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ゲームレビューについて(2)
ところですっかり書き忘れていたのだけど、隙がない作りが高得点になるのは減点がないからだ。
第1回で書いたとおり、ゲームのレビューは基本的に満点からの減点方式だ。だから、隙がないと減点がないから高得点になる、たったそれだけの話だ。つまり満点からの減点方式は欠点があっても長所も強烈なゲームよりも、ともかく欠点がない(ケチをつけにくい)ゲームのほうが高得点になる。

ところが「隙がない作りのゲームは、最低限、この程度の面白さは保証してくれるだろう」程度のものでしかなく、しかも僕の長いゲームライフ経験では往々にして裏切られるものだ。

馬鹿でかい大穴が開いている、隙だらけのゲームや、とんでもない超マニアックなニッチ向けゲームで、信じがたいほど面白いゲームなどいくらでもある。
バランスがぶっとんじゃってたり、エーな部分があったりしても「僕はこのゲームが面白いと思ってるんです」と、叩きつけるような情熱が感じられるゲームの方が、僕の心をつかむことは多い…といっても、これまた程度問題で、あまりに壊れているとさすがにこれは…になってしまうから困るのだけど。
もちろん、隙がなくて情熱が感じられて圧倒的に面白ければ文句なしだけど、そんなゲームばかりなら苦労はしない(この数年だとアンチャーテッド2は、まさにそういうゲームだった。まじで余りのすごさに感動したゲームってのはそうそうない。あとゴーストトリック・Vaqnquishもかなり驚かされた)。

そして、減点の問題はレビューをやっている人間は百も承知だ。だから例えば、自分を例に挙げると欠点だらけで問題はある、だから75点しかあげられないんだけど、気にして欲しい! というゲームには「75点でお勧めをつける」みたいなことをやっていたこともある。

それはともかく本文。

1988年末に家庭用ゲームマシンにCDROMが登場した瞬間から、ゲームは大きく変化し始めた。使える容量は飛躍的に増大し、一枚絵を入れることなんて(アクセスタイムさえガマンすれば)全然簡単になった。気合を入れればアニメをやることも出来るようになった。いろいろな方法で音声を入れられるようになった。

かくして、アニメと音声、さらにアクセスタイムというクソ面倒臭い代物が、ゲームの戦線に加わわり、レビューは一気に複雑化をはじめた。

これのおかげでレビューするときはビジュアル(今で言うムービー)と呼ばれるアニメの出来を勘案しなければいけなくなった。声優がヘボか確認しなければならなかったし、アクセスタイムが許容範囲かも考えなければいけなかった。音楽のクオリティが大幅に増したので、音楽のこともしっかり考えないといけなくなった。

もちろん、これらすべてがゲームの要素だった。
だから――

● 少々のアクセスタイムを我慢しても顔グラフィックが出て、しゃべってくれるファンタジーSRPGと、しゃべらないSRPG、どちらが面白いのか?
● RPGでセリフをしゃべるのはOKか否か
● ビジュアル(今で言うムービー)はゲームの一部なのか、それともただのオマケなのか?

今では、はるかに頭が痛くなる複雑怪奇な問題になっているけれど、CDROMがゲームの世界に登場してから、これらの問いはゲーマー達の間でのホットな議論の対象の一つになった

ついでに書くと、ない方が硬派というのが自称硬派ゲーマー達の主張だった。僕に言わせれば自称硬派なゲーマーという人種は新しいものと古いものがあったとき、必ず古いほうを選ぶのである。今でもそれは変わらない。手厳しいことを書けば、自称硬派だの分かってるだの言ってるゲーマーなんてただの守旧派で頭が固いだけとしか僕には思えない。

僕はというとCDROMを実際に使っていたのもあって「いらないなら絵を非表示に、音声をオフにするオプションいれりゃいいだけだし、だいたいアクセスと組み立てがうまければ誰もこれらの要素に対して文句を言うわけがない」と思っていた。
だいたい表現力が豊かになって悪いことなどそれでかかる予算以外はない。なのに「表現力はゲームの本質か?」とか聞く必要すらないレベルのくだらない議論をしているのだから、思わず鼻で笑ってしまう。

