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同人について語ったustに腹が立った
9/19 17:26に大幅に訂正。
怒りすぎてて、いろんなものがグダグダになっていたので、書き直しました。
誤解もあると言われたのでust関係のところを冷静になって見直したのだけど、問題があると自分で思った。多分、自分が周辺のツイートとも絡み曲解してしたっぽいので、昨日のustに関する怒りは謝罪し、削除しておきます。

9/19の朝、Twitterのハッシュ#doujin24と絡んでustでプロと同人が一緒に同人ソフトについて語っていた。討論内容はグダグダな上に結構ムカつくところもあったのだが、ともかく、気になったのが「同人の定義」が極端に曖昧なことと「儲けること(商業活動)」だった。

というのも、約20年前、僕は天外2を作っているときに不幸な出会いがあり、本当に同人が大嫌いだった。
そして、同人に対していわれなき悪意を持っていたが、これを木っ端みじんにしたのが故・岩田次夫さんだった。僕のあらゆる主張を岩田さんは木っ端みじんに論破した。
それから同人というモノに対して、フラットに接するように努力し、いろいろ考えていたが、昨日のustおよび周辺で語られていた内容は、同人に対する理解があるとはとても思えないものが多々あったので、以下に、よくある同人に対する下らない主張をリストにし、それに対する僕の答えを書いておく。

●同人はアマチュア、ただで頒布するべきだ
極端な例を考えれば、この主張がどれだけ破綻しているかすぐにわかる。
例えばダイアモンドを加工して細工を売りたいと考えたサークルがいたら?
彼らにダイアモンドをタダで配れと主張するのか? 全く馬鹿げた主張であることが分かるだろう。
極論? コミケには銀細工のサークルとかも出ている。貴金属をタダで配れという主張が、キチガイ沙汰なのは明らかだろう。

●わかった、じゃあ頒布価格は原価にするべきだ
ダイアモンドサークルが5個の細工を作った。一個の原材料費が50万円としよう。
全部売れてようやくトントンとなるのでは、このサークルは「次のイベントには出られない」のは火を見るより明らかではないか。「頒布価格を50万円にしろと主張する権利が、どこの誰にある」のだろうか。誰にもない。
また原価と簡単に書いたが、作っている間の食費・工作機の償却、様々な間接費はかかる。何を原価とするのか?
企業と同じルールでいいなら、人件費・間接費全て含めて原価になる。何が原価かなんて誰にも分からない。
原材料理論がどれだけ馬鹿げているかは最初に書いたとおり、明らかだ。

●わかった、だが、本業ではないもので金を儲けるべきではない
だったら兼業作家全部禁止。
スタジオミュージシャンは、バックバンドをやってはいけない。
ボクサーはコンビニでバイトしてはいけない。
ヤフーオークションで不要なモノを売るのも、転売も、中古ゲーム屋にゲームを売るのも等しく禁止にするべきだ。投信で年金作るのだって禁止だ。株なんてもってのほか。競馬・競輪・パチンコあらゆるギャンブルも禁止だ。本業以外のあらゆる経済活動をしてはいけない。
どれだけ馬鹿げた主張かは明らかだろう。

●第一の結論
つまり、同人で金儲けるなだの原価で売れは、全くの愚論。
こんな事をいう人間は「アマチュアリズムは19世紀にヨーロッパ貴族が労働者階級をスポーツから排除するために作ったもので、オリンピックも貴族が作ったからそうなってただけ」という事実を知らず、意味もなく貴族のお遊びとして成り立っていたアマチュアリズムを礼賛しているだけだ。
※ 突込みが入ったので、訂正を入れておく。この話は近代オリンピックであり、ギリシャ時代のオリンピックではない。
人が何かをするのには、殆どの場合で金が必要であり、対価を求めるなだの対価を求める人間は卑しいだの、全く愚か極まりない。同人・趣味・副業・その他アルバイトで金を儲けることは、適法ならば、なんら恥じる必要は無い。
むしろ、施し感覚で人に何かをしろと主張する人間の方が、僕はよほど気持ち悪い。

