたのは1988-1999の11年間。PCエンジンとPS1で、記事で話題になっているのはもちろんコレの事なので、点数をつけていたときの事を書く。
もちろんメーカーからのクレームで点数に若干調整が入ったり、編集部からの要請で単語を修正したりということはあったが、100点つけろだの、0点にしろだのといった圧力なんてものはなく、おおむね自由にやらせてもらっていた。
修正は具体的には【話にならない】という文を【問題がある】程度に直してくれないか、みたいな感じだったり、点数であと5点なんとかなりませんか? みたいな感じ。メーカーだって出来の悪いゲームの時は分かっているのだから、点数に期待はしない。
当たり前だが、点数が良くて評価もいいときは修正はたいていいらなくてダメなときになんとかならないかと聞かれるイメージだった。そしてダメなゲームはメーカーだってわかっているので「話にならない」→「問題を感じた」程度に柔らかくしてくれないかとか「こういういいところがあんだから+5ぐらいなんとかなんね?」ぐらいのものだった。つまりどちらかというとお願いだ。
(点数が良くても修正を受けたことは数回あったが、それはレビューで書いた要素をメーカー側に「伏せてくれ」と言われたのが、そのほとんどだった。簡単に書けば、それは書いて欲しくないってところを書いたってことだ)
ごく希に(10年やってて2回程度だったと記憶がある)ほぼ書き直してくれと言われたことはあるけれど、これはメーカーチェックではなく編集部からの要望で「僕のレビュワーの立ち位置からすると、このレビュー内容はいただけない」だった。端的に書けば、編集部からボツを食らっただけで、メーカーから文句を言われたわけではない。
当たり前だが、数人いるレビュワーにはそれぞれゲームの見方の立ち位置があり、その立ち位置からのレビューを要求されている。ゲームに対して適当な自分の感想文、それも悪口と揚げ足取りを書けばクールだと勘違いしてる、掃いて捨てるほどある自称評論とは違うのだ。
また一部で噂されている「点数を買う」なんてのは、僕の知る限りではない。もちろん、自分は一度もそんなことは要求されたことはない。他の雑誌でもないと思う。あれば狭い業界だ、噂は広がる。
この手の陰謀論はどんだけ否定しても信じたい人は勝手に信じるので、言ってもしょうがないで放置するのが一番早いのだけど、仮に点数を金で買えるなら、僕はゲームを作る側でもあったのだから絶対に知っている。だいたい金で点数買えるなら、もっと点数の変なソフトいくらでもでてくるし、天外2とかエメドラとか作ってるときに、広報対策でその話が出てくる。出てこないのが、金で買えない証拠だ。だいたい金でレビュー調整出来るなんて、雑誌としては自殺行為だ。やるわけない。
むしろレビューをやっているうえで問題になったのは未完成ソフトが来たときと致命的なバグがあったときだった。ぶっちゃけそういうときはレビューを止めて欲しくなるのだけど、だいたい代えが効かないのでレビューすることになる。
こういう問題はPCエンジンでCDROMになって、マスターの提出から発売までの期間が短くなって起こるようになった。ROMの時代なら、デバッグして、ほぼバグも取れた最終段階のROMがサンプルで来たのが、生産期間が短くなったモノで、作ってる途中のモノが来るようになったわけだ。
もうどうしようもないバグを見つけて、思わずレビュー担当に
「このバグ、残ってたら致命傷で、とてもまともな点はあげられないよ?」
「メーカーは大丈夫だと言っています」
担当だって問い合わせてくれているわけで、大丈夫だと言われたら、信じてバグはないのを前提にしてレビューを書くしかない。蓋を開けてみたら、発売されたら残っていて、当たり前だけどバグは取れているのが前提だから書くわけにもいかないので、レビューでも当然触れていない。全く読者を裏切った気分になって、ガッカリしたこともある。
この手の事には結構悩まされて、プレイしていてあんまりひどいバグなので「レビュー版ではXXXというバグがあり、ひどい目にあった。製品版では当然取れていると思うが」という文を入れさせてくれと編集部に言ったこともあるし、編集部判断で急遽ソフトが入れ替えになったことすらあったりする。
ROM時代が終わり、光学メディア時代になってからあとのレビューのソフトは、だいたいデバッグしている途中のモノが来るのが当たり前で、バグがあるだの、読み取りが遅いなんて事も多く、とんでもないときには製品版とまるでバランスが違ったり、操作法が追加されてるなんてことすらあったりした。それらをある程度「製品はこうなるのだろう」と推測してプレイせざるを得ないところがあり、これが難しいところだったわけだ。
そんなわけで、若干の修正をお願いされることはあったが、おおむねレビューは自由に書かせてもらえるのが真実で、むしろバグや未完成なソフトの問題に悩まされることの方が多いのだ。
(あ、あと特殊な入力デバイス前提のものも辛い。たいていサンプルが一個しかないので、レビュー出来る期間が短くてとても厳しいのだ。特にパチンコなんてあのコントローラか通常コントローラかで面白さがまるで違うと思うので、全く困らされた)
