CALENDAR
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31     
<<  2012 - 01  >>

PROFILE
同人誌 電子書籍版
Re:ゼロから始める
ゲームシナリオ


ライトニング伝説


さよならハドソン


ドラクエとFFと
ToHeart


誰得ゲームライフ


ときめきメモリアル
の時代

イースI・II製作メモ

■頒布ページ■
LINKS
NEW ENTRIES
CATEGORIES
COMMENTS
    イースⅠ・Ⅱ通史(3):『リグラス』から『ロマンシア』
  • タムロ (02/03)
    イースⅠ・Ⅱ通史(1):PC88MkⅡSRの発売
  • tamuro (01/05)
  • おお! (01/03)
TRACBACKS
OTHERS
SEARCH BOX
POWERED BY
POWERED BY
ぶろぐん
DESIGN BY
ブログンサポート

ハドソンがファミコンに参入するまで(2)
前回、1983年に任天堂が…というところまで書いたのだけど、ハドソンと任天堂の関係が出来る話に入る前に、もう少しこの当時のハドソンについて話をしておきたい。

というのも、ツイッターで、どうしてハドソンがシャープと仲がよかったのか、どうしてX1を使っていたのか、当時どんな会社だったのかみたいなことを聞かれて気がついたのだけど、結局当時のことを、今の人が知るわけもない。そしてこの話は、当時のパソコン市場や、ゲーム市場、さらに開発環境などがどんなものだったのかをわかってもらわないと、うまく繋がらない。
というわけで、ハドソンや当時のことについて、今回もう少し書いていきたい。

以下本文。

続きを読む▽
|| 20:02 | comments (4) | trackback (0) | △ ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
ハドソンがファミコンに参入するまで(1)
これは1984年に、ハドソンが初のサードパーティとして、ファミコンに参加するときの物語だ。
前のポストで、野沢さんの証言を元にブログを書いたら、いろんな人から細かい情報が集まって、どんな風にハドソンがファミコンに参入したのか、そのプロセスはどういうものだったのかを、ようやくその全貌が正しく明らかになったと考えられるようになったので、再度具体的に書いていきたい。

ところで、この記事は、前の物とかなり激しくかぶるのだけれど、前のものを消すとどのように変化したか? が分かりにくく、かつ前回のに付け加えをするには、あまりに多すぎるので、あえて新しい記事としてアップロードすることにした。
あと今回、何人か名前を出して欲しくないといわれた関係者が現れてしまったので、野沢さんの言葉と一緒に、当時のハドソン関係者と、今のところは伏せておくことにしたい。
…って考えてみたら、野沢さんの名前出していいかどうか聞いてなかった(;´ω`)

また新しい記事はたぶん3回ぐらいに分けて書くことになると思うのだけど、時代背景などまで含めて出来るだけ丁寧に書いていきたいと思っている。
というのも、インターネットを検索すると分かるのだけど、後の歴史的事実「ファミコンが圧勝した」って事や、当時書かれた任天堂礼賛本の内容のひどさ(本当に噴飯モノの本がかなりたくさんあった)、さらにくだらないゲームハード戦争がらみで下らない事を書く人がいるせいで、現実の歴史からかけ離れている事が多いので、そこらへんも出来るだけ正しながら、この歴史を紐解いていきたいと思っている。

以下、本文。

続きを読む▽
|| 18:06 | comments (7) | trackback (0) | △ ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
「ゲーム」の示す言葉の意味
これは『電撃王』や『電撃プレイステーション』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものや、付け加えをして今出すと面白いと思ったものをアップトゥデートして載せていくシリーズ。
今回は2001年の電撃プレイステーションに載せたコラム。

■■■

TVゲームは初登場時には、たった一つのスタイル、ボールをパドルで打ち返す形しかなかった。それが30年経った今では、ざっと大雑把にジャンル分けするだけでも、RPG・SLG・AVG、格闘、様々なスポーツ、もうほとんど滅びかかっているシューティング…それぞれに、たいてい「アクション(リアルタイム)」か「そうでないか」があるしシミュレーションも「リアル系」とかそうじゃないとか、もうともかく、信じられないほど様々な種類のゲームがあると言えるだろう。
どうして、こんなに様々なジャンルがあるのかと言えば、これまた理由は簡単で、コンピュータの能力が途方もなく(TVゲームの登場時から比較すれば、10万倍以上のパワーになっているだろう)パワーアップしたからだ。


続きを読む▽
|| 19:25 | comments (4) | trackback (0) | △ ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
ハドソンがファミコンに参入したとき(オリジナル)
以前にTwitterでちょっと書いた、ハドソンがファミコンのサードパーティに参加する前後の事情について。
これは1982-83前後のコンソールゲーム業界がまさに始まろうとしていた前後の話だ。

当時ハドソンにいた、野沢さんに詳しく聞いたところ、30年前の記憶なのでうろ覚えなところがあるけど、と前置きで返事をもらったので、以下いろいろ。
このあたりはfacebookで、古いハドソンのメンバーと現在つながるようになっているので、また聞いて、証言を加えていく予定。

ちなみに野沢さんは、野沢勝広さん。
I/OでMZ-80K用のTiny fortran コンパイラFORMなんかを発表したり、スターソルジャーのプログラマだったり、チャレンジャーのシステム作ったり、PCエンジンのハードがらみの設計したり、ともかく当時のハドソンの技術の中心人物の1人といっていい人だ。




続きを読む▽
|| 18:09 | comments (3) | trackback (0) | △ ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
ニュージーランドのステーキはうまいのか!?
ニュージーランドについて2ヶ月が経った。
つまり、ゲームロフトのスタジオデザインディレクターとかいうものになって2ヶ月過ぎたってことだ。

正直に書くと、最初の2週間は勤まるのかと思ったぐらいだった。
アジア・オセアニアのマネージャーに「ニュージーランドスタジオのリードゲームデザイナーに就任しない?」と聞かれ「いいよ」で就職したのはいいけれど、一度も行った事がない国で、韓国で使っていたとはいえ錆びついてしまっている英語で仕事をしろって話だ。自信があるわけない。

このやばいだろーなって予想は当たり前のように当たった。
誰も知らない会社。日本語喋るのは自分ひとり。英語はさび付いてる。当然コミュニケーションがきつい。
さらに仕事の流儀が分かっていない。当たり前だけど、会社ごとに流儀は違う。だから、細かいところでどうしたらいいかわからない。しかも複数のプロジェクトがかなり進んでいる状態で入って、ゲームデザインのスタッフの能力もメンツも把握も出来ないまま仕事をしているのだから、ますます分からない。
本当にきっついなーと思っていたのだけど、理解ある上司・同僚・部下(!)に助けられ、なんとかなるかもと思い出したのが3週間あたり。1ヶ月を過ぎたあたりで「ああ、まあなんとかなりそうだ」と思うようになった。
ちなみに右の写真は今、バス停留所に貼ってある「ドラゴン・タトゥーの女」のポスター。なんだかカッコ良かったので、なんとなく写真を撮ったw



続きを読む▽
|| 17:29 | comments (0) | trackback (0) | △ ||

このエントリーをはてなブックマークに追加