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Zorkと弟切草とビジュアルノベル(1)
遥か遠い昔に書いたadventureに関する歴史の文が出てきたので、今の最新の知識でアップデートして、再度公開するココロミ。
歴史の中身としては"Text Adventure"から"Graphic Adventure"が登場し、これが日本にやってきて最終的にサウンドノベルやビジュアルノベルに至るまでの話。バイオハザードの文を書いたときの副産物だったりする。

1970年代初頭-パソコン以前
もともと――コンピュータゲームが出てきたのは1970年代初頭。
その頃のコンピュータは、今の電卓よりマシンパワーがない代物だった。
だいたいUNIX(とおっても有名なOS。linuxのご先祖様)からして、RAMが16キロバイト(間違いではないぞよ)、ハードディスクが10メガバイト(同じく間違いではないぞよ)とか、まあ信じられないほどショボいハードの上で動いていたぐらいなのだ。
このハードウェア構成で想像がつくとおり、当時のコンピュータゲームはまずミニコン(ミニコンピュータの略。小さくはないコンピュータってな意味合い)~大型コンピュータの上で動作する、一部の研究者、特にアメリカの大学の研究者のもので、そしてグラフィックもなければ音もない(あったとしてもbeep音の『ピッ』止まり)、テレタイプというプリンタの化け物のようなものを介してプレイされる代物だった(UNIXの"/dev/tty"なんてのは、このテレタイプの略だったりする)。
1981年に登場した"rogue"はテレタイプではなくTV端末を利用する"@"がマイキャラ、"D"とかがモンスター、"+"や"-"や"|"が迷路の構成パーツなんて具合に文字で状況を表現するRPGだが、この貧弱なグラフィックですら、マニュアルに大半のUNIXのゲームよりもビジュアル指向であるなんて書いてあるほどだ。
他のソフトは推して知るべし。
グラフィック的にはないも同然のお寒い限りの代物だったのだ。
この大学で研究が行われるぐらいにコンピュータがメジャーになってはいるけれど、マシンは非力だった1970年代半ばに登場したのがテーブルトーク"RPG"って奴だ。

ちなみに勘違いされないうちにはっきりさせておくが、テーブルトークRPGは日本でコンピュータRPGとそうでない紙と鉛筆で行われるRPGを区別するために作られた言葉である。


嚆矢はTSRのD&D(Dungeons & Dragons)ってことになっているけど、ともかくこの遊びをコンピュータの上に載せようとした人間がいた。それが"Willam Crowther"。
どうしてCrowtherはそんなことをしようとしたのかというと、彼は離婚したことで娘と親しくなるために趣味の洞窟探検をゲームに置き換えたモノを作ろうと考えたかららしい。
で、そのゲームを作るとき、テーブルトークのゲームマスターとプレイヤーのセッション風味で再現するものとして制作し、出来上がったのが"Collossal Cave Adventure(PDP-10 / Willam Crowther / 1975)"だった。
ここに初めて"Adventure"という言葉が出てきた。これこそがこの文章の主題になっている"Adventure Game"の元祖だったのだ。
この"Collosal Cave Adventure"は当時のハッカー達に絶大な影響を与え、みんなこのゲームを改造しまくっていろいろなバージョンを作った。これが"Adventure ほにゃらら"という名前が多かったことから、"Adventure"の名前がそのままジャンル名となって"Adventure Game"と呼ばれるようになったわけだ。

"Collosal Cave"の初代にはファンタジー要素がほとんどなく、後にこのゲームの拡張に加わった"Don Woods"がトールキンのファンで、ファンタジー要素を大量に入れたのが歴史的には正しいらしい。

「ゲームマスターとプレイヤーのセッション風味」と書いたわけだけど、今のアドベンチャ(およびその末裔)をプレイしている人には想像がつかないだろう。
どんな風にプレイされたのか?
本当に古い"Adventure"ってのはこんな具合にプレイされた。これは"Zork 1"の最初のイントロ部分。


つまり
(1)『あなたは~の前にいる』とか状況説明の文章が表示される。
(2)それに対し、何らかの文章を入力する。
(3)コンピュータがそ答えを返し、(1)に戻る。

と、こんな風に、非常に簡単ながらもコンピュータとプレイヤーの間で会話が行われるような雰囲気でプレイされたわけだ(">"以降の部分はユーザーが自分でキーボードから直接入力している)。
ちょっと雰囲気は想像はつくかと思うけれど、"Adventure"にはアドベンチャゲームの基本的な形は全て集約されている。
今のアドベンチャゲームとその末裔達は、このコマンド入力の部分がメニューになっただけだと分かるだろう。

それはともかくとして、この"Adventure"は「会話」と書いたが、当然の事ながら、当時の非力なコンピュータでは会話なんてモノは出来なかったし(まあ今でも出来ないが)、戦闘システムを入れるような余力もどこにもなかった。
「それらしい単語を入力すれば、次のシーンに進む程度」でしかなかったのだが、それでも大変なショックをプレイした人達に与えた。だが、その衝撃が実を結ぶのはもう少し後になってからの話だ。