勘違いされると困るので書いておく。
CDROM以前は画面に大きな顔のグラフィックス(32x32ドット以上ぐらい)が出ることそのものが贅沢の世界だった。だから声の出る・でないに関わらずCDROMでなければ「画面のある程度を埋めるような大きな絵」を表示することは難しかった(だいたいファミコンでは1画面をフルに埋めるのは、かなり姑息なテクニックを使わないと難しい)。そういった表現がROMでも特別なことではなく、普通に出来るようになりはじめるのは1993年ごろ、スーパーファミコン後期の大容量ROMの時代になってからと考えていい。
ちなみに大容量といってもせいぜ2~4メガバイト

そして同時期、アーケードゲームで『ストリートファイターⅡ』が登場した。
こいつは必殺技と呼ばれるコマンドを入力すると、世にも怪しい波動拳だとか昇竜拳なる技を繰り出すとんでもないゲームで、今までのアクションと違うコマンド技がある格闘ゲームのスタイルが確立した。しかもそれまでの対戦ゲームの常識を木っ端微塵にする全く違う性能で全く違う技を持つキャラをプレイヤーが選んで対戦する、アッと驚くスタイルを生み出した。
格闘ゲームは従来のアクション以上に腕の差の激しい代物なうえに、ブームになって急速に複雑化し、キャンセル・カウンター・超必殺技・必殺技ゲージ・とても入力出来るとは思えないような複雑怪奇なコマンドなどなど、要素が次から次へと登場して、実力差はあっという間に大きくなり埋めがたくなった。

アドベンチャから『弟切草』すなわち、サウンドノベルが現れ、小説なのかアドベンチャなのかわからない新しいスタイルが生み出された。これはさらにPCアダルトアドベンチャに影響を与え、今に至る基礎になった。

『ときめきメモリアル』と多分、秘かに『同級生1』は、それまでは育てゲーと呼ばれていた『プリンセスメーカー』『卒業』などのパラメータ操作系のゲームから脱却し恋愛育成ゲームと呼ばれる、新しいスタイルを生み出した。

そしてPSとサターンが現れ、コンソールゲームの牧歌的で原始的な時代は終わった

PSとサターンはホンモノのリアルタイム3Dポリゴン、ストリーミングでプレイされるホンモノのムービー、そして高性能なオーディオ圧縮をゲーム世界にもたらし、表現力は飛躍的な進歩を遂げた。

3Dアクション、3Dカーレース、3D格闘、3DRPG…ほとんどあらゆるジャンルが3Dと2Dに分かれた。今までは本当に一部のマニアの物でしかなかった、パソコンの世界にしかなかった系列のソフト、フライトシミュレータ系・高精細なグラフィックスを使ったアドベンチャなども登場するようになった。
完全1人称の視点のゲームが登場した。3D化に伴い3D酔い(TPSやFPSをプレイすると車酔いと同じ症状を起こすこと)の問題や、空間把握の問題(3D空間での位置把握。2次元より遙かに難しい)が登場した。

楽々とアニメーション(ムービー)が実行できたので、映画まがいの表現力をゲームが持った瞬間でもあった(映画というよりはVHSの3倍よりひどい程度の表現力だったけど)。しかもムービーとゲームを組み合わせる事が出来たのでムービーなのか、ゲームなのかの要素の分割がさらに難しくなった。

これらの要素の萌芽のすべてはPCエンジン・メガCD・タウンズなどで見る事ができるが、初めてゲームとムービーが入り混じる世界に完全に突入したのは3DOを皮切りとするPS1/サターンの世代だ。
またFirst Personな表現はSFC時代から登場し始めていたが、これまたゲームとして十分に成り立つレベルの表現力を持ったのはこの時代だ。