●では同人(趣味)と企業には何の違いがあるんだ?
以下は、僕なりに考えた違いと定義である。

1)同人は利益が第一義ではない。作品を作ることが目標であり、利益が第一義の企業とは違う。
前述のダイアモンドを「見てもらいたい」というだけの理由でタダで頒布することも許される。
通常の企業なら、それを行うことで、よほどの利益(たいていの場合にはこの場合には広告効果だろうが)があると企業を説得できないとムリなのは火を見るより明らかだ。

2)(1)より、同人はお客を選ぶことが許される。
その作品を誰に読んで・遊んでもらいたいか、同人は作り手の責任で決められる。
例えば知り合いは、誕生日の人のための本を作り、イベント当日に誕生日の人のためだけに頒布した。111円オツリなしでしか本を頒布しなかった人も知っている。質問で自分の作品内容を知っているかをチェックして頒布した人も知ってる。
また1000人欲しい人がいようが5個しか頒布しないのも、1000個作って、1つしか頒布しないのも自由だ。
こういったことは基本的には企業は許さない。なぜなら、企業の目的は利益の最大化だからだ。

【結論】
●同人は利益が第一義でない。企業は利益が第一義の「利益生産集団」なのであり、決定的に違う。
●利益が至上目標でないので「読者ゼロ、プレイしたい人ゼロのゲーム|作品」を作ることが許される。
●同じく、利益が至上目標でないので「頒布する対象を、作り手側が選別することが許される」。
●リスクは少数の作り手(ほとんどは個人に近い)が負う。企業体のように法人格や何かが責任を取るといったことはない。


以上。
もちろん、同人と企業の定義には、人によって微妙な違いはあろう。だが「同人(趣味)で金を儲けるな」などは全く馬鹿げた理屈なのははっきりしたと思う。

|| 15:52 | comments (17) | trackback (1) | △ ||

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斉藤由貴さんとKMOとハドソンと(上)
いつか書くと書いていたが1987年にどうして僕が斉藤由貴さんと一度会ったことがあるのかという話。
ついでに、どうして自分がゲームのプロになったのかについても書きたい。

1987年初頭、僕は、初めて就職した会社でCD-iの開発に従事していたが、ウンザリしはじめていた。
僕が若いころコンピュータでやりたいことが3つあった。一つがシステム関係のソフトを書くこと。つまりシステム屋になること。2つめがCG関係の仕事をすること。3つめがゲームを作るプロになることだった。
最初の2つは松下無線研究所のバイトと、最初に勤めた会社でかなり納得していたが、反面、限界も感じていた。
なによりアメリカで仕事をしたとき、一緒に仕事をしたメインプログラマのロバート・ドジェットとボブ・ソレンセンって二人の余りの凄さに打ちのめされていた。
彼らより着想が面白いところや、違う切り口で勝負することは出来たけど、ことプログラムでは勝負にならなかった。実際、自分はゲーム屋になってからも発想や様々なアイディアで暮らしてきたし、技術のことが分かりゲームデザインもできる人間として珍しいだけで、技術は凡庸だと思っている。
つまり、なんで自分が最初の会社にいたのかというと、システム屋を続けてもベスト10に入ることも出来ないのは明らかだったけれど、CD-iはシステムプログラムに対する欲を満足させると同時にゲーム(+映像)も作れそうだったので付きあっていたわけだ。