点数をつけるレビューからは引退して久しいが、ライターは今でも現役だし、状況はあまり変わってないのは知っている(ツールが面倒になって昔よりレビューが面倒になったぐらい)。レビューで悩むことは、普通の人が想像するのは全く別なところなのだ。
2011-10-04 Tue [ 天外2製作メモ ]
1991年1月、天外2はいよいよ、実際の開発作業に入るための最終準備段階に入っていた。実際の作業は市ヶ谷の角川メディアオフィスが入っていたビルの裏にある貸しビルの2F(今でもあったので写真を載せておく)に開発チームが集まって、行われることになっていた。つまりアルファシステムやハドソン北海道の連中からすると、長期出張ってことになる。これは天外2クラスになると、毎月広報などがあるうえに、広井さんも桝田さんも忙しくなっていて、北海道に長期開発チームが集まるのが難しかったのが理由として一番大きかった。
とはいっても新年そうそうだったので、借りた事務所にチームは集まっていなかったが、僕は開発機やらいろいろなもののレイアウト計画やらハードの準備があり、加えて、当然桝田さんや山根との打ち合わせもあったので、それに忙殺されていた。
このビルの2階は1年半ほど、具体的には1992年の夏に角川メディアオフィスが飯田橋に移転するまで、角川メディアオフィスのゲーム事業部として機能した。そして移転してほんの数ヶ月もしないうちに角川書店のお家騒動が起き、水道橋でメディアワークスを立ち上げることになる。
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2011-09-29 Thu [ ゲームについて::歴史のこと ]
教養のゲーム史について書いたとき、ちょっとカーレースについて触れたら、もっとカーレース…特に2D時代のセガとタイトーのカーレース黎明期のつばぜり合いについて書いておきたくなったので、ここに記しておく。
この話は、僕が9歳からスタートし、最後は18-9歳あたりまで続く、当時2つのゲームメーカーがカーレースについて張り合っていたら、そこに第三のメーカーが現れ、あっつーまにジャンルそのものが過去の遺物になってしまうまでの物語だ。
さて。
僕がテレビゲームと出会ったのは、1973年。2泊3日のハワイ旅行のホテルだった。
小学校4年の夏休みだったので、多分10歳になっていたのだろうと思う。
ホテルに置かれていたのは PONG! 。ただしアップライトではなくカクテル筐体バージョンだった。カクテル筐体だったので上がスモークの茶色のアクリルになっていて、恐ろしくハイテクな印象だった。これがATARIのオリジナルなのか、それともATARI コピーだったのかは残念ながら覚えていないが、ハワイの海よりこのゲームの事を良く覚えているのだから、よほど衝撃的だったのだろう。
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この話は、僕が9歳からスタートし、最後は18-9歳あたりまで続く、当時2つのゲームメーカーがカーレースについて張り合っていたら、そこに第三のメーカーが現れ、あっつーまにジャンルそのものが過去の遺物になってしまうまでの物語だ。
さて。
僕がテレビゲームと出会ったのは、1973年。2泊3日のハワイ旅行のホテルだった。
小学校4年の夏休みだったので、多分10歳になっていたのだろうと思う。
ホテルに置かれていたのは PONG! 。ただしアップライトではなくカクテル筐体バージョンだった。カクテル筐体だったので上がスモークの茶色のアクリルになっていて、恐ろしくハイテクな印象だった。これがATARIのオリジナルなのか、それともATARI コピーだったのかは残念ながら覚えていないが、ハワイの海よりこのゲームの事を良く覚えているのだから、よほど衝撃的だったのだろう。
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2011-09-24 Sat [ レビュー::本 ]
教養としてのゲーム史を読んだ。
というか、結構、前に読み終わっていたのだけど、ゲームロフトの仕事が忙しくて余裕がなかったので、この文を書くヒマがなかった…というのが正しいところ。
本の中身を簡単にまとめると「筆者、多根氏のゲーム史観に従って、ゲームを取捨選択し、テレビゲームの歴史の流れ(の一つ)を浮き彫りにした本」ということになる。
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というか、結構、前に読み終わっていたのだけど、ゲームロフトの仕事が忙しくて余裕がなかったので、この文を書くヒマがなかった…というのが正しいところ。
本の中身を簡単にまとめると「筆者、多根氏のゲーム史観に従って、ゲームを取捨選択し、テレビゲームの歴史の流れ(の一つ)を浮き彫りにした本」ということになる。
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