加えて、PSとサターンは、それまでのマシンと比較して圧倒的に高速で、圧倒的にグラフィックとオーディオが強力で、そしてメディアにCDROMを使用していたので、圧倒的な容量を持っていた。だから、それまでのゲームなら切り捨てざるを得なかった要素も楽々と入れられたし、それまでなら諦めていた処理も楽々と入った。

結果、PSとサターンの時代になってゲームは桁違いに複雑化した
最初期の『エースコンバット』ですら、SFCでCPUまで乗っているカートリッジで作られた『スターフォックス』とは比較にならないほど複雑だし『ファイナルファンタジーVII』『VIII』が『IV』『V』と比較すれば遙かに複雑なのもいうまでもない。

そして、単に複雑になるだけならまだ良かったが、そのうえゲームは複合化した。

例えば『バイオハザード』アクションアドベンチャと呼ばれるジャンルに入るが、これはSFC時代にはほとんど存在しなかったジャンルだ(アドベンチャゲームでアクションするなんて、一部海外のゲームを除いて、ほとんどなかった)。
しかも画像は3Dで、素材はホラー。そのうえ銃を構えてドンパチまでするゲームで、ファミコン時代のジャンル分けではナニといっていいのかすら迷ってしまう。
はたまたRPGなのかアドベンチャなのかわからない代物は登場するし『やるドラ』のようなアニメなのかゲームなのか分からない物も登場した。
『パラッパー・ザ・ラッパー』でゲームの基本ルールは旗上げゲームと変わらないのに、音楽とグラフィックの演出で、ものすごく楽しくなった「音ゲー」と呼ばれるジャンルが登場した(これまた複合ジャンルだ)。

そういえば音ゲーというゲームジャンルは「音と絵がヘボでもゲームの面白さは変わらない」に対する決定的な反証だ。音があるかないかで全く楽しさが変わるのは明らかだろう。
ところがこの手の主張をされる方の大半はこのジャンルを無視する特徴がある。

恋愛育成ゲームが一大ジャンルとなったことで(恋愛育成ゲームから育成が取れて、恋愛ゲームとしてジャンルになったが正しいだろうが)、ゲームを楽しんでいるのか、それともゲームに現れるかわいい女の子とお話しているだけなのかも分からないような物も出てきた(そして、それの極北に現在の『ラブプラス』がある)。

ゲームの複雑化・複合化に伴い、レビューは複雑微妙になっていった。
ほとんどあらゆるジャンルが2Dと3Dに分れ、さらにそれぞれがアニメ系、CG系、実写系に分れ、さらにゲーム(システム)の種類それ自体が途方もなく増えた。しかも簡単にクロスオーバーするようになった。アクションでRPGでシューティングなんて当たり前、の世界になり、そのうえ簡単にボイスやムービーが入れられたので、どれもこれもストーリーがつくようになった。

アクセスタイムの問題は相変わらずあり、声優の演技の問題ももちろんあり、ポリゴンなら酔うかも考えなければならず、あらゆるジャンルで2Dの方が好きな人も、3Dの方が好きな人もいるので、それも考えなければならなかった。
表現力が向上したせいで、その素材をどんな人が面白いかを考えなければならず(人によっては不快と感じる場合もある)、アニメがついていれば萌えるか? を考えなければならず、カーレースやフライトシミュレータならリアルシミュレータ系なのか、それともゲーム的な感覚の物なのかを見極めなければならず、しかも「リアル」の場合にはそれは本当にリアルなのかを考えなければいけなくて、アーケードからの移植ならアーケードと比較しなければならず、音ゲーなら、音や演出を見なければならない。
加えて、昔ながらのゲームの要素、操作性・グラフィックの質・オーディオの質は相変わらずあった
それどころかボタンの数が増え、アナログスティックがつき、表現力が向上したことで、やれることが増え、ますます考えなければいけない要素が増えた。