だけどCD-iはハードの細かな仕様が決まるに従ってどんどん自分をガッカリさせるハードになりつつあった。
スクロールゲームやアクションゲームはとても作れそうになく、それを指摘しても「マルチメディアマシンとゲームマシンは違う。マルチメディアマシンはファミコンみたいなチャチなもんじゃない」という、わけのわからない主張しか聞けなかった。
作っている側はファミコンやアーケードを子供のオモチャとバカにしてたけど、僕は少なくともファミコンのゲームをCD-iじゃ作れないのは明らかだったし、スプライトのダメさ加減からMSX2クラスのゲームも難しいと思っていた。
そしてCD-iのデバイス的な特性から、絵のきれいなアドベンチャ以外を作るのは難しいと考えていた(この予想は結構正しくて、このあとMacで大評判になったMANHOLEなどがその流れだった)。
特にスプライトについては致命的で、たったの1個しかスプライトがなく(しかも一色!)、画面は全部書き換えするしかない。
おまけに画面モードによっては画面書き換えが非常に難しく、ゲームを作るとしたら使い物になるモードは一個しかなく、そのモードを使うと今度はストリーミングアニメーション(今で言うムービー)が出来ないオマケつき。レイヤーを複数もつことが出来たり、水平帰線期間にVDPに対するコマンドが発行できたりと、面白いところはあったけれど、正直ゲームには使い物にならないのは明らかだった。
僕はMSXのVDP9918でスプライトの威力を知っていて、スプライトを利用して書かれたゲームを88にインポートしたことがあったせいであるとないとでどんだけ違うかを死ぬほど良く知っていたので「ファミコン程度とバカにしているが、そのファミコン程度のゲームも出来ないよ!」と思って、腹立たしいだけだった。
【注】どうしてゲームを作りたいと思ったのか? については夢のスタートレックでも読んで欲しい。「どうしてゲームが作りたいと思ったの?」と聞かれたとき「スタートレックがしたかったから」以上の説明を僕は出来ない。
じゃあ、どうしてスタートレックがやりたかったの? と聞かれたら、それは自分がスタートレックファン(TOS)でSFファンだったからで、幼稚園に行く前に「ペルシダーのぼうけん(オールひらがなの自分が読んだ一番最初の方の本なのは確か)」を読み、小学生の前半で「惑星ソラリスの秘密」だの「空中海賊株式会社」だのにハマり、小学校4年の時にはSF文庫に手を出して…とSFファンであり続けているから…としか言えない。つまり、生まれ育ちの様々な選択の結果、スタートレックはなにがなんでもプレイしたいゲームだった、ということだ。
そして当時、スタートレックをプレイするためには、APPLE][を買えるお大尽でもなければ、自分でプログラムを作る(もしくは著名なモノから移植する)しかなかった(市販のプログラムは実質存在しなかった。あえて書くなら雑誌や書籍に載っているソースコード)。だからプログラムの勉強をせざるを得なかったし、遊べるようになったスタートレックも自分で移植したものだった。もちろんスタートレックを作ったときはプログラムも(ある程度)書けるようになっていた。プログラムが書けるということは、他のゲームも作れるし、作っていたし、実際、いつでも作りたかった(今でも作りたい。小さいのも大きいのもいっぱい)。



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1989年10月 - 頭に来たスタッフロール
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

■■■

この本名だらけのシリーズでHaHi君とハドソンの営業担当Zだけが、なぜ名前が伏せられているのか?
このシリーズが基本的に本名で書かれている理由は、イースのスタッフロールが本名だからだ。スタッフロールが本名なのにグラフィックチーフの進藤と書かずにグラフィックのSと書いても意味はない。
もちろん、Sではなくグラフィックの●とかにすりゃ仮名の意味では出てくるが、一緒に作ってくれたスタッフに感謝しているのに仮名では、それこそスタッフに失礼ではないか。
山根やファルコムのくだりは結構ナマナマしい話だし、会社同士の関係もあったから、21年前に本名と実際の会社の名前で書いていたら問題になったかも知れないが、今は21年後であり、もう過去の話である。いまさら山根のことに怒る人もいるまい。

つまり、イースを作ったメンバーはスタッフロールで満天下に本名を出しており、そして仕事のクオリティはとても高かったと僕は思っているので、本名で書いているわけだ。
ところで、当時はゲームのエンディングまで行き着いたとき、まずスタッフロールは出たり出なかったりで、誰が作ったのかすらわからないことが多かった。
さらに仮に出てもぴょんきちだのガッツ.アンパンだの、ふざけた名前のが並ぶことが多かった。
これは大手ではスタッフの引抜きを警戒したから名前を出させてくれなかった…なんて話を聞いたことがあるが、僕はこれが本当かどうか知らない。少なくともハドソンでは「会社としてペンネームでなければ困る」と要望されたことはない。
ただ、デビュー作、凄ノ王伝説ではハドソンのスタッフの一部に仮名を使っている。スタッフロールを作るとき名前を確認した記憶があり、そのときペンネームで…みたいなことを言われたので「なんとなく名前を出すのが恥ずかしい」みたいな風潮があったのかも知れない。
【注】当たり前のことながら、当時、僕はフリーで、名前を売らないと話にならないのだから一生懸命本名を書いた。このとき、ペンネームを考えたこともあったのだが、どうにもいいペンネームを思いつかず、結局本名のままになっている。
僕はキャラクタの名前を考えるのが大変に下手で、今作っているゲームでも、スタッフ、名前については「かっこ悪い」だの「ダメ」だのボロクソ。なんだかいい名前を作る才能が欲しいと思ってしまう。