Zorkシリーズはウェブからダウンロード可能でフリーソフトとしてプレイ可能なのだけど、以下の点で注意しなければならない。
まず80x25のDOS環境に設定しなければならない。そうでなければ画面が崩れる。これは一度起動したときにDOSプロンプトの設定を切り替えれば良い。
次に日本語環境ではBATファイルが直接は動かない問題がある。なので日本語環境では、以下にBATファイルを書き換えると吉。書き換えるパートは以下の通り。以下はZORK.BATに追加するところの説明。
= BAT ファイルの中身 ======
@echo off
chcp 437 ←これを追加する。
nnansi.com
cls
_zork1.com
nnansi.com U
cls
=================
あとBATファイルは書き込み不可になっているので書き換えること。


グラフィックアドベンチャの登場
さて、時はほんの少し下って1977-80年代初頭。
テキストオンリーであったアドベンチャゲームに変化が現れるのは、パーソナルコンピュータ、中でもAPPLE IIの登場とそのフロッピードライブの登場。
このフロッピーディスクの大容量(と言っても128キロバイトだけど)とAPPLEの卓越したグラフィック能力(と言っても280*192/4色という寂しいものだったが。ちなみにこのグラフィックは後に6色に改良される)によって、アドベンチャゲームにグラフィックがつく。
そして、そのグラフィックのついたアドベンチャ、具体的には"Mystery House"(シェラオンライン/ 1980)から始まる一連のシリーズは爆発的にヒットし、アメリカゲーム界に空前のグラフィックアドベンチャブームをもたらすのだ。

ちなみに"Mystery House"を作ったKen/Roberta Willams夫妻は"Collosal Cave Adventure"をプレイして"Mystery House"を作っている。

ところが――グラフィックがついてお話が出来るようになったアドベンチャゲームだが、ほんの2年ほどで、たちまち閉塞感が出て、ゲームとして問題に突き当たってしまう。
というのも、当時のマシンパワーの問題などから仕方ないのだが、要はアドベンチャゲームは前の項で書いたとおり、ゲームマスターとの会話をなんとなく雰囲気だけ感じられればいい正しい単語を入力すれば次のシーンに進むレベルの代物で、そのうえ当時のゲームはサイズも小さく(容量が少ないんだから当たり前だ)、当然の事ながら載っているグラフィックの量も少なかった。
さらにメモリが少ないので複雑なフラグも持てないし、辞書や文法解析など出来るはずもなかったから、複雑な謎を作ることも出来なかった。
結果として先に進むのを難しくするためには、思いつかないただ一つの難しい単語を使うしかなかったのだ。
言い換えれば、辞書でも引かないと思いつかない正しい単語を入力出来なければ先に進めない代物になってしまったわけだ。

さらにこれは別の事だが、今のゲームに慣れた人間には信じられないかも知れないが、ゲームとして「はまる」、実質的に解けなくなる事が標準的にあった。「やらない方が悪い」という底意地の悪いゲームだったのだ。

これに棹を立てる形で登場したのがInfocom社の"ZORK 1/2/3"に代表される一連のテキストアドベンチャシリーズ。
これはMIT(マサチューセッツ工科大学)に在学中に"Adventure"をプレイしたデーブ・レベリングがコンピュータに言語を理解させる研究と称して、作り始めたアドベンチャゲームに端を発している。

なお、彼らがプレイした"Adventure"が何なのかは不明。

レベリングは"Adventure"をプレイし、先ほど書いたようなただのパズルでちっとも会話していないところや、さらにその延長としてコンピュータの知らない単語を入力すると<わかりません>と返事したり、先ほど使った単語を入力しても場面が違えば<わかりません>と答えるところが非常に気に入らなかった。
そこで、彼(とその友達)はコンピュータが一応文法を解析し、普通の言葉を普通に入力すれば、それに答えてくれるアドベンチャゲーム、言い換えれば言葉探しパズルではなく、謎を本当に解くを目標としてゲームを作り始めたのだ。
むろん、当時のコンピュータではメモリも足りないから辞書も大きな物ではなかったので、日常語をなんとか使えるという程度の解析エンジンでしかなかったわけだが、少なくとも"ZORK"を作ることに成功し(これで論文も書いて)、その後、大学を卒業したと"Infocom"を設立し、"ZORK"を分割して、ZORK1/2/3として発売したわけだ。
さて、この"ZORK"に代表されるゲームの最大の特徴はなんだったのかというと、確かに文法解析による自然言語入力が最大の特徴なのだが、結果として付随した決定的な特徴は――初めて、謎が謎として機能したことだった。
従来のアドベンチャゲームの殆どは何をしたらいいかは分かっているが、それが出来ない(ようになっている)代物だったのだが、これに対してinfocomの"ZORK"に代表される一連のテキストアドベンチャでは文法解釈ルーチンを持ち、普通、考えつくような言葉(および文章)に対して、たいてい正しい反応が組み込まれており謎が解けなくてイライラすることはあっても言葉が分からなくてイライラすることはほぼなくなっていた。
簡単にまとめれば、プレイヤーは謎解きに専念出来たわけだ。
こうして『謎解きをイライラせずにプレイ出来るアドベンチャ』が登場したわけなのだが、実質的には、このあとアドベンチャブームは急速に消え、"Infocom"のアドベンチャは孤高の作品となってしまう。
というのも、アドベンチャのスタック=解けない問題をもっと劇的に改良したコンピュータRPGが登場し、プレイヤーはそちらに流れてしまったためだった。

そして、舞台は日本に移る。
というところで、続く。
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