この複雑さは世代が変わるたびにジャンプした
PS2世代ではDVDで容量がさらに増大し、描画能力が跳ね上り、精細度も向上した。
容量があるのでムービーだろうがなんだろうが入るようになった。また転送速度が上がったのでDVDから常時データを読み続けることで広いマップを自由に歩けるオープンワールドなんてスタイルまで登場した。
ゲームに物理エンジンを適用できる範囲に入ったので、カーレースなどで物理エンジンが導入されはじめ、リアリティの意味がジャンプした。
一見単純な2Dアクションゲームですら、実はポリゴンを使っている3Dで様々なスキル(必殺技)などを使いこなすゲームなどが、もう当たり前になった。

PS3/X360世代はこれに加えて、HDTVが標準になって解像度が跳ね上がり、グラフィックスがシェーダー世代に突入した結果、様々なグラフィックのスタイルが生まれた。もちろん、このグラフィックのスタイルはゲームのバリエーションを豊かにすると同時に、レビューを複雑にした。
なんせ、『プリンスオブペルシャ・時の砂』『アイドルマスター』『COD:MW2』『FFXIII』『エルシャダイ』が同じハードウェアの上で動くのだ。見た目はまるで別物なわけで、これをどう評価し、いかに読者に伝えるか本当に難しい。

加えて、ネットワークの要素が普通になった。
普通にマルチプレイが提供され、DLCがあり(DLCはレビューではたいていプレイ不可)、それらの要素まで勘案しないとゲームのレビューとは言いがたくなった。

実はネットワークマルチプレイはレビュワーにとって一番ありがたくないもののひとつだ。なぜならレビューをやっているときには動いていないことが多く、ごくまれに遊ばせてもらえる程度だし、だいたい人数も少なければ、実際の環境ですらないこともある。
また、アドホックプレイも厳しい。なぜなら当たり前だがサンプルの数が必要なだけあることがほとんどないから。4人上限でせいぜい二人で、片方が攻略ライターではバランスもへったくれもあったものではない。

ありがたくないことに牧歌的な時代にはまれだったバグの問題まで出てきた。ゲームが複雑怪奇になり、物理エンジンなどの再現性が難しい問題まで入ってきたためデバッグを完璧にすることはほぼ不可能になった。だからレビュワーが遭遇したマズい動作は果たして「誰でもあう致命的なものなのか、それともレビュワーが奇跡を引き起こしたのか」真剣にレビュワーが考えないといけなくなってしまった。

つまりファミコン・SFC世代には考えられないほど複雑怪奇なさまざまな要素を勘案して、そのうえでゲームとして面白いのかも考えて点をつけなければならなくなった、それが今のレビューだ。
そして短文レビューも要素レビューも機能不全に陥った。

(続く)
|| 19:05 | comments (2) | trackback (0) | ||

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コメント
> 音ゲーというゲームジャンルは「音と絵がヘボでもゲームの面白さは変わらない」に対する決定的な反証

 個人的にはこれは音ゲーという音をメインにしたゲームだからじゃないでしょうか?

 後述しているそのゲームが何を柱にしているかという話に対して
音ゲーは音を柱にしている。

 つまり音がヘボでも変わらないというわけではなくて
そのゲームが主題にしていることがヘボだったら面白くないだけの話では?

 私も37歳で今でもゲームをやっていますが
キャラクターが音声のみでテキストが出てこないゲームを
除き基本的に音は無しにして好きなCDを聴くか
無音の状態でプレイしています。

 それを持って音楽が要らないというつもりはないですが
音ゲーを持ち出してそれが決定的な反証といわれると
ちょっと違う気もします。
| GiiD | EMAIL | URL | 12/04/18 17:50 | P2Gt1PLU |
> 音ゲーというゲームジャンルは「音と絵がヘボでもゲームの面白さは変わらない」に対する決定的な反証

 これは本気で盲点でした。確かに音ゲーというジャンルは、音楽とおもしろさが直結しているジャンルですね。
| yuhkan | EMAIL | URL | 12/03/17 19:38 | 90UZdoWE |
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