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1989年9月 - 微調整と最後のバランス
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

■■■

9月も後半になると、イースは本格的なデバッグ体制に入っていた。ほとんどすべてのマップ・イベント・(スタッフロールだけはまだ作っていなかった)が入り、デバッグ&バランス調整の最終段階に入っていた。

このころになると、中本さんがデバッグに入って細かな穴が見えるようになっていた。ぶっちゃけるなら最後まで遊べるようになったところで、自分も遊ぶべぇって話だが、もちろん何も知らない初プレイの人ってのは凄く大事で、結構決定的なモノを見つけてくれる。
「岩崎ぃ! 2のボスが倒せないべやあ!」
なんてセリフのが、その一つだ。
イース1ではボスは体当たりで倒すもので、イース2ではファイアの魔法で倒すもの(違うボスが2匹ほどいるが)だが、イース2では誰も魔法の使い方を教えないし(もともとのPC版ではマニュアルに書いてある)、誰も「ボスにはファイアの魔法しか通用しない」なんて言わない。しかもマズいことにザコは別にファイアの魔法でなくてもイース1と同じように倒せてしまう。
つまり、ファイアの魔法をとっても使い方が分からないし、ボスはファイアの魔法でなければ倒せないこともわからないわけだ。
まあ使い方のほうはメニューで選択すりゃ、ボタンも押してみるだろうし、ボタン押せばファイアが飛び出すんだし、マニュアルにも書かれているんだからなんとかなるだろう…ということにして、ボスをファイアの魔法以外で倒せないってことを教えるために、神官の像に「勇者よ、魔法でなければ巨大な怪物を倒すことは出来ない」などといわせることで切り抜けた。ところで「勇者よ…」という言い方はあまり好きじゃないのだが、イース2では導きの巻物とか結構「勇者よ」って書いてあったりする。
【注】ところで中本さんのセリフには「べぇ」が入っているのは、中本さんは北海道弁の人であり「だべさ」と「べぇ」は、北海道で最も聞く語尾…少なくとも1988-92にはそうだったので、僕は死ぬほど聞いた。
使い方としては「岩崎ぃ、酒飲みにいくべぇ!」、「これはバグだべさ」、「そんなんだめだべさー」と、こんな感じ。


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ギャルゲーと恋愛育成ゲームとエロゲーと
Twitterで「ギャルゲーの元祖は『ときメモ』」とかつぶやかれてたり、似たような話をブログで読んだりしたので、当時の1ユーザー兼ゲームプログラマとして、忘れないうちにメモしておこうというギャルゲー登場前後の事情。

ギャルゲーという言葉はファミコン後期~PC-Engine CDROMあたり、つまり1985-88年あたりで成立した言葉だと思われる。
一番最初にこの単語が登場したとき、意味としては「ギャル(女の子)が派手にフィーチャーされたゲーム」程度の意味合いだった。
タイムギャル(TAITO/1985)が発売されたときの「ギャル」からギャルゲーという言葉が出来た…という説を聞いたことがあるのだが、このあたりは本当に分からない。ただ1985-88年あたりで出てきた言葉なのはほぼ間違く『夢幻戦士ヴァリス』とか『マドゥーラの翼』とか、そこらへんのゲームが登場したとき現れた言葉だと思う。
実際、このあたりでアーケードでもモモコ120%(1986)とか、サイコソルジャー(1987)が出た時期であり、あのナムコご乱心といわれたワンダーモモ(1987)も出ていたりするのだから、こういったゲームがカテゴライズされる単語が出来ても全く不思議は無い。
【注】 ギャルゲーという名前で意識はしていなかったとが、ともかく女戦士といえばビキニアーマーになった決定的なポイントがこの年代だったのは間違いない。女の子が主役だったゲームで自分がプレイした一番古いゲームはまず間違いなくアテナ(SNK/1986)だ。今から見ればゲロゲロの難易度のゲームで、おまけにキャラも間違っても可愛いとはいえないが、当時の青少年はこのキャラでもハアハアしたのであるw

もともとは目を引くために主人公を女にしたのだろうが、当時のゲームをプレイしているヤツは男ばかりなのでギャルゲーはゲーム内容に関わらずそれなりに売れてしまう。だから出来の悪いアクションの主人公をビキニアーマーの女にするとか、そういう非常に質の悪いゲームが横行するようになった。つまり女の子が派手にフィーチャーされているゲーム=質が悪い、という印象になりギャルゲーという言葉は蔑称になっていった。
そして、この蔑称に反論できるソフトの数のタカが知れていたので、当時のゲーマー達の間では「ギャルゲー=質の悪いゲーム」とほぼ等しかったのは間違いない。
また歴史的な混乱が起きる前に書いておくと、育成ゲームは1991年のプリンセスメーカー1が実質的な始祖である。だからギャルゲーという言葉の方が先に出来ていたのは確かだ。
まあ、それはともかく「ギャルゲー蔑視」の状況で登場したのが1994年のPCエンジン版ときめきメモリアル。このゲームとその8ヶ月ほど後に発売されたエロゲー(恋愛ゲームといってもいい)『同級生2』の爆発的なヒットによって、ギャルゲーのイメージは激変し「恋愛(育成)ゲーム」というジャンルが表舞台に飛び出してくることになる。
とは言っても『同級生2』は、もちろん50万本を越える売り上げを誇りかつ全年齢向けの『ときメモ』と比較したとき、もちろん一般的な影響力の話をすると微妙だったとは思うが、コアユーザーへの訴求力は凄まじかった。
なんにしてもときメモは「(ポジティブな)ギャルゲー」という言葉を広めるという意味では決定的な役割を果たしたが、別に元祖というわけでは全くない。ただし「恋愛(育成)ゲーム」と呼ばれるジャンルのほぼ元祖に近い存在なのは間違いない事実だろう。
そして、この『ときめきメモリアル』を作る際に、作者達が大いに参考にしたゲームが『同級生1』と『きゃんきゃんバニープルミエール』(多分シリーズを全般に参考にしたのだとは思うが)。このあたりは作者に効いたので間違いない。つまり、恋愛育成ゲームの歴史を紐解くと、そのルーツには2つの傑作エロゲーが見えてくるわけだ。
これらのゲームを参考にしたのは、作者のAsuty.Sと酒を飲みながら結構話をして聞いているので間違いない。

ということで、簡単な腑分けのネタだったが…ここに大いなる謎が登場する。
それは「エロゲー」という単語が登場したのはいつか? ということだ。
『同級生1』と『きゃんきゃんバニープルミエール』はどちらもいわゆるエロゲーなわけだが、ではエロゲーという言葉がいつ頃出来たのかというと、これはさっぱり分からない。
自分が遥か遠い昔、初めて「エロゲー」を見たときは「アダルトゲーム」と称されていた。もちろんこれは「アダルトビデオ」から来ているのは間違いない。
そのあと、コンプティークなどで一時「美少女ゲーム」という表現がなされていた。これは「アダルト+非アダルトゲーム」だったが、主なジャンルはアダルトだった。
一時、NiftyのDante君が「Xゲーム」という表現を使っていた。エロだけではない、という意味合いがこめられていたと思う。また、自分の原稿を調べると1998年に書いた(そしてボツになった)原稿で「Hゲーもしくはエロゲー」と書いているので、ここでその単語があったのは間違いないのだが…いつごろエロゲーという言葉は一般化したのだろうか…?

■追記
該博な知識を持っておられる方のTwitterでの協力により、1985-92年に語源がある、ということまでは明らかになりました